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コジキジゲン

再三再四のブリ返し・・・阿𡡉

2024-11-24 22:49:00 | 古事記字源
 2021-08-21・・・再参考・・・
 古事記字源
 煬帝(ヨウダイ)の
 小字の名はナゼ
 「阿𡡉」なんだろう?
 ↓↑

ーーーー
 楊廣(廣=广+黄)
   (広=广+ム)・・・黄=ム
      応神=應神
 一名 楊英
 小字・・・小字(ショウジ・小文字)
      小さい文字・細かい文字
      幼時の呼び名
      幼名 
            日本語
            小字(こあざ)
            市町村(特別区を含む)内区画
            字(あざ・大字除いたもの
            小名(こな)
            一筆耕地が集合したもの
 小字=幼名
    阿𡡉・・・「阿(ア・おもねる・媚びる)」
         「𡡉(マ・しびれる・母親)」

 華陰(陝西華陰)人

 父 隋の文帝
   楊堅の次子
 母 文獻皇后
   獨孤伽羅
 北周
 天和四年(569年)生れ
 ・・・天(あま・二+人)の
    和(やわらぎ・禾+口)が
      わ=環・話・把・倭・和・禍
   四
   肆(つらなる・ シ)ことを
   䦉=镸+四・・・ 肆=镸+聿=連なる
     ⋿+ㄊ+四  陳列・軒を連ねる
     ⋿+云+四
      「 + = +ㄊ+四
      丨+ ≡+ム+四
      「 + = +厶+囗+儿
      四=シ=史・詞・誌・始
        巳・子・市・視
    撚(ネン・よる)
    ・・・紙を撚る=紙縒り=こより
    念(おもう・ねがう・ネン・デン)?
 ↓↑
 長安(陝西省・・・陜=阝(邑)+亠+人+人+人
     西安市)・西の宀の女   众
      从(從・従)・丛・众(衆)・𠈌
     㐺(人从)
     仌(氷)
     人们从四面八方向火堆走来
     人々が四方八方から
     たき火(焚火)のところへ
     やって来た
     从⇔𠈌⇔人
    「爼=爻+且
       㐅+㐅+且
       㐅+丿+丶+且
       㐅+丿+丶+月(肉)+⸏
     俎=仌+且=爼=俎板
       人+人+且」
       且=冃(月=肉)+⸏
       ショ
       かつ
       しばらく
       まさに
       そのうえ・さらに
       物事の同時進行、並列の意を表す
       しばらく・ひとまず・とりあえず
      「まさに~せんとす」
      「今にも~しようとする」
       もし・仮に
    仌=ひとがしら・ひとやね
      ヒョウ
      こおる・こおり=冰=冫
 ↓↑
 䦉=镸+四・・・肆=镸+聿=連なる
   ⋿+ㄊ+四  陳列・軒を連ねる
   ⋿+云+四
   「 + = +ㄊ+四
    丨+ ≡+ム+四
   「 + = +厶+囗+儿
   シ

