「井・眞・成」=セイシンセイ
=精神性=政審所為・・・?
↓↑
ツルのキュウリ・キュウリのツル
「脈=ミャク=陌」の「窮理=キュウリ=鳩里」
↓↑
巻きひげ
薇(発条・ぜんまい・全妹?)髯(髭・鬚・須・卑下?)
蕨(わらび) 全妹→ゼンマイ=全毎→毎=𠂉+毋?
全姉→ゼンシ =全史→史=口+乂?
全弟→ゼンテイ=全綴→綴=糸+叕?
全兄→ゼンケイ=全経→経=糸+圣?
母も父も同じ血統の
競走(キョウソウ)馬
↓↑
父が同じでも兄弟とは呼ばず
母が同じ場合のみ「兄弟姉妹」
父も同じ場合が「全」+「兄弟姉妹」
父が違う場合が「半」+「兄弟姉妹」
「玄宗皇帝=ゲンソウコウテイ=幻想行程」の日本人
玄宗皇帝
在位期間 先天元年8月3日 - 天宝15載7月12日
(712年9月8日 - 756年8月12日)
都城 長安
姓 李・・・李=木+子
諱 隆基
諡号 至道大聖大明孝皇帝
廟号 玄宗
垂拱元年8月5日
685年9月8日
~
上元2年4月5日
762年5月3日
大運756年9月(71歳)丁丑印綬
乙酉(庚 辛)正官・食神 死⇔壬寅偏財
乙酉(庚 辛)正官・食神 死⇔乙巳正官
戊寅(戊丙甲) ・比肩長生⇔甲寅偏官
戊午(丙 丁)比肩・偏印帝旺⇔庚午偏印
申酉空亡
↓↑
父 睿宗
母 竇徳妃・・・
竇=穴+賣
宀+八+士+買
宀+八+士+罒+貝
トウ
トク
あな
あなぐら
みぞ
物をたくわえておく穴
くぐり戸
溝・水道・水路
竇(あな)
竇(あなぐら)
竇(みぞ)
異体字
窦=穴+卖
宀+八+十+买
宀+八+十+乛+头
宀+八+十+乛+大+丶
卖=十+买=売=賣
十+乛+头
十+乛+大+丶
バイ
うる・うれる
あきなう・品物をうる
うる・だます・裏切る
うる・広める・宣伝する
头=大+"=斗+丶=頭
卖+α
渎・牍・觌・㱩・犊・椟・赎・窦・黩
买=バイ・かう=金をはらって品物を得る
求める・あさる・まねく
荬=バイ・「苣荬菜=キク科の植物」
↓↑
竇=穴+賣・・・賣(売)買・・・比売(賣)=姫・媛・嬪
宀+八+士+買
宀+八+士+罒+貝
トウ
トク
あな
あなぐら
みぞ
物をたくわえておく穴
くぐり戸
溝・水道・水路
竇(あな)
竇(あなぐら)
竇(みぞ)
異体字
窦=穴+卖
宀+八+十+买
宀+八+十+乛+头
宀+八+十+乛+大+丶
卖=十+买=売=賣
十+乛+头
十+乛+大+丶
バイ
うる・うれる・あきなう・品物をうる
うる・だます・裏切る
うる・広める・宣伝する
↓↑ ↓↑
头=大+"=斗+丶=頭
↓↑ ↓↑
卖+α
渎・牍・觌・㱩・犊・椟・赎・窦・黩
↓↑ ↓↑
买=バイ・かう=金をはらって品物を得る
買う・求める・あさる・まねく
荬=バイ・苣荬菜=キク科の植物
↓↑
后妃 王皇后
陵墓 泰陵
年号 先天=712年~713年
開元 713年~741年
天宝 742年~756年
↓↑
楊貴妃=楊 玉環・・・爪楊枝(つまようじ)
↓↑
開元7年6月1日
(719年6月22日)
~
天宝15載6月14日
(756年7月15日)
大運753年10月(34歳)甲戌偏官
己┏未(丁乙己)劫財・劫財 衰⇔丙申偏印
支合 丙
庚┗午(丙 丁)食神・偏印・印綬帝旺⇔乙未正官
戊┗午(丙 丁) ・偏印・印綬帝旺⇔丙申偏印
戊┗午(丙 丁)比肩・偏印・印綬帝旺⇔甲午偏官
子丑空亡
↓↑
字 鴎(鷗)法・・・森鴎(鷗=區+鳥)外
小字 玉奴・玉環
称号 楊貴妃
道号 太真(眞=匕+県)
身位 王妃→貴妃
出生 蜀州
死去 馬嵬(山+鬼・異体字「㠕=山+阝+鬼」)
ー↓↑ー--
つる=蔓
植物の茎で、細く直立せず
地面をはうか、他の物にまきついたり
「巻きひげ」・・・ぜんまい=発条・薇
などで付着するものの総称
鉉=鉱脈(コウミャク)
脈=つる・ミャク
弦=弓の弦
鶴=嘴と脚が長い水鳥の類
釣瓶(つるべ)=井戸水を汲む桶
鉤(鈎・こま)
陰匿鉤距(イントクコウキョ)
姿を隠したまま
裏から人を陥れようとすること
「鉤距」=外部の人に
知られていない事情を探ること
鉤章棘句(コウショウキョクク)
読みにくい文章・奇怪で難しい文章
釣り針のように
引っかかりの多い文章
「棘句」=とげ(刺)のある句
鉤心闘角(コウシントウカク)
高さのある建物が
密集し数多く建っている様子
知恵を振り絞って争いをすること
「鉤心」=車軸・屋根の中心が集まっているところ
「闘角」=角を突き合わせて戦うこと
鉤縄規矩(コウジョウキク)
物事の法則や基準になるもの
「鉤」=曲線を引く時に使う道具
「縄」=直線を引く時に使う道具
「規」=円を描く時に使うコンパス
「矩」=直角を描く時に使う定規
↓↑
葛=艹+曷
・・・葛城皇子=中大兄皇子=天智天皇
↓↑
古人大兄皇子は異母弟
舒明天皇の第一皇子
母は
蘇我馬子の娘
蘇我法提郎女(ほほてのいらつめ)
蘇我入鹿とは従兄弟
娘は
倭姫王(天智天皇の皇后)
・・・倭姫=倭武の叔母も同名
643年11月
蘇我入鹿は
斑鳩宮で
山背大兄王とその一族を滅ぼし
645年6月
「乙亥の変」で
中大兄皇子らによて
蘇我蝦夷、入鹿が殺され
古人大兄皇子は
皇極天皇退位を受け
皇位に即く事を勧められたが断り
出家して吉野へ隠退
645年9月12日
吉備 笠垂・・・「笠前・新笠」
(きびのかさのしだる)
の
「古人大兄皇子」
謀反有りと密告を受け
中大兄皇子が攻め殺させた
↓↑
古人大兄皇子
古人皇子=古人大市皇子=吉野太子
とも呼称(穪=禾+爾
称=禾+尓
稱=禾+爯
禾+爫+冉)
大兄=大市
兄==市・・・?
