「め・で・たき・もの」・・・「め=目・眼・芽・雌・痲・女・メ」・・・「で=出・弟・デ」→「て(氐・弖)+〃」、「テ+″」・・・「たき=瀧・滝・多気・多岐・多伎・多紀・タキ」、「炊き・焚き」、「他記・多記・太記」・・・「もの=物・者・モノ」、「摸廼・模埜・裳之・藻之・茂野・母之・喪乃・毛野」・・・「の=ノ」は、「め=の+\」、「ぬ=め+α」、「あ=一+め・の+十」、「お=の+弋」、「ゐ=フ+の+α」などの「原形」に思えるのだが・・・「め」が「女(おんな・おなご)=め=メ」の漢字の「崩(くづし)字」ならば、「ぬ=ヌ→又」で、「奴=女+又」の意味も字形から理解できるであろう・・・かな・・・
「女=ニョ」ならば「女の印(記=キ・証=あかし)」で、「如印」で「女御・女院」は「如=女+口の印」、「女陰(ほと)」は古語で「外陰部・御陰、陰所、女陰」である・・・「ほと(女陰)に麦」、「次於陰所成名、闇山津見」、「天服織女見驚而、於梭衝陰上而死」・・・訓の「陰」、上に云うは「富登(ほと・フト・とみのぼる)=美蕃登」・・・「ほと(女陰)に麦(むぎ・バク)が生える」とは・・・「古事記」だが・・・類似は大き目の「二枚貝」だろう・・・
「バク(獏)」、 実在動物(tapir・Tapirus spp)と、空想動物 (mythological Chinese chimera similar to a tapir, said to devour bad dreams )の、二種類・・・「奇蹄目バク科の哺乳類」、「空想上のバクは身体は熊、鼻は象、目は犀(サイ)に、脚は虎、尾は牛で、人の悪夢を貪り食う」・・・「バグ(Bug)」ならば英語で「虫(成虫)」で、ボクの不具合なコンピュータプログラム・・・
1916年にウィンクラーH.Winklerが「トマト」と「イヌホオズキ」の間で実験的に作りだした接木体をキメラとヨンだ・・・合体植物・・・?・・・
・・・配偶者(オンナ)を得ずして、しかも「オトコ」である「伊邪那伎(岐)命」が自分の「目」と「鼻」から三人の子供を産んだ・・・遺伝子操作のクローン人間は「目の細胞=おんな」か、「鼻の細胞=おとこ」から形成された・・・なぜか、「耳」とか「口」ではない・・・しかも同一性のクローンではない「男女両性」の発生である・・・「陰(ほと)」を有する「大宜津比賣=大氣都比賣=大氣津比賣」は女性だろう・・・?・・・もちろん、「月の女神=月暦の女神」である・・・「都の大氣」と「津(湊・港)の大氣」で、「津の大宜」である・・・「宜(よろしい・むべ・ギ)」と「宣(のべる・のたまう・セン)」は類字するが異なる漢字である、ナッ・・・「本居宣長」君・・・
宣布・宣言・宣称・宣告・宣旨・宣告・宣下・宣伝
機宜・時宜・辞宜・適宜・便宜・宜乎(うべなるかな)、禰宜(ねぎ)坊主・・・
ーー↓古事記字源の「陰=ほと=富登」
於是、八百萬、共議而、於速須佐之男命、負千位置戸、亦、切鬚、及、手足爪、令拔而、夜良比、夜良比岐
又、食物乞、大氣津比賣。爾大氣都比賣、自鼻口及尻、種種味物取出而、種種作具而進時、速須佐之男命、立伺其態、爲穢汚而奉進、
乃、殺、其、大宜津比賣。
故、所殺、於身生物者、於頭生蠶、於二目(に)生稻種、於二耳(に)生粟、於鼻生小豆、於「陰(に)生麥」、於尻(に)生大豆。
