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コジキジゲン

十字形に手を広げた藁人形=かかし=案山子

2024-11-13 22:01:22 | 古事記字源
 久延毘古(くえびこ)=山田の案山子
           =十字形に手を広げた藁人形のナゾ解き
 寒い、冷たい・・・白銀の世界・・・
 興味ある「ユウチューブ」を見つけたので・・・

 ↓↑
https://www.youtube.com/watch?v=xIwn83u7CvM
【日本のあれこれ】
 ↓↑
 久米 邦武(くめ くにたけ)
 1839年8月19日(天保十年七月十一日)
 ~
 1931年(昭和6年)2月24日
 歴史学者
 幼名 泰次郎→丈一郎
 号  易堂
 家族
 父 久米楽只 - 佐賀藩士
 妻 釆 - 小野保知の四女
 ↓↑
 岩倉使節団に同行
 『特命全権大使 米欧回覧実記』著作
 1888年(明治二十一年)
 帝国大学
 (東京帝国大学・東京大学)
 教授就任
 1892年(明治二十五年)
 「久米邦武筆禍事件」
 で依願免官
 1894年(明治二十七年)
 立教学校(立教大学)教授
 1899年(明治三十二年)
 同郷の盟友の
 「大隈重信」
 の招きで
 東京専門学校(早稲田大学)講師・教授
 1922年(大正十一年)
 退職
 古文書研究・国史を教え
 歴史学の基礎を構築
 古文書学の創始者
 ↓↑
 肥前国
 佐賀城下
 八幡小路
 佐賀藩士
 「久米 邦郷」の三男として出生
 1854年(安政元年)
 16歳
 佐賀藩校
 弘道館入学
 一歳年上の
 「大隈重信」と出会い
 儒書や史書
 「箕作省吾」著
 『坤與図識(コンヨズシキ・1845刊)』
 などの和漢の世界地誌書を読む
 5年後卒業
 共に尊皇派の
 「枝吉神陽」が結社した
 「義祭同盟」に参加
 弘道館で首席
 ↓↑
 藩主
 「鍋島直大」
  鍋=金+咼=なべ・・・鍋蓋=なべ ぶた(亠)
      咼=冎+口   鍋亠=なべぶた(亠=音)
      咼=カ・カイ・ケ=呙=口+冂+人
        口がゆるむ(緩む・弛む
              弛緩(チカン))
        倦(う)まず弛まず(うまずたゆまず)
        螺子(ねじ)が弛(ゆる)む
       ・・・渦(うず)
           渦巻⇔鳴門
           蝸牛(かたつむり)
           過(あやまち)
           過失・過去
           媧=カ・カイ・ケ=娲
           中国古代の伝説上の女帝
           冎=カ
           えぐる・えぐりとる
           さく・さいてわける
           骨(ほね)・髑髏・骨格
      ↓↑
     「和氏之璧(カシノヘキ)
          =和氏之璧
          =咼氏之璧」
     ↓↑
     島=嶋・嶌=しま・・・揣摩
     直=十+目+乚=値
      =なおす・正直・直接
           女直=女真
     ↓↑
     大=一+人=おほきい・巨大・偉大
       ひとり=日取り・比録り
       比鳥(酉・禽・鶏)・・・
        止利仏師・鞍作止利?
        鳥居の比較・・・鳥居耀蔵?
  ↓↑ ↓↑
 「鍋島直大」
 へ、論語の御前講義
↓↑
 1862年(文久二年)
 25歳
 江戸で
 昌平坂学問所で
 「古賀謹一郎」
 に学ぶ
 翌年帰藩し
 弘道館で教鞭
 前藩主
 「鍋島 閑叟」
 の近侍
 30歳
 弘道館の教諭就任
 1868年
 31歳
 明治維新確立後の
 府藩県三治制にともない
 藩政改革案の立案者
 ↓↑
 廃藩置県後
 33歳
 鍋島家の下扶
 太政官政府(明治政府)に出仕
 権少外史
 1871年(明治四年)
 特命全権大使
 「岩倉使節団」の一員として欧米を視察
 1871年11月12日