 ↓↑
 隋  煬帝 楊廣
(569年~618年4月11日)
 名  英  楊=poplar(ポプラ)
 小字 阿𡡉
    楊=やなぎ
     =柳=木+卯
      poplar(ポプラ)
    willow・weeping willow
    ウィロウ
    ポプラ=poplar
    白楊=白楊樹
    ラテン語
   「populus」
   「民衆・人々」を意味
    人々がこの木の下で
    集会を開いたことに由来
    真正双子葉類
    キントラノオ目
    ヤナギ科ヤマナラシ属
    ハコヤナギ属(Populus)
 父
 隋文帝 楊堅
 母   和文獻(献)・・・
      文献皇后
     皇后 獨孤伽羅
     本貫「雲中」郡
     伽羅は
     北周の大司馬
     独孤信の七女
     北周の
     阿史那皇后
     の菩提のため
     寺を建立
 の
 次子
 唐高祖 表弟
 隋朝  二位皇帝
 ↓↑
 隋  煬帝 楊廣(569年~618年4月11日)
 又名 英
 小字 阿𡡉
・・・阿の𡡉(麻+女)=痲
       蕁麻疹・ 麻痺
 ↓↑
 隋
 文帝 楊堅
 皇后 獨孤伽羅=和文獻
 の次子
 ↓↑
 唐の
 高祖の従弟
 ↓↑
 隋朝の第二位皇帝
 高祖 李淵
 諡  楊廣を
    煬帝とする
 ↓↑
 夏王 竇建德
 諡  楊廣を
    閔帝とする
 皇泰主
 楊侗
 諡  楊廣を
    明帝と為す
 廟號 世祖
 煬帝 十三歲で
    晉王と為す
    兼任 并州の主管
 ↓↑
 煬帝(ヨウダイ・ヨウテイ)
 隋朝の第二代皇帝
 在位604年8月21日~618年4月11日
 本名 楊広
 別名 英
 小字 阿𡡉・・・ナゼ
   「阿𡡉」なんだろう???
     𡡉=麻+女
     嬷=女+麻+么
     嬷=女+广+林+么
     嬷の変形
     嬷=バ・マ
       母・女・老婦
     麽=バ・マ・モ
       かすか・小さい・細かい
       か・や
       疑問をあらわす助字
       接尾語・疑問詞
       などの後につけて
       語調を整える
       怎麽(そも)
      =麼・嚒・庅・尛・・・尛
  異体字
    「𤹴」=「痲=痳」+女
      ・・・痺(しびれる)
         痹(しびれる)   
         痲(しびれる)
         痲=疒+𣏟
  ・・・麻酔薬=朝鮮朝顔
  で痺(しび)れて
  メクラ(眼冥・盲目)になったは
  大映映画
 「華岡青洲(市川雷蔵)の妻」・・・?
 「加恵(若尾文子)」
  彼の母
 「於継(高峰秀子)」・・・
 「𤹴」の
  異体字
 「痳・麻
  痺(しびれる)=疒+卑」
         病垂の卑弥呼 
 「痲(しびれる)=疒+𣏟」
 ↓↑ ↓↑
   「𤴷=疒+木
      シュツ
     =㾁=广+冫+ヽ
      疒+木=𤴷
      気が狂う
      突然狂ったように
      走り出す病気の症状
 ↓↑   ↓↑
  𣏟=𣎳+𣎳
    𣎳(ヒン・ビン・ハイ・へ)
    𣎳≠朩≠ホ・・・異字?
    𣎳=あさ(麻)?
    𣎳=麻片⇔阿片?
    𣎳=生麻(あさ)の皮?
      剥取枲茎之皮
      枲
     不結子實的大麻
     其莖皮纖維可織夏布
     枲(ゲ・シ)
      =台+木
      =ム+口+十+八
       イラクサ科の多年草
       イラクサ
(刺草・荊草・苛草)
     方言で
    「アイコ・アエコ
     イラナ・アエダケ
     エダケ・イタイタグサ」
     英名
     nettle(ネトル)
     needle(針)と同語源
     別名 イタイタグサ
       (痛 痛 草)
     蕁麻疹=urticaria
        (アータィカリア
         アーティケァリア)
        =hives(ハイブズ)
     鳥肌になる
     茎や葉に
     蟻酸(ギサン)を含む
     細かい刺(とげ)がある
     生薬では
     ジンマ(蕁麻)
蕁=艹+尋(ヨエロ寸)
    尋
 枉尺直尋(オウセキチョクジン)
    尋言逐語(ジンゴンチクゴ)
    尋章摘句(ジンショウテキク)
    尋常一様(ジンジョウイチヨウ)
   千尋之谿(センジンノタニ)
   千尋之山(センジンのやま)
  問柳尋花(モンリュウジンカ)
    一寸延びれば
尋延びる
   金の草鞋で
尋ねる
  尺を枉(ま)げて
     尋を直くす
  七度尋ねて人を疑え
   七尋の島に
   八尋の船を隠す
蕁=ジン・タン
  いらくさ・はなすげ
  葉を煎じて
  抗アレルギー・利尿作用
  炎症軽減・前立腺肥大・花粉症
  血圧低下・血糖コントロール
  小児のひきつけ
  などの薬用とし
  草皮は編んで
  脛巾
  脚絆(キャハン)
  からむし=枲=台+木
       苧=艹+宁
       苎=艹+宀+一
  苧麻(からむし)
 ↓↑  ↓↑
    𣎳=分枲莖皮也
      分枲莖皮者
      謂剥取枲之莖皮也
      分枲茎之皮、即麻片
      《廣韻•震韻》
    𣎳=麻片・・・阿片?
      欠片・木屑・柾木
 ↓↑ 
 文字霊日記
 3551日目 再考
ーー↓↑ーー
  虻 (あぶ)
  安部(あべ)
  阿部(あべ)
  阿毎=阿輩雞(鷄・鶏)彌
     安房・沫・泡・粟・安和・阿波
  阿𡡉=煬帝(楊広=楊廣・英)
       「楊=willow(ウィロゥ)」
  阿武=則天武后
ー↓↑ーー
 隋  煬帝 楊廣 (569年~618年4月11日)
 名  英  楊=やなぎ=柳=poplar(ポプラ)
 小字 阿𡡉(アマ)・・・「小字 阿摐」
   摐⇔𡡉・・・?
    =扌+從=㧿         
     扌+彳+从+龰
     扌+彳+人+龰
     从=從・従
       从=䒑
   摐=ソウ
     打つ・叩く
     太鼓などの楽器を叩く
     高くそびえるさま
ー↓↑ーー
 古事記=こじき=乞食=コツジキ
     ↓↑     ↓↑
     故事記    忽 時期・爾季
     古寺記    骨 時季・次記
     古字記    惚 磁器・磁気
     古示紀    匫=匚+曶
     固持記      匚+勿+日
     庫司記     =匢=匚+勿
     子時季      コツ・コチ
     虎児記      古代の器
     誇示記    曶=コツ
     居士記      速やかであるさま
              急であるさま
              あなどる
              うっかりする
 㳷=コツ・コチ・ブン=𣷤
   モン・タイ
   青黒いさま
   水がなくなるさま
   さらす・ひたす
   ひたして色を取り除く

