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コジキジゲン

別なところへ注意をそらす=ミスディレクション(misdirection)

2014-05-05 01:03:40 | 古事記字源

 ・・・そもそも、「後漢書」とは「互換書」ではないのか。「范曄(ハンヨウ・398年~445年)」
が記録した「事象・事件」は確かに「後漢時代のコト」だろう、が、である・・・そして、「漢字音・呉字音・唐字音」は「日本語の音」でのみ、「理解」できる「音」として遺されたのである。そう、多くの「同音異字漢字」として・・・「ゴカン」は「後漢・互換・語感・語幹」、「五感・五官・五巻・五間・五貫・五冠・五款・五館・五缶・五刊」、「後閑」の「ゴ」+「カン」である・・・

 「後閑(ゴカン)駅」は、「群馬県利根郡みなかみ町後閑」にあるらしく上越線の駅で、「みなかみ町月夜野」は、後閑駅の利根川の対岸の群馬県道273号「後閑羽場」線が伸びているらしい・・・

 そもそも「閑(カン)」とは「ひま・しずか・むだ・のんびり」、熟語は「閑暇・閑日月・寸閑・繁閑・有閑・農閑期・閑事業・閑文字・閑散・閑寂・閑静・閑談・安閑」・・・「かんぬき」であり「規範・規則」で、「大不踰閑、小出入可也(論語・子張)」、 ひまで、やるべきことがなく、時間を持て余していることことである・・・「ノチのヒマ」な「人(ニン・ひと)間(ゲン・あいだ)」のコト・・・日本語の「人間(にんげん)=ヒト=people=」は「単数のヒト」である。漢字音での「人間(ジンカン)」では「この世・世間・ヒトの世」の意味である。敢えて意味を採るならば「人人=人々→人間(ジンカン)」だろう。「人間」に「人」の意味となったのは江戸時代以降であるらしい・・・ 「人間」を「ニンゲン」と読むのは呉音、漢音では「ジンカン」らしいが、呉音の「ニンゲン=にんげん=ひと」はいまや日本語での意味でしかない・・・そして、「ゴ」の同音異字って・・・ゴマンとある・・・

 「サイエンスゼロ」は、「超能力」である・・・「量子」が「伝達物質」・・・
 ・・・アメンホテップ(祖父)→アクエアテン(父)→ツタンカーメン(子)の「DNA」・・・アマルナ・・・ネフェルテイテイ・・・キィヤ・・・
 TED・・・スパープレゼンテーション・・・「アート・オブ・ディセプション(art of deception)=まやかしの術」・・・「奇術=マジック(magic)・コンジャリング(conjuring)・トリック(trick)」・・・「別なところへ注意をそらす」・・・「ミスディレクション(misdirection)」・・・
ーーーーー
 「後漢書(ゴカンジョ)」
 中国、後漢朝について書かれた歴史書
 二十四史の一
 本紀十巻
 列伝八十巻
 志三十巻
 の
 全百二十巻の
 紀伝体
 成立
 5世紀
 南北朝時代の
 南朝宋
 編者
 は
 范曄(ハンヨウ)
 398年~445年
 字は
 蔚宗
 宋の創始者
 劉裕に仕えて
 尚書吏部郎
 左遷で
 宣城太守
 432年(元嘉九年)
 「後漢書」著作
 范曄が執筆したのは
 「本紀」と「列伝」のみ
 「志」については、
 范曄が後に
 文帝の弟、
 劉義康擁立の事件で
 処刑されたので
 書かれていない
 南朝
 梁の
 「劉昭」が、
 范曄の「後漢書」に、
 西晋の
 「司馬彪」が著した
 「続漢書・志」の部分を合わせ
 注を付けた。
 現在伝わるのは、
 「李賢・注」と
 「劉昭・注」の
 「続漢書・志」を
 合刻した
 北宋時代の
 「版本」に基づくもの
ーー
 范曄著「後漢書」
 432年
 後漢滅亡から
 200年以上経過
 年代的には
 「後漢書」より
 後の時代の
 範囲を記述している
 「三国志」の方が、
 范曄の「後漢書」よりも
 約150年前に既に成立していた。
 「後漢」についての歴史書は
 後漢の同時代史書である
 「東観漢記」
 東晋の
 袁宏の
 「後漢紀」・・・その他の史書が存在・・・
 「八家後漢書(あるいは七家)」と呼ぶ
  ↓
 『後漢書』(呉の謝承)
 『後漢書』(呉の薛瑩)
 『後漢書』(西晋の華嶠、『漢後書』とも)
 『続漢書』(西晋の司馬彪)
 『後漢書』(東晋の謝沈)
 『後漢書』(東晋の袁山松)
 『後漢書』(著者不明)
 『漢紀』 (東晋の張璠)
  ↓
 などの書物を参照しながら、范曄は『後漢書』を著す
 八家後漢書は
 ほとんど現存しておらず、
 汪文臺の
 『七家後漢書』、
 裴松之の
 『三国志・注』
 などからの
 「引用した書物」から集めた一部分のみ
 『東観漢記』は
 『永楽大典』からの
 輯本
 (引用された文章を集める事で
  散逸した書物を復活させること)
 「司馬彪」の
 『続漢書』は、
 「志」の部分が現存
 袁宏の
 『後漢紀』は
 「志」は完全な形で現存
ーー
 注釈
 「後漢書」に最初に
 注釈を付けたのが
 「劉昭」による
 「集注後漢」
 「本紀・列伝」部分の注釈は散逸
 「志」に付けた注釈部分が現存
 「本紀・列伝」に付けられた
 「注釈」として
 唐の
 「章懐太子」
 「李賢」の手によるもの
 ・・・「章の懐(ふところ)の太の子」が「李(木子)の賢(臣又目ハ)」である・・・「李賢」の生きた時代は「654年~685年」の「31年間」だが、この時代に「日本国」ではナニが起こっていたのか・・・「李賢」が死ぬまでの
 「685-654=31」・・・31歳の生涯
 「672-654=18」・・・18歳
 「685-672=13」、
 「十三年間」・・・最大のイベントは「壬申の乱(672年)」である・・・「13年間」