 横浜出港~サンフランシスコ到着
 「枢密記録等取調兼各国の宗教視察」
 の役職に就き
 アメリカ合衆国に半年
 イギリスに四ヶ月滞在
 「使節紀行纂輯専務心得」
 を命じられる
 フランスに三ヶ月滞在
 ベルギー・オランダ・プロシア
 デンマーク・スウェーデン・イタリア
 オーストリア・スイス
 などを訪問
 帰路
 フランス
 マルセイユ
 を出発し
 スエズ運河・アジアの諸港を経由
 1873年(明治六年)9月
 横浜に到着
 一年九ヶ月の長期視察
 「杉浦弘蔵」
 の通訳で聞き取り調査
 各地で
 統計書・概説書・地理歴史書
 などを蒐集
↓↑
 帰国後
 太政官の吏員
 視察報告書を執筆
 1878年(明治十一年)
 40歳
 全100巻の
 『特命全権大使 米欧回覧実記』編集
 政府から「500円」の報奨金を受領
 この資金で
 目黒に広大な土地を購入し
 実子
 「桂一郎」をフランスに留学させた
 太政官の
 修史館に入り
 「重野安繹」
 と共に
 「大日本編年史」
 など国史の編纂に尽力
 ↓↑
 1888年(明治二十一年)
 帝国大学教授兼臨時編年史編纂委員に就任
 「重野安繹」
 らとともに修史事業に関与
 1890年
  『史学会雑誌』
 に
 「穢多非人の由来」を発表
 「坪井九馬三」
 らと純歴史学を主張
 1892年(明治二十五年)
 「田口卯吉」
 の勧めにより
 雑誌『史海』に転載した論文
 「神道ハ祭天ノ古俗」
 が問題となり
 両職を辞任
 (久米邦武筆禍事件)
 1894年(明治二十七年)9月
 ~
 1896年(明治二十九年)
 立教学校(立教大学)
 専修科の教授として
 史学を講じる
 1899年(明治三十二年)3月
 「大隈重信」
 の招きで
 東京専門学校(早稲田大学)
 講師
 国史を講じ
 1909年(明治四十二年)7月
 70歳
 文学博士
 1911年(明治四十四年)
 教授・講師制度の発足に伴い教授
 1913年(大正二年)まで講義を担当
 1916年(大正五年)に
 国史講習会の会長
 1918年(大正七年)
 教授の嘱任を解かれ
 講義を担当しない講師
 1922年(大正十一年)
 「大隈重信」
 の死去を受けて講師辞任
 1931年(昭和6年)
 死去・享年93
 1982年(昭和五十七年)
 JR
 山手線
 目黒駅
 西口前
 久米ビル内に
 「久米親子の業績を展示」する
 「久米美術館」開館
ーー↓↑ーー
  丮=‡+⺄・・・𠨭=厂+‡
    左(𠨭)の手で握る
    右(丮)の手で握る
  ↓↑
 「海の向こうから
  大国主のところに
  小さな神がやって来た
  名を尋ねても答えず
  誰もこの神の名を知らなかった
  ヒキガエル・・・引き換える・検索して引き替える
  の
  多邇具久・・・・他字具句
  が
  久延毘古・・・・句重囗十(拾・足・充)上匕
  なら知っているだろう」
 と言うので
 「久延毘古」を呼び尋ねると
 「その神は
  神産巣日神・・・加見纂(簒)諏比加味
  の子の
  少名毘古那神
  ・・・
  少=亅+八+ノ(ヘツ・ヘチ)
  名=夕+口
  毘=田+比(上+匕)=へそ(臍・綣・𦜝)
  古=十+口
  那=尹(⺺・コ+ナ)+阝(阜)
    ⺕+丿+阝(阜・邑)
    𠃌+‡+阝(阜・邑)
 ・・・丮=‡+⺄⇔𠨭
    丮=右手で握る・ケ・キ
     =𢩦=𠃨
    𠨭=左手で握る
      手=𡴤=𠂿
      𠃌+二+丿+阝
     (阝=阜・・・岐阜(ギフ)
      𠂤=タイ・・・碓
        ツイ・・・対
        テ・・・氐=氏+ー
        おか=𠂤・・・追う
           =小高い丘=堆⇔碓=小碓命)
         阜=𠂤+十
           ゴルゴタの丘の十字架
           髑髏   邱 磔刑の‡(柱)
         𠃌+丿+ = + 阝(阜=𠂤 +十)
      呂=吕+ノ=ロ・リョ
      手=𠃨・𢩦・・・乙⺄二十キ‡=丮