故是、產巢日御祖命、令取茲、成種。
ーー
之=の・これ・シ
乃=の・すなわち・なんじ・ダイ・ナイ
能=の・あたう・よく・ボウ・ドウ
野=の・ヤ
廼=の・すなわち・ダイ・ナイ
埜=の・ヤ・ショ
ーーー↓
「埜」の類字は
梺=麓・ふもと・レイ
婪=貪・むさぼる・ラン
梦=夢・ゆめ・ム・ボウ
梵=ボン・ハン
焚=たく・ブン・フン
楚=いばら・しもと・ソ・ショ
禁=とどめる・キン・コン
樷=むらがる・ソウ
林を含む類字は
歴=磿
暦=こよみ
麿=まろ
磨=みがく・とぐ・マ・バ
靡=なびく・ビ・ミ・・・隋書俀人伝・邪靡堆国
縻=きづな・つなぐ・ビ・ミ
糜=かゆ・ただれる・ビ・ミ
魔=おに・マ・バ
鬼+麻、
「麻(あさ)」はしびれ(麻痺)させる効能
シビレさせ、正気でなくさせる「鬼=霊魂」
サンスクリット語のマーラの音訳
魔羅(まら)の省略語
仏道の修行や人が行う善事を妨害する者
欲界の衆生の一
第六天の
他化自在天に魔王
魔王
波旬が娘を派遣して
釈迦の心を乱そうとした
睡魔などの十二の軍勢を送った
仏教の修行者の煩悩の元は
陰茎(マラ)・・・男根の隠語・・・
排泄を意味する
古語動詞「まる」が名詞化したものとの説・・・
もあるらしい・・・
ーー↓
然後、還坐之時、
生
吉備兒嶋。亦名謂、建日方別。
次生
小豆嶋。亦名謂、大野手上比賣。
次生
大嶋。亦名謂、大多麻上流別。
自多至流以音。音→タマジョウリュウ
次生
女嶋。亦名謂、天一根。
訓天如天→訓→あま・あめ
次生
知訶嶋。亦名謂、天之忍男。
次生
兩兒嶋。亦名謂、天兩屋。
自、吉備兒嶋至天兩屋嶋
幷、六嶋。
既生國竟、更生。
故、
生名、
大事忍男。
次生
石土毘古、
訓石云伊波→訓はいわ・
亦毘古二字以音→音はビコ。
下效此也。
次生
石巢比賣、
次生
大戸日別、
次生
天之吹上男、
次生
大屋毘古、
次生
風木津別之忍男、
訓風云加邪→訓はカゼ
訓木以音→音はボク・モク
次生
海、名、大綿津見、
次生
水戸、名速秋津日子、
次妹
速秋津比賣。
自、大事忍男、至、秋津比賣、
幷十。
此
速秋津日子、速秋津比賣二、
因
河海持別而、
生名、
沫那藝、
那藝二字以音→音はナゲ・ナギ
下效此。
次
沫那美、
那美二字以音→音はナミ
下效此。
次
頰那藝、
次
頰那美、
次
天之水分、
訓分云久麻理→訓はクマリ
下效此。
次
國之水分、
次
天之久比奢母智、
自久以下五字以音→音はヒシャモチ
奢=シャ.おごる・おごり.
奢侈(シャシ)
下效此。
次
國之久比奢母智。
自、沫那藝、至、國之久比奢母智、
幷八。
次生
風、
名
志那都比古、
此名以音→音はシナトヒコ
次生
木、
名
久久能智、
此名以音→音はククノウチ
次生
山、
名
大山上津見、
次生
野、
名
鹿屋野比賣。
亦名
謂
野椎。
自
志那都比古
至
野椎、
幷四。
此
大山津見、
野椎二、
因
山野
持別而、
生
名、
天之狹土、
訓土云豆知→訓はマメシル
下效此。
次
國之狹土、
次
天之狹霧、
次
國之狹霧、
次
天之闇戸、
次
國之闇戸、
次
大戸惑子、
訓惑云麻刀比→訓はマドイ
下效此。
次
大戸惑女。
自
天之狹土
至
大戸惑女、
幷八也。
次生
名、
鳥之石楠船、
亦名謂
天鳥船。