↓↑
穪=禾+爾=称=稱
禾+一+八+冂+丨+㸚
禾+一+八+冂+丨+爻
禾+一+八+冂+丨+㐅+乂
禾+一+八+冂+丨+㐅+丿
ショウ
あげる
穪(あげ)る
穪(かな)う
穪(たた)える
穪(とな)える
穪(はか)る
たたえる・ほめる・ほめたたえる
となえる・となえ・名づける・呼び名
はかる・目方をはかる・重さをはかる
はかり・天秤・重さをはかる道具
かなう・適合する・つり合いがとれる
艹+日+匂
艹+日+匃
艹+日+勹+匕
艹+日+勹+亾
艹+日+勹+人
カツ
くず
かずら
かたびら
つづら
くずかずら
くずぬの
つる草の総称
かずらの蔓で作った箱
一裘一葛(イッキュウイッカツ)
非常に貧しい暮らし
「裘」は冬に着る毛皮の服
「葛」は夏に着る薄い布の服
一枚ずつしか持たず
他の着替えを持たない貧乏
瓜葛之親(カカツのシン)
親類、縁者
植物の瓜や葛の蔓が絡み合うこと
人事葛藤(ジンジカットウ)
人間と人間の争い
「人事」=人間にかかわりのある事柄
「葛藤」=かずらや藤がもつれて絡むさま
ーー↓↑ー--
井 真 成
(セイ シンセイ
い ま なり・・・今也?
ゐ ま なり
ゐ の ま なり)
文武天皇三年(699年)
~
天平六年=開元二十二年(734年)
唐代の日本人留学生・官吏
中国の古都
西安で墓誌が発見
↓↑
「井 真成」
中華人民共和国で発見された墓誌に
日本人留学生として記されていた姓名
↓↑
陝西省
西安市内の工事現場から発見
中国西北大学が
2004年10月12日
に発表
個人の所蔵物だったが
西北大学付属博物館が収集
↓↑
墓誌
開元二十二年(西暦734年)
正月(朔~十or廿)日に死去
「尚衣奉御」
の官職を追贈と記録
中国で発見された
最初の
日本人の墓誌
唐国への留学生の墓誌の唯一の発見例
現存の
石刻資料のなかで
日本の国号を
「日本」
と記述した最古の例
↓↑
墓誌原文
■は判読不明文字
↓↑
贈 尚衣奉御井公墓誌文并序
公
姓 井
字 眞成
國號 日本
才稱 天縱故能
命遠邦馳騁上國蹈禮樂襲衣冠束帶
朝難與儔矣豈圖強學不倦聞道未終
遇移舟隙逢奔駟以開元廿二年正月
日乃終于官弟春秋卅六皇上
傷追崇有典詔贈尚衣奉御葬令官
卽以其年二月四日窆于萬年縣滻水
原禮也嗚呼素車曉引丹旐行哀嗟遠
兮頽暮日指窮郊兮悲夜臺其辭曰
乃天常哀茲遠方形旣埋于異土魂庶
歸于故鄕
↓↑
墓誌の訓読
贈、尚衣奉御、井公墓誌文、并序。
公、
姓は井
字は眞成
國號は日本。
才は天縱に稱ひ
故に能く命を遠邦に■
騁を上國に馳せり。
禮樂を蹈み
衣冠を襲ひ
束帶して朝に■
與に儔び難し。
豈に圖らんや
學に強めて倦まず
道を聞くこと未だ終へずして
■移舟に遇ひ
隙奔駟に逢へり。
開元廿二年正月■日を以て
乃ち官弟に終へり。
春秋卅六。
皇上■傷して
追崇するに典有り。
詔して
尚衣奉御を贈り
葬むるに官をして■せしめ
卽ち其の年の二月四日を以て
萬年縣滻水■原に窆るは禮なり。
嗚呼
素車は曉に引きて丹旐哀を行ふ。
遠■を嗟きて暮日に頽れ
窮郊に指びて夜臺に悲しむ。
其の辭に曰く
「乃の天の常を■
茲の遠方なるを哀しむ。
形は旣に異土に埋むるとも
魂は故鄕に歸らんことを庶ふ」
↓↑
墓誌の概訳
姓は井
字(あざな)は真成
国は日本と号す
天賦の才能が認められ
選ばれて国命で
遠国の
日本から
唐朝にやってきた
衣冠束帯を着けて朝廷に上った様子は
堂々としていた
ところが思わぬことに
一生懸命
勉学に励み
学業がまだ終わらない中で
急に病気になり
開元22年(734年)の1月に
官舎で亡くなった
36歳だった
皇帝は大変残念に思い
特別な扱いで詔を出して
尚衣奉御を追贈し
葬儀は公葬にした
2月4日
萬年県の郊外
滻水東岸の原に埋葬することにした
体は異土に埋葬されたが
魂は故郷に帰るにちがいない
「氣賀澤保規・中国史」
ー-↓↑ー-
伝説の遣唐使
井 真成
い まなり
意 真名理・・・?