ーー↓
 李賢
 永徽5年(654年)
  ~
 文明元年(684年)
 高宗の六男
 高宗と
 則天武后の実子
 字は明允
 諡号は章懐太子(ショウカイタイシ)
 中宗(栄王顕)と
 睿宗の
 同母(則天武后)の兄
  ↓
 李賢は
 5歳で
 潞王に封じられ、
 6歳で
 雍州牧・岐州刺史を兼ねる
 11歳で
 沛王・揚州都督・左武衛大将軍に任じられた
 上元二年(675年)
 同母兄の
 李弘の死で
 皇太子に就く
 儀鳳元年(676年)
 「後漢書」の注釈を完成
ーー↓
 正諫大夫の
 明崇儼が
 武后に対して
 李賢の
 弟の
 栄王顕(中宗)を推挙し
 武后は
 賢に対して皇太子を
 弟(中宗)に譲るように迫った
 調露元年(679年)
 明崇儼が
 強盗に襲われて死亡
 武后は
 賢の仕業であると疑い、
 賢の屋敷内の捜査から
 甲(かぶと)、数百が発見
 武后は謀反の準備とし
 高宗に迫って
 皇太子を廃して庶人とし
 永淳二年(683年)
 賢は巴州に流された・・・
 文明元年(684年)
 武后は、
 左金吾将軍
 丘神勣を巴州に派遣して
 賢を幽閉し、迫って自殺させた
 丘神勣が帰還すると、
 武后はこれを罪に陥れて
 疊州刺史とし、
 改めて
 賢を雍王に封じた・・・
 ↓
 睿宗が復位
 皇太子の地位に復して
 「章懐」の諡号を贈り、
 唯一生き残っていた息子である
 三男・守礼を
 汾王に封じた
 長男は光順は既に誅殺
 次男の守義も病死
 ↓
 実の母親(則天武后)に殺害された
 「李賢」
  ↓
 「李賢の注」は
 文の解釈と共に
 足りない事実の補填を
 その他の書物から取ったもので
 范曄の「後漢書」が存続したは
 「李賢の注」による・・・
ーー
 他の「後漢書」の注釈
 清の
 恵棟の
 「後漢書補注」
 王先謙の
 「後漢書集解」
 李慈銘の
 「後漢書集注」
ーー
 ・・・結局、「後漢書(范曄)」の内容の「真偽」は「儀鳳元年(676年)」の唐時代の「李賢の注」による?・・・
 で、「注」とは「注釈・注意・注視・注目・傾注」、本文のわかりにくい箇所に説明の言葉を入れる・・・
 「注解・注記」・・・
 「注」には、
 引用・参照した文献を明示する
 「引用文献注」と
 本文を補うために自分が書く
 「補注」がある・・・
 「注釈(旧表記は註釈)」
 既述の文章や専門用語についての
 補足・説明・解説のこと
 補注とも、単に注(旧表記:註)ともいう・・・
 ・・・主観的な解釈、曲解、歪曲、あるいは誤解も「注」の範疇ではないのか・・・当然、妄想解釈も・・・
ーー↓
 676年
 干支年は「丙子」
 日本
 天武天皇五年
 皇紀1336年
 中国
 唐王朝
 上元三年
 儀鳳元年
  ↓
 新羅の朝鮮半島統一
  ↓
 誕生人
 1月28日(天武天皇七年一月五日)
 「舎人親王」の誕生・735年死亡
  ↓
 死去人
 6月17日
 アデオダトゥス2世
 第77代ローマ教皇
  ↓
 6月
 朴井雄君(物部氏の舎人)
 朴井 雄君(えのい の おきみ)
 榎井小君とも
 朴井氏は物部氏の同族
 物部雄君ともいう
 姓は連
 物部尾輿の孫の
 朴井真古、
 または
 物部守屋の子
 子に
 忍勝・金弓・有利媛・・・
 冠位は贈大紫。
 美濃の物部一族
 672年の壬申の乱で
 大海人皇子(天武天皇)に従った
  ↓
 王 勃(おう ぼつ)
 650年(永徽元年)
  ~
 676年(上元三年)
 唐代初期の詩人
 字は子安
 「初唐の四傑」
 楊烱(ようけい)
 盧照鄰(ろしょうりん)
 駱賓王(らくひんのう)
 と並んで四傑の一人
 「王勃」が誕生した年
  ↓ 
 650年・・・?
 干支年は「庚戌」
 日本
 大化六年、白雉元年?・・・大ばけ・白記事
 皇紀1310年
 中国
 唐国
 永徽元年
 朝鮮
 新羅国
 太和四年・・・太の和の四の年
 ↓      大 和←やまと
 「王勃」は        
 664年
 朝散郎
 高宗の子の
 沛王・李賢の侍読になる
 諸王の
 闘鶏を難じた
 「檄英王鷄文」を書いて
 出仕を差し止められ、
 剣南(四川省)に左遷
 虢州(河南省霊宝市)の
 参軍となったときに
 罪を犯した官奴を匿いきれなくて殺し、
 除名処分
 事件に連座して
 交趾(ベトナム)の令に左遷された父の
 王福時を訪ねる途中、
 南海を航行する船から転落して
 溺死
 著に「王子安集・十六巻」
 民国の
 羅振玉が編集した
 「王子安集佚文・一巻」と、
 日本に伝わる佚文として、
 正倉院の
 「王勃集残・二巻」がある・・・
  ↓
 6月
 栗隈王
 敏達天皇の孫(曾孫か?)
 「大俣王(おおまたのおおきみ)親?」
 難波皇子の子(孫か?)
 美努王の父
 橘氏の祖
 筑紫率(筑紫大宰)として唐と新羅の使者を送迎
 672年の
 「壬申の乱」では中立・・・?天武側
 675年に兵政官長・贈従二位
  ↓
 7月
 村国男依
 名は雄依、小依とも書く
 姓は連
 子に
 村国志我麻呂
 冠位は贈外小紫
 壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)に属す
 近江方面の諸将の筆頭
  ↓
 8月
 三輪子首
 壬申の乱(672)で
 伊勢介(いせのすけ)として
 大海人皇子(天武天皇)を奉じて参戦
 死後、天皇は
 内小紫の位を贈り、
 大三輪真上田迎君と諡した
 「迎」とは、
 大海人皇子を鈴鹿で迎えたことによる
  ↓
 9月
 坂田雷(さかた の いかづち)
 姓は公
 冠位は贈大紫
 壬申の乱の功臣・・・?
 坂田公は継体天皇の子である
 中皇子を祖する・・・?
 壬申の乱の「功績不明」、
 大紫は高位
  ↓
 李元暁
 唐の高祖、李淵の二十一男
 母は魯才人
 631年
 密王に封じられ
 635年
 虢州刺史に任じられた
 640年
 実封800戸
 649年
 実封千戸
 沢州刺史に転じた
 653年
 宣州刺史に任じられ
 徐州刺史に転じた
 676年
 司徒・揚州都督の位を追贈
 献陵に陪葬
 諡は貞
 子の
 南安王
 李穎が後を継いだ・・・
ーーーーー
 ・・・

 