次生
大宜都比賣。
此名以音。音はダイセントヒメ
次生
火之夜藝速男。
夜藝二字以音→音はヤゲイ
亦名謂
火之毘古、
亦名謂
火之迦具土。
迦具二字以音→音はカグ
因
生
此子、
美蕃登
此三字以音→ミバントウ
見炙
而
病
臥在。
多具理邇
此四字以音→音はタグリジ
生名、
金山毘古、
訓金云迦那→訓はカナ
下效此。
次
金山毘賣。
次
於
屎成
名、
波邇夜須毘古、
此名以音→音はハジ(ニ)ヤスビコ
次
波邇夜須毘賣。
此名亦以音。
次
於
尿成
名、
彌都波能賣、
次
和久產巢日。
此之子、
謂
豐宇氣毘賣。
自宇以下四字以音→キビバイシン。
故、
伊邪那美
者、
因
生火、
遂
避坐也。
自
天鳥船
至
豐宇氣毘賣、
幷八。
ーー↓
凡
伊邪那岐、
伊邪那美
二、
共
所生
↓
嶋
壹拾肆嶋、・・・14嶋
參拾伍。・・・35神
是
伊邪那美、
未
避
以前
所生。
↓
数に入れない嶋
↓
唯
意能碁呂嶋者、・・・オノゴロ嶋
意能碁呂嶋=イノウゴロトウ
伊能 語呂等(問)
伊能 忠敬
ーーーーーーーーーーーー↓
伊能忠敬(いのう ただたか)=神保三治郎
延享二年一月十一日(1745年2月11日)
~
文化十五年四月十三日(1818年5月17日)
神保貞恒の
次男として・・・?・・・三人「兄姉弟」の末っ子
上総国
山辺郡
小関村(千葉県山武郡九十九里町小関)の
名主
小関五郎左衛門家で生まれる
↓
神保貞恒(父親)は
小関五郎左衛門の娘(母親・みね)の
婿養子で母親(みね)が死亡後
父親は実家の
武射郡
小堤村の神保家に戻る
↓
その後父親に引き取られ
小関三治郎から
神保三治郎になる
幼名は三治郎
16歳に
佐忠太と名乗る
通称は三郎右衛門、勘解由(かげゆ)
宝暦十二年(1762年)
十八歳
多古町南中(香取郡南中村)の
平山藤左衛門の目に留まり、
佐忠太は、一旦
平山藤左衛門の養子となり、
下総国
香取郡
佐原村の
酒造業の
伊能家の娘「達(みち)」と結婚
「達(みち)」は先夫
景茂と死別し、24歳の再婚
↓
伊能三郎右衛門忠敬
天明三年(1783年)
浅間山の大噴火
大雨による利根川氾濫
「天明の大飢饉」へと
45歳
二番目の妻
「信(のぶ)」は難産で死没
↓
50歳
忠敬は家督を長子
景敬に譲る
寛政九年(1797年)には、
子午線経過の白昼の金星を観測
寛政十二年(1800年)
五十六歳
忠敬の子の
秀蔵も随伴し
第一次測量を蝦夷地(北海道)から開始
~
文化十三年(1816年)まで、
足かけ
十七年をかけて全国を測量し
文政四年(1821年)没後
「大日本沿海輿地全図」完成し、
その三ヶ月後に喪を公表された
明治十六年(1883年)贈正四位
ーー↓
古事記原文の「二行の割注」記事の
「姪子」
と、「古事記原文」の前文にある
「水蛭子」は「文字」が異なっている
↓
是伊邪那美、未避以前所生。
唯意能碁呂嶋者、非所生。
亦
姪子・・・・・・・・・水蛭子↓
與淡嶋、不入子之例也。
ーー↓
者、
非所生。
亦
姪子・・・?・・水蛭子
興而生子、水蛭子。此子者入葦船而流去。
次生淡嶋。是亦不入子之例。
蛭(ひる・シツ・テツ)子
蒜(ひる・のびる・サン)子
↓↑
姪(めい・テツ・デチ)子
?↓ 誤字か?意図的か?