意 真菜莉・・・?
意 真魚利・・・?
↓↑
委 申 請・・・?
ヰ シンセイ
ゐ
伊
↓↑
井=廾+一
ナ+丨
二+丿+丨
一+一+丿+丨
ショウ
セイ
い
いげた(井桁)
いど(井戸)
まち・人の住んでいるところ
井戸の周りに
人が集まり住むことから
地面に穴を掘り
地下水を汲んだり
汲み上げたりするもの
「井の中の蛙」
川や泉などで
生活のための水を汲む場所
「山の井」
易(エキ)の六十四卦の一
二十八宿の一・ちちりぼし
青天井=青空・空を天井にたとえた・野天
井桁=井の形に組んだ井戸の縁
井筒=井戸の地上部分を囲っている部分
中に落ちないようにするため
木や石などの材料で
井戸の穴を囲ったモノ
井戸=地面を深く掘って
地下水を汲み上げ
用水として利用するための施設
井戸端=井戸に近い場所・井戸のほとり
井戸端会議
相碁井目(アイゴセイモク)
人それぞれの実力の差
何をするにも差ができ
囲碁の腕前にたとえた
雲竜井蛙(ウンリヨウセイア)
地位や知恵の格差の大小
大空を翔る竜
井戸の中にいる蛙
竜は地位や知恵が高いこと
蛙は低いこと
甘井先竭(カンセイセンケツ)
才能がある人ほど、衰退するのが早い
「甘井」=うまい水の出る井戸
うまい水が出る井戸は
人がより多く集まるために
水がなくなるということから
「甘井先ず竭(つ)く」
竭(かれる)
竭(ことごと)く
竭(つ)きる
竭(つ)くす
竭=立+曷
曷=日+匃
日+勹+亾
日+勹+人
立+日+匂
立+日+匃
立+日+勹+匕
立+日+勹+亾
立+日+勹+人
カツ
出し切る・なくなる
水がつきはてる
ことごとく
もちあげる・高くかかげる
↓↑
橘井杏林(キッセイキョウリン)
医者の美称、敬称
市井之徒(シセイのト)
普通の人・素行の悪いならず者
「市井」=町の共用の井戸
井戸の周りに町を作ってた
人家が集中している場所
「徒」=多くの人々
井蛙之見(セイアのケン)
広い世間を知らず
狭い見識にとらわれていること
井の中の蛙、大海を知らず
↓↑
渇に臨みて井を穿つ=慌てても間に合わない
喉がかわいてから井戸を掘っても手遅れ
坎井の蛙(カンセイのア)
考えや見聞が狭く
広い世界があることを
知らない人を嘲笑する言葉
井底の蛙(セイテイのア)
見識や知識が狭く
他に広い世界があることを
知らない人を嘲笑するコトバ
天井から目薬
じれったくて、もどかしいこと
回りくどくて効果のないこと
二階から目薬
↓↑
名字では
井(わかし)
阿 井 =あい
相 井 =あいい=そうい=そおい
阿 井 川=あいかわ
青 井 =あおい
阿迦井 =あかい=あがい
今 井(いまい)
新 井(あらい)
平 井(ひらい)
福 井(ふくい)
大 井(おおい)
萬 井(まんい・よろずい)
井 戸
井 上
桂 井
蔓 井
藤 井寺
葛 井寺(ふじいでら)
大阪府
藤井寺市
藤井寺
真言宗御室派の寺院
聖武天皇より
古子山
葛井寺(紫雲山金剛琳寺)
の勅号を得た
葛井連の前身
「白猪氏」
は百済
「辰孫王」の後裔
「王辰爾」の甥である
「胆津」を祖とし
『日本書紀』によれば
吉備国の
「白猪屯倉」
の田部の丁を定めた功績により
「白猪氏」・・・白猪=伊吹山の「白猪」神
の姓を賜った・・・
奈良時代
養老四年(720年)
「白猪氏」は
「葛井連(藤井連)(ふじいのむらじ)」
に改姓
「葛井(ふじい)寺」は
一族の
「葛井連(むらじ)広成」が創建した・・・
「葛井一族」
からは
「大安寺」僧である
「慶俊」が出ている
↓↑
大同元年(807年)
「葛井氏」の出身である
「藤子(葛井連道依娘)」
と
「平城天皇」
の間に生まれた皇子
「阿保親王」・・・阿(おもね)て保(たも)つ
によって再建
「阿保親王」
の皇子
「在原業平」
が奥の院を造営
本尊千手観音坐像は奈良時代の作品
↓↑
山号 紫雲山
本尊 日本最古の十一面千手観世音菩薩(千手観音)
聖武天皇の勅願寺で
神亀二年(725年)に創建
開山 行基
西国三十三所第五番札所
真言 おん ばざら だらま きりく そわか
ご詠歌 参るより
頼みを
かくる葛井寺
花のうてなに
紫の雲
↓↑
藻 井=?
ペルシャ絨毯の絵柄を
天井に張り付けたような感じの
建築装飾構造・・・?
