・・・「駆け付け警護」への批判、警鐘ではなかった・・・単なる「私怨」とは・・・昨日(10月23日)の「宇都宮市-本丸町の宇都宮市城址公園での爆弾自殺者(栗原某・72歳・針ケ谷町住人・元幹部自衛官、2等陸佐、所属は航空学校宇都宮分校、気象教官)」・・・公園から8キロ離れた自宅爆破火災(11前後)→乗用車爆発(午前11時33分)→6分後公園で爆弾自殺・・・だが、犯行の時系列をみれば軍事的戦術を充分に踏まえた「犯行作戦(テロ)」だった?・・・自宅爆破は目的現場から警戒をそらし、祭り行列を駐車場の自家用車で爆破攻撃、混乱で逃げ出した群集の「安全な目的地」で自爆・・・祭り行列予定時間の「遅延」は誤算だった・・・ナニが靴下に遺書挟む「命を絶って償います」って、ダレに対してなんだか?・・・「殺人魔」に変身?・・・「几帳面。しっかりとしたデータ管理で活躍された」、「県精神保健福祉会の相談員として活動」、「社会活動に参加した真面目なオジイちゃん」、「昨日も一緒にお茶を飲んだが、悩みとかそういう話は何にも。特に変わったところはなかった」、「口数が少なく、温厚な人。トラブルなんか聞いたことがない」・・・「妻と娘はDVシェルターに駆け込んだ。退職金2千万円を妻が宗教につぎこんでしまった」・・・「自暴自棄(ジボウジキ)になった」って、ボケてしまえば、まだ救われたカモ・・・「プチブル社会のエゴの極大化」・・・異国で銃声の中で緊張を強いられ道路整備をしている「自衛隊員」がスコップ(オランダ語schop・schep)、シャベル(shovel)を小銃に持ち替えても同じだろう・・・無事帰国したしとしても・・・「1800人の隊員が殉職」?・・・「カンボジアへの派遣以降(第1次1992年9月~1993年3月、第2次1993年3月~同年9月)、海外に派遣された自衛隊員で自殺をした人は59人」、「イラク復興支援活動の2003年~2009年までにイラクからの帰還した陸上自衛隊員の21人、航空自衛隊員8人」が死亡、他の記事では「2003年~09年までイラクで29人、インド洋で25人が自殺」・・・自衛隊個々人の自殺は「自殺率の問題」ではない。「戦場と云う場所で負った精神障害(PTSD=心的外傷後ストレス障害)」の結果がホトンドであろう・・・
・・・「2010年のアメリカ帰還兵の自殺者は6500人を超えた(WEBRONZA・2011年11月23日)」、「アメリカでは毎日18人前後の元兵士が自ら命を絶っている。アフガニスタンとイラクからの帰還兵だけでも自殺者は数千人にも上り、戦闘中の死者数(6460人)を上回る(Newsweek.com・2012年8月7日(火)17時11分)」・・・
自衛隊の総司令官である「防衛大臣」が「戦闘現地」に行くとは「役割が軽い」・・・モチロン、一国の大統領が「戦略」を忘れて「戦場現場」に行くとは近代的な国家間戦争のナンタルかを理解していないのだろう・・・古代~中世の「現場の戦闘指揮者の王様」とは異なるのである。近代階級国家の総司令官は「国家戦略」、現地軍事司令官は「現場の戦術的戦闘」である・・・
階級国家の「兵士・兵卒」とは平時は「生活保障完備?」、戦時は「秩序ある名誉の戦死?」であるが・・・「軍隊秩序」が崩れたら、単なる「山賊、海賊の掠奪、強殺集団」でしかない・・・現代的な「ISの占領地(?)の軍事秩序」である・・・究極的な「生殺与奪、活殺のエゴの場所」である・・・
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・・・スコップ(schop・schep)はオランダ語・・・
オランダ語の
「鉛筆」は「potlood」、
「絵筆」はオランダ語で「penseel」、
イタリア語は
「ペンネッロ(pennello)」で、
「小さな筆」を意味するラテン語の
「peniculus」からであるらしく、
「フィッシュ・ブラシ」は
扇状の特殊な筆で
色や輪郭をボカシや、刷毛筋を消すためなどに用いられた。
ドイツ(プロシヤ)語の
「鉛筆」は「Bleistift」、
「絵筆」は「ピンゼル(Pinsel)」らしい・・・「ピンセット」って?、
「ピンセット(オランダ語 Pincet、英語 tweezers)
微細なものをより分けたり、
薄くあるいは脆いものを挟む道具
緻密な作業を行うために用いられる
日本語では
鑷子(セッシ)」
ですか・・・
「鑷=金+聶(ささやく・ショウ・ジョウ・囁く)」・・・「王様の耳は驢馬(ろば)の耳」・・・床屋が芦(あし・葦・蘆・葭→疋=ひき・ショ・ヒツ・ガ→引き・比記?)原のアシに向かって「王様の耳はロバの耳」と叫ぶと、葦がその言葉を繰り返して聶(囁・ささや)くようになった・・・
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ギリシア神話
ミダース(Midās・ミダス)は、
プリュギア(Phrygia)の
都市ペシヌス(Pessinus)の王
触ったもの全てを
黄金に変える能力("Midas touch")として有名
ゴルディアース(Gordias)と
彼を夫とする女神
キュベレー(Cybele)の養子
ミダースは、
快楽主義者、バラの庭師
息子は
残忍に人を殺した
リテュエルセース(Lityerses)
あるいは
「ゾエ(Zoë)=生命」?・・・・エゾじゃないョなッ・・・
という娘がいた・・・
紀元前8世紀後期の
プリュギアの王
プリュギアには
「ミダース」という名前を持った多くの王がいた
彼は
紀元前709年と推定される
アッシリアのサルゴン2世の
同盟者リストから知られている
ムシュキ(Mushki)の王
ミタ(Mita)と同一人物・・・らしい・・・
「プリュギア人でキュベレーの息子ミダース王は、
黒鉛・・・鉛筆・・・鉛=なまり・エン→訛り・吪り
と 徳川家康が鉛筆使用の初め
白鉛・・・化粧用の白粉
を初めて発見した」
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葛飾北斎の新たな絵画か・・・北斎は鉛筆を使用したか?
オランダの博物館が所蔵
10月22日 4時39分
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「・・・シーボルトが持ち帰りオランダの博物館が
所蔵していた絵画が、江戸時代を代表する浮世絵師、
葛飾北斎が西洋の技法を使って描いたものである
可能性が高いことが分かり、
北斎を研究するうえで貴重な資料として注目・・・
オランダの
ライデン国立民族学博物館が
所蔵していた6点で、
長崎を拠点に日本に西洋医学を伝えた
ドイツ人医師、
シーボルトが持ち帰ったコレクション・・・
・・・北斎研究で知られる
ライデン国立民族学博物館の
マティ・フォラーシニア研究員などのチームが、
シーボルトの子孫が
所蔵していた目録と照らし合わせたところ、
「北斎が我々のスタイルで描いたもの」
という記述が見つかり、
北斎の作品である可能性が高い・・・
・・・6点のうち5点は、和紙に、
日本橋や品川など江戸の町並みが、
遠近法など、
浮世絵とは異なる西洋の技法を使って
水彩で描かれていて、
北斎が西洋の技法を理解していた・・・
シーボルトは1826年に江戸に上った際
「上手な絵師と会った」という記述・・・
この際に北斎から絵画を受け取った・・・
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・・・シーボルト(置維波斯徳利)・・・
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