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まもられるベキもの・・・

2014-05-03 21:37:26 | 古事記字源

 ・・・「憲法記念日(?)」・・・「羊の毛(ウール)」を刈る時期・・・以下は「原文」はウイッキペデアや他のブログからの「コペピ」・・・羊の毛刈りは4月下旬から桜の花が散る頃・・・4月下旬~5月上旬・・・おひつじ座(牡羊座、Aries)、トレミーの48星座の1つで「秋から冬の星座」・・・α星・β星・γ星で構成される「鉤型」・・・古代バビロニアでは「農夫」、「農繁期に雇われる日雇い農夫」・・・隣のうお座の中央が、耕す農地・・・「男」と「羊」が同音異義語「 lu 」だったことから、羊と同一視されるようになった・・・
  ↓
 ギリシア神話
 ボイオティア王アタマスの息子
 プリクソスと
 双子の妹
 ヘレーが、
 継母の
 イノーよって生贄にされそうになったときに、
 ゼウスが遣わして
 二人を乗せて逃げた
 金の皮を持つ羊
 妹は羊が走る途中に海に落ちおぼれて死んだ
 プリクソスは逃亡先の
 コルキスでこの
 羊を生贄に捧げ、
 皮を当地の王
 アイエーテースに贈った
 この羊の皮を手に入れるための冒険が
 アルゴー号(アルゴ座)の冒険、
 アルゴナウタイ神話
 牡羊座は天体の
 「星座」を
 12区分した
 「宮」である一の
 「白羊宮(ハクヨウキュウ)」は、
 黄道十二宮の
 1番目
 獣帯の黄経0度から30度までの領域
 3月21日(春分)~4月20日(穀雨)
 の間まで太陽が留まる期間
 太陽通過時期はその年ごとに異なる
 四大元素の火に関係
 獅子宮・人馬宮と一緒に
 火のサインに分類
 対極のサインは
 天秤宮
 薄田泣菫の
 1906年の
 詩集「白羊宮」があるらしい・・・
ーー↓
 1906年
 干支は
 丙午年・・・・火
 明治三十九年
 皇紀2566年・・・弐千五百六拾六
 清国
 光�敍三十一年十二月七日
  ~
 光�敍三十二年十一月十六日
 大韓帝国
 光武十年
ーー
1月7日第1次西園寺内閣成立
1月16日アルヘシラス会議が開催(〜4月7日)
1月28日日本社会党結成(堺利彦ら)
1月31日コロンビア沖でマグニチュード8.8の大地震
2月16日英国で労働代表委員会が労働党と改称
2月17日文芸協会設立(島村抱月ら)
3月3日 伊藤博文が韓国統監府の初代統監に就任
3月10日第一回陸軍記念日
3月14日白洋舍創業
3月19日イギリスが満州の門戸開放を要求
3月20日帝国図書館開館(上野に移転)
4月18日サンフランシスコ地震
4月22日アテネオリンピック開催(〜5月2日)
4月28日ミラノ万国博覧会開催(〜11月11日)
5月1日 新宿御苑開苑式
6月12日在韓日本軍が崔益鉉らの排日暴動を鎮圧
7月12日フランスでドレフュス事件の冤罪確定
7月20日日本初の専用線電話が
    日本銀行と横浜正金銀行本店間に設置
9月1日 ゴールデンバット販売開始
9月11日マハトマ・ガンディーが
    南アフリカにて
    非暴力の抵抗運動を組織
9月28日 新渡戸稲造が第一高等学校校長に就任
10月11日サンフランシスコ市が
    日本人学童の隔離を命令
10月16日ケペニックの大尉事件
   (ヴィルヘルム・フォイクト)
11月1日 日本鉄道国有化
11月26日南満州鉄道設立
ーー↓
12月26日徳川光圀以来続けられてきた
    「大日本史』の編纂完了が
     明治天皇に報告
ーー↓
12月28日インドで国民会議派
    カルカッタ大会開催
    英貨排斥・スワラージ・スワデーシー
    民族教育の4綱領を採択
12月30日インドの親英的なイスラム教徒
    インド・ムスリム連盟が創立
ーー↓
 白羊宮
 ゾディアックシンボル
 牡羊
 標準的な期間
 3月21日~4月19日
 2区分 - 男性
 3区分 - 活動
 4区分 - 火
 居住の座 - 火星
 占星師の一部は
 冥王星を
 白羊宮のルーラーにすべきだ・・・?
 高揚の座 - 太陽
 障害の座 - 金星
 転落の座 - 土星
ーーー↓
 ウール (wool)=羅紗(ラシャ)
 羊毛を織った布
 動物繊維の一種
 日本では毛織物
 一般的には羊毛を指すが、
 広義では
 アンゴラ・アルパカ・ラクダの毛も含まれる

