前回からのツヅキ
↓↑
誉田別尊(ほむ・タワケ・の・みこと)
本 拿分 見事?
八幡=はちまん=捌蔓
・・・宇佐神宮・・・新羅三郎=源氏
源 義光(よしみつ)
平安時代後期の武将
河内源氏 の2代目棟梁
源頼義の三男
甲斐源氏初代当主
兄 源義家(八幡太郎)
源義綱(賀茂次郎)
近江国の
新羅明神(大津 三井寺 新羅善神堂)
で元服し
新羅三郎 (しんらさぶろう)
と称した
源 義家(よしいえ)
八幡太郎の通称
鎌倉幕府を開いた源頼朝
室町幕府を開いた足利尊
などの祖先
比叡山等の強訴に際し
鎮圧や
白河天皇の行幸の護衛
陸奥国守
清原氏の内紛に介入し
「後三年の役」を起こし
朝廷に事後承認を求め
その後約10年間
逼塞状態だったが
白河法皇
の意向で院昇殿を許された
七歳の春
山城国
石清水八幡宮で元服し
八幡太郎と称す
宇佐神宮
全国4万社あまりの
八幡様の総本宮
八幡大神(応神天皇)
比売大神
神功皇后
が祭神
神亀二年 創建(725年)
725年
行基 淀川(山城国山崎-橋本間)
に山崎橋を架ける
唐 玄宗皇帝
泰山で封禅の儀
誕生 懐素 唐代の書家・僧
養老八年-神亀元年
皇紀1384年
神亀(ジンキ・シンキ・神󠄀龜)
年号
724年 甲子年
唐 開元 12年
渤海 仁安 5年
新羅 聖徳王 23年・・・聖徳王?

3月3日(神亀元年二月四日)
元正天皇 譲位
第45代天皇
聖武天皇即位
吉備内親王が二品に叙
陸奥国に多賀城築城
誕生
開成 奈良時代の僧
藤原浜成 奈良時代の歌人
死去
6月30日(神亀元年六月六日)
巨勢邑治
8月 6日(神亀元年七月十三日)
大蕤娘 天武天皇夫人
蕤=艹+甤
艹+豕+生
甤=草木の実が垂れ下がるさま
生子之多
莫若豕也
「不若=~にしかず」
「莫若=~にしくはなし」・比較
異体字「蕤 苼 㽔」
ズイ・ニ・ソウ・ショウ・スイピン・イン
草木の実が垂れ下がり
花の垂れ下がるさま
垂れ飾り
drooping leaves
fringe soft, delicate
「fringe=肩掛け・すそなどの房べり
房飾り
婦人の額ぎわの切り下げ前髪
動植物の房毛
へり・外べり・外辺・周辺
初歩・二次的なもの」
frɪndʒ=フリンジ=Fringe
ひもや織物の端の糸を
かがったり束ねたりした房飾り
不倫示(自・時・事・亊・似=邦字
爾・邇・兒・児・兕・尼・巳)
褒姒(ホウジ)
西周の幽王(紀元前782年~紀元前771年)
の2番目の后
傾城(形声)の
美女(卑-如・汝・鋤・所・書・序)
↓↑
末喜・妲己・褒姒・息嬀
夏姫・西施・趙飛燕・趙合徳
潘玉児・馮小憐・楊貴妃・陳円円
額田王・藤原薬子・常磐御前
阿野廉子・日野富子・淀殿
↓↑
神亀(ジンキ・シンキ・神󠄀龜)・・・訊記・新記?
724年
~
729年
天皇 聖武天皇
ー↓↑ー
爰=爫+一+友
爫+一+又
エン
かえる・取りかえる
ここ・ここに・そこに・それで
ここにおいて
ゆるい・ゆるやか・ゆったりしたさま
媛=女+爰=姫(ひめ)
猨=犭+爰=猿(さる)
援=扌+爰=たすける=援助・救援・援護
ー↓↑ー
妲己(ダッキ・Dájǐ)
・・・女+旦+己(ム=私・邪=蛇)
己・・・巳=它=宀+ヒ
蛇+姫(姬・姬・㚦・👸・比米)=ダッキ
ー↓↑ー
殷王朝末期(紀元前11世紀ごろ)
帝辛(紂王)の妃
帝辛に寵愛
ー↓↑
末喜(マッキ・バッキ)
などと共に悪女の代名詞的存在
ー↓↑
「有蘇氏」の娘
有-蘇-我?
蘇+我氏
ー↓↑ー ↓↑ー
蘇定方=蘇 定方(ソ テイホウ)
592年~667年・唐の軍人・名は烈・字は定方
本貫は「冀州-武邑-県」
蘇邕の子
隋末
蘇邕は郷里の数千人を率いて叛乱の討伐
定方は15歳で父の下で従軍
蘇邕が死去し
その部衆を引き継ぎ
劇県の叛乱軍の
張金称・楊公卿
らを撃破
後に
「竇建徳」の麾下の部将の
「高雅賢」の養子となり
「高雅賢」と「劉黒闥」が死ぬと
郷里に帰った
唐の貞観初年
匡道府折衝
「李靖」の下で
「突厥」攻撃の先鋒
霧の中で
「牙帳」・・・「帳幕(ゲル)=天幕」・陣地?