古くから中国の木造建築の装飾技術
鉄の釘を使わずに
深い感覚の藻井を積み上げる
藻井の2つの形状
円形の藻類井戸
四角形の藻類井戸
原文網址
https://kknews.cc/other/k2r86bb.html
↓↑
葛井氏説
井上氏説
帰化人の末裔、井上氏の一族
葛井氏なら一字にする
「葛」姓にするハズ・・・
葛井氏は
720年(養老四年)
に下賜された姓(『続日本紀』)で
「井 真成」
がその3年間に唐に派遣された事実との年代的矛盾
「井上忌寸」
「葛井連」
は同じ
河内国
志紀郡を拠点とする
渡来系氏族
「情 真誠」説
「井」姓
唐の時代から
長安周辺の
古代の周原地区
(陳西省
岐山県
扶風県)
に集中的に多い姓
↓↑
高級官吏説
「717年の留学生ではなく
733年の遣唐使の随員(高級官吏)」
唐の制度では
官立学校の在学期間は最長9年までで
「17年間留学した」
ハズがない・・・
日本が遣唐使を送ったのは
20年に1回程度
頻繁に遣使した新羅などとは異なり
次の派遣で帰国するまでは
残留が認められた・・・
↓↑
死後追贈された役職
「尚衣奉御」
皇帝の衣服を管理する部門の
責任者で従五品上の官
新羅の例から
元の官位より一階進めて遺贈
「井 真成」
は従六位下と推定
遣唐使使節の随員の
「准判官」
となり日本記録には残らず
遣使仮増位で従五位下とされ
死に際し一階上の
「尚衣奉御」が遺贈
↓↑
「井 真成」
の死は皇帝に報告され
葬儀の費用は唐政府が負担
三等官以上の外国使節に対する扱い
↓↑
入唐間もない
「尚衣奉御」の遺贈に合った身分ならば
日本でも高級官吏
遣唐使節での死去なら
日本側の記録に残らないことはなく
留学生として同行し
「阿倍仲麻呂」
のように唐朝官吏に抜擢されたが
若くして客死して昇任せず
唐側の記録には残らなかった・・・
↓↑
「井 真成」
が死んだ場所が
短期滞在外国使節用の宿泊所の官第(かんてい)で
「井 真成」
が唐朝にとって客だった・・・
長安在住の唐代官人は
自宅から通勤するのが通例である
ー↓↑----
天平六年=734年
干支 甲戌
唐 開元二十二年
↓↑
元正上皇
聖武天皇
↓↑
知太政官事
舎人親王
↓↑
左大臣
欠員
↓↑
右大臣
藤原武智麻呂(2/23-)
↓↑
大納言
藤原武智麻呂(-2/23)
↓↑
中納言
多治比県守
↓↑
参議
藤原房前
藤原宇合
藤原麻呂
鈴鹿王
葛城王
大伴道足
↓↑
2月4日
出羽柵を秋田村高清水岡(秋田市)へ移設
5月14日
畿内七道に地震
8月10日
初めての相撲節会の記録
↓↑
8月15日
地震による
世情不安で天下に大赦
12月30日
日食
↓↑
唐王朝
唐室
李氏の高祖・太宗・高宗三代
の
母(女系)はすべて
鮮卑系
唐室李氏男系
漢人の名門貴族
隴西李氏
「李耳(老子)」
の子孫と自称
『晋書』
西涼の初代王
「李暠」が遠祖
西魏末年
唐室李氏は
西魏より
大野(ダイヤ・おほの)
という
鮮卑姓を与えられ
一時的にこの姓を名乗った
↓↑
建国 618年6月18日
突厥を服属させる 630年
高句麗を滅ぼす 668年
武則天の簒奪(武周) 690年~705年
タラス河畔の戦い 751年
安史の乱 756年~763年
黄巣の乱 874年~884年
滅亡 五代十国時代へ 907年6月1日
↓↑
712年(先天元年)
李隆基(玄宗)は
睿宗から譲位され即位
翌年、太平公主を処刑
玄宗の治世前半
「は開元の治」
唐の絶頂期
唐の羈縻支配
冊封政策
751年
トランスオクシアナ
の支配権を巡って
アッバース朝と
タラス河畔の戦い
に敗北
↓↑
玄宗は
宰相の
李林甫
貴妃の一族
楊国忠
の専横
楊国忠は
節度使の
安禄山
と対立
755年
「安禄山の乱」
節度使=玄宗が増加した官職
辺境に駐留する藩師に
軍事指揮権
一部の行政権を与えた制度
北方3州の節度使を兼ね大軍を握った
安禄山は
華北を席巻
洛陽を陥落させ
大燕皇帝
と称した
↓↑
長安を占領され
玄宗は
蜀に逃亡
途中で
楊貴妃
楊国忠
は誅殺
玄宗は
粛宗に
譲位
763年
名将
郭子儀らの活躍や
回鶻(ウイグル)
の援軍(太子の葉護ら)によって
乱を平定
安禄山
と
史思明
の名をとって
「安史の乱」
軍事力増強のため
藩鎮を増やした結果
内地の節度使も増加
五代十国時代まで
各地に節度使が置かれた状態は続いた
↓↑
中興の祖
憲宗
中央の命令に服さない節度使を討伐
後
不老長寿の薬といわれた
丹砂(水銀)をはじめ怪しげな仙薬を常用
精神に不安定をきたして
宦官をしばしば殺害
恐れた宦官により殺された
孫の
文宗
は権力を握った宦官を誅殺しようと
「甘露の変」と呼ばれる策略を練ったが失敗
ー↓↑ー--
「脈=ミャク=陌」の「窮理=キュウリ=鳩里」
↓↑
巻きひげ
薇(発条・ぜんまい・全妹?)髯(髭・鬚・須・卑下?)