 羊毛=ウール
 ヒツジの毛またはそれを織った布
 広義ではアンゴラ・アルパカ・ラクダの毛も含む
 ヤギの毛=絵画用原毛である山羊の毛の通称
ーー↓
 羊の毛は刈り込んで羊毛とする
 A sheep's fleece is clipped off for wool.
 羊毛刈りの時期の祭典
 a festival held
   at the time sheep are normally sheared
 ↓
 羊を飼育し、牧羊業者
 「ウール・グロワー」
 ↓
 春の羊の出産時期を終え、
 初夏が迫ると毛の刈り取りが始まる
 一般的に羊の毛刈りは4月下旬から
 桜の花が散る頃・・・
 4月下旬~5月上旬
 「シアリング」
 ↓
 刈り取り職人
 「シアラー」
 羊の毛を刈る=shear sheep
 羊の毛を刈る=to shear a sheep
        act of shearing sheep
 羊は大体年に1回子供を産む
 出産は6月から、7~8月位
 ↓
 刈り取られた羊毛を
 品種ごとに分類するのが
 「クラッサー」
 ↓
 古代ローマの皇帝
 ヴェスパシアヌスは
 有料の公衆便所を設置
 人間の尿(小便)を利用して
 羊毛から油分を分離した・・・
 ↓
 利点
 保湿性と保温性が高い
 皺(しわ)になりにくい
   ・・・紫波・史話・志和・詩話・・・
 他の繊維よりは燃えにくい
 抗菌・消臭機能がある
 空気清浄化作用
 ↓
 欠点
 洗うと縮む
 擦れたり、
 アイロンは当て布をしないと光る(テカる)
 虫の害を受けやすい
 引っ張りや磨耗に弱い
 人によっては触るとチクチクと感じる
 アルカリに弱い
 日光で黄変
 ↓
 広義には
 羊毛状の形状をした繊維の呼び名
 ↓
 ロック-ウール(岩綿)
 玄武岩、鉄炉スラグなどに
 石灰などを混合し、
 高温で溶解し生成される人造鉱物繊維
 建築物などの断熱材や培地、
 吸音材としても用いられる
 耐火性にも優れている
 アスベストの代替材
 主成分は
 二酸化ケイ素と酸化カルシウム
 天然鉱物繊維の
 石綿(アスベスト)と外観が似ている
 グラスウールより
 低い周波数までよく吸音
 ↓
 グラス-ウール (fiberglass)
 短いガラス繊維でできた、綿状の素材
 建築物の断熱材、
 吸音材(遮音ではない)として
 スピーカーや防音室の素材として利用
 防火性に優れ、石綿の代替材として利用
 廃ガラス、ビンガラス、ブラウン管、蛍光灯などを
 主な原料とし、
 溶かしたガラスを
 遠心法で綿状とする
 バインダーとしてフェノール樹脂等を添加し、
 板状・ロール状などに成形した製品
 ↓
 遠心法
 スピンナー(スピナー)と呼ばれる、
 側壁に小さな穴があいた容器を高速回転
 上から溶かした原料を入れ、
 遠心力で
 側壁の穴から吹き出させた繊維を集めて作る製法
 綿(わた)菓子製法と同じ
ーーーーー
 羊の刈った「巻き毛」の形・・・数日前に書き込んだモノだが・・・「三陽開泰=三匹の羊が三陽=冬去春来」で「11月冬至の日は正午の太陽の高度が最も低く、この日を境に太陽の高度が高くなっていく事象」である。「陽=ヨウ=羊」の音借でもあるらしいが、字面そのものも「羊=Y(ア)+三」である。兎に角、「冬が去って、春来る」である・・・漢字は「羊=Y(ア)+三」の「Y」は角だが「渦を巻き込むように曲がっている角」なのだ。品種によって角をもたないもの、雄雌両方にあるもの、雄だけが角を持つもの・・・
 「螺旋を巻きながら直状に伸びた角をラセン角」、
 「渦巻き状に丸く成長する角をアモン角」
 角のある品種のほとんどは左右に1対だが、
 古品種にはヤギのように
 「後方に湾曲しながら伸びる2-3対(4-6本)の角」をもつものもいる・・・
 日本では、
 「外国人
  ル・ジャンドルが
  軍用毛布のため羊毛の自給の必要性を説き、
  1875年(明治八年)に
  大久保利通によって
  下総に牧羊場が新設。
  これが日本での
  本格的なヒツジの飼育のはじめ」
 である・・・
 メリノ(merino)
 家畜の羊の一品種
 スペインの原産で、オーストラリア・フランス・アメリカなどで改良された。毛は長く質がよい。群居性があり、雄は角をもつ。
 メリノの毛を素材とした高級な毛織物・・・
 ↓↑
 1300年頃の
 スペイン(西班牙)の
 カスティーリャで現在の
 メリノ種が登場
 メリノ種は毛織物産業を通じてスペインを支えた
 メリノ種はスペイン王家が国費を投じて飼育し、
 数頭が海外の王家へ
 外交の手段として贈呈される以外は門外不出
 犯した者は死罪
 18世紀のスペインの戦乱に
 ヨーロッパの列国が介入
 メリノ種が
 戦利品として持ち去られて流出
 羊毛生産におけるスペインの優位性が喪失
 イギリスで
 羊毛の織物と
 蒸気機関を組み合わせた新産業
 1796年
 南アフリカ経由で
 13頭のメリノ種が
 オーストラリアに輸入
 このうちの
 3頭が現在のオーストラリアのメリノ種の始祖
 この羊を買い取った
 ニュー・サウス・ウェールズ州の
 ジョン・マッカーサーは
 オーストラリアの羊毛産業の基礎を築いた
  ↓  
 メリヤス
 (莫大小・目利安、
  ポルトガル語 meias
  スペイン語 medias)
 メリヤス編みで作った
 編地・布地、
 又はそれらの
 生地を使用した製品
 伸縮性に優れた特徴を持ち、
 靴下類や下着類、手袋や帽子など
 日常衣類の多くに利用されている
 ポルトガル語や
 スペイン語の元の意味は
 靴下・・・
 1589年(1588年の説もある)
 イギリス人牧師、
 ウイリアム・リー
 (William Lee、1563年~1610年)
 足踏式による靴下編機(緯編 よこあみ)を発明
 1775年
 イギリスで経編(たてあみ)機発明
 メリヤス編機の改良が進み、
 手編から機械編の時代へと移行
 1849年
 イギリス人の
 マッシュー・タウンゼント
 (Matthew Townsend)
 が、従来の
 ヒゲ針の改良に成功、
 現代のメリヤス編機に多く採用されている
 ベラ針(Beard Needle)を考案
 日本のメリヤス
 江戸時代の
 延宝~天和~貞享~元禄(1673年~1704年)
 のいずれかの時期に輸入・伝来
 ポルトガル語のメイアシュ(meias)
 スペイン語のメジアス(medias)の転訛とされる
 メリヤスの当て字
 「莫大小」を当てる理由は
 旧来の布地に比べて伸縮性があることから・・・
 主に武士が殿中に出仕する際の
 足袋を作る技法として一部武士から庶民にも広まった
ーー↓
 刈った羊毛の形は「巻き毛」、「お釈迦の頭髪の巻き毛」・・・大仏の髪型は「螺髪(ラハツ・ラホツ)」で、「群青(紺青)」色した頭髪が巻き貝のように右に巻いたもの。「螺」とは巻貝で「右巻き」・・・
 三十二相八十種好
 (釈迦の
  32の大きな特徴と、
  80の細かい特徴)の一・・・
 釈迦の「自灯明・法灯明」
 自らを依り所とし、
 法を依り所とせよ
 ・・・釈迦は自分自身を信仰対象であるとは考えていなかった・・・初期仏教においては「仏像」は存在しなかった・・・
 「仏陀=死者」となった「釈迦=生者の姿=思想」は人の手で表現できない・・・象徴としてストゥーパ(卒塔婆、遺骨=舎利=米粒)、法輪(教えが広まる様子を輪で表現=一点から波及する波の輪の形状)や、仏足石(石に刻んだ足跡=足跡=履歴・経歴)、菩提樹(「種・根・芽・葉・茎・幹・枝・葉・花・実・落葉・枯木(灌木)」のプロセスの象徴)などを礼拝・・・インドの初期仏教美術には仏伝図(釈迦の生涯を表した浮き彫りなど)は多数あるが、「釈迦の姿は表されず」、足跡、菩提樹、台座などによってその存在が暗示されるのみだった・・・
 時代を経て「仏の教えを伝えるため」に図画化していく・・・すなわち、仏の身体の部分の形を「喩(譬)え」、その意味に添って、その教えを「視覚化」するモノとした・・・
 では、「螺髪(ラハツ・ラホツ)の形」の意味は?・・・ダレも、その「比喩内容」は説明していないようだが・・・「天然パーマ(縮れ毛(ちぢれげ)」・・・
 以下も、「原文」が面白かったので「コペピ」して、改作した・・・
ーー↓
 十二支縁起
 無明(むみょう、巴: avijjā, 梵: avidyā)
    過去世の無始の煩悩
    煩悩の根本が無明なので代表名とした
    明るくないこと
    迷いの中にいること
 行 (ぎょう、巴:saṅkhāra, 梵: saṃskāra)
    志向作用
    物事がそのようになる力=業
 識 (しき、巴: viññāna, 梵: vijñāna)
    識別作用=好き嫌い、選別、差別の元
 名色(みょうしき、nāma-rūpa)
    物質現象(肉体)と精神現象(心)
    実際の形と、その名前
 六処(ろくしょ、巴: saḷāyatana, 梵: ṣaḍāyatana)
    六つの感覚器官
    眼耳鼻舌身意
 触 (そく、巴: phassa, 梵: sparśa)
    六つの感覚器官に、
    それぞれの感受対象が触れること
    外界との接触
 受 (じゅ、vedanā)
    感受作用
    六処、触による感受
 愛 (あい、巴: taṇhā, 梵: tṛṣṇā)
    渇愛
 取 (しゅ、upādāna)
    執着
 有 (う、bhava)
    存在
    生存
 生 (しょう、jāti)
    生まれること
 老死(ろうし、jarā-maraṇa)
    老いと死
    寿命
 ↓
 十二因縁
 老死によって無常苦が語られ、
 生においても苦が語られている
 生老死がなぜ苦なのか
 生活こそ
 生老死を苦とする根本であり、
 それを有という
 生活の行為が生老死を苦と感じさせるのはなぜか
 常に執着をもった生活をしているから
 自分自身と自分の所有へのとらわれが理由
 「取(執着)」は愛による
ーー↓
 有愛(bhava-taNhaa)
   存在欲
   生きることを渇望する心
 非有愛(vibhava-taNhaa)
   非存在欲
   有愛がはばまれる時に起こる
   死を求める心
 欲愛(kaama-taNhaa)
   刺激欲
   感覚器官からの刺激を求める心
   思考やイメージなど、
   自分の心(意根)で生み出す刺激
ーー↓
 四諦=四聖諦
 苦諦=この世界は苦しみに満ちていると
 集諦=苦の原因がなんであるか
 滅諦=苦の原因を滅すれば苦も滅すること
 道諦=苦の滅を実現する道を明らかにする
 「諦(タイ)」
 「諦(あきら)める」
 ↓
 苦諦=苦を仕方ないと諦める
 集諦=苦の原因を知って諦める
 滅諦=苦の滅を諦める
 道諦=苦の滅を実現する道を諦める
 「諦める」は気づく、気がつくという意味
 固執してしがみつくのをやめるということ
 「遍知」、「滅除」、「成就」、「修習」
 すなわち、
 苦は「知り尽くすべきもの」(遍知)
 苦の原因は「滅するべきもの」(滅除)
 苦の滅は「実現すべきもの」(成就)
 苦の滅を実現する道は「実践すべきもの」(修習)
ーーーーー
 ・・・羅紗面、面妖(綿羊)・・・
 羅紗緬(らしゃめん、羅紗綿)は、綿羊のことで、日本においてもっぱら外国人を相手に取っていた遊女、あるいは外国人の妾となった女性のことを指す蔑称。 洋妾(ようしょう)、外妾(がいしょう)とも言われる・・・
 幕末開国後の
 1860年頃から使われだした言葉
 西洋の船乗りが
 食用と性欲の解消の為に船に
 ヒツジを載せていたとする「俗説?」が信じられていたため・・・「俗説」なのか?・・・
 ↓↑
 安政六年(1859年)
 開国・横浜開港
 江戸幕府公認で、主に外国人の相手を目的とした
 港崎遊郭が関内に開業
 幕府は
 外国人専用の公娼(羅紗緬)を鑑札制にし、
 管理を遊女屋に託した
 遊郭内では、
 外国人は羅紗緬しか選ぶことができなかった
 幕府は
 日本人の娘が外国人男性と結婚するのを禁じていた
 万延元年(1860年)
 港崎遊郭の羅紗緬に外国人の妾になることも許可
 遊女は遊女屋と
 証書契約を結んで鑑札を受けてのちに
 外国人の妾となり、
 給料の中から遊女屋へ鑑札料を支払った
 文久二年(1862年)
 神奈川奉行所の調べで
 羅紗緬鑑札の所持者は
 500人
 素人の羅紗緬の出現
 「もぐり羅紗緬」
 妾は結婚ではないから
 奉行所は取り締まることができなかった
 文久二年~慶応二年頃まで
 異人館通いの
 羅紗緬が
 2400〜2500人に増えた・・・
 慶応二年(1866年)
 豚屋火事で港崎遊郭が全焼
 明治五年(1872年)
 吉原遊郭では羅紗緬は鑑札を要せず、
 在住地官長への届け出制となった・・・
ーー↓↑
 以上は「ウイッキペデア」の記録である・・・
 現在のオランダ(阿蘭陀)では法的に認められた「正規の職業」としての「労働者」であるらしい・・・
 ・・・「日本国憲法」は「職業の選択の自由」の記録があるらしい・・・が・・・
 「日本国憲法 第22条は、日本国憲法第3章にあり居住、移転の自由、職業選択の自由、外国移住、国籍離脱の自由について規定」・・・
 ↓↑
 日本国憲法
 第二十二条
 何人も、
 公共の福祉に反しない限り、
 居住、
 移転
 及び
 職業選択の自由を有する。
 何人も、
 外国に移住し、
 又は
 国籍を離脱する自由を侵されない。
 ・・・「公共の福祉」って、なんだろう・・・
 ↓↑
 大日本帝国憲法
 第二十二條
 日本臣民ハ
 法律ノ範圍内ニ於テ
 居住
 及
 移轉ノ自由ヲ有ス
 ・・・「法律ノ範圍内」って、なんだろう・・・