を襲撃し
突厥の
「頡利可汗」
は逃亡
李靖が到着すると
突厥の一党は降伏
凱旋し
左武候中郎将に任ぜられた
永徽年間に左衛勲一府中郎将
「程名振」・・・程(ほど)の名を振る?
とともに高句麗を攻撃
撃破
右屯衛将軍に任ぜられ
臨清県公に封ぜられた
顕慶元年(656年)
「程知節」・・・程(ほど)を知る節(ふし)?
に従って前軍総管を務め
「阿史那(あしな)-賀魯(ガロ)」
を攻撃し、鷹娑川にいたった
「阿史那-賀魯」
が2万騎を率いて対陣すると
「蘇定方」は
総管の
「蘇海政」・・・ヨミガエる海のマツリゴト?
読み替える瀛(宇美・生み)
とともに連戦
突厥の別部の
「鼠尼施」
・・・鼠(ねずみ)の尼(あま)に施せ
移鼠=イエスのアマ=尸のヒを
らが2万騎を率いて敵方に来援
定方は騎兵の精鋭500を率い
山嶺を越えて敵陣に討ち入り撃破
唐の軍中では副大総管の
「王文度」
・・・王の文を度(はかる)・渡り?
が深入りを諫めたが
定方は追撃を主張
「程知節」
が
「怛篤城」
怛=いたむ・かなしむ・うれえる
篤=あつい・手厚い・人情が厚い
モッパラである=鵙原・百舌鳥原?
病気が重い
にいたり
胡人・・・えびす=恵比寿・蛭子・夷・戎
を降伏させると
「王文度」
は
「降胡」
・・・降伏のエビス(胡・夷・戎・蛭子)?
を殺して財貨を奪うことを主張
定方はこれに反対
「王文度」は財貨を分配したが
定方はこれを拒否
高宗は
「程知節」
らが帰還した後
「王文度」
を庶民に落とした
↓↑
・・・「大化の改新(645年・六百四拾五ネン)」
「蘇我入鹿・蘇我蝦夷」
のその後の経緯(いきさつ)
・・・我(ガ)=吾(ゴ)、よみがえる
賀 語 読み替える?
↓↑
顕慶二年(657年)
定方は伊麗道行軍大総管
「阿史那-賀魯」
を攻撃
「任雅相」・・・任(まかす)
雅(からす)の
相=相似?
と
「回紇」・・・回す糸を乞う⇔乞食=古事記?
の
「婆閏」・・・波の女は
閏(閠・䦞)=ジュン・うるう
余(あま)りの月日(解譯比)
海女 里
潤年の日数、月数が多いこと
正統ではない
正統でない位?
が副大総管
定方は
アルタイ山(金山・鷲山=倭史?)
纂(讃・簒)
の
アルタイル(Altair )
わし(鷲)座α星(Alpha Aquilae)
・・・阿留臺
(俀・妥・拿・蛇・媠)+意(委・異・亥)
意・異の纂
↓↑
隋書俀国伝 耶摩体
都於邪靡堆
則魏志所謂
邪馬臺者也
古云去
樂浪郡境 及 帶方郡
並一萬二千里
在 會稽之東
與 儋耳 相近
阿毎王朝=阿輩雞彌
↓↑
アルタイ山の
北に出て
「処木昆部」
・・・書紀(記)昆部(分・武)?
を撃破
俟・・・シ・まつ(待つ)
人や機会を待つ
たよりにする
立ち止まる
斤=おの・キン・斧・小野・己・𨨞
の
「嬾独禄」
嬾=女+頼=孏・孄・㦨
ラン・おこたる・ものうい
なまける
=懶=忄+賴
忄+束+刀+貝
忄+束+負
忄+束+⺈+貝
ものうい・だるい・けだるい
独=犭+中+ム=獨=犭+罒+勹+中+ム
禄=ネ+录
示+录
礻+彐+氺
示+彐+氺
祿=示+彔
礻+彔
示+彑+氺
礻+彑+氺
↓↑
を降し
麾下の1000騎と
回紇の1万人を率いて
曳咥河に進軍し
「阿史那-賀魯」の大軍と会戦
「五弩失畢」
・・・五=ゴ・いつ
弩=ド=奴+弓・・・奴國の弓
失=シツ=𠂉+ー+人
畢=田+卅+ー+十
ヒツ
終わる・終える
ことごと(悉く・尽く・儘く)
完全に・みな・全て
あみ(網)・柄のついた網
二十八宿の一
あめふりぼし
畢竟(ヒッキョウ)
=究極・至極・最終
結局・つまるところ
就中
が部族こぞって唐に降伏
「阿史那-賀魯」と
「処木昆」の
「屈律啜」
・・・屈(かがむ=僂)=屍+出
律=彳+聿
啜=すすり泣く
いつまでも
喋りつづける
は西方に逃走
定方は副将の
「蕭嗣業」
・・・蕭=艹+肅
艹+肀+片+一+爿
よもぎ(蓬生・艾)=与模擬
つつしむ=謹む・包詞務
䔥=萧
嗣=口+冊+司
業=なりわい
=わざ=伎・技・生業・しのぎ?
と回紇の
「婆閏」に
「邪羅斯」川・・・「邪=横島」の
編は
其+斤=小野の選?