  ↓↑
  少名毘古那神
  である」
 と答えた・・・
 ↓↑
 久延彦 神社
 古事記
 「久延毘古=山田のそほど」
 「山田のそほど」=「かかし(案山子)」の古名
 「久延毘古=かかし
       案山子
      =アンザン+シ)」
      「暗算・安産」の
       掛算・安蒜(アンサン)
           蒜子(ひるこ)
         子=一+了=始終
 「安蒜(アンサン)」姓の
  名字の由来と起源
  千葉県に多
  江戸時代の
 「牧士」
  牧師・・・の名前?
  天保十一年(1840年)
  天(あま)を保つ
    壱拾壱
    イチ拾うイチ
    の建築
  下総地方西部の最も古い長屋門
 (しもふさ)・・・上総(かみふさ)
  千葉県松戸市内に
 「安蒜(アンザン)長屋門」
  という建物が現存
  養老二年五月二日(718年6月4日)
  「阿波(あわ)」
   ・・・淡路(あわじ)島
   面積が日本の島で「11番目」に大
   神戸市を左手の人差し指で
  「ㄥ=☞・👉」
       指差している形象
  「安房(あわ)」=房総半島=千葉県
   および
  「長狭」国造
   ↓↑
   長髄彦(ながすねひこ)
   神武天皇(磐余彦)に抵抗し
   惨敗
  『古事記』
   那賀須泥毘古
   登美能那賀須泥毘古
  (とみのながすねびこ)
   登美毘古
  (とみびこ)
    富雄丸山古墳
   「蛇行剣」=2・37メートル
   「鼉龍(ダリュウ)鏡・盾形銅鏡」
    長さ64センチ
    最大幅31センチ
    最大の厚さ0.5センチ
    出土 
    ↓↑
   「長狭」国造
   (ながさのくにのみやつこ
    ながさこくぞう・チョウサコクゾウ
    千葉県
    鴨川市の大部分)
    の領域
    平群郡・安房郡・朝夷郡・長狭郡
    の4郡を割いて
   「安房国」とした
    天平十三年十二月十日(742年1月20日)
    安房国を併合
    天平宝字元年(757年)
    安房国を分割
    ↓↑
   『南総里見八犬伝』
   (なんそうさとみはっけんでん
    南總里見八犬傳)
    曲亭馬琴の長編小説
    文化十一年(1814年)刊行開始
    28年をかけ
    天保十三年(1842年)完結
    全98巻・106冊
    長編伝奇小説
    南総(ナンソウ)=上総(かみふさ)国
    北総(ホクソウ)=下総(しもふさ)国
 ↓↑
 島津家の家紋
 「十字文」
 「丸に十字紋」
 「桐紋」
 「牡丹紋」
 有名な家紋「丸に十字紋」は
 源頼朝から下賜された・・・
 鎌倉幕府初代征夷大将軍
 「源頼朝」
 より
 元暦二年(1185年)
 「島津忠久」
 はわずか6歳で
 島津荘地頭職に任命
 以降、薩摩・大隅・日向の守護職
 越前の守護職も追加
 文治五年(1189年)
 「源頼朝」の鎌倉幕府軍による
 奥州征伐で10歳で従軍
 「忠久」は鎌倉幕府内で特別な御家人であったが
 建仁三年(1203年)
 「頼朝」亡き後の
 「比企能員の変」に連座
 守護職を失ったが
 後に薩摩・大隅・日向の守護職を回復
 ↓↑
 ナゼ
「権=十+八+𠂉+ナ+隹」
   十+八+𠂉+ー+隹(イ+亠+)
         隹=スイ
           ふるとり
           尾の短い鳥の総称
「權」が
「木の雚(艹+吅+隹)」
  「萑」=鳥の象形文字
      のちに「吅」を加えた
     「コウノトリ=鸛」
     「鸛」・・・
     『説文解字』は
     「吅」を音符と説明
      甲骨文字において
      類似した
     「舊」と区別するための
     「羨符(センプ
         無意味な装飾的記号)」
      で
     「吅」なる字の実在は
      確認されていない・・・?
  ・・・「無意味な装飾的記号」ではない
      ダロウ・・・「吅=お喋り」で
     「有意味」である・・・
「權=木+雚
   木+艹+吅+隹
   木+卝+吅+隹
   木+艹+口+口+隹
   木+卝+口+口+隹」
 なんだか・・・?
 權=権=权・・・又=右手
     「丮=‡+⺄=右手で握る」
  =木+雚(艹+吅+隹)
  ・・・雚=萑
      芄蘭=一種草
     雚=萑=荻
       形狀像 蘆葦
       莖可編葦席=雚葦有積
    観=𠂉+一+隹+見
      𠂉+ナ+l+亠+圭+見
   ケン[漢]・ゴン[呉]
   秤(はかり)
   秤に使う分銅(重さの基準となる金属の塊)
   重さを量(はか)る
   状況を量りそれに応じて釣り合いを取る
   釣り合いを
   左右することができる重み、力、立場
   物事を左右できる力や立場を利用して
   支配・指揮する
   仮の・一時的な・一時しのぎに
   その場限りに・苟且(コウショ)
  ↓↑
 「木」の意味と
 「雚=2つの冠毛と
  両眼が強調された水鳥」
  の象形(「鸛=こうのとり」
 ↓↑
 鸛=雚+鳥
   艹+吅+隹+鳥
   卝+吅+隹+鳥
   艹+口+隹+鳥
   卝+口+隹+鳥
   ↓↑
   雚=艹+吅+隹
     卝+吅+隹
     艹+口+隹
     卝+口+隹
     カン
     こうのとり・コウノトリ科の鳥
     がんらん(鴈蘭・贋蘭)・草の名
     ががいも(カガミイモ=鏡芋・輝美芋
          が訛ってガガイモ)
     つる(蔓)草の名
     蘿藦=キョウチクトウ科ガガイモ属
        のつる性多年草である
        中国名は蘿藦
        種子や葉は薬用
        若い芽は食用
     スクナビコナ(少名毘古那・宿奈毘古那・少彦名
            少彦根・小比古尼・少日古根・少日子根)
     スクナヒコ(須久奈比古・小彦・小日子・少名彦)
     スクナミカミ(須久那美迦微)