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風呂釜・風炉窯・蒸気罐・・草刈鎌・・・かまがけ・・・

2014-05-02 23:20:31 | 古事記字源

 ・・・桜が三分ほど咲き出した・・・庭の水道管も設置完了したけれど、つなぎ目の三叉の管がシバレて縦に亀裂・・・フロ釜もイカレた・・・「釜次郎」・・・蝦夷、北海道共和国総裁(?)・・・「鎌足」・・・「中臣(藤原)鎌足」・・・
  ↓
 榎本 武揚
 天保七年八月二十五日(1836年10月5日)
  ~
 明治四十一年(1908年10月26日)
 幕臣
 海軍中将
 正二位勲一等子爵
 通称は
 釜次郎
 号は
 梁川
 名は
 「ブヨウ」・・・
ーーーーー
 猿(さる・申・沙流・然る・去る)を
 滑る(すべる・統べる・総べる)とは・・・
 「紫微斗数(天文)」を
 「総べる
 (全体をまとめて支配する、統治する、統轄する)」
 である・・・
 ↓
 サルスベリ
 百日紅=ヒャクジツコウ、
 Lagerstroemia indica
 は、
 ミソハギ科の落葉中高木
 葉は通常2対互生(コクサギ型葉序)、
 対生になることもある。
 花は
 紅の濃淡色
 または
 白色で、
 円錐花序になり、
 がくは筒状で6裂、
 花弁は6枚で
 縮れている
 八月頃咲く
 果実は円いさく果で、
 種子には翼がある
 耐病性で、
 種子から栽培する
 「あすか」という
 一才物(一年)の
 矮性種もある・・・
 和名のサルスベリ
 幹の肥大成長に伴って
 古い樹皮の
 コルク層が剥がれ落ち、
 すべすべした感触の樹皮が表面に現れて
 更新していく
 樹皮の更新様式や感触の似た
 ナツツバキ
 リョウブ
 を
 サルスベリと呼ぶ地方もある
 猿が登ろうとしても、
 滑ってしまうということで、
 「猿滑(さるすべり)」と表記する
 英語名
 「Crape myrtle」は、
 「ギンバイカ(myrtle)」の花に似て、
 花弁が縮緬(ちりめん=crape)のように
 縮れていることから・・・
 中国
 唐代、長安の「紫微(宮廷)」に多く植えられた
 長い期間、紅色の花が咲いていることから、
 「百日紅=ヒャクジツコウ」ともいう
ーー↓ーー
 紫薇苑(園・垣)
  ↓
 中国では星空を
 天上世界の
 王宮
 官僚機構に見立て、
 星(恒星)同士を
 結ぶ線で構成される形を
 「星官」と呼び、
 王宮の配置は
 「紫薇苑(垣)」とした
 各天文家ごとに
 「星官」の
 名称は異なっていたが
 三国時代に
 「陳卓」が
 石氏
 甘氏
 巫咸
 の天文家三家の
 「星官=星座」を統合して
 283官(星座)
 1464星(恒星)とした
 宋代の
 「蘇州・石刻天文図」には
 1440星が刻されている
 ↓
 巫咸(フカン)
 一旬(十日)を司る巫女
 一旬(いちじゅん・十日)を司る
 中国神話の
 巫女(フジョ)
 ↓
 巫咸(フカン)
 巫即(フソク)
 巫肦(フハン)
 巫彭(フホウ)
 巫姞(フキツ)
 巫真(フシン)
 巫礼(フライ)
 巫抵(フテイ)
 巫謝(フシャ)
 巫羅(フラ)
 の十人
 巫彭と巫咸は
 「彭咸(ホウカン)」と呼ばれ、
 巫祝者の祖
 黄帝(こうてい)の時代に
 巫彭は医薬を発明し、
 巫咸は銅鼓を作った
 巫女は 
 不死の薬を含め様々な種類の薬を持ち、
 薬草で治癒された
 「弐負」と
 その臣下の
 「危」に殺された
 「天神のあつ窳(アツユ)がいる
 右手に
 青蛇、
 左手に
 赤蛇を持ち、
 登葆山(トウホウザン)によって
 天界と行き来している・・・
 ・・・ギリシャ神話の「ヘルメス」?・・・