に向かわせて追撃
定方と
「任雅相」
は後詰めに続いた
大雪にあったが・・・臺の説?
強引に兵を
雙河
まで進め
「阿史那-彌射」
「阿史那-歩真」
の軍と合流して
「阿史那-賀魯」
の陣に迫り
これを襲撃して破り
「阿史那-賀魯」は
「石国」
・・・石狩国 (いしかりのくに)=北海道
大宝律令 国郡里制を踏襲し
戊辰戦争(箱館戦争)
終結直後に制定された
別称は「石州 (セキシュウ)」
or 「石見國」
に逃れたが
「阿史那-彌射」
・・・彌(镾・あまねし)を
射(うつ)
の子の
「阿史那-元爽」
・・・元を
爽=大+㸚・・・爽快
大+爻
大+㐅+乂
大+㸚
大+㐅+丿+丶
ソウ・ショウ
あきらか・明るい
夜明けの明るさ
さわやか・すがすがしい
たがう・たがえる
間違える・誤る・違反する
傷つく・損なう・失う
ばらばらになる
が
「蕭嗣業」と合流し
「阿史那-賀魯」を捕縛
唐の勢力圏は中央アジアに広がり
定方は
左驍衛大将軍に任ぜられ
邢国公に封ぜられ
子の
「蘇慶節」も
「武邑県」公・・・武の邑を懸ける公
に封ぜられた
顕慶四年(659年)
「思結闕俟斤-都曼」
思=史・詞・私・田(かり)の心(思い)
結=糸を結び拾い一(はじめ)の口
闕=文を欠く
俟=人は横島のカミサシの壹の人
斤=おの=小野は
都=ト=譯=訳
曼=日+罒+又
卑を編む者?
が諸部を扇動し
疏勒・朱倶波・渇槃陀の三カ国が
唐に叛き
定方は
安撫大使
となって討伐
葉葉水
にいたり
都曼が
馬頭川を守り
定方は歩兵の精鋭1万と騎兵3000を選抜し
都曼の陣の前に現れ
都曼は戦うこともなく城に逃げ込み
窮迫して、自らを縛って降伏
パミール高原・・・葉を見意留巧言?
より西の地方も
唐の勢力圏に入った
定方が捕虜を
乾=戌亥
陽=邑の卑のーの勹の〃
殿=デン=伝・傳
に献上すると
邢州
鉅鹿県の三百戸の食邑を加えられ
左武衛大将軍に転じた
顕慶五年(660年)・・・百済滅亡
↓↑
顕(あら)わす
慶(応)の
語撚(六百六拾=亠+ハ+ー+ノ+日+陸を拾う?
熊津道大総管
軍を率いて
百済征討
城山から海をわたって
熊津口に上陸
沿岸の百済軍を撃破し
真都城・・・新譯条?
に進軍し
百済の主力に勝利
百済王
「扶余-義慈」・・・附与-疑似・擬似
太子の
「扶余隆」・・・・附与-西郷の「隆」を盛る
は北方に逃走
定方が
泗沘城
を包囲すると
「扶余-義慈」の子の
「扶余-泰」・・・やすい=妥・哉諏意?
が自立して王を称し
抗戦を続けようとしたが
「扶余-義慈」
は開門して降伏
百済の将軍の
「禰植」
・・・禰(ネ・デイ)・禰宜=神官
かたしろ・みたまや
父のおたまや=父親の霊廟
戦争に持っていく位牌
爾=一+八+冂+丨+㸚
一+八+冂+丨+爻
=尓=𠂉+小(ハ+亅)
=尒=𠆢+小(ハ+亅)
=尔=ノ+⺂+小(ハ+亅)
ジ・ニ
その
なんじ・おまえ・あなた
二人称の代名詞
その・それ・この・これ・ここ・かれ
指示代名詞
しかり・しかく・かくのごとし
そのとおりである
「のみ・~だけ」の意
他の語の下に添えて、状態を表す
と
「扶余-義慈」
は唐軍に降伏
「扶余-泰」
も捕縛
「扶余-義慈」
「扶余-隆」
「扶余-泰」
は東都洛陽に送られた
定方
は三カ国を滅ぼし
子の
「蘇慶節」
は
尚輦奉御の位を加えられ
定方は
遼東道行軍大総管
平壌道行軍大総管
に転じた
高句麗の軍を
「浿(ハイ)江=浿水」
で破り
「馬邑山」の敵営を落とし
平壌を包囲したが
大雪で包囲を解いて帰還
涼州安集大使に任ぜられ
「吐蕃」や「吐谷渾」とも戦った
乾封二年(667年)
76歳で死去
左驍衛大将軍・幽州都督の位を追贈
諡 荘
ー↓↑ー
妲己(ダッキ・Dájǐ)は
「有蘇」氏の娘として生まれた
『国語』では
帝辛が
「有蘇」氏
を討った際に献上したのが
「妲己」で
己 姓
妲 字
(女性は字を先に
姓を後に書いた)
『史記・殷本紀』・・・殷(イン・アン
雷鳴・獅子の咆哮)
「妲己」は「帝辛」に寵愛され
「師涓」
に新淫の声
「北鄙の舞・靡靡の楽」
を作らせ
賦税を厚くして
鹿台に銭をたくわえ