    『古事記』    少名毘古那神
    『日本書紀』   少彦名命(すくなひこなのみこと)
    『先代旧事本紀』 天少彦根命
            (あまのすくなひこねのみこと)
    『出雲国風土記』 須久奈比古命
    『播磨国風土記』 小比古尼命(すくなひこねのみこと)
     その他     須久那美迦微
             少日子根・・・

    『古事記』
     「神産巣日神(かみむすびのかみ)」の子
    『日本書紀』
     「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」の子
     ↓↑
    『古事記』
    「大国主」の国造りに際し
    「天乃羅摩船
    (アメノカガミノフネ=ガガイモの実)」
     に乗り
    「鵝(ヒムシ=ガ)」
     の皮の着物を着て
     波の彼方より来訪
    「神産巣日神」の命によって
    「大国主」と
     義兄弟の関係となって国造りに参加
     ↓↑
    『日本書紀』
    「ミソサザイ(鷦鷯・三十三才・Linnaeus,1758
     スズメ目ミソサザイ科ミソサザイ属)」
    「ササキ→サザキ→ササギ→ミソササギ」
     冬の季語
     1710年(宝永七年)
    「蘇生堂主人」
     による鳥の飼育書の
    『喚子鳥』で描写・・・
     ↓↑
     西欧の民間伝承
    「ミソサザイ=鳥の王」
        ・・・鷦鷯=鳥の王
              鳥居耀蔵
     グリム童話の
    『みそさざい(鷦鷯)と熊』
     で
    「鳥の王さま」
     と呼ばれ
     コマドリ(駒鳥)と対になって現れる
     コマドリがオス=神の雄鳥=新年の魂
     ミソサザイがメス=神の雌鳥=旧年の魂
     として伝承で夫婦とされた
     ↓↑
    「森の王」
     に立候補したミソサザイ(鷦鷯・三十三才)が
     森の王者
     イノシシ(猪)の耳の中に飛び込んで
     イノシシを倒したが
     森の住人は
     小さなミソサザイを
     森の王とは認めなかった
     ↓↑
     アイヌの伝承
     ミソサザイが
     人食い熊の耳に飛び込んで攻撃し
     他の鳥たち、サマイクル神も参戦し
     クマを倒した
     ↓↑
     スクナビコナは
     ミソサザイ(鷦鷯・三十三才)
     の皮の着物を着ていた
     スクナビコナは悪童でもあり
    (『日本書紀』八段一書六)
     後に常世国へと渡り去った・・・溺れて死んだ
     スクナビコナの名前由来
    『古事記伝』
    「御名の須久那(スクナ)は・・・少名比古名
     大名持(オホナムチ)の
     大名と対であるため」
     必ず
    「大名持(オホナムチ)」
         ・・・「一人タ口の手の寺」
             初児太郎の氐(氏+-)の字?
     と行動を共にする・・・
    「スクナビコナ」
     は、国造りの協力神、常世の神
       医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物
       知識・酒造・石工の神
     など多様な性質を持つ・・・