 黄道
 太陽の周囲を
 公転する地球の
 軌道
 地球から見れば、
 天球上を太陽が動く道筋

 地球上から見た
 天球上における
 太陽の見かけの通り道
 地球から見た空は天球で
 太陽はこの天球を
 一年(365日)かけて移動

 宇宙空間で
 太陽を中心に
 公転している
 地球の
 平均の軌道面=黄道面
 黄道は
 天球と交わった大円である

 黄道
 地球から見た
 太陽が天球上を
 1年かけて移動する道筋を
 360度の環であらわしたモノ
 地球から見た空を一つの球体(天球)とみなし
 諸々の星が散らばる天球面を
 太陽が
 1日に約1度づつ移動し
 一年かけて一周する軌道

 星占いでは
 一年=12ヶ月=365日
 をかけて
 太陽が
 1月やぎ座(山羊座、Capricorn)
 ~
 2月みずがめ座(水瓶座、Aquarius)
 ~
 3月うお座(魚座、Pisces)
 ~
 4月おひつじ座(牡羊座、Aries)
 ~
 5月おうし座(牡牛座、Taurus)
 ~
 6月ふたご座(双子座、Gemini)
 ~
 7月かに座(蟹座、Cancer)
 ~
 8月しし座(獅子座、Leo)
 ~
 9月おとめ座(乙女座、Virgo)
 ~
 10月てんびん座(天秤座、Libra)
 ~
 11月さそり座(蠍座、Scorpio)
 ~
 12月いて座(射手座、Sagittarius)
 ~
 翌年の
 1月やぎ座(山羊座、Capricorn)
 へと
 各黄道十二星座に位置し
 一緒に天を周って 
 12の星座を移動していく

 黄道と
 天の赤道との
 二つの交点を分点という
 黄道が南から北へ交わる方を
 春分点
 春分点を起点(0度)として
 黄道を360度に分けたものが
 黄経である
 黄道が北から南へ交わる方を
 秋分点といい、
 黄経180度に当たる。
 ↓
 現行の二十四節気
 黄道を
 15度毎の
 24分点に分割
ーーーーー
 ・・・ 