鉅橋に粟を満たし
狗馬・奇物を収めて宮室いっぱいにした
沙丘の苑台を拡張し
野獣蜚鳥をその中に置き
鬼神・・・「鬼道」は「卑弥呼の政祭の道」
をあなどり
沙丘に大勢の者を集めて楽しみ戯れた
酒をそそいで池とし
肉を掛けて林とし(酒池肉林)
男女を裸にして互いに追いかけさせ
長夜の飲をなした
後
妲己は周によって攻められた際に
武王により殺された
『列女伝』巻7孽嬖伝
殷紂 妲己
「炮烙の法」
を見て妲己が笑った
「比干」が
「先王の典法をおさめずに
婦人の言を用いていれば
禍のいたる日も近いでしょう」
と諫めた
「妲己」は
「聖人の心臓に七つの穴があると
私は聞いております」
と答え
「比干の心臓」を取り出させて観賞した
「紂王」が自殺すると
「妲己」は
「武王」によって首を斬られ
「小白旗」に掛けられ
「紂を亡ぼす者はこの女なり」
と評論
『漢書』外戚列伝の「顔師古」注
「弁辞をよく好み
姦を究めること盛んにした
その言を帝辛が用いて民を苦しめた」
妲己伝説
妲己(狐狸精)
「全相平話」
元代の歴史講談小説
の一節
「武王伐紂平話」の中で
妲己がキツネのなりかわり
「千字文」の
「殷の紂王(紀元前11世紀頃)を誘惑し
国を傾けた妲己は
九尾狐であると指摘」
明代の「封神演義」
「妲己を九尾狐の精」
としている
『封神演義』
「九尾狐狸精(キュウビコリセイ)」
として登場し
「殷周革命」を実現させるために遣わされた
「冀州侯蘇護の娘、蘇妲己(ソ ダッキ)」
の魂を奪って妲己になりすまし
紂王を堕落させて殷を滅ぼした
「胡喜媚」は
「九頭雉鶏精(きゅうとうちけいせい)」
「王貴人」は
「玉石琵琶精(ぎょくせきびわせい)」
が正体であり
「雉(記事)」の妖怪と
「琵琶(枇杷・卑話)」の妖怪が化けたもの・・・
葛飾北斎画『北斎漫画』
「殷の妲己」
九尾の狐が化けた姿の絵
「玉藻前伝説」と結び付けられ
天竺の華陽夫人
周の褒姒
と共に
「玉藻前」の前歴
『妲己のお百』
「お百」
京都九条通の
賤家の生まれで
美貌の持ち主
14歳で祇園中村屋の遊女となり
「鴻池善右衛門」に身請けされ
江戸役者
「津打友蔵」と姦通し
江戸に下り
友蔵の死後
新吉原の
「尾張屋清十郎」の女房となり
佐竹家の臣
「那河忠左衛門」の妾となり
名を「りつ」と改めた
「那河忠左衛門」
は旧名が
「那加采女」
で、秋田騒動の中心人物として
宝暦七年(西暦1757年)六月処刑
「お百」
は奉公人であるとして「おとがめ」なく
江戸に出て
高間騒動の
「高間磯右衛門」の妾となった
その間男性を殺害すること5たび
宝暦年間の退廃期を代表
ー↓↑ー
末喜(バッキ・マッキ)
夏王朝の最後の帝
桀(ケツ)の妃の一人
「妺喜・末嬉・妺嬉」とも記録
「妺(バツ)」
と
「妹(マイ)」
の混同表記も存在
山東の
「有施氏」の娘
桀が「有施氏」を討った際に
降伏のしるしとして献上
絶世の美女といわれ
妃とされて愛された
剣や冠を装備して宮殿に参内し
桀は寵姫に溺れた悪王
殷の帝辛(紂王)とともに
「夏桀殷紂」(カケツインチュウ)
称される
末喜の願いに応え
桀は
瑤台(ヨウダイ)
傾宮(ケイキュウ)
という巨大な宮殿を建て
落成祝いに大規模の宴会
祝宴では
池に酒を満たして
樹々に肉を吊るした
「酒池肉林」・「肉山脯林」
末喜が絹を裂く音を好み
高価な絹が集められ
つぎつぎと音を聴かせるためだけに
引き裂かれた
桀は
この行いを諫めた賢臣
「関龍逢」
を殺し
家臣の
「伊尹」
もこの行いを批判し
「湯王」のもとへ帰った
↓↑
殷(商)の
「湯王」
は夏王朝を滅ぼし
「桀」と「末喜」は
鳴条、南巣へと落ちのびた
↓↑
殷の紂王の妃・妲己
西周の幽王の妃・褒姒
のエピソードと酷似
歴史書『国語』
「昔夏の桀が有施を伐った際
桀は有施人の妺喜を妃とし
妺喜に溺れた
そのため
伊尹に夏は亡ぼされた」
・・・伊尹(医員・意囙=意因・異音)
伊藤博文?
↓↑
⛩️
応神天皇・・・ダレ・・・?
来人を用いて国家を発展させた
中世以降
軍神八幡神として信奉
誉田別尊(ほむたわけのみこと)=本拿分見事?