蕨(わらび) 全妹→ゼンマイ=全毎→毎=𠂉+毋?
全姉→ゼンシ =全史→史=口+乂?
全弟→ゼンテイ=全綴→綴=糸+叕?
全兄→ゼンケイ=全経→経=糸+圣?
母も父も同じ血統の
競走(キョウソウ)馬
↓↑
父が同じでも兄弟とは呼ばず
母が同じ場合のみ「兄弟姉妹」
父も同じ場合が「全」+「兄弟姉妹」
父が違う場合が「半」+「兄弟姉妹」
「玄宗皇帝=ゲンソウコウテイ=幻想行程」の日本人
玄宗皇帝
在位期間 先天元年8月3日 - 天宝15載7月12日
(712年9月8日 - 756年8月12日)
都城 長安
姓 李・・・李=木+子
諱 隆基
諡号 至道大聖大明孝皇帝
廟号 玄宗
垂拱元年8月5日
685年9月8日
~
上元2年4月5日
762年5月3日
大運756年9月(71歳)丁丑印綬
乙酉(庚 辛)正官・食神 死⇔壬寅偏財
乙酉(庚 辛)正官・食神 死⇔乙巳正官
戊寅(戊丙甲) ・比肩長生⇔甲寅偏官
戊午(丙 丁)比肩・偏印帝旺⇔庚午偏印
申酉空亡
↓↑
父 睿宗
母 竇徳妃・・・
竇=穴+賣
宀+八+士+買
宀+八+士+罒+貝
トウ
トク
あな
あなぐら
みぞ
物をたくわえておく穴
くぐり戸
溝・水道・水路
竇(あな)
竇(あなぐら)
竇(みぞ)
異体字
窦=穴+卖
宀+八+十+买
宀+八+十+乛+头
宀+八+十+乛+大+丶
卖=十+买=売=賣
十+乛+头
十+乛+大+丶
バイ
うる・うれる
あきなう・品物をうる
うる・だます・裏切る
うる・広める・宣伝する
头=大+"=斗+丶=頭
卖+α
渎・牍・觌・㱩・犊・椟・赎・窦・黩
买=バイ・かう=金をはらって品物を得る
求める・あさる・まねく
荬=バイ・「苣荬菜=キク科の植物」
↓↑
竇=穴+賣・・・賣(売)買・・・比売(賣)=姫・媛・嬪
宀+八+士+買
宀+八+士+罒+貝
トウ
トク
あな
あなぐら
みぞ
物をたくわえておく穴
くぐり戸
溝・水道・水路
竇(あな)
竇(あなぐら)
竇(みぞ)
異体字
窦=穴+卖
宀+八+十+买
宀+八+十+乛+头
宀+八+十+乛+大+丶
卖=十+买=売=賣
十+乛+头
十+乛+大+丶
バイ
うる・うれる・あきなう・品物をうる
うる・だます・裏切る
うる・広める・宣伝する
↓↑ ↓↑
头=大+"=斗+丶=頭
↓↑ ↓↑
卖+α
渎・牍・觌・㱩・犊・椟・赎・窦・黩
↓↑ ↓↑
买=バイ・かう=金をはらって品物を得る
買う・求める・あさる・まねく
荬=バイ・苣荬菜=キク科の植物
↓↑
后妃 王皇后
陵墓 泰陵
年号 先天=712年~713年
開元 713年~741年
天宝 742年~756年
↓↑
楊貴妃=楊 玉環・・・爪楊枝(つまようじ)
↓↑
開元7年6月1日
(719年6月22日)
~
天宝15載6月14日
(756年7月15日)
大運753年10月(34歳)甲戌偏官
己┏未(丁乙己)劫財・劫財 衰⇔丙申偏印
支合 丙
庚┗午(丙 丁)食神・偏印・印綬帝旺⇔乙未正官
戊┗午(丙 丁) ・偏印・印綬帝旺⇔丙申偏印
戊┗午(丙 丁)比肩・偏印・印綬帝旺⇔甲午偏官
子丑空亡
↓↑
字 鴎(鷗)法・・・森鴎(鷗=區+鳥)外
小字 玉奴・玉環
称号 楊貴妃
道号 太真(眞=匕+県)
身位 王妃→貴妃
出生 蜀州
死去 馬嵬(山+鬼・異体字「㠕=山+阝+鬼」)
ー↓↑ー--
つる=蔓
植物の茎で、細く直立せず
地面をはうか、他の物にまきついたり
「巻きひげ」・・・ぜんまい=発条・薇
などで付着するものの総称
鉉=鉱脈(コウミャク)
脈=つる・ミャク
弦=弓の弦
鶴=嘴と脚が長い水鳥の類
釣瓶(つるべ)=井戸水を汲む桶
鉤(鈎・こま)
陰匿鉤距(イントクコウキョ)
姿を隠したまま
裏から人を陥れようとすること
「鉤距」=外部の人に
知られていない事情を探ること
鉤章棘句(コウショウキョクク)
読みにくい文章・奇怪で難しい文章
釣り針のように
引っかかりの多い文章
「棘句」=とげ(刺)のある句
鉤心闘角(コウシントウカク)
高さのある建物が
密集し数多く建っている様子
知恵を振り絞って争いをすること
「鉤心」=車軸・屋根の中心が集まっているところ
「闘角」=角を突き合わせて戦うこと
鉤縄規矩(コウジョウキク)
物事の法則や基準になるもの
「鉤」=曲線を引く時に使う道具
「縄」=直線を引く時に使う道具
「規」=円を描く時に使うコンパス
「矩」=直角を描く時に使う定規
↓↑
葛=艹+曷
・・・葛城皇子=中大兄皇子=天智天皇
↓↑
古人大兄皇子は異母弟
舒明天皇の第一皇子
母は
蘇我馬子の娘
蘇我法提郎女(ほほてのいらつめ)
蘇我入鹿とは従兄弟
娘は
倭姫王(天智天皇の皇后)
・・・倭姫=倭武の叔母も同名
643年11月
蘇我入鹿は
斑鳩宮で
山背大兄王とその一族を滅ぼし
645年6月
「乙亥の変」で
中大兄皇子らによて
蘇我蝦夷、入鹿が殺され
古人大兄皇子は
皇極天皇退位を受け
皇位に即く事を勧められたが断り
出家して吉野へ隠退
645年9月12日
吉備 笠垂・・・「笠前・新笠」
(きびのかさのしだる)
の
「古人大兄皇子」
謀反有りと密告を受け
中大兄皇子が攻め殺させた
↓↑
古人大兄皇子
古人皇子=古人大市皇子=吉野太子
とも呼称(穪=禾+爾
称=禾+尓
稱=禾+爯
禾+爫+冉)
大兄=大市
兄==市・・・?
