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コジキジゲン

鼉龍=わに(鰐)・・・🐸=かえる=蛙=黽

2024-11-21 15:35:00 | 古事記字源
 黽=がまがえる・ビン・ベン・ボウ
   あおがえる(靑蛙・靑蛙・蒼かえる)・・・白馬→青馬
   つとめる(務める・努める・勤める・勉める
        僶=人+黽)
  ↓↑

 鼉龍 文 盾 形 銅 鏡
(ダリュウモンたてがたドウキョウ)
  ↓↑
 『日本書紀』
 天照大神を
 象って作られたことや
 試しに
 日像鏡
 日矛
 を鋳造したと伝記
 天宇受売命
 が踊り
 神々が大笑いし
 不審に思った
 天照大御神
 が岩戸を細めに開けた時
 この鏡で
 天照大御神自身を
 映しみせ
 その間
 「天手力男神」
 によって岩戸は開けられ
 外に引き出だされ
 再び
 高天原
 葦原中国
 は明るくなった
 ↓↑
 この「かがみ」は
 天孫降臨の際
 天照大御神から
 「邇邇芸命」
 に授けられ
 この鏡を
 天照大御神自身
 天照大御神=かがみ=鏡・鑑
       加賀見
       甲賀観?
       鑑=ダイコンミズマス
         大 今 水 増
         吾妻鑑
 だと思って
 祀るようにと
 神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下された
 ↓↑
 神武東征
 神器については言及されていない
 ↓↑
 福岡県
 糸島市にある遺跡
 「平原遺跡」出土の
 直径46.5cmの大型
 「内行花文鏡(内行花文八葉鏡)」4面、後に5面
 「大型内行花文鏡」は
 図象のみの大型の青銅鏡で
 文字や神獣などの図柄は無い
 『御鎮座伝記』に
 「八咫鏡」の形は
 「八頭花崎八葉形也」
 とあり
 「八頭花崎八葉形也」
 の図象を持つ考古遺物は
 「大型内行花文鏡」のみ・・・
ーーーーー
 ↓↑
 鍛冶屋の
 ハガネ(鋼・刃金・釼)・・・
 龬=金+罔?
 ↓↑
 2021-07-31
 古事記字源・・・再考
 ↓↑
 祖母「テツさん」のカンジと
 祖母「カジさん」のカンジ
 ↓↑
 still=スティル・・・steal・steel・・・
    副詞:まだ・まで・未だ・なおいっそう
    接続詞的な
    副 詞:それでも
形容詞:動かない・静止した・静かな
    名詞:静けさ・静寂
    まだ依然として
    未だに・まだ
    それにもかかわらず・それでもなお
    いっそう・さらに
    静止して・静かに · 静止した・じっとした
    静かな・穏やかな
 ↓↑
 サッカー日本・・・
    New Zealand(ニュージーランド)
    マオリ語Aotearoa(アオテアロア)
    新西蘭(ニュージーランド)
   「マオリ族の既得権」の侵害
    ニュージーランド政府・議会
    廿(儒・嬬・入・丹生)字亂怒(土)?
    新西蘭
    New Zealand
 ↓↑
 つばさ、飛べッ!・・・🥎(蹴球・足球)
 PK戦・・・\(^_^)/・・・20:38・・・
 娀求(シュウキュウ)?
 ↓↑
 ボクの
 祖母「テツ(鐵・鉄・徹・綴)さん」は母方
 祖母「カジ(鍛冶・鍛治・楫)さん」は父方
 ↓↑
 鍛冶屋のハガネ(鋼・刃金・釼)
 ↓↑
 Iron & Steel =テツとハガネ
   アイアン&スティール
 鋼(はがね・コウ・釼は異体字・steel・スティール)
 ↓↑
 鋼=金+岡・・・岡=堽 
   金+冂+䒑+山
   金+冂+丷+一+山
   コウ
   はがね
   かたい鉄・鍛えた鉄
   鋼鉄・スチール
   炭素含有量2.0%(重量)以下の鉄
   不純物として微量の
   ケイ素・マンガン・リン・硫黄
   などを含む
   異体字「龬=金+罔」・・・?
    岡=堽
   コウ
   おか(岡・崗・丘)?
   小山・小高い土地
 ↓↑  ↓↑
 罔=冂+䒑+亡
  =罒・罓
  「罒=网=目」の変形「横目」
   網羅罭罨罝罠・・・
   罪
   罤=罒+弟
     罒+弚+丿
     罒+八+弔+丿
     罒+丷+弔+丿
     罒+八+弓+丨+丿
     罒+丷+弓+丨+丿
     コン・テイ
     兎(うさぎ・ト)を捕らえる網
    =兄=口+儿
   罔=冂+丷+一+亠
   ボウ
   モウ
   あざむく
   あみ
   くらい
   しいる
   ない
   鳥獣や魚を捕らえるための網
   罪人を捕らえるための法の網
   だます・あざむく・しいる
   こじつける