ヒルコ→「姪孫(テッソン)」
姪=女+至(一ム十一)
姪(めい・テツ・デチ)の子
傍系三親等の親族で、
兄弟姉妹の
娘を指す
與(と・ヨ・与)
淡嶋、・・・・・アワ嶋→「淡(あわい・タン)」嶋
↓↑ タントウ→担当・丹等・単等・反等
不入
子
之
例也。
ーー↓
於是
洗
左御目時、
所成
名、
天照大御。
次洗
右御目時、
所成
名、
月讀命。
次洗
御鼻時、
所成
名、
建速須佐之男命。
須佐二字以音→音はスサ
右件
八十禍津日
以下、
速須佐之男命以前、
十四柱者、
因
滌御身所
生者也。
此時
伊邪那伎命、大歡喜詔、吾者生生子而、
於生終得
三貴子、
卽其
御頸珠之玉
母由良邇
此四字以音→音はボユウラジ(リョウニ)
下效此。・・・「效」=学ぶ・倣う・真似る・則る
致す・授ける・呈する
発揮する・現す・効き目
いさおし
「効」は俗字で、正字は「效」
「説文解字・巻三」に
「象るなり」とある
校と通じて、「試す」
下效此→下は此れに
效(ならう・まねる・したがう)の意味?
効(效)験あらたか・効き目・効力
甲斐は文字道理の「甲+斐」
甲=木星・歳星→差異性→太歳星→対歳星
斐=非+文=ヒ・うつくしい・あや
あきらか・なびく(靡)
文に非ず→情景・状景→音声・音楽
ーー↓
取由良迦志而、
賜
天照大御
而詔之、
汝命者、所知
高天原矣、
事依而賜也。
故、
其
御頸珠名、
謂
御倉板擧之。
訓板擧云多那→訓はタナ
次詔
月讀命、
汝命者、
所知
夜之食國矣、
事依也。
訓食云袁須→訓はオス
次詔
建速須佐之男命、
汝命者、
所知
海原矣、
事依也。
ーー↓
故、
各
隨
依
賜之命、
所知
看之中、
速須佐之男命、
不知所
命之國而、
八拳須至于心前、
啼
伊佐知伎也。
自伊下四字以音。→音はサチキヤ
下效此。
其泣狀者、
青山
如
枯
山
泣
枯、
河海者
悉泣乾。
是以
惡
之
音、
如
狹蠅
皆滿、
萬物之
妖悉發。
故、
伊邪那岐
大御、
詔
速須佐之男命、
何由以、
汝
不治
所事
依
之
國而、・・・語句字
哭
伊佐知流。
爾答白、
僕者欲
罷
妣國根之堅洲國。
故哭。
爾
伊邪那岐
大御
大忿怒
詔、
然者
汝
不可住
此國、
乃
夜良比爾
夜良比
賜也。
自夜以下七字以音→音はヤラヒニ(ジ)、ヤラヒ
故、其
伊邪那岐
大者、
坐
淡海
之
多賀
也。
ーーーーー
次ページの「枕草子」に「145段」につづく
「女=ニョ」ならば「女の印(記=キ・証=あかし)」で、「如印」で「女御・女院」は「如=女+口の印」、「女陰(ほと)」は古語で「外陰部・御陰、陰所、女陰」である・・・「ほと(女陰)に麦」、「次於陰所成名、闇山津見」、「天服織女見驚而、於梭衝陰上而死」・・・訓の「陰」、上に云うは「富登(ほと・フト・とみのぼる)=美蕃登」・・・「ほと(女陰)に麦(むぎ・バク)が生える」とは・・・「古事記」だが・・・類似は大き目の「二枚貝」だろう・・・
「バク(獏)」、 実在動物(tapir・Tapirus spp)と、空想動物 (mythological Chinese chimera similar to a tapir, said to devour bad dreams )の、二種類・・・「奇蹄目バク科の哺乳類」、「空想上のバクは身体は熊、鼻は象、目は犀(サイ)に、脚は虎、尾は牛で、人の悪夢を貪り食う」・・・「バグ(Bug)」ならば英語で「虫(成虫)」で、ボクの不具合なコンピュータプログラム・・・
1916年にウィンクラーH.Winklerが「トマト」と「イヌホオズキ」の間で実験的に作りだした接木体をキメラとヨンだ・・・合体植物・・・?・・・