・・・ツヅク・・・
ー↓↑ーー
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
↓↑
誉田別尊(ほむ・タワケ・の・みこと)
本 拿分 見事?
八幡=はちまん=捌蔓
・・・宇佐神宮・・・新羅三郎=源氏
源 義光(よしみつ)
平安時代後期の武将
河内源氏 の2代目棟梁
源頼義の三男
甲斐源氏初代当主
兄 源義家(八幡太郎)
源義綱(賀茂次郎)
近江国の
新羅明神(大津 三井寺 新羅善神堂)
で元服し
新羅三郎 (しんらさぶろう)
と称した
源 義家(よしいえ)
八幡太郎の通称
鎌倉幕府を開いた源頼朝
室町幕府を開いた足利尊
などの祖先
比叡山等の強訴に際し
鎮圧や
白河天皇の行幸の護衛
陸奥国守
清原氏の内紛に介入し
「後三年の役」を起こし
朝廷に事後承認を求め
その後約10年間
逼塞状態だったが
白河法皇
の意向で院昇殿を許された
七歳の春
山城国
石清水八幡宮で元服し
八幡太郎と称す
宇佐神宮
全国4万社あまりの
八幡様の総本宮
八幡大神(応神天皇)
比売大神
神功皇后
が祭神
神亀二年 創建(725年)
725年
行基 淀川(山城国山崎-橋本間)
に山崎橋を架ける
唐 玄宗皇帝
泰山で封禅の儀
誕生 懐素 唐代の書家・僧
養老八年-神亀元年
皇紀1384年
神亀(ジンキ・シンキ・神󠄀龜)
年号
724年 甲子年
唐 開元 12年
渤海 仁安 5年
新羅 聖徳王 23年・・・聖徳王?

3月3日(神亀元年二月四日)
元正天皇 譲位
第45代天皇
聖武天皇即位
吉備内親王が二品に叙
陸奥国に多賀城築城
誕生
開成 奈良時代の僧
藤原浜成 奈良時代の歌人
死去
6月30日(神亀元年六月六日)
巨勢邑治
8月 6日(神亀元年七月十三日)
大蕤娘 天武天皇夫人
蕤=艹+甤
艹+豕+生
甤=草木の実が垂れ下がるさま
生子之多
莫若豕也
「不若=~にしかず」
「莫若=~にしくはなし」・比較
異体字「蕤 苼 㽔」
ズイ・ニ・ソウ・ショウ・スイピン・イン
草木の実が垂れ下がり
花の垂れ下がるさま
垂れ飾り
drooping leaves
fringe soft, delicate
「fringe=肩掛け・すそなどの房べり
房飾り
婦人の額ぎわの切り下げ前髪
動植物の房毛
へり・外べり・外辺・周辺
初歩・二次的なもの」
frɪndʒ=フリンジ=Fringe
ひもや織物の端の糸を
かがったり束ねたりした房飾り
不倫示(自・時・事・亊・似=邦字
爾・邇・兒・児・兕・尼・巳)
褒姒(ホウジ)
西周の幽王(紀元前782年~紀元前771年)
の2番目の后
傾城(形声)の
美女(卑-如・汝・鋤・所・書・序)
↓↑
末喜・妲己・褒姒・息嬀
夏姫・西施・趙飛燕・趙合徳
潘玉児・馮小憐・楊貴妃・陳円円
額田王・藤原薬子・常磐御前
阿野廉子・日野富子・淀殿
↓↑
神亀(ジンキ・シンキ・神󠄀龜)・・・訊記・新記?
724年
~
729年
天皇 聖武天皇
ー↓↑ー
爰=爫+一+友
爫+一+又
エン
かえる・取りかえる
ここ・ここに・そこに・それで
ここにおいて
ゆるい・ゆるやか・ゆったりしたさま
媛=女+爰=姫(ひめ)
猨=犭+爰=猿(さる)
援=扌+爰=たすける=援助・救援・援護
ー↓↑ー
妲己(ダッキ・Dájǐ)
・・・女+旦+己(ム=私・邪=蛇)
己・・・巳=它=宀+ヒ
蛇+姫(姬・姬・㚦・👸・比米)=ダッキ
ー↓↑ー
殷王朝末期(紀元前11世紀ごろ)
帝辛(紂王)の妃
帝辛に寵愛
ー↓↑
末喜(マッキ・バッキ)
などと共に悪女の代名詞的存在
ー↓↑
「有蘇氏」の娘
有-蘇-我?
蘇+我氏
ー↓↑ー ↓↑ー
蘇定方=蘇 定方(ソ テイホウ)
592年~667年・唐の軍人・名は烈・字は定方
本貫は「冀州-武邑-県」
蘇邕の子
隋末
蘇邕は郷里の数千人を率いて叛乱の討伐
定方は15歳で父の下で従軍
蘇邕が死去し
その部衆を引き継ぎ
劇県の叛乱軍の
張金称・楊公卿
らを撃破
後に
「竇建徳」の麾下の部将の
「高雅賢」の養子となり
「高雅賢」と「劉黒闥」が死ぬと
郷里に帰った
唐の貞観初年
匡道府折衝
「李靖」の下で
「突厥」攻撃の先鋒
霧の中で
「牙帳」・・・「帳幕(ゲル)=天幕」・陣地?