 忽=勿+心
   勹+〃(丿+丿)+心
   コツ
   たちまち・にわかに・突然
   ゆるがせ・ゆるがせにする
   いいかげんにする・おろそかにする
   こつ・数(數)の単位
   一の十万分の一 

   怳忽・怳惚(コウコツ)
   慌惚・慌忽(コウコツ)
   忽遽(コッキョ)
   忽怳・忽恍(コッコウ)
   忽荒(コッコウ)
   忽慌(コッコウ)
   忽地(コッチ)
   忽易(コツイ)
   忽焉(コツエン)
   禍生於忽(カショウオコツ)
   恍恍忽忽(コウコウコツコツ)
   孜孜忽忽(シシコツコツ)
   飄忽震蕩(ヒョウコツシントウ)
   飄忽淜滂(ヒョウコツヒョウホウ)

 勿=勹+〃
   ブツ・モチ
   ない・なし・否定
   なかれ・禁止
   「~するな」
   勿怪・物怪(もっけ・もののけ)
   勿体(もったい)
   勿論(もちろん)
   忘れな草・勿忘草(わすれなぐさ)
   過ちては改むるに憚(はばか)ること勿れ
   過ちては則ち改むるに憚ること勿れ
   己の欲せざる所は人に施すこと勿れ
   己の欲せざる所は人に施す勿れ
   人に施しては慎(つつし)みて念うこと勿れ
   勿怪(もっけ・物怪)の幸い

 兀=ー+儿
   たかい・高く突き出ているさま
   コツ・ゴツ
   高くて上が平らなさま
   草木がないさま
  「はげ(禿=禾+儿)た」さま
   動かないさま
   一心に物事にうちこむさま
   あしきる・足切りの刑罰
   矻矻・兀兀(コツコツ)
   矻=石+乞
    =丆+口+𠂉+乙
    =丆+口+𠂉+乙(オツ・イツ)
     一+丿+口+𠂉+乙(乚=イン)
     矻
     部首 石部(いし・いしへん)
     画数 八画(石5+3)
     音読 コツ
     訓読 はたらく(働く・泰樂・仂・拮・挊)
     矻矻(コツコツ)=はたらく・努力するさま
              勤め励む
     ナゼ、石を乞うが「勤め励む」なのか?
     「コツコツの擬音」とは
     硬い物同士が触れ合う、ぶつかり合う様子、音
    「石」を「乞」なら
    「石工」の
    「つち(槌・鎚・磓)」と
    「鑿(のみ)」での作業
     石を掘り出す音か
     石柱に碑銘を刻む音か
     石壁に彫刻する音か
     石像に加工する音・・・
     ならば
    「兀兀(コツコツ)」が
     山の山頂の平な様子・・・
     火山の噴火口、山頂の形象
    「あしきる・足切りの刑罰」は
     左右両足を切断された人物と原石
    「卞和(ベンカ)の璧」
    「和氏(カシ)の璧」
    「連城(レンジョウ)の璧」

 ・・・そもそも
 「和(カ・ワ)」って
 「何(カ)」?
  和=禾+口
    ㇒+十+八+口  
    異体字
   「咊・龢・惒」
  ワ・カ
  なごむ・やわらぐ・おだやかになる
  なごやか・おだやか
  やわらげる・おだやかにする
  あえる・まぜる。調合する
  仲良くする・争わない
  二つ以上の数を足したもの
  車の軾につける鈴
    軾=前部についている横木
  応える・声で反応する
  声を合わせる・調子を合わせる
  日本語
  わ・やまと・日本
  なぎ(凪)
  風がおさまり波がおだやかな状態
  α+和 
  俰・萂・𣷓・啝・惒