・・・配偶者(オンナ)を得ずして、しかも「オトコ」である「伊邪那伎(岐)命」が自分の「目」と「鼻」から三人の子供を産んだ・・・遺伝子操作のクローン人間は「目の細胞=おんな」か、「鼻の細胞=おとこ」から形成された・・・なぜか、「耳」とか「口」ではない・・・しかも同一性のクローンではない「男女両性」の発生である・・・「陰(ほと)」を有する「大宜津比賣=大氣都比賣=大氣津比賣」は女性だろう・・・?・・・もちろん、「月の女神=月暦の女神」である・・・「都の大氣」と「津(湊・港)の大氣」で、「津の大宜」である・・・「宜(よろしい・むべ・ギ)」と「宣(のべる・のたまう・セン)」は類字するが異なる漢字である、ナッ・・・「本居宣長」君・・・
宣布・宣言・宣称・宣告・宣旨・宣告・宣下・宣伝
機宜・時宜・辞宜・適宜・便宜・宜乎(うべなるかな)、禰宜(ねぎ)坊主・・・
ーー↓古事記字源の「陰=ほと=富登」
於是、八百萬、共議而、於速須佐之男命、負千位置戸、亦、切鬚、及、手足爪、令拔而、夜良比、夜良比岐
又、食物乞、大氣津比賣。爾大氣都比賣、自鼻口及尻、種種味物取出而、種種作具而進時、速須佐之男命、立伺其態、爲穢汚而奉進、
乃、殺、其、大宜津比賣。
故、所殺、於身生物者、於頭生蠶、於二目(に)生稻種、於二耳(に)生粟、於鼻生小豆、於「陰(に)生麥」、於尻(に)生大豆。
故是、產巢日御祖命、令取茲、成種。
ーー
之=の・これ・シ
乃=の・すなわち・なんじ・ダイ・ナイ
能=の・あたう・よく・ボウ・ドウ
野=の・ヤ
廼=の・すなわち・ダイ・ナイ
埜=の・ヤ・ショ
ーーー↓
「埜」の類字は
梺=麓・ふもと・レイ
婪=貪・むさぼる・ラン
梦=夢・ゆめ・ム・ボウ
梵=ボン・ハン
焚=たく・ブン・フン
楚=いばら・しもと・ソ・ショ
禁=とどめる・キン・コン
樷=むらがる・ソウ
林を含む類字は
歴=磿
暦=こよみ
麿=まろ
磨=みがく・とぐ・マ・バ
靡=なびく・ビ・ミ・・・隋書俀人伝・邪靡堆国
縻=きづな・つなぐ・ビ・ミ
糜=かゆ・ただれる・ビ・ミ
魔=おに・マ・バ
鬼+麻、
「麻(あさ)」はしびれ(麻痺)させる効能
シビレさせ、正気でなくさせる「鬼=霊魂」
サンスクリット語のマーラの音訳
魔羅(まら)の省略語
仏道の修行や人が行う善事を妨害する者
欲界の衆生の一
第六天の
他化自在天に魔王
魔王
波旬が娘を派遣して
釈迦の心を乱そうとした
睡魔などの十二の軍勢を送った
仏教の修行者の煩悩の元は
陰茎(マラ)・・・男根の隠語・・・
排泄を意味する
古語動詞「まる」が名詞化したものとの説・・・
もあるらしい・・・
ーー↓
然後、還坐之時、
生
吉備兒嶋。亦名謂、建日方別。
次生
小豆嶋。亦名謂、大野手上比賣。
次生
大嶋。亦名謂、大多麻上流別。
自多至流以音。音→タマジョウリュウ
次生
女嶋。亦名謂、天一根。
訓天如天→訓→あま・あめ
次生
知訶嶋。亦名謂、天之忍男。
次生
兩兒嶋。亦名謂、天兩屋。
自、吉備兒嶋至天兩屋嶋
幷、六嶋。
既生國竟、更生。
故、
生名、
大事忍男。
次生
石土毘古、
訓石云伊波→訓はいわ・
亦毘古二字以音→音はビコ。
下效此也。
次生
石巢比賣、
次生
大戸日別、
次生
天之吹上男、
次生
大屋毘古、
次生
風木津別之忍男、
訓風云加邪→訓はカゼ
訓木以音→音はボク・モク
次生
海、名、大綿津見、
次生
水戸、名速秋津日子、
次妹
速秋津比賣。
自、大事忍男、至、秋津比賣、
幷十。
此
速秋津日子、速秋津比賣二、
因
河海持別而、
生名、
沫那藝、
那藝二字以音→音はナゲ・ナギ
下效此。
次
沫那美、
那美二字以音→音はナミ
下效此。
次
頰那藝、
次
頰那美、
次
天之水分、
訓分云久麻理→訓はクマリ
下效此。
次
國之水分、
次
天之久比奢母智、
自久以下五字以音→音はヒシャモチ
奢=シャ.おごる・おごり.