↓↑
穪=禾+爾=称=稱
禾+一+八+冂+丨+㸚
禾+一+八+冂+丨+爻
禾+一+八+冂+丨+㐅+乂
禾+一+八+冂+丨+㐅+丿
ショウ
あげる
穪(あげ)る
穪(かな)う
穪(たた)える
穪(とな)える
穪(はか)る
たたえる・ほめる・ほめたたえる
となえる・となえ・名づける・呼び名
はかる・目方をはかる・重さをはかる
はかり・天秤・重さをはかる道具
かなう・適合する・つり合いがとれる
艹+日+匂
艹+日+匃
艹+日+勹+匕
艹+日+勹+亾
艹+日+勹+人
カツ
くず
かずら
かたびら
つづら
くずかずら
くずぬの
つる草の総称
かずらの蔓で作った箱
一裘一葛(イッキュウイッカツ)
非常に貧しい暮らし
「裘」は冬に着る毛皮の服
「葛」は夏に着る薄い布の服
一枚ずつしか持たず
他の着替えを持たない貧乏
瓜葛之親(カカツのシン)
親類、縁者
植物の瓜や葛の蔓が絡み合うこと
人事葛藤(ジンジカットウ)
人間と人間の争い
「人事」=人間にかかわりのある事柄
「葛藤」=かずらや藤がもつれて絡むさま
ーー↓↑ー--
井 真 成
(セイ シンセイ
い ま なり・・・今也?
ゐ ま なり
ゐ の ま なり)
文武天皇三年(699年)
~
天平六年=開元二十二年(734年)
唐代の日本人留学生・官吏
中国の古都
西安で墓誌が発見
↓↑
「井 真成」
中華人民共和国で発見された墓誌に
日本人留学生として記されていた姓名
↓↑
陝西省
西安市内の工事現場から発見
中国西北大学が
2004年10月12日
に発表
個人の所蔵物だったが
西北大学付属博物館が収集
↓↑
墓誌
開元二十二年(西暦734年)
正月(朔~十or廿)日に死去
「尚衣奉御」
の官職を追贈と記録
中国で発見された
最初の
日本人の墓誌
唐国への留学生の墓誌の唯一の発見例
現存の
石刻資料のなかで
日本の国号を
「日本」
と記述した最古の例
↓↑
墓誌原文
■は判読不明文字
↓↑
贈 尚衣奉御井公墓誌文并序
公
姓 井
字 眞成
國號 日本
才稱 天縱故能
命遠邦馳騁上國蹈禮樂襲衣冠束帶
朝難與儔矣豈圖強學不倦聞道未終
遇移舟隙逢奔駟以開元廿二年正月
日乃終于官弟春秋卅六皇上
傷追崇有典詔贈尚衣奉御葬令官
卽以其年二月四日窆于萬年縣滻水
原禮也嗚呼素車曉引丹旐行哀嗟遠
兮頽暮日指窮郊兮悲夜臺其辭曰
乃天常哀茲遠方形旣埋于異土魂庶
歸于故鄕
↓↑
墓誌の訓読
贈、尚衣奉御、井公墓誌文、并序。
公、
姓は井
字は眞成
國號は日本。
才は天縱に稱ひ
故に能く命を遠邦に■
騁を上國に馳せり。
禮樂を蹈み
衣冠を襲ひ
束帶して朝に■
與に儔び難し。
豈に圖らんや
學に強めて倦まず
道を聞くこと未だ終へずして
■移舟に遇ひ
隙奔駟に逢へり。
開元廿二年正月■日を以て
乃ち官弟に終へり。
春秋卅六。
皇上■傷して
追崇するに典有り。
詔して
尚衣奉御を贈り
葬むるに官をして■せしめ
卽ち其の年の二月四日を以て
萬年縣滻水■原に窆るは禮なり。
嗚呼
素車は曉に引きて丹旐哀を行ふ。
遠■を嗟きて暮日に頽れ
窮郊に指びて夜臺に悲しむ。
其の辭に曰く
「乃の天の常を■
茲の遠方なるを哀しむ。
形は旣に異土に埋むるとも
魂は故鄕に歸らんことを庶ふ」
↓↑
墓誌の概訳
姓は井
字(あざな)は真成
国は日本と号す
天賦の才能が認められ
選ばれて国命で
遠国の
日本から
唐朝にやってきた
衣冠束帯を着けて朝廷に上った様子は
堂々としていた
ところが思わぬことに
一生懸命
勉学に励み
学業がまだ終わらない中で
急に病気になり
開元22年(734年)の1月に
官舎で亡くなった
36歳だった
皇帝は大変残念に思い
特別な扱いで詔を出して
尚衣奉御を追贈し
葬儀は公葬にした
2月4日
萬年県の郊外
滻水東岸の原に埋葬することにした
体は異土に埋葬されたが
魂は故郷に帰るにちがいない
「氣賀澤保規・中国史」
ー-↓↑ー-
伝説の遣唐使
井 真成
い まなり
意 真名理・・・?