  日和(ひより)
  大和(やまと)
  和え物・韲え物・虀え物(あえもの)
  和える・韲える・虀える(あえる)
  秋日和(あきびより)
  違和感(いわかん)
  応和(おうわ・おうか)
  和尚・和上(おしょう)
  大人しい
  温和しい(おとなしい)
  温和(おんわ)
  穏和(おんわ)
  一団和気(いちだんのわき)
  温慈恵和(おんじけいか)
  温和篤厚(おんわとっこう)
  温和怜悧(おんわれいり)
  和気香風(かきこうふう)
  和氏之璧(かしのへき)
  制緩和(きせいかんわ)
  協和万邦(きょうわばんぽう)
  琴瑟相和(きんしつそうわ)

  秋日和半作(あきびよりはんさく)
  氏の璧(かしのたま)
  和氏の璧(かしのへき)
  金の貸し借りは不和の基
  琴瑟相和す(キンシツあいわす)
  君子は和して同ぜず
    小人は同じて和せず
  心安いは不和の基
  衣ばかりで和尚はできぬ
  地の利は人の和に如かず
     
  乙(Z)=乚(Ⅼ)・・・?
  字形の変形なのに
  音が異なるのは何故?
  字形の変形は
  意味の変意ではない・・・?
  音の変声は
  意味・意義の変異ではない・・・? 
  意味・意義の変異である・・・?
  同音同義もある
  方言・外国語の異音声でも
  同意義のモノはワンサカ・・・
  類似音ならナオサラ・・・
  同字なのに
  意味が異なるモノがワンサカ

 几=机=木+ 几
   キ
   つくえ・台=ム+口
   ⺆
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フヨウの同音異字をカンジる

2024-11-24 10:04:10 | 古事記字源

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 他は私有の
 「大修館・漢字辞典」
 「古語辞典」
 中学校~高校時代に買った
 「国語辞典」
 「英和・和英辞典」
 「世界地図帳・日本地図帳」
 です
 ボクの書き込み「箇所」にある
 「原文コペピ」に対する「?」の記載は
 極々、僅か
 文章、文言、文字に疑問ならば
 ほとんどが
 「ウィキペディア」
 での検索で
 「原文・源字」を確認できますので・・・
 あしからず、ご容赦ください
 最近は「AI」に訊ねれば即座に
 「色々な回答」をしてくれるカモ