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爆発・・・超新星

2014-05-01 17:25:29 | 古事記字源

 ・・・「札幌ボンベ爆発事件」?・・・「ナルコレプシー」、「オレキシン(神経ペプチド・ヒポクレチン)不足」の病気?・・・脳ミソの睡眠スイッチの不調和で「金縛り」・・・「金(かね)縛り」って借金で頸(首)が回らないってことカネ・・・「水縛り・火縛り・木縛り・土縛り」って?あるのかな・・・「水がシバレる」は北海道の「氷柱(つらら)」であるが、「日月星辰」の「辰星=龍星=竜星」とは「北斗七星(七政・七曜)」か、「水星」なのか、はたまた、「彗星・帚(箒)星」の「客星」・・・「主体(主観)」に対する認識対象の「客体(客観)」の捉え方だろう・・・
 1604年の「超新星(supernova・スパーノバ)の爆発」・・・185年の「超新星(supernova・スパーノバ)の爆発」・・・
 「邪馬台国の卑弥呼(氷見呼・氷巫女・?~248年頃)の事件」は「日食・月食」にも重なるとも考えられているが・・・
ーー↓
 後漢書
 建武中元二年(57年)倭奴国が金印を授与
 永初元年(107年)倭国王の
          帥升が安帝に拝謁を願う
 桓帝と霊帝の間(146年~189年)倭国大乱
 梁書
 光和年間(178年~184年)卑弥呼が共立
 景初三年(239年)卑弥呼が難升米を魏に派遣
          親魏倭王の
          金印と銅鏡100枚を与えられる
 三国志
 景初二年(238年)
 正始元年(240年)帯方郡から魏の使者が倭国訪問
          詔書、印綬を倭王に拝受させた
 正始四年(243年)倭王は大夫の
          伊聲耆
          掖邪狗ら八人を復遣使として
          魏に派遣
          掖邪狗らは
          率善中郎将の印綬を受けた
 正始六年(245年)難升米に黄旗を授与
 正始八年(247年)倭は
          載斯、
          烏越らを帯方郡に派遣
          難升米に詔書、黄旗を授与
 正始九年(248年)前後に卑弥呼死亡
 梁書
 正始年間(240年~249年)に
      卑弥呼死亡
      倭国動乱
      卑弥呼の宗女
      「壹與」を
      十三歳で王に立てる
      女王「壹與」は
      掖邪狗ら20人に
      張政の帰還を送らせ、
      掖邪狗らは
      都に向かい男女の
      生口30人と
      白珠5000孔、
      青大句珠2枚、
      異文の雑錦20匹を貢ぐ
 泰始元年(265年)倭の遣使が重ねて入貢
 晋書
 邪馬台国からの最後の入貢
ーー↓
 西暦185年の「超新星爆発」は「光和年間(178年~184年)の卑弥呼が邪馬台国で共立」された「次の年」である・・・
 「おおかみ(狼)座」の爆発観測は「古事記の天岩戸から出てきた天照大御神」の重なりで、銜えて、185年の「後漢書・天文志」の記録にある「超新星爆発=客星」の知識を有していた「日本天文学者」の仕業だろう・・・モチロン、江戸時代ならば死後、塩漬けされ、その後、処刑された「高橋景保」と、その周辺の「蘭学者達(タチ)」である・・・
 「現存・古事記」も「現存・日本書紀」も「改作、改竄」されたか、新たに「偽造記録」されたモノ・・・多分、徳川光圀、水戸黄門のオジイチャンの「大日本史」の「ウソ」に引き摺られた・・・
 ↓↑
 185年
  ↓
 干支=乙丑(おつうし・おとうし・きのとのうし
       オツチュウ・イツチュウ)
 日本
 成務天皇五十五年・・・語重後念
 第十三代天皇
 在位は
 成務天皇元年一月五日~同六十年六月十一日)
 和風諡号
 稚足彦尊(わかたらしひこのみこと)
 若帯日子天皇(わかたらしひこのすめらみこと)
 皇紀845年・・・・・八百四拾五撚
 中国
 後漢=中平二年・・・・中の平の似撚
 朝鮮
 高句麗=故国川王七年→故国先王(専横・扇央・前皇・洗脳)
 新羅=伐休王二年・・→抜旧応似撚
 百済=肖古王二十年・→証拠姶弐拾念
    肖古→肖の呼=彗星
    肖=ショウ・セウ
      にる・あやかる
      もとのものに似る
      似せる
       ↓
    十二生肖(じゅうにせいしょう)
    十二属相(じゅうにぞくしょう)は
    十二支に
 鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・豚(猪)
 の十二の動物を当てたもの
    肖=消・梢・硝・哨・逍
      趙国=觜嶲→益州・魏国
         =梟の頭毛・梟の耳
          梟=木菟・木兎(ボクト)
          鵩(フク)
          鶹(リュウ)
          鵂(キュウ)
          角鴟(カクシ)
          鴟鵂(シキュウ)
          鴟=トビ・フクロウ類の総称
          みみづく=耳木菟・耳木兎は
          漢名ではなく訓の当て字
        觜嶲宿
        二十八宿(宿曜経)の
        西方白虎七宿の第六宿
        距星は
        オリオン座のTurtle Beak
              カメのクチ
        α=ベテルギウス(Betelgeuse)
          2番目に明るい恒星
          オリオンの右肩にあり、
          赤色超巨星
          周期2110日で変光
        β=リゲル(Rigel)
          オリオン座で最も明るい恒星
          オリオンの左の膝の上にあり、
          青白星
        γ=ベラトリックス(Bellatrix)
          「女戦士」
          オリオンの左肩にある
           ↓
        オリオンの左脇(腋)
        嘴(くちばし・はし)
        巨嘴鳥座は
        1603年
        ドイツ人のバイエルよって
        設定された、南天星座の一
        巨嘴鳥=啄木鳥の目
            オオハシ科に属する鳥類
            大 嘴
      趙(チョウ)
      戦国時代の国
     (紀元前403年~紀元前228年)
      戦国七雄の一
      首府は邯鄲
      晋の臣下(卿)
      秦に滅ぼされた
      現在の山西省と河北省の一部
      前趙
      五胡十六国時代に
      劉淵が建国
      (304年~329年)
      趙奢
      田部の吏
      田地の徴税官
      税金を払わなかった
      平原君の家の者を厳しく咎め、
      訴訟を行って
      九人を死罪に処した
      激怒した平原君は
      趙奢を殺そうとしたが、
      趙奢が理路整然と反論した
 ・・・税金収奪の正論は・・・アベちゃん内閣・・・
 ・・・興味がアレば、ボクの「HP」へ
http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/tenmon60/tenmon1.html
  ↓
 185年
 ケンタウルス座付近に
 超新星(SN 185)出現(後漢書)
  ↓
 1604年
 干支=甲辰(きのえのたつ・かぶとのたつ
       コウシン)
 日本
 慶長九年
 皇紀2264年
 中国
 明=万暦三十二年
 朝鮮
 李氏朝鮮=宣祖三十七年
 1604年
 5月31日(慶長九年五月三日)
    江戸幕府が京都・堺・長崎の指定商人に
    生糸の独占輸入・卸売権を与える
    糸割符
 10月9日
    超新星SN 1604(ケプラーの星)観測
 11月1日
    シェイクスピアの戯曲
    「オセロ」最古の上演が
    ホワイトホール宮殿で行われる
    フランスによるカナダ植民始まる
    フランス東インド会社設立(まもなく廃止)
    シク教の
    第5代法主アルナジュンが
    カービルや
    ナークの宗教家の
    語録、讃歌を集めた
    根本聖典
    「アーディン・グラント」を編纂
    顧憲成ら
    東林書院を設立し政治批判を行う
 誕生
 8月12日(慶長九年七月十七日)
     徳川家光、
     江戸幕府
     第三代征夷大将軍
 死去
 4月19日(慶長九年三月二十日)
     黒田孝高(如水・官兵衛)
     キリシタン大名
ーーー↓
 「ペテルギウス」
 ラテン語はBetelgeuse(Betelgeuze)
 英語はBeetlejuice=ビートルジュース
           甲虫の 液体、蜜?
 カナ表示は
 ベテルゲウズ
 ベテルヂュース
 ベテルギュース
 ペテルギウス
 ベデルギウス
 ベテルギウズ
 などと表記→語尾の「うす・うず・ゆうす」
          臼・碓・渦 ・酉(夕)州
 日本訳の
 意味は
 アラビア語
 Ibṭ al Jauzah(イブト・アル=ジャウザー)
 「巨人の腋(わき)の下」?
 から来ているとされている・・・「ワキ(湧き)の下は泉水」だろう・・・和気・和木・涌き・沸き・・・和気→和解→訳・・・
 アラビア語の「アル=ジャウザー」は、
 アラビアの古い伝承に登場する
 「女の人名」で固有名詞
 アラビア語の語根
 「j-w-z(ジャウザー)」は「中央」という意味
 から、
 アレンは「中央のもの」と解釈
 G・A・デーヴィス Jr は「白い帯をした羊」と解釈
 「ジャウザーの手」を意味する
 この星のアラビア名の一つ、
 「Yad al-Jawzā'(ヤド・アル=ジャウザー)」に
 由来するとする説が有力・・・?
 この言語の査閲は、ドイツでは20世紀の中頃には既に知られていたが、1980年代になると英米、2010年代になって日本では知られるようになった・・・最近のハナシ・・・
 アラビア文字の写本の段階、ラテン語に翻訳する段階で誤写された・・・他にも、
 アラビア語の
 Bayt al-Jawzā'(バイト・アル=ジャウザー)の
 直訳は
 「双子の家」だが、
 黄道十二宮の1つ「双児宮」の説もある・・・大碓、小碓(日本建命)は「双子の弟」だった・・・
 「ペテルギウス」
  ↓
 「オリオン座α星は、オリオン座の恒星で全天21の1等星の1つ。おおいぬ(大犬)座のシリウス、こいぬ(小犬)座のプロキオンともに、冬の大三角を形成・M型の赤色超巨星、変光星、形状が変化する脈動変光星」・・・
 ベテルギウス(オリオン座α星)の質量は太陽の約20倍、赤色超巨星で不安定であることから、地球周辺で「II型超新星爆発を起こす」カモ・・・とされているらしい。
 2013年、エックス線観測衛星「すざく(朱雀)」によって「1604年ケプラーの超新星爆発の観察で、他の超新星に比べて金属量が3倍」・・・超新星残骸 「おうし(牡牛)座」の「かに(蟹)星雲」・・・
ーー↓
 「辰星」・・・辰の類字は「振・震・蜃・唇・辱」・・・「ふるえる」・・・
 「北斗七星」は、その「対象の星座の形」からの「漢字」であろう。「柄杓形」、「北辰一刀流」の「刀剣の形」で、「素戔嗚(須佐之男)」の「十握剣(とつかのつるぎ)」で「八岐大蛇・八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)の尾を切り裂いて取り出した「つむ曲がりの柄の剣・都牟刈太刀」である・・・高天原から地上に持ち込んだのは「邇邇芸尊(瓊瓊杵尊)」である。
 そして太刀は「倭姫」から「日本建命」へ渡された。「建命」、「月建」とは「北斗七星の部分(斗柄、剣先星)が夕方のどの方角(十二支)を向いているかで各月の名とした。冬至(旧暦の十一月)に、夕方(酉の時刻)に斗柄が真北(十二支の子の方角)を指すので、「建子の月」と名づけた・・・月名の十二支名である。
 ↓↑
 「十」+「握」
 「都牟(つむ=頭)」+「刈」
 「瓊(まがたま)」+瓊
 「杵(きね)=木+午」→対は「うす・臼・碓」
 「沓(くつ・靴)=水+日」+「薙」
 「天」+「叢」+「雲(くも)」
 「草」+「那」+「芸(わざ・藝)」
 「草」+「薙=艸+雉(きじ)」
 ↓↑
 都牟刈大刀(つむがりのたち)
 都牟羽大刀(つむはのたち)
 八重垣剣
 沓薙剣
 天叢雲剣
 草那芸之大刀
 草薙剣
 ↓↑
 剣(つるぎ)の形状(柄と本身の形)である・・・「惑星=緯星」、「恒星=経星」、「彗星=筆星=昭明星=五残星=獄漢星=四填星=燭星=大賊星=六賊星=司危星=贏=客星」・・・「流星=墜星」・・・「紫薇苑」・・・
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 太陽・・・・三本足のカラス
       鴉・烏・八咫烏=金鵄
       香良洲=からす→枯らす
           涸らす・嗄らす
           借らす・狩らす           
           駆らす・刈らす
           加羅州・韓州
           漢州・唐州・空州
ーー↓
 水星・・・・辰星・Mercury・Mercurius
       公転周期 (P) 87日 23.3時間
             (0.2408467 年)
       会合周期 115.88 日
       自転周期 58日 15.5088時間[2]
           (恒星日)
         175.84 日
           (太陽日)
       日の出前と日没直後の
       時間にしか観察できない
       太陽面での通過観測は
       平均
       7年に1度しか観測されない
        ↓
       水星の天行上(黄道上)の
       観察運行は
       季節の春夏秋冬の節気~節気の間の
      「各四時(季節区分)」の
       春分・夏至・秋分・冬至として
       中間の時点を決定する
       ↓
   ヘルメスの伝令杖
   「ケリュケイオン・ラテン語はカドゥケウス」
   二匹の蛇の絡んだ杖
   商売、交通などのシンボル
   占星術・天文学
   水星の記号
   錬金術
   七つの金属が
   惑星によって象徴され、
   ギリシャ神話の
   「ヘルメス・メルクリウス」は
   水銀(辰砂・丹)と関連付けられた
   辰砂(シンシャ・cinnabar)は
   硫化水銀(II)(HgS)
   別名
   賢者の石
   赤色硫化水銀・丹砂・朱砂・水銀朱
   日本では古来「丹(に)」
   ↓
   占星術
   水星は七曜・九曜の一
   双児(双子)宮と
   処女(乙女)宮の
   支配星
   通信・交通、商売、旅行、兄弟
   マヤ文明
   水星はフクロウ
   1羽という時と、
   朝夕それぞれ
   2羽の計4羽とも考えられた
   地下世界からの使者
ーー↓
 金星・・・・太白
  ↑
 地球・・・・
 月・・・・・常儀・姮娥・兎・蟾蜍
  ↓
 火星・・・・螢惑
 木星・・・・歳星
 土星・・・・填星・鎮星
 天王星・・・天応
 海王星・・・海王
 冥王星・・・
 彗星・・・・