を襲撃し
突厥の
「頡利可汗」
は逃亡
李靖が到着すると
突厥の一党は降伏
凱旋し
左武候中郎将に任ぜられた
永徽年間に左衛勲一府中郎将
「程名振」・・・程(ほど)の名を振る?
とともに高句麗を攻撃
撃破
右屯衛将軍に任ぜられ
臨清県公に封ぜられた
顕慶元年(656年)
「程知節」・・・程(ほど)を知る節(ふし)?
に従って前軍総管を務め
「阿史那(あしな)-賀魯(ガロ)」
を攻撃し、鷹娑川にいたった
「阿史那-賀魯」
が2万騎を率いて対陣すると
「蘇定方」は
総管の
「蘇海政」・・・ヨミガエる海のマツリゴト?
読み替える瀛(宇美・生み)
とともに連戦
突厥の別部の
「鼠尼施」
・・・鼠(ねずみ)の尼(あま)に施せ
移鼠=イエスのアマ=尸のヒを
らが2万騎を率いて敵方に来援
定方は騎兵の精鋭500を率い
山嶺を越えて敵陣に討ち入り撃破
唐の軍中では副大総管の
「王文度」
・・・王の文を度(はかる)・渡り?
が深入りを諫めたが
定方は追撃を主張
「程知節」
が
「怛篤城」
怛=いたむ・かなしむ・うれえる
篤=あつい・手厚い・人情が厚い
モッパラである=鵙原・百舌鳥原?
病気が重い
にいたり
胡人・・・えびす=恵比寿・蛭子・夷・戎
を降伏させると
「王文度」
は
「降胡」
・・・降伏のエビス(胡・夷・戎・蛭子)?
を殺して財貨を奪うことを主張
定方はこれに反対
「王文度」は財貨を分配したが
定方はこれを拒否
高宗は
「程知節」
らが帰還した後
「王文度」
を庶民に落とした
↓↑
・・・「大化の改新(645年・六百四拾五ネン)」
「蘇我入鹿・蘇我蝦夷」
のその後の経緯(いきさつ)
・・・我(ガ)=吾(ゴ)、よみがえる
賀 語 読み替える?
↓↑
顕慶二年(657年)
定方は伊麗道行軍大総管
「阿史那-賀魯」
を攻撃
「任雅相」・・・任(まかす)
雅(からす)の
相=相似?
と
「回紇」・・・回す糸を乞う⇔乞食=古事記?
の
「婆閏」・・・波の女は
閏(閠・䦞)=ジュン・うるう
余(あま)りの月日(解譯比)
海女 里
潤年の日数、月数が多いこと
正統ではない
正統でない位?
が副大総管
定方は
アルタイ山(金山・鷲山=倭史?)
纂(讃・簒)
の
アルタイル(Altair )
わし(鷲)座α星(Alpha Aquilae)
・・・阿留臺
(俀・妥・拿・蛇・媠)+意(委・異・亥)
意・異の纂
↓↑
隋書俀国伝 耶摩体
都於邪靡堆
則魏志所謂
邪馬臺者也
古云去
樂浪郡境 及 帶方郡
並一萬二千里
在 會稽之東
與 儋耳 相近
阿毎王朝=阿輩雞彌
↓↑
アルタイ山の
北に出て
「処木昆部」
・・・書紀(記)昆部(分・武)?
を撃破
俟・・・シ・まつ(待つ)
人や機会を待つ
たよりにする
立ち止まる
斤=おの・キン・斧・小野・己・𨨞
の
「嬾独禄」
嬾=女+頼=孏・孄・㦨
ラン・おこたる・ものうい
なまける
=懶=忄+賴
忄+束+刀+貝
忄+束+負
忄+束+⺈+貝
ものうい・だるい・けだるい
独=犭+中+ム=獨=犭+罒+勹+中+ム
禄=ネ+录
示+录
礻+彐+氺
示+彐+氺
祿=示+彔
礻+彔
示+彑+氺
礻+彑+氺
↓↑
を降し
麾下の1000騎と
回紇の1万人を率いて
曳咥河に進軍し
「阿史那-賀魯」の大軍と会戦
「五弩失畢」
・・・五=ゴ・いつ
弩=ド=奴+弓・・・奴國の弓
失=シツ=𠂉+ー+人
畢=田+卅+ー+十
ヒツ
終わる・終える
ことごと(悉く・尽く・儘く)
完全に・みな・全て
あみ(網)・柄のついた網
二十八宿の一
あめふりぼし
畢竟(ヒッキョウ)
=究極・至極・最終
結局・つまるところ
就中
が部族こぞって唐に降伏
「阿史那-賀魯」と
「処木昆」の
「屈律啜」
・・・屈(かがむ=僂)=屍+出
律=彳+聿
啜=すすり泣く
いつまでも
喋りつづける
は西方に逃走
定方は副将の
「蕭嗣業」
・・・蕭=艹+肅
艹+肀+片+一+爿
よもぎ(蓬生・艾)=与模擬
つつしむ=謹む・包詞務
䔥=萧
嗣=口+冊+司
業=なりわい
=わざ=伎・技・生業・しのぎ?
と回紇の
「婆閏」に
「邪羅斯」川・・・「邪=横島」の
編は
其+斤=小野の選?