奢侈(シャシ)
下效此。
次
國之久比奢母智。
自、沫那藝、至、國之久比奢母智、
幷八。
次生
風、
名
志那都比古、
此名以音→音はシナトヒコ
次生
木、
名
久久能智、
此名以音→音はククノウチ
次生
山、
名
大山上津見、
次生
野、
名
鹿屋野比賣。
亦名
謂
野椎。
自
志那都比古
至
野椎、
幷四。
此
大山津見、
野椎二、
因
山野
持別而、
生
名、
天之狹土、
訓土云豆知→訓はマメシル
下效此。
次
國之狹土、
次
天之狹霧、
次
國之狹霧、
次
天之闇戸、
次
國之闇戸、
次
大戸惑子、
訓惑云麻刀比→訓はマドイ
下效此。
次
大戸惑女。
自
天之狹土
至
大戸惑女、
幷八也。
次生
名、
鳥之石楠船、
亦名謂
天鳥船。
次生
大宜都比賣。
此名以音。音はダイセントヒメ
次生
火之夜藝速男。
夜藝二字以音→音はヤゲイ
亦名謂
火之毘古、
亦名謂
火之迦具土。
迦具二字以音→音はカグ
因
生
此子、
美蕃登
此三字以音→ミバントウ
見炙
而
病
臥在。
多具理邇
此四字以音→音はタグリジ
生名、
金山毘古、
訓金云迦那→訓はカナ
下效此。
次
金山毘賣。
次
於
屎成
名、
波邇夜須毘古、
此名以音→音はハジ(ニ)ヤスビコ
次
波邇夜須毘賣。
此名亦以音。
次
於
尿成
名、
彌都波能賣、
次
和久產巢日。
此之子、
謂
豐宇氣毘賣。
自宇以下四字以音→キビバイシン。
故、
伊邪那美
者、
因
生火、
遂
避坐也。
自
天鳥船
至
豐宇氣毘賣、
幷八。
ーー↓
凡
伊邪那岐、
伊邪那美
二、
共
所生
↓
嶋
壹拾肆嶋、・・・14嶋
參拾伍。・・・35神
是
伊邪那美、
未
避
以前
所生。
↓
数に入れない嶋
↓
唯
意能碁呂嶋者、・・・オノゴロ嶋
意能碁呂嶋=イノウゴロトウ
伊能 語呂等(問)
伊能 忠敬
ーーーーーーーーーーーー↓
伊能忠敬(いのう ただたか)=神保三治郎
延享二年一月十一日(1745年2月11日)
~
文化十五年四月十三日(1818年5月17日)
神保貞恒の
次男として・・・?・・・三人「兄姉弟」の末っ子
上総国
山辺郡
小関村(千葉県山武郡九十九里町小関)の
名主
小関五郎左衛門家で生まれる
↓
神保貞恒(父親)は
小関五郎左衛門の娘(母親・みね)の
婿養子で母親(みね)が死亡後
父親は実家の
武射郡
小堤村の神保家に戻る
↓
その後父親に引き取られ
小関三治郎から
神保三治郎になる
幼名は三治郎
16歳に
佐忠太と名乗る
通称は三郎右衛門、勘解由(かげゆ)
宝暦十二年(1762年)
十八歳
多古町南中(香取郡南中村)の
平山藤左衛門の目に留まり、
佐忠太は、一旦
平山藤左衛門の養子となり、
下総国
香取郡
佐原村の
酒造業の
伊能家の娘「達(みち)」と結婚
「達(みち)」は先夫
景茂と死別し、24歳の再婚
↓
伊能三郎右衛門忠敬
天明三年(1783年)
浅間山の大噴火
大雨による利根川氾濫
「天明の大飢饉」へと
45歳
二番目の妻
「信(のぶ)」は難産で死没
↓
50歳
忠敬は家督を長子
景敬に譲る
寛政九年(1797年)には、
子午線経過の白昼の金星を観測
寛政十二年(1800年)
五十六歳
忠敬の子の
秀蔵も随伴し
第一次測量を蝦夷地(北海道)から開始
~
文化十三年(1816年)まで、
足かけ
十七年をかけて全国を測量し
文政四年(1821年)没後
「大日本沿海輿地全図」完成し、
その三ヶ月後に喪を公表された
明治十六年(1883年)贈正四位
ーー↓
古事記原文の「二行の割注」記事の
「姪子」
と、「古事記原文」の前文にある
「水蛭子」は「文字」が異なっている
↓
是伊邪那美、未避以前所生。
唯意能碁呂嶋者、非所生。
亦
姪子・・・・・・・・・水蛭子↓
與淡嶋、不入子之例也。
ーー↓
者、
非所生。
亦
姪子・・・?・・水蛭子
興而生子、水蛭子。此子者入葦船而流去。
次生淡嶋。是亦不入子之例。
蛭(ひる・シツ・テツ)子
蒜(ひる・のびる・サン)子
↓↑
姪(めい・テツ・デチ)子
?↓ 誤字か?意図的か?