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 ・・・占いでの最大イベントは「超新星の爆発」である・・・
 以下、ウイッキペデアから「コペピ」・・・
 ↓
 超新星に関する年表
 超新星、白色矮星、中性子星の理論の発展と
 それに関する発見の年表

  185年
   「後漢書・天文志」の記録
   「客星」が「SN 185」に同定
    最古の超新星の記録
 1006年
   「おおかみ(狼)座」の
   超新星「SN 1006)の記録
   「-9等星」
 1054年
   「おうし(牡牛)座」の
   超新星(SN 1054)の記録
   「かに(蟹)星雲」はその残骸
 1572年
   「ティコ・ブラーエ」が
   「カシオペヤ座」に
   超新星(SN 1572)を発見
   「ティコの星」
 1604年
   「ヨハネス・ケプラー」が
   「へびつかい(蛇使)座に
   超新星(SN 1604)を発見
   「ケプラーの新星」
 1862年
   「エルバン-クラ-ク(Alvan Clark)」が
   「シリウスB」を観測
 1866年
   「ウィリアム・ハギンズ」が
   光のスペクトルの研究で、
   新星のまわりに
   「水素の雲」が包んでいるのを発見
 1885年
   「エルンスト・ハルトヴィッヒ」
   「アンドロメダ銀河 M31」 に
   超新星を発見、観測
   新星と超新星の成因が異なることが知られた
 1914年
   「ウォルター・シドニー・アダムズ」が
   「シリウスB」の高密度であることを示した
 1926年
   「ラルフ・ファウラー」が
   「白色矮星」の性質を説明するのに
   「フェルミ・ディラック統計」を用いた
 1930年
   「スブラマニアン・チャンドラセカール」が
   「白色矮星」となる恒星に
   質量の限界があることを示した
   「チャンドラセカール限界」
 1933年
   「フリッツ・ツビッキー」と
   「ウォルター・バーデ」が
   「中性子星」のアイデアを提案
   「超新星」は通常の
   「恒星」が
   「中性子星」となる時の爆発という説
   超新星爆発が
   「宇宙線」の起源であるという説を示した
 1939年
   「ロバート・オッペンハイマー」と
   「ジョージ-フォルコス(George Volkoff)」が
   最初の中性子モデルの計算を行った
 1942年
   「J.J.L. Duyvendak、Nicholas Mayall」と
   「ヤン・オールト」が
   「かに星雲」が
   「1054年の超新星の名残り」
   であることを示す
 1958年
   「エヴリー・シャツマン、
    Kent Harrison、
    若野省己、
    ジョン・ホイーラー」が
   「白色矮星」が
   「ベータ崩壊の
    逆過程に対して不安定」
   であることを示す
 1932年
   「リカルド・ジャコーニ、
    Herbert Gursky、
    Frank Paolini、
    ブルーノ・ロッシ」が
   「X線星さそり(蠍)座 X-1」を発見
 1967年
   「ジョスリン・ベル」と
   「アントニー・ヒューイッシュ」が
   「パルサー」を発見
 1967年
   「J.R. Harries、
    Ken McCracken、
    R.J. Francey、
    A.G. Fenton」 が
   最初の
   「X線新星(X-ray transient)(Cen X-2)」
   を発見
 1968年
   「トーマス・ゴールド」が
   「パルサー」は
   回転する中性子星であると提案
 1969年
   「David Staelin、
    E.C. Reifenstein、
    William J. Cocke、
    Mike Disney、
    Donald Taylor」が
   「かに(蟹)星雲に
   「パルサー」を発見し、
   超新星と中性子星とパルサーが結びついた
 1971年
   「リカルド・ジャコーニ、
    Herbert Gursky、
    Ed Kellogg、
    R. Levinson、
    E. Schreier、
    H. Tananbaum」が
   「Cen X-3」 から
   4.8秒周期のX線パルスを発見
 1974年
   「ラッセル・ハルス」と
   「ジョゼフ・テイラー」が
   「連星パルサー PSR 1913+16」
   を発見
 1977年
   「キップ・ソーン」と
   「アンナ・ジトコフ(Anna Zytkow)」が
   「Thorne-Zytkow object」の解析
 1982年
   「Donald Backer、
    シリニヴァス・クルカルニ、
    Carl Heiles、
    Michael Davis、
    Miller Goss」が
   「ミリ秒パルサー PSR 1937+214」
   を発見
 1985年
   「Michiel van der Klis」が
   「30 Hz quasi-periodic oscillations」 を
   「GX 5-1に発見
 1987年
   「Ian Shelton」が
   「超新星SN 1987A」を
   「大マゼラン雲」に発見
 2006年
   「Robert Quimby & P. Mondol」が
   「超新星SN 2006gy」を
   「NGC 1260銀河」に
    史上最大規模の爆発発見
 2008年
   「超新星SN 2008dc」が
   「NGC 2770銀河」に発見
   爆発の一部始終が解析された最初の例
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