ー↓↑ーーー
 ボクのオフクロの名前が
 漢字では
 「芙蓉(ふよう)」で
 6人兄弟姉妹の末っ子で
 家族、親類、友人たちからは
 「フヨさん」と呼ばれていた・・・
 お爺さんの最初の嫁さんの名前も
 「ふよ」さん・・・
 ご先祖さまは
 宮城県・・・・宀呂土成懸
 刈田郡・・・・乂刂囗十君阝
 七ヶ宿町・・・漆化宀佰田丁
 字・・・・・・宀ー了
 関・番地・・・
 ↓↑
 関=關=闗
 門+关
 門+丷+天
 門+丷+一+大
 北緯37度59分35秒
 東経140度26分30秒
ー↓↑ーーー
 七ヶ宿ダム
 滑津大滝
 長老湖
 宮城 蔵王
 七ヶ宿 スキー場
 ↓↑
 関=カン
   かかわる
   せき
   からくり(絡繰り)
   かんぬき(閂・楗)
   せきしょ(関所)
   国境や交通の要所に設置し
   通行人の出入りを検閲
   門の戸をしめる横木
   とざす・しめる・ふさぐ
   しかけ(仕掛)・しくみ(仕組)
   あずかる(預かる)
   関係する
 关=丷+天
   丷+一+大
   ショウ
   关关=和声也
      閑关、设舝皃・皆於音得义者也
   門・ドア・窓・ひきだしなどを
   閉める・閉ざす
   ・・・開=門+开
   郑=关+阝
    =鄭(ジョウ・ヂャゥ・テイ・ティ)
    =奠(テン・デン・まつる)+阝
     ジョウ・テイ・ねんごろ(懇・諄)
     关=奠・・・尊・猶
   咲=口+关
   送=关+辶・・・送迎
 関=門+䒑+大
   門+䒑+一+人
   門+丷+一+大
 關=門+幺+丱+幺+丱
 闗=門+幺+灬+幺+灬
 ↓↑
 設舝皃(貌)
 舝(カツ・ゲチ)
   車輪を車軸に留める楔(くさび)
   異体字「𢮟・𩎲・轄」
ーーー
 阿芙蓉(アフヨウ)
 ↓↑
 ケシの果実(ケシ坊主)
 に傷をつけて
 アルカロイド樹脂を採取
 アヘン(阿片・鴉片・罌粟
     opium=オピウム
        オウピアム
        オゥピィアム)
 ケシ(芥子・opium poppy=ポピイ)
    芥川(カイセン)龍之介?
   塵芥(ちりあくた・ジンカイ)
 罌(罌粟・ケシ)
  =賏+缶=甖=甇
   貝+貝+缶
 甖=賏+瓦
 甇=𤇾+瓦
   炏+冖+瓦
   火+火+冖+瓦
   オウ
   かめ・もたい
   腹が膨らみ
   口が
   つぼんだ甕(かめ・瓶)
 粟=覀+米=䅇
   西+米
   襾+米
   一+儿+口+米
   䅇=覀+禾
   ショク・ソク・ゾク
   あわ
   ふち=扶持米
   もみ=籾・穀物の外皮のままの実
   あわ=イネ科の一年草
   つぶ・あわの実の粒
   粟立つ(あわだつ)
   粟粒(あわつぶ)
   罌粟・芥子(けし)
   粟(あわ)
 雛罌粟(ひなげし)の歌・・・?
   ↓↑
   アグネス・チャン(1955年8月20日)
   香港出身の日本の歌手
   本名 陳 美齡(チン ミレイ
      チェン・メイリン
      Agnes Meiling Kaneko Chan
      日本名
      金 子 陳   美 齢
      かねこ チャン メイリン)
  ↓↑
  貫朽粟陳(カンキュウゾクチン)
    財産が極めて多いこと
   「貫朽=穴の開いた銭に通して
       まとめておく
       銭差しの紐が朽ちること」
   「粟陳=保管中の粟が腐りかけること
       貨幣を溜め込みすぎて
       銭差しの紐が切れ
       粟を溜め込みすぎて
       腐りかけること
  尺布斗粟(シャクフトゾク)
    兄弟の仲が悪いこと
   「斗粟=一斗の粟・少しの食べ物」
   「尺布=一尺の少しの衣服
    漢の
    淮南王
    と
    文帝は
    腹違いの兄弟だったが
    文帝はおごり昂って
    法に背く行いをしたために
    淮南王に王位を奪われ
    流罪にされ
    その道中で悶え苦しみ
    食を断って死んだ
  斗粟尺布(トゾクシャクフ)