ヒルコ→「姪孫(テッソン)」
姪=女+至(一ム十一)
姪(めい・テツ・デチ)の子
傍系三親等の親族で、
兄弟姉妹の
娘を指す
與(と・ヨ・与)
淡嶋、・・・・・アワ嶋→「淡(あわい・タン)」嶋
↓↑ タントウ→担当・丹等・単等・反等
不入
子
之
例也。
ーー↓
於是
洗
左御目時、
所成
名、
天照大御。
次洗
右御目時、
所成
名、
月讀命。
次洗
御鼻時、
所成
名、
建速須佐之男命。
須佐二字以音→音はスサ
右件
八十禍津日
以下、
速須佐之男命以前、
十四柱者、
因
滌御身所
生者也。
此時
伊邪那伎命、大歡喜詔、吾者生生子而、
於生終得
三貴子、
卽其
御頸珠之玉
母由良邇
此四字以音→音はボユウラジ(リョウニ)
下效此。・・・「效」=学ぶ・倣う・真似る・則る
致す・授ける・呈する
発揮する・現す・効き目
いさおし
「効」は俗字で、正字は「效」
「説文解字・巻三」に
「象るなり」とある
校と通じて、「試す」
下效此→下は此れに
效(ならう・まねる・したがう)の意味?
効(效)験あらたか・効き目・効力
甲斐は文字道理の「甲+斐」
甲=木星・歳星→差異性→太歳星→対歳星
斐=非+文=ヒ・うつくしい・あや
あきらか・なびく(靡)
文に非ず→情景・状景→音声・音楽
ーー↓
取由良迦志而、
賜
天照大御
而詔之、
汝命者、所知
高天原矣、
事依而賜也。
故、
其
御頸珠名、
謂
御倉板擧之。
訓板擧云多那→訓はタナ
次詔
月讀命、
汝命者、
所知
夜之食國矣、
事依也。
訓食云袁須→訓はオス
次詔
建速須佐之男命、
汝命者、
所知
海原矣、
事依也。
ーー↓
故、
各
隨
依
賜之命、
所知
看之中、
速須佐之男命、
不知所
命之國而、
八拳須至于心前、
啼
伊佐知伎也。
自伊下四字以音。→音はサチキヤ
下效此。
其泣狀者、
青山
如
枯
山
泣
枯、
河海者
悉泣乾。
是以
惡
之
音、
如
狹蠅
皆滿、
萬物之
妖悉發。
故、
伊邪那岐
大御、
詔
速須佐之男命、
何由以、
汝
不治
所事
依
之
國而、・・・語句字
哭
伊佐知流。
爾答白、
僕者欲
罷
妣國根之堅洲國。
故哭。
爾
伊邪那岐
大御
大忿怒
詔、
然者
汝
不可住
此國、
乃
夜良比爾
夜良比
賜也。
自夜以下七字以音→音はヤラヒニ(ジ)、ヤラヒ
故、其
伊邪那岐
大者、
坐
淡海
之
多賀
也。
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次ページの「枕草子」に「145段」につづく
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