     酒は古来、薬の一つで
     スクナビコナが酒造りの技術を広めた
     神功皇后が
     角鹿(敦賀)より還ってきた
    「応神天皇」を迎えたときの歌に
    「少名御神」の名で登場し
    「酒造の神」・・・

     石は「磐余」の「岩の割れ、欠片」
     海から来訪した「渡来人」・・・
    「酒造り=太秦(うずまさ)=秦→新羅→倭=大和」
     末裔
    『先代旧事本紀』
    「鳥取」氏の祖神・・・

 権=木+𠂉+ナ+隹
   木+𠂉+一+イ+亠+龶
   いきおい・ちから
  「権威・権力・おもり(錘)・はかりの分銅
   権衡」
  「はかる・はかりごと・もくろみ
  「権謀」
   けんり・権限・人権
   かり(假・仮)・かりそめ(仮初め)
   便宜的な処置

 「権」
  そえ・正に対する副
  主要な要素に対し
  補助的な役割を果たすものを示す

2024-11-03
古事記字源・・・参照・参考
ー↓ー
 なぜ、「ブッダ」は
 「佛=仏=イ+ム(私・よこしま→邪)」
 になったのか・・・横の島・・・
 緯度33度・・・横島→阿蘇山→横島
     ・・・「玉名・熊本・隈本」
         王名=みそさざい=鷦鷯
 孉=𡢸
   女+雚
   ケン[漢]・ゴン[呉]
   美しいさま・可愛らしいさま
  =「婘」
 ↓
 権力の根元・・・根源・・・今現・・・
 「権原・權原」
 「権力・權力」
 「権限・權限」
 の
 「権=權」の漢字
 「権=木+𠂉+隹(スイ・とり・フル鳥)」
 「鳥=白+丂+灬」
 「權=木+雚(カン・こうの・おぎ)
   =木+サ(廾・艸→丱)」・・・
  ナゼ
 「権=權」・・・
 「木の雚(𠂉+隹)」なんだ? ・・𠂉=カミさし
     「𠂉+ナ+l+亠+龶」・・・龶
     「𠂉+ー+イ+亠+龶」・・・龶
  ↓ 
 「雚」
 「草」+「隹(鳥)」+「口口・口々)
 草むらで、鳥が「カンカン」と鳴くさま
 部首の意味は
 しきりに・熱心に・心をこめて
 雚→𠂉+隹
  「𠂉」=「艹+口+口」
  瞿=おそれ・ク・グ
   =目+目+隹・・・・贔屓(ひいき)
            嬰児(エイジ)=赤子
   =おそれ=懼れ・怖れ・惧れ
        恐れ・畏れ・虞
 易経・・・風地雚(風地観)
     =静かなか細い鳴き声
 雚(鸛)=鵠の鳥
     =こうのとり
     ・・・赤ん坊を運んでくる
   =鵠(くぐい)・白鳥の古称
    鴻(くくい)・・・
      九九意・区々意・句々意
   無用之鵠鳥=
   刻鵠不成尚類鶩=後漢書・馬援伝
 子産(シサン?~紀元前522年)
 春秋時代
 鄭に仕えた政治家
 姓は姫
 氏は国
 諱は僑
 字は子産
 「公孫僑」とも
 祖父は
 鄭の
 穆公・・・
 穆=禾+白+小+彡
   やわらぐ・ボク・モク
   おだやか・なごやか・てあつい
   丁寧(テイネイ)
   敦穆(トンボク)
   禾=実の熟すること
   孚=胚胎(ハイタイ)すること
   剖=剖(さ)けること=副
    解剖
   㣎=細文也・從彡、𡭴=省
     彡=言文・𡭴=言細
   㣎=ボク・モク・ビュウ・ミュ
     細かい模様
   穆(ボク) ・ムー
   穆巴拉克 Mùbālākè
       (ムバラク)
   穆罕默德 Mùhǎnmòdé
      (ムハンマド・モハメド)
 父は子国(公子発)
 子は国参(子思)
 紀元前536年、
 人類史上初めて
 成文法を制定・・・?
 「参辟」・・・
 夏、商、周の三代の刑法
 法律を定めて
 鼎(青銅器)に
 鋳込んだ(春秋左氏伝)
ー↓↑ー
  ↓↑   ↓↑
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
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 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8



 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?



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