に向かわせて追撃
定方と
「任雅相」
は後詰めに続いた
大雪にあったが・・・臺の説?
強引に兵を
雙河
まで進め
「阿史那-彌射」
「阿史那-歩真」
の軍と合流して
「阿史那-賀魯」
の陣に迫り
これを襲撃して破り
「阿史那-賀魯」は
「石国」
・・・石狩国 (いしかりのくに)=北海道
大宝律令 国郡里制を踏襲し
戊辰戦争(箱館戦争)
終結直後に制定された
別称は「石州 (セキシュウ)」
or 「石見國」
に逃れたが
「阿史那-彌射」
・・・彌(镾・あまねし)を
射(うつ)
の子の
「阿史那-元爽」
・・・元を
爽=大+㸚・・・爽快
大+爻
大+㐅+乂
大+㸚
大+㐅+丿+丶
ソウ・ショウ
あきらか・明るい
夜明けの明るさ
さわやか・すがすがしい
たがう・たがえる
間違える・誤る・違反する
傷つく・損なう・失う
ばらばらになる
が
「蕭嗣業」と合流し
「阿史那-賀魯」を捕縛
唐の勢力圏は中央アジアに広がり
定方は
左驍衛大将軍に任ぜられ
邢国公に封ぜられ
子の
「蘇慶節」も
「武邑県」公・・・武の邑を懸ける公
に封ぜられた
顕慶四年(659年)
「思結闕俟斤-都曼」
思=史・詞・私・田(かり)の心(思い)
結=糸を結び拾い一(はじめ)の口
闕=文を欠く
俟=人は横島のカミサシの壹の人
斤=おの=小野は
都=ト=譯=訳
曼=日+罒+又
卑を編む者?
が諸部を扇動し
疏勒・朱倶波・渇槃陀の三カ国が
唐に叛き
定方は
安撫大使
となって討伐
葉葉水
にいたり
都曼が
馬頭川を守り
定方は歩兵の精鋭1万と騎兵3000を選抜し
都曼の陣の前に現れ
都曼は戦うこともなく城に逃げ込み
窮迫して、自らを縛って降伏
パミール高原・・・葉を見意留巧言?
より西の地方も
唐の勢力圏に入った
定方が捕虜を
乾=戌亥
陽=邑の卑のーの勹の〃
殿=デン=伝・傳
に献上すると
邢州
鉅鹿県の三百戸の食邑を加えられ
左武衛大将軍に転じた
顕慶五年(660年)・・・百済滅亡
↓↑
顕(あら)わす
慶(応)の
語撚(六百六拾=亠+ハ+ー+ノ+日+陸を拾う?
熊津道大総管
軍を率いて
百済征討
城山から海をわたって
熊津口に上陸
沿岸の百済軍を撃破し
真都城・・・新譯条?
に進軍し
百済の主力に勝利
百済王
「扶余-義慈」・・・附与-疑似・擬似
太子の
「扶余隆」・・・・附与-西郷の「隆」を盛る
は北方に逃走
定方が
泗沘城
を包囲すると
「扶余-義慈」の子の
「扶余-泰」・・・やすい=妥・哉諏意?
が自立して王を称し
抗戦を続けようとしたが
「扶余-義慈」
は開門して降伏
百済の将軍の
「禰植」
・・・禰(ネ・デイ)・禰宜=神官
かたしろ・みたまや
父のおたまや=父親の霊廟
戦争に持っていく位牌
爾=一+八+冂+丨+㸚
一+八+冂+丨+爻
=尓=𠂉+小(ハ+亅)
=尒=𠆢+小(ハ+亅)
=尔=ノ+⺂+小(ハ+亅)
ジ・ニ
その
なんじ・おまえ・あなた
二人称の代名詞
その・それ・この・これ・ここ・かれ
指示代名詞
しかり・しかく・かくのごとし
そのとおりである
「のみ・~だけ」の意
他の語の下に添えて、状態を表す
と
「扶余-義慈」
は唐軍に降伏
「扶余-泰」
も捕縛
「扶余-義慈」
「扶余-隆」
「扶余-泰」
は東都洛陽に送られた
定方
は三カ国を滅ぼし
子の
「蘇慶節」
は
尚輦奉御の位を加えられ
定方は
遼東道行軍大総管
平壌道行軍大総管
に転じた
高句麗の軍を
「浿(ハイ)江=浿水」
で破り
「馬邑山」の敵営を落とし
平壌を包囲したが
大雪で包囲を解いて帰還
涼州安集大使に任ぜられ
「吐蕃」や「吐谷渾」とも戦った
乾封二年(667年)
76歳で死去
左驍衛大将軍・幽州都督の位を追贈
諡 荘
ー↓↑ー
妲己(ダッキ・Dájǐ)は
「有蘇」氏の娘として生まれた
『国語』では
帝辛が
「有蘇」氏
を討った際に献上したのが
「妲己」で
己 姓
妲 字
(女性は字を先に
姓を後に書いた)
『史記・殷本紀』・・・殷(イン・アン
雷鳴・獅子の咆哮)
「妲己」は「帝辛」に寵愛され
「師涓」
に新淫の声
「北鄙の舞・靡靡の楽」
を作らせ
賦税を厚くして
鹿台に銭をたくわえ
鉅橋に粟を満たし
狗馬・奇物を収めて宮室いっぱいにした
沙丘の苑台を拡張し
野獣蜚鳥をその中に置き