    兄弟の仲が悪いこと
    一斗の粟=少しの食べ物
   「尺」は長さの単位=一尺の布
    少しの衣服
   「一尺の布でも一斗の粟でも
    分け合えば
    互いの寒さと飢えをしのげるのに
    何故仲良くできなかったのか」
    と歌ったという故事
   「尺布斗粟」ともいう
  滄海一粟(ソウカイのイチゾク)
    非常に大きな物の中にある
    極めて小さいもの     
  粟散辺地(ゾクサンヘンチ)
    辺境にある小さな国
    粟の粒が散らばっているように
    世界の果てにある小さな国
    中国やインドから見た日本
   「辺地粟散」
  粟散辺土(ゾクサンヘンド)
  粟粒一炊(ゾクリュウイッスイ)
    人の世界での繁栄は儚い
   「粟粒」は穀物の粟
   「一炊」は一度飯を炊くこと
    唐の盧生が
    旅の途中の邯鄲の町で
    道士から
    出世が叶うという枕を借り
    寝ると出世して
    財力や権力を
    手に入れる夢を見たが
    目が覚めると
    宿の主人に頼んでいた
    粟のかゆ(粥)が
    出来上がっていないほどの
    わずかな時間だった
  布帛菽粟(フハクシュクゾク)
    人が生きる上で
    欠かすことのできないもの
    常識的な有益な物事のたとえ
   「帛」は絹
   「菽」は豆
   「粟」は穀物
    衣食をする上で必要なもの
  辺地粟散(ヘンチゾクサン)
    辺境にある小さな国
  粟一粒は汗一粒
  滄海の一粟(イチゾク)
  濡れ手で粟
  肌に粟を生ず     
 ↓↑
 阿芙蓉
 阿片・・・
 阿の片割れ?・・・
 阿毎王朝⇔あま=贏・塰
      海部・海女・海士・海人
      あま=白水郎
      阿萬
      阿麼
      阿𡡉(アマ)=隨王 煬帝
 ケシの実から
 採取される果汁を
 乾燥させたもの
 麻薬の一種
 ↓↑
 ケシの実から採取
 アルカロイド=オピエート
 合成されるものが
 オピオイド
 麻薬(narcotic)
 オピエート
 オピオイド
 ↓↑
 合成される化合物は
 鎮痛、陶酔作用があり
 高用量の摂取で
 昏睡や呼吸抑制を引き起こす
 アルカロイド
 合成化合物は
 モルヒネ・ヘロイン
 コデイン・オキシコドン
 を含む
 ↓↑
 名の由来
 英語名 opium
 の中国語の音訳
 阿片(a piàn アーピエン)
 を音読み
 明代の中国
 江戸時代
 「阿芙蓉(アフヨウ)」
 ↓↑
 ケシの実の汁
 鎮痛・鎮静作用
 医薬品として用いられた
 習慣性
 濫用で健康被害
 ↓↑
 1912年
 ハーグ阿片条約
 1961年
 麻薬単一条約の
 国際統制下
 ↓↑
 アヘンの収穫法
 「ヘラ掻き」
 ケシの開花後
 10~20日経って
 花弁の落ちた
 未熟果(ケシ坊主)の表皮に
 朝のうち浅い切り込みを入れ
 乳液状の物質が分泌
 夕方
 掻き採って集め
 乾燥させ
 黒い粘土状の
 半固形物になる
 生アヘン
 約10%ほどの
 モルヒネなどの多くの
 アルカロイド類
 (アヘンアルカロイド)
 を含有
 ↓↑
 1kgのアヘンを得るのに
 ケシの実が約2000本必要
 アヘンは産地で薬研で粉末にし
 ブリキ(錻)缶
    ブリキ=鉄葉
    阿蘭陀語「blik」
    ブリキ=錻=国字
        錻=金+武
    ↓↑  ↓↑
    金春秋=武烈王(603年~661年)
    ↓↑  ↓↑
       天武天皇=大海人皇子
       天渟中原瀛真人天皇
       ?~686年10月1日
       (朱鳥元年九月九日)
       第40代天皇
       在位673年3月20日
       天武天皇2年2月27日
       ~
       686年10月1日
       (朱鳥元年九月九日)
    ↓↑  ↓↑
    新羅 第29代王(在位654年~661年)
    姓 金
    諱 春秋