意 真菜莉・・・?
意 真魚利・・・?
↓↑
委 申 請・・・?
ヰ シンセイ
ゐ
伊
↓↑
井=廾+一
ナ+丨
二+丿+丨
一+一+丿+丨
ショウ
セイ
い
いげた(井桁)
いど(井戸)
まち・人の住んでいるところ
井戸の周りに
人が集まり住むことから
地面に穴を掘り
地下水を汲んだり
汲み上げたりするもの
「井の中の蛙」
川や泉などで
生活のための水を汲む場所
「山の井」
易(エキ)の六十四卦の一
二十八宿の一・ちちりぼし
青天井=青空・空を天井にたとえた・野天
井桁=井の形に組んだ井戸の縁
井筒=井戸の地上部分を囲っている部分
中に落ちないようにするため
木や石などの材料で
井戸の穴を囲ったモノ
井戸=地面を深く掘って
地下水を汲み上げ
用水として利用するための施設
井戸端=井戸に近い場所・井戸のほとり
井戸端会議
相碁井目(アイゴセイモク)
人それぞれの実力の差
何をするにも差ができ
囲碁の腕前にたとえた
雲竜井蛙(ウンリヨウセイア)
地位や知恵の格差の大小
大空を翔る竜
井戸の中にいる蛙
竜は地位や知恵が高いこと
蛙は低いこと
甘井先竭(カンセイセンケツ)
才能がある人ほど、衰退するのが早い
「甘井」=うまい水の出る井戸
うまい水が出る井戸は
人がより多く集まるために
水がなくなるということから
「甘井先ず竭(つ)く」
竭(かれる)
竭(ことごと)く
竭(つ)きる
竭(つ)くす
竭=立+曷
曷=日+匃
日+勹+亾
日+勹+人
立+日+匂
立+日+匃
立+日+勹+匕
立+日+勹+亾
立+日+勹+人
カツ
出し切る・なくなる
水がつきはてる
ことごとく
もちあげる・高くかかげる
↓↑
橘井杏林(キッセイキョウリン)
医者の美称、敬称
市井之徒(シセイのト)
普通の人・素行の悪いならず者
「市井」=町の共用の井戸
井戸の周りに町を作ってた
人家が集中している場所
「徒」=多くの人々
井蛙之見(セイアのケン)
広い世間を知らず
狭い見識にとらわれていること
井の中の蛙、大海を知らず
↓↑
渇に臨みて井を穿つ=慌てても間に合わない
喉がかわいてから井戸を掘っても手遅れ
坎井の蛙(カンセイのア)
考えや見聞が狭く
広い世界があることを
知らない人を嘲笑する言葉
井底の蛙(セイテイのア)
見識や知識が狭く
他に広い世界があることを
知らない人を嘲笑するコトバ
天井から目薬
じれったくて、もどかしいこと
回りくどくて効果のないこと
二階から目薬
↓↑
名字では
井(わかし)
阿 井 =あい
相 井 =あいい=そうい=そおい
阿 井 川=あいかわ
青 井 =あおい
阿迦井 =あかい=あがい
今 井(いまい)
新 井(あらい)
平 井(ひらい)
福 井(ふくい)
大 井(おおい)
萬 井(まんい・よろずい)
井 戸
井 上
桂 井
蔓 井
藤 井寺
葛 井寺(ふじいでら)
大阪府
藤井寺市
藤井寺
真言宗御室派の寺院
聖武天皇より
古子山
葛井寺(紫雲山金剛琳寺)
の勅号を得た
葛井連の前身
「白猪氏」
は百済
「辰孫王」の後裔
「王辰爾」の甥である
「胆津」を祖とし
『日本書紀』によれば
吉備国の
「白猪屯倉」
の田部の丁を定めた功績により
「白猪氏」・・・白猪=伊吹山の「白猪」神
の姓を賜った・・・
奈良時代
養老四年(720年)
「白猪氏」は
「葛井連(藤井連)(ふじいのむらじ)」
に改姓
「葛井(ふじい)寺」は
一族の
「葛井連(むらじ)広成」が創建した・・・
「葛井一族」
からは
「大安寺」僧である
「慶俊」が出ている
↓↑
大同元年(807年)
「葛井氏」の出身である
「藤子(葛井連道依娘)」
と
「平城天皇」
の間に生まれた皇子
「阿保親王」・・・阿(おもね)て保(たも)つ
によって再建
「阿保親王」
の皇子
「在原業平」
が奥の院を造営
本尊千手観音坐像は奈良時代の作品
↓↑
山号 紫雲山
本尊 日本最古の十一面千手観世音菩薩(千手観音)
聖武天皇の勅願寺で
神亀二年(725年)に創建
開山 行基
西国三十三所第五番札所
真言 おん ばざら だらま きりく そわか
ご詠歌 参るより
頼みを
かくる葛井寺
花のうてなに
紫の雲
↓↑
藻 井=?
ペルシャ絨毯の絵柄を
天井に張り付けたような感じの
建築装飾構造・・・?