鬼神・・・「鬼道」は「卑弥呼の政祭の道」
をあなどり
沙丘に大勢の者を集めて楽しみ戯れた
酒をそそいで池とし
肉を掛けて林とし(酒池肉林)
男女を裸にして互いに追いかけさせ
長夜の飲をなした
後
妲己は周によって攻められた際に
武王により殺された
『列女伝』巻7孽嬖伝
殷紂 妲己
「炮烙の法」
を見て妲己が笑った
「比干」が
「先王の典法をおさめずに
婦人の言を用いていれば
禍のいたる日も近いでしょう」
と諫めた
「妲己」は
「聖人の心臓に七つの穴があると
私は聞いております」
と答え
「比干の心臓」を取り出させて観賞した
「紂王」が自殺すると
「妲己」は
「武王」によって首を斬られ
「小白旗」に掛けられ
「紂を亡ぼす者はこの女なり」
と評論
『漢書』外戚列伝の「顔師古」注
「弁辞をよく好み
姦を究めること盛んにした
その言を帝辛が用いて民を苦しめた」
妲己伝説
妲己(狐狸精)
「全相平話」
元代の歴史講談小説
の一節
「武王伐紂平話」の中で
妲己がキツネのなりかわり
「千字文」の
「殷の紂王(紀元前11世紀頃)を誘惑し
国を傾けた妲己は
九尾狐であると指摘」
明代の「封神演義」
「妲己を九尾狐の精」
としている
『封神演義』
「九尾狐狸精(キュウビコリセイ)」
として登場し
「殷周革命」を実現させるために遣わされた
「冀州侯蘇護の娘、蘇妲己(ソ ダッキ)」
の魂を奪って妲己になりすまし
紂王を堕落させて殷を滅ぼした
「胡喜媚」は
「九頭雉鶏精(きゅうとうちけいせい)」
「王貴人」は
「玉石琵琶精(ぎょくせきびわせい)」
が正体であり
「雉(記事)」の妖怪と
「琵琶(枇杷・卑話)」の妖怪が化けたもの・・・
葛飾北斎画『北斎漫画』
「殷の妲己」
九尾の狐が化けた姿の絵
「玉藻前伝説」と結び付けられ
天竺の華陽夫人
周の褒姒
と共に
「玉藻前」の前歴
『妲己のお百』
「お百」
京都九条通の
賤家の生まれで
美貌の持ち主
14歳で祇園中村屋の遊女となり
「鴻池善右衛門」に身請けされ
江戸役者
「津打友蔵」と姦通し
江戸に下り
友蔵の死後
新吉原の
「尾張屋清十郎」の女房となり
佐竹家の臣
「那河忠左衛門」の妾となり
名を「りつ」と改めた
「那河忠左衛門」
は旧名が
「那加采女」
で、秋田騒動の中心人物として
宝暦七年(西暦1757年)六月処刑
「お百」
は奉公人であるとして「おとがめ」なく
江戸に出て
高間騒動の
「高間磯右衛門」の妾となった
その間男性を殺害すること5たび
宝暦年間の退廃期を代表
ー↓↑ー
末喜(バッキ・マッキ)
夏王朝の最後の帝
桀(ケツ)の妃の一人
「妺喜・末嬉・妺嬉」とも記録
「妺(バツ)」
と
「妹(マイ)」
の混同表記も存在
山東の
「有施氏」の娘
桀が「有施氏」を討った際に
降伏のしるしとして献上
絶世の美女といわれ
妃とされて愛された
剣や冠を装備して宮殿に参内し
桀は寵姫に溺れた悪王
殷の帝辛(紂王)とともに
「夏桀殷紂」(カケツインチュウ)
称される
末喜の願いに応え
桀は
瑤台(ヨウダイ)
傾宮(ケイキュウ)
という巨大な宮殿を建て
落成祝いに大規模の宴会
祝宴では
池に酒を満たして
樹々に肉を吊るした
「酒池肉林」・「肉山脯林」
末喜が絹を裂く音を好み
高価な絹が集められ
つぎつぎと音を聴かせるためだけに
引き裂かれた
桀は
この行いを諫めた賢臣
「関龍逢」
を殺し
家臣の
「伊尹」
もこの行いを批判し
「湯王」のもとへ帰った
↓↑
殷(商)の
「湯王」
は夏王朝を滅ぼし
「桀」と「末喜」は
鳴条、南巣へと落ちのびた
↓↑
殷の紂王の妃・妲己
西周の幽王の妃・褒姒
のエピソードと酷似
歴史書『国語』
「昔夏の桀が有施を伐った際
桀は有施人の妺喜を妃とし
妺喜に溺れた
そのため
伊尹に夏は亡ぼされた」
・・・伊尹(医員・意囙=意因・異音)
伊藤博文?
↓↑
⛩️
応神天皇・・・ダレ・・・?
来人を用いて国家を発展させた
中世以降
軍神八幡神として信奉
誉田別尊(ほむたわけのみこと)=本拿分見事?
・・・ツヅク・・・
ー↓↑ーー
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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