    父 第25代 真智王の子の
      伊飡(2等官)の
      金龍春(文興 葛文王)
    母 第26代 真平王の長女(次女)
    天明公主(文貞太后)
      実父は金龍春の兄の金龍樹
     『旧唐書・新唐書』には
      真徳女王の弟と記録
     『三国史記』新羅本紀
      太宗武烈王紀の分注で
      誤りと指摘

    妃 角干(1等官)金舒玄の娘の
      金文姫(文明王后)=金宝姫
     『三国史記』金庾信列伝には
      金庾信の妹
      金庾信は中国黄帝の子
      少昊の子孫
       昊=日+天=昦=日+一+介
         日+一+人
        =コウ・そら・大空
       淏=氵+昊
         コウ
         水が清らかなさま
       䆨=穴+昊
         デイ・ニョウ
         空・天国・虚無
         自然・神様
         大きい・素晴らしい
 ↓↑      軽い・明るい
 ブリキ缶
 に入れ
 製品として出荷
 生アヘン
 不純物を大量に含み
 モルヒネやヘロインより数段劣り
 さらに煮出して乾燥精製
 ↓↑
 東南アジア
 タイ・ラオス・ミャンマー
 の
 「黄金の三角地帯」で生産
 2009年
 国連薬物犯罪事務所の報告
 アヘンの94%は
 アフガニスタンで生産
 2011年10月
 ロシア
 セルゲイ・ラブロフ外務大臣は
 「アフガニスタンの
  アヘン畑を一掃することに
  アメリカが消極的である」
 とアメリカ批判
 ↓↑
 紀元前3400年頃
 メソポタミア
 ケシ栽培
 紀元前3000年頃
 イランで発見の
 石版に
 シュメール人の
 乳液の採取が記述
 紀元前2000年頃
 ヨーロッパ
 中央アルプス
 にケシ栽培は伝わり
 紀元前1500年頃
 エジプトでアヘン製造の記録
 アヘンは
 当時のエジプトで
 鎮痛剤として使用
 メトロポリタン美術館の
 アッシュールナツィルパル2世
 の宮殿の
 紀元前879年
 の浮き彫りの
 有翼神獣が運ぶ
 ザクロと解説しているものは
 ケシの未熟果の束
 ↓↑
 紀元前300年頃
 ギリシャ
 哲学者
 テオプラストスの著書
 アヘンの記述
 ギリシャ神話
 アヘンの発見者は
 女神
 「デメテル」
 ローマ帝国
 ネロ帝時代
 医師
 ディオスコリデス
 アヘンの採取法
 及び
 薬効を著で記載
 アヘンは鎮痛剤、睡眠剤として利用
 英語名「opium」
 ラテン語名「opium」が原語
 アヘンの使用は
 西ローマ帝国の滅亡で一時廃った
 ↓↑
 5世紀前後
 イスラム圏の交易網発達で
 インドや中国、アフリカの中部
 などの各地にアヘンがもたらされ
 アラブ商人は
 医薬品アヘンを商品とみなし
 東アジアにも伝来
 500年頃
 薬学者の
 「陶弘景」
 の
 『唐本草』
 に医薬品として記述
 それ以前
 シルクロードで持ち込まれた
 医薬品
「底野迦(てりあか)」
 にはアヘンが含まれていたと指摘
 11世紀前後
 イスラム圏との接触で
 アヘンはヨーロッパに再伝来し
 医薬品として使用
 15世紀頃
 麻酔薬として使用され
 20世紀初頭まで
 民間療法の薬剤として使用
 ↓↑
 大航海時代
 西欧諸国の
 海上貿易で
 アヘンは重要な商品
 中国で
 西欧諸国
 イギリスにより
 アヘンがもたらされた
 イギリス交易
 「三角貿易」
 アヘンで資産を獲得
 ↓↑
 清国
 上海など
 運搬船の停泊船内や宿場などで
 煙草に混ぜて吸入されていた
 19世紀
 アヘン蔓延に
 清国が
 イギリス商人のアヘンを焼却し
 「アヘン戦争(1840年)」
 が勃発
 市中では半固形の
 「阿片膏」
 を煙管(キセル)に入れて吸入
 携行阿片膏によって
 清国内広域へ
 アヘンが浸透
 アヘン窟も伝播
 20世紀初頭
 清国の上流層にもアヘン禍
 清滅亡後
 1930年代
 「大煙」
 と看板を掲げた煙館の店が各地にあった
 ↓↑
 ヨーロッパ
 「アヘンの危険性の認知」
 19世紀
 反アヘン運動
 アメリカ・カナダ
 への中国人労働者の流入ともに
 サンフランシスコ
 をはじめとする地域で
 アヘン窟
 1875年
 反ドラッグ法制定
 などで対策
 ↓↑
 20世紀初頭
 国際間で
 アヘン統制
 1912年
 「ハーグ阿片条約」調印
 アヘン貿易の制限
 1920年
 国際連盟成立し
 統制職務を負い
 国際機関が設置
 1926年
 「第一・第二阿片会議条約」
 1928年
 「麻薬製造制限条約」
 アヘン貿易禁止
 国際連合に移行後
 1961年
 「麻薬に関する単一条約」で
 アヘンは統制
 ↓↑
 「梶原性全(かじわらしょうぜん)」」
 1265~1337
 『頓医抄』で
 「罌粟」の用語使用
 室町時代
 南蛮貿易てケシの種が
 インド
 から
 津軽地方(青森県)にもたらされ
 「ツガル」が
 「ケシの俗称」となった
 江戸時代
 山梨県、和歌山県
 大阪府付近で栽培
 用途として
 麻酔の医療用
 投獄者への
 自白剤などに使用
 「寺島良安」
 『和漢三才図会』
 (1713年頃)巻百三
 「阿片」や
  他の生薬
 「辰砂」などと調合した
 「一粒金丹」
 なる丸薬が
 止瀉薬として紹介
 この処方箋
 備前岡山藩藩医
 「木村玄石」・・・玄(黒・黑)石
 の手による
 元禄二年(1689年)
 弘前藩藩医
 「和田玄良」
 に秘薬として伝わった
 「和田玄春」による
 寛政十一年(1799年)
 効能書に
 鎮痛や強壮剤として記載
 歌舞伎
 『富岡恋山開』
 には
 「一粒金丹」という台詞
 江戸市中で売られていた・・・
 天保八年(1837年)
 摂津道修町の
 薬問屋奉公の
 「太田四郎兵衛」
 が種子を持ち帰って栽培し
 アヘンの製造に成功したと記述
 ↓↑
 幕末
 16世紀半ば
 明朝末期
 イギリスの三角貿易で
 インドから大量のアヘンが
 中国内に流通
 清となった中国から
 長崎貿易を通じ
 吸煙用途の安価な
 アヘン(煙膏)
 生アヘン
 が知られ
 海外の情報は
 「オランダ風説書」
 によって得ていた
 ↓↑
 19世紀
 オランダ以外
 欧米諸国が
 日本に開国を迫り出し
 1839年(天保十年)
 「アヘン戦争」
 風説書とは別に
 詳細な
 「別段風説書」としての報告書
 「阿片招禍録」を作成し
 欧米が関わる動乱を詳細に報告
 その3年後
 清がイギリスに大敗
 「異国船打払令」を取り消した
 「佐久間象山」
 らによって
 「魏源」の
 『聖武記』
 『海国図志』
 などが研究(斎藤竹堂『鴉片始末』)
 アメリカ全権
 「タウンゼント・ハリス」
 が日本にアヘンの危険性を説いた
 鎖国を解いた4年後の
 安政五年(1858年)
 「安政五カ国条約締結」
 で
 いずれの国からも
 「アヘンの輸入を禁制」条文が記載
 1822年
 コレラが江戸でも大流行
 蘭方医学者
 「ポンペ」
 は患者に
 キニーネとアヘンの製剤を与えた
 典医
 「松本良順」
 が心労で倒れた
 「徳川慶喜」
 にアヘンを処方して不眠を収めた
 ↓↑
 明治期
 外国商人が料理人として
 中国人を雇い
 彼らが密輸により
 アヘン煙膏を持ち込んで問題
 長崎では
 中国人が
 日本人に
 アヘンの煙膏を大量に売りつけ
 遊女などが中毒死する事件・・・
 「あへん御禁令」の高札
 1868年6月(慶応四年閏四月)
 明治政府
 アヘン禁令
 「阿片烟ヲ禁シ府藩県
  高札ニ掲示セシム」
 を布告
 1870年9月4日(明治三年八月九日)
 「販売鴉片烟律」布告
 使用や売買を含めて
 罰則規定を設け重罪とした
 「あへん煙に関する罪
 (刑法136-140条)」
 「生鴉片取扱規則」
  ・・・鴉片(黒片)?
 を同日発布
 法律は在留清国人にも適用
 ↓↑
 1877年
 イギリス商人による
 「アヘン密輸事件」
 「ハートレー事件」
 治外法権を行使され
 「ハートレー」
 は無罪
 イギリス領事館から
 逆に
 法制度の未整備を指摘され
 1879年(明治十二年)5月1日
 薬用
 阿片売買竝製造規則
(阿片専売法)施行
 国内外におけるアヘンを
 独占的に購入
 許可薬局のみの専売とした
 購入は医療用途のみとし
 購入者及び栽培農家は
 政府による登録制とした
 利益は
 日清戦争の戦費
 ↓↑
 日清戦争後
 「下関条約」
 清から
 「台湾を割譲」
 台湾で
 アヘンの製造と消費が
 一大産業なっており
 台湾総督府衛生顧問
 「後藤新平」
 は
 「伊藤博文」
 に日本による
 アヘン専売を建議し
 1897年
 「台湾阿片令」が敷かれ
 常用者である台湾人は
 登録のうえアヘン購入を許可
 日本人、中毒者でない
 台湾人の医療目的以外の
 アヘン使用は禁止
 1898年
 「阿片令」
 台湾総督府専売局
 の専売
 後藤は
 台湾のケシ栽培を課税対象とし
 段階的に課税を厳格化することで
 40年をかけ
 台湾のケシ生産を消滅させる一方
 内地では
 二反長音蔵
(にたんちょう おとぞう)
  1875年(明治8年7月1日
  ~
  1951年(昭和26年8月7日)
 などの
 ケシ栽培を積極的に後援し
 1935年頃
 日本の
 アヘン年間生産量は15t
 台湾総督府
 日本産アヘンの
 台湾への輸出・販売により
 莫大な利益を得た
 ↓↑
 昭和
 日本は
 朝鮮や
 満洲の
 熱河省
 遼寧省
 内モンゴル
 などで
 ケシ栽培を奨励
 第二次世界大戦中は
 満州産アヘンに
 高額の税をかけ戦費を調達
 ↓↑
 中華民国
 アヘンの全面禁止政策
 四川省・雲南省
 などで密造の
 非合法のアヘンが闇で流通
 軍閥の重要な資金源
 中国産アヘンの末端価格は
 日本産の約半分で
 日本産アヘンを市場から駆逐
 日中戦争
 関東軍
 「影佐禎昭」大佐の指導のもと
 「里見甫」が秘密結社の
 「青幇・紅幇」
 と連携し
 「里見機関」設立し
 中国の
 通貨法幣を獲得するため
 上海などで
 アヘンやモルヒネを大量に密売
 ↓↑
 日本
 「麻薬及び向精神薬取締法」
 「あへん法」
 でアヘンやヘロインの使用
 所持等を禁止
 ケシの栽培自体も禁止
 ↓↑
 阿片・芥子・罌粟
 ↓↑
 阿𡡉
 ↓↑
 2021-08-21
 古事記字源
 煬帝(ヨウダイ)の
 小字の名はナゼ
 「阿𡡉」なんだろう?
 ↓↑
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8



 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?




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