古くから中国の木造建築の装飾技術
鉄の釘を使わずに
深い感覚の藻井を積み上げる
藻井の2つの形状
円形の藻類井戸
四角形の藻類井戸
原文網址
https://kknews.cc/other/k2r86bb.html
↓↑
葛井氏説
井上氏説
帰化人の末裔、井上氏の一族
葛井氏なら一字にする
「葛」姓にするハズ・・・
葛井氏は
720年(養老四年)
に下賜された姓(『続日本紀』)で
「井 真成」
がその3年間に唐に派遣された事実との年代的矛盾
「井上忌寸」
「葛井連」
は同じ
河内国
志紀郡を拠点とする
渡来系氏族
「情 真誠」説
「井」姓
唐の時代から
長安周辺の
古代の周原地区
(陳西省
岐山県
扶風県)
に集中的に多い姓
↓↑
高級官吏説
「717年の留学生ではなく
733年の遣唐使の随員(高級官吏)」
唐の制度では
官立学校の在学期間は最長9年までで
「17年間留学した」
ハズがない・・・
日本が遣唐使を送ったのは
20年に1回程度
頻繁に遣使した新羅などとは異なり
次の派遣で帰国するまでは
残留が認められた・・・
↓↑
死後追贈された役職
「尚衣奉御」
皇帝の衣服を管理する部門の
責任者で従五品上の官
新羅の例から
元の官位より一階進めて遺贈
「井 真成」
は従六位下と推定
遣唐使使節の随員の
「准判官」
となり日本記録には残らず
遣使仮増位で従五位下とされ
死に際し一階上の
「尚衣奉御」が遺贈
↓↑
「井 真成」
の死は皇帝に報告され
葬儀の費用は唐政府が負担
三等官以上の外国使節に対する扱い
↓↑
入唐間もない
「尚衣奉御」の遺贈に合った身分ならば
日本でも高級官吏
遣唐使節での死去なら
日本側の記録に残らないことはなく
留学生として同行し
「阿倍仲麻呂」
のように唐朝官吏に抜擢されたが
若くして客死して昇任せず
唐側の記録には残らなかった・・・
↓↑
「井 真成」
が死んだ場所が
短期滞在外国使節用の宿泊所の官第(かんてい)で
「井 真成」
が唐朝にとって客だった・・・
長安在住の唐代官人は
自宅から通勤するのが通例である
ー↓↑----
天平六年=734年
干支 甲戌
唐 開元二十二年
↓↑
元正上皇
聖武天皇
↓↑
知太政官事
舎人親王
↓↑
左大臣
欠員
↓↑
右大臣
藤原武智麻呂(2/23-)
↓↑
大納言
藤原武智麻呂(-2/23)
↓↑
中納言
多治比県守
↓↑
参議
藤原房前
藤原宇合
藤原麻呂
鈴鹿王
葛城王
大伴道足
↓↑
2月4日
出羽柵を秋田村高清水岡(秋田市)へ移設
5月14日
畿内七道に地震
8月10日
初めての相撲節会の記録
↓↑
8月15日
地震による
世情不安で天下に大赦
12月30日
日食
↓↑
唐王朝
唐室
李氏の高祖・太宗・高宗三代
の
母(女系)はすべて
鮮卑系
唐室李氏男系
漢人の名門貴族
隴西李氏
「李耳(老子)」
の子孫と自称
『晋書』
西涼の初代王
「李暠」が遠祖
西魏末年
唐室李氏は
西魏より
大野(ダイヤ・おほの)
という
鮮卑姓を与えられ
一時的にこの姓を名乗った
↓↑
建国 618年6月18日
突厥を服属させる 630年
高句麗を滅ぼす 668年
武則天の簒奪(武周) 690年~705年
タラス河畔の戦い 751年
安史の乱 756年~763年
黄巣の乱 874年~884年
滅亡 五代十国時代へ 907年6月1日
↓↑
712年(先天元年)
李隆基(玄宗)は
睿宗から譲位され即位
翌年、太平公主を処刑
玄宗の治世前半
「は開元の治」
唐の絶頂期
唐の羈縻支配
冊封政策
751年
トランスオクシアナ
の支配権を巡って
アッバース朝と
タラス河畔の戦い
に敗北
↓↑
玄宗は
宰相の
李林甫
貴妃の一族
楊国忠
の専横
楊国忠は
節度使の
安禄山
と対立
755年
「安禄山の乱」
節度使=玄宗が増加した官職
辺境に駐留する藩師に
軍事指揮権
一部の行政権を与えた制度
北方3州の節度使を兼ね大軍を握った
安禄山は
華北を席巻
洛陽を陥落させ
大燕皇帝
と称した
↓↑
長安を占領され
玄宗は
蜀に逃亡
途中で
楊貴妃
楊国忠
は誅殺
玄宗は
粛宗に
譲位
763年
名将
郭子儀らの活躍や
回鶻(ウイグル)
の援軍(太子の葉護ら)によって
乱を平定
安禄山
と
史思明
の名をとって
「安史の乱」
軍事力増強のため
藩鎮を増やした結果
内地の節度使も増加
五代十国時代まで
各地に節度使が置かれた状態は続いた
↓↑
中興の祖
憲宗
中央の命令に服さない節度使を討伐
後
不老長寿の薬といわれた
丹砂(水銀)をはじめ怪しげな仙薬を常用
精神に不安定をきたして
宦官をしばしば殺害
恐れた宦官により殺された
孫の
文宗
は権力を握った宦官を誅殺しようと
「甘露の変」と呼ばれる策略を練ったが失敗
ー↓↑ー--
・・・???・・・
(表紙・画像・音楽)」の
移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/8
↓↑
干支歴
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
↓↑
追加添文
「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2006%E5%B9%B4%EF%BC%91%EF%BC%91%E6%9C%88%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A0%83%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB
(表紙・画像・音楽)」の
移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/8
↓↑
干支歴
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
↓↑
追加添文
「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2006%E5%B9%B4%EF%BC%91%EF%BC%91%E6%9C%88%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A0%83%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB