・・・偏見とか、誤謬とか、誤解とか、詭弁とか・・・「かはむし=皮虫・烏毛虫=毛虫=加波牟之」・・・「虫(烏毛虫)愛づる姫君」をメ摺る「右馬佐(うまさ)の物語」・・・
?・・・ゲジゲジ眉毛の御ヒメさま・・・
かわむし=皮虫・毛虫の古名
十巻本和名抄(934頃)
八「烏毛虫 兼名苑云髯虫 一名烏毛虫〈加波牟之〉」
堤中納言(十一~十三世紀)
虫めづる姫君
「かはむしは毛などはをかしげなれど」
ーーーーー
ケムシ(毛虫)
チョウ(蝶)やガ(蛾)の幼虫のうち
毛や棘が生えているもの
ガ(蛾)類の幼虫で毛が多いもの
少々毛の生えた
イモムシと明確な区別はない
↓↑
有毒な種でも
すべての毛に毒があるわけではなく
毛の目立たないものにも有毒種がある
ドクガ科でも
マイマイガのように
1齢幼虫の時期しか毒針毛を持たない種類や
ヒメシロモンドクガ、 スギドクガ、エルモンドクガ
ダイセツドクガ、カシワマイマイ
などのようにドクガ科でありながら
ーーーーー
兼愛
兼(ひろ)く愛する・・・兼ねて愛す
↓↑
「ムシ、めでる ヒメ」
「無染、め出る 秘め」・・・?
↓↑
堤 中 納言 物 語
(つつみちゅうなごんものがたり)
↓↑
藤 原 兼 輔・・・兼(ひろ)く
(ふじわら の かねすけ) 輔(たすける)
補(おぎなう)
裨(おぎなう)
裨益(ヒエキ) · 裨補(ヒホ)
匡輔(キョウホ)・公輔(コウホ)
宰輔( サイホ)・左輔(サホ)・師輔(シホ)
唇歯輔車・・・輔車=頬骨と歯茎・上下の顎
車の添え木と車
西周の春秋戦国時代
晋の献公が
虢(カク)を
↓↑ 「虢=寽+虎」の
異体字「𣂭・郭・𧇛」
↓↑ ↓↑ ↓↑
↓↑ 郭務悰=天武天皇?
則天武后の縁者⇔
生年 武徳七年一月二十三日
(624年2月17日)
没年 神龍元年十一月二十六日
(705年12月16日)
姓・諱=媚娘→武照(武曌)
父 武士彠
母 楊夫人
滅ぼすために ↓↑
虞(グ)に・・・虞=虍+呉
↓↑ 虍+吴
虍+吳
通仮字「吴」
異体字「𠈌・𡑾」
蜈蚣(むかで・百足)
蜈=虫+吴=虫+吳
異体字「𧌀」
螻蛄(おけら)
↓↑ ↓↑ 虞=おそれ・グ
おそれる・うれえる
おもんぱかる・あざむく
あやまる・のぞむ・たのしむ
心配・懸念・不虞・憂虞
善良な風俗を害する虞
↓↑ ↓↑ 懼(ク)
賄賂で通行許可を求めたが
虞の賢臣が
「虢と虞は一体であり、
虢が滅びたら虞も滅びましょう
諺にも"輔車相依り、
唇亡ぶれば歯寒し"
と申します」と虞公を諫めた・・・
↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
郭務悰=天武天皇?
唐人、朝散大夫・上柱国
唐の官吏・「白村江の戦い(663)」後
処理のため唐の
百済(くだら)鎮将
劉仁願の命で
天智天皇三年(664)来日
朝廷から正式の唐使とみとめられず帰国
翌年(665)
唐使劉徳高とともに来日
天智天皇八年(669)・・・???
来日
天智天皇十年(671)
百済人
沙宅孫登らとともに総勢2000人で来日
672年
天智天皇十一年
天皇の死後
甲冑・弓矢
絁・布・綿
↓↑ を与えられて帰還・・・?
元慶元年(877年)
~
承平3年2月18日(933年3月16日)
平安時代中期の公家・歌人
藤原北家
右中将・藤原利基の六男
↓↑
父 藤原利基
母 伴氏
妻 藤原定方の娘
女子 藤原桑子(醍醐天皇の更衣)
↓↑
賀茂川堤に邸宅があったので
堤中納言と号
外戚の
醍醐天皇や
義父の
定方の庇護を得て高官に昇った
↓↑
従兄弟で
妻の父である
三条右大臣
藤原定方
とともに当時の歌壇の中心的な人物
紀貫之
凡河内躬恒
など多くの歌人が邸宅に集まった
↓↑
小倉百人一首では
中納言兼輔
三十六歌仙の一人
↓↑
みかのはら
わきてながるる
いづみがは
いつみきとてか
戀(こひ)しかるらむ
↓↑
みかの原
わきて流るる
泉川
いつ見きとてか
恋しかるらむ
『新古今和歌集』恋・996
小倉百人一首 ・27番
↓↑
みかの原から
湧き出て
流れる泉川
一度も逢ったことがないのに
こんなに恋しいのか
↓↑
「瓶原(みかのはら)」=山城国(京都府)南部
相楽(そうらく)郡
加茂町(かもちょう)を流れる
木津川の北側の一部
聖武天皇の時代
恭仁京(くにきょう)が置かれた
↓↑
「わき」=四段動詞「分く」の連用形
「分けて」
「分き」と「水が湧く」を掛けた
「湧き」は「泉」の縁語
「分けて流れる」と「湧き出て流れる」
を兼ねた
↓↑
「泉川」=木津川
↓↑
「いつ見きとてか」
「き」は過去の助動詞
「か」は疑問の係助詞
「いつ逢ったというのか
逢ったことは無いのに」
↓↑
「恋しかる」は形容詞「恋し」の連体形
「らむ」は推量の助動詞
「恋しいのだろうか」
↓↑ ↓↑
平安時代後期以降
(文永八年・1271年以前の成立)
に成立した短編物語集
編者は不詳
十編の短編物語
1編の断片
成立年代や筆者はそれぞれ異なり
遅いものは13世紀以後の作品・・・
「堤中納言」という人物は登場しない
↓↑
「逢坂越えぬ権中納言」
「花桜折る少将(中将)」
「蟲愛づる姫君」
「このついで」
「よしなしごと」
「はなだの女ご(花々の女ご)」
「はいずみ」
・・・『古本説話集』第十九段「平中事」
狂言「墨塗」
大名と別れる女が
水を目につけて泣くまねをするので
太郎冠者が
水を墨に入れ替えると
女の目の縁が真っ黒になる
墨塗=情報の封殺
墨塗り教科書=記述の一部を
墨で塗りつぶした教科書
国家主義や戦意を鼓舞する
内容を抹消させた
全行に抹消線が引かれたものも
「国防軍備等ヲ強調セル教材」
「戦意昂楊ニ関スル教材」
「国際ノ和親ヲ妨ゲル慮アル教材」
などを削除したり
黒く墨でぬりつぶしたりした
「ほどほどの懸想」
「貝合はせ」
「思はぬ方にとまりする少将」
未完断片
↓↑
完全変態
幼虫が成虫になる際
動能力を著しく欠いた
蛹(さなぎ)と呼ばれる形態をとり
蛹から脱皮して
成虫が現れる
↓↑
卵→(孵化)→幼虫→(蛹化)→蛹→(羽化)→成虫
↓↑
チョウ、ハチ、ハエ、甲虫などが該当
昆虫類の中でも
二畳紀以降に出現した
進化の進んだ種族
完全変態をする現生の昆虫の中では
シリアゲムシが最も起源の古い分類群
蛹は昆虫類独自の形態で
他の動物には同様の形態は見られない
↓↑
完全変態を行う種の幼虫は
成体と全く異なった形態を持つ場合が多い
イモムシ型
ジムシ型
などの幼虫
節足動物の原初的な形態に近い
幼虫と成虫では
生活の場所や食物が全く違う場合も多
幼虫は地中や木材中に住むが
成虫は地表や樹上に住む
幼虫は木や草の葉を食べるが
成虫は花の蜜を吸う
↓↑
蛹
成虫の外観のみを象った鋳型のような姿
裸蛹(らよう)
↓↑
チョウ目の成虫の多くは
胴体に比べて大きい
前翅・後翅を持つが
蛹のステージにおいては
他の分類群のものと同様に
翅が縮められて
胴体の側面に密着した状態にあり
蛹の形状を一見しただけで
成虫の形状を知るのは難しい
ハエ目の蛹の多くは
成虫とまるで似ていないように見えるが、
これは彼らが蛹化の際脱皮せず
幼虫の外骨格がそのまま硬化して
繭の代わりとなり
その内側で実際の蛹化が行われる
↓↑
蛹は短い糸を出して体を固定したり
土・排泄物・自ら吐き出した糸などによって
繭(まゆ)を作って
その中に入ったりするものが多い
全く動かず、休眠しているように見えるが
体内では
幼虫の体を構成していた
諸器官が食細胞の働きにより
一旦分解され
幼虫期に摂取し備蓄した栄養分を用いて
成虫の体を形作る基となる部位
「成虫原基」を中心に
新しく形態形成が行なわれる
↓↑
蛹を経ず
幼虫が
直接成虫に変態することを
不完全変態という
昆虫の基本的な変態様式で
この場合の幼虫は
完全変態をするものと
区別するため
通常は
「若虫(じゃくちゅう、わかむし)」
と呼ばれ
セミ(蝉・蟬・せみ)・・・世見
カマキリ(蟷螂・螳螂・かまきり)
・・・鎌 切り・杜父魚
トンボ(蜻蛉)・・・・秋津・安芸津・阿木津
バッタ(飛蝗・蝗)・・貼った・張った
場った・話った
ゴキブリ(蜚蠊・御器噛(ごきぶり))
「御器=ふたつきの椀嚙(かぶ)り」の転
蜚=非+虫
蠊=虫+廉=虫+广+兼
・・兼(か)ねる
・・兼(ひろ)く
・・・兼愛(ケンアイ)
など
ーーーーー
・・・ムシ、「蜚蠊」を「兼愛する」って???・・・
墨家主義・・・?
ゴキブリ=芥虫(アクタムシ)=角虫(ツノムシ)・・・
「御器所(ごきそ)」って名古屋だけれど・・・
名古屋、大須の「ごきぶり」はデッカかった・・・
「ネズミ」もネコぐらいデッカかった・・・
ーーーーー
虫めづる姫君
虫愛づる姫君を愛ずる右馬佐の物語
↓↑
この姫君ののたまふこと、
「人々の、花、蝶やとめづるこそ、
はかなくあやしけれ。
人は、
まことあり、
本地たづねたるこそ、
心ばへをかしけれ」
とて、
よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、
「これが、成らむさまを見む」
とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせたまふ。
中にも
「烏毛虫の、
心深きさましたるこそ
心にくけれ」
とて、明け暮れは、
耳はさみをして、
手のうらにそへふせて、
まぼりたまふ。」
・・・
「人に似ぬ心のうちは
烏毛虫の名を・・・かはむし=皮虫・烏毛虫=毛虫
とひてこそ
言はまほしけれ」
右馬佐、
「烏毛虫に
まぎるる
まゆの毛の末に
あたるばかりの人は
なきかな」
と言ひて、笑ひて帰りぬめり。
二の巻にあるべし。
ーーーーー
・・・???・・・「二の巻にあるべし」って?・・・
ナイ・・・
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