   道理にくらい・おろか
   罔極之恩(モウキョクのオン)
   両親から受けた報いきれないほどの恩
  「罔極」は限りがないこと
   報いることが出来ないほどの
   限りない恩
   学びて思わざれば則ち罔(くら)し
   龬=金+罔
   金+冂+䒑+亡
   金+冂+丷+一+亠
   未詳・・・?
   ↓↑
  「惘菵棢焹辋䃃蝄網誷輞龬魍䱩」
   ↓↑ 
   「丷乊⺌䒑乥兰龸关龹⺷产屰伞」
 ↓↑
 鉄=金+失・・・金を失う⇔金色を失う⇔黒
   金+𠂉+大
   金+𠂉+一+人・・・金は
           カミサシのイチのヒト
   金+丿+夫・・・・金武の妃都の夫
   金+丿+二+人
   金+丿+一+大
 ↓↑
 鐵=金+土+呈+戈
   金+十+一+呈+戈
   金+十+一+口+王+戈
   金+十+一+口+王+戈
   金+十+一+口+壬+戈
   金+十+一+口+丿+士+戈
 ↓↑
 鐡=金+十+戈+口
   金+十+豆+戈
 ↓↑
 銕=金+夷
   金+大+弓
   金+「夷=大+弓」
   䧅=阝+夷
  阝+大+弓
   䨑=雨+夷
  雨+大+弓・・・アマのオホのユミ
      アマの初めのヒトの瑜の視
   恞=忄+夷
  忄+大+弓
   ↓↑
   姨=女+夷
  女+大+弓
  イ
  おば
  母の妹
  妻の妹
   ↓↑
   咦=口+夷
  口+大+弓
  イ
  キ
  といき・大きなため息
  笑うさま
   ↓↑
   荑=艹+夷
  艹+大+弓
  イ
  テイ
  茅(かや)の初芽・つばな
  め・若芽・草木の新芽
  穀物名
  いぬびえ
  稗(ひえ)の類・・・稗=禾+卑
  雑草を刈る
   ↓↑
   鴺=夷+鳥
  大+弓+鳥
  イ
  テイ
  鴺𩿬(イユウ)=獣名・むささび
       リス(栗鼠)科の哺乳類
  鴺鶘(テイコ)=鳥名・ぺりかん(pelican)
       伽藍鳥(ガランチヨウ)
   ↓↑
   鮧=魚+夷
  ⺈+田+灬+大+弓
  なまず(鯰・癜・魸・鮀)
   ↓↑
   侇=亻+夷
  亻+大+弓
  横たわらせる・据え置く
  横たわる・・・日本列島・・・
 ↓↑
 鋨=金+我・・・金は我(われ・吾・俺)
   オスミウム・・・?
   周期表8族(白金族)貴金属元素
   揮発性の酸化物が刺激臭をもつ
   希少金属
   白金族元素の一
   青灰色の硬い金属
   金属で一番重い
   鉄の3倍
   比重は物質中最大の22.5
   1cm四方の立方体で、22.5+g
   同程度の重さで77番の
   イリジウム(Ir)
   白金(Pt)で、21.45+g
   合金として
   電気接点材料・ハンダ
   ペン先などに使用
   鋨(Osmium・舊譯作銤、鐭・Ngo)
   是一種化學元素
   符號為 Os
   原子序為76
   鋨金屬堅硬、易碎
   呈藍白色
   鋨屬於鉑系過渡金屬
   是自然界中密
   鉑族金屬成員之一
   ↓↑
   硬いが脆い金属
   高温でも光沢を保つ
   圧縮率は非常に低く
   体積弾性率は非常に高く
   ダイヤモンド(443+GPa)に匹敵
   硬度は適度に高く4+GPa
   低い蒸気圧
   非常に高い融点
   (タングステン、レニウムに次いで3番目)
   固体オスミウムは機械加工、形成、研究が難しい
   オスミウム・・・?
ーーーーー
 テツ(鉄)
    かね
    くろがね
    てつ・くろがね・金属名
    かたい・つよい・堅固
    鉄でつくった武器
    刃物
 ・・・カジ(鍛冶・鍛冶・嘉字・可児・舵・檝・楫)・・・
ーーーーー
 明治=メイジ=明示・明史・名辞・名字・・・
 ・・・???
 楫取 美和子
(かとり みわこ)=杉 文=久坂 文
 天保十四年(1843年)?
 弘化二年三月一日?
 1845年4月7日 乙巳年 月 壬戌日
 ~
 大正拾年
 1921年9月7日
    大運1914年10月(69歳)丁亥正財
 ┏乙 巳(戊庚丙)傷官・偏官 絶⇔辛酉印綬
 ┗庚 ┏辰(乙癸戊)偏印・傷官 墓⇔丙申偏財
   冲戊
  壬┗戌(辛丁戊)  ・印綬冠帯⇔癸酉劫財
  丙 午(丙 丁)偏財・偏財 胎⇔戊午偏官
    子丑空亡
 ↓↑
 楫取 素彦
(かとり もとひこ)=小田村伊之助
 文政12年3月15日
 1829年4月18日
 ~
 大正元年
 1912年8月14日
    大運1903年8月(74歳)庚申傷官
 己 丑(癸辛己)比肩・比肩 墓⇔壬子正財
 戊 ┏辰(乙癸戊)劫財・劫財 衰⇔戊申劫財
 己 ┗酉(庚 辛)  ・食神長生⇔壬戊正財
 庚 午(丙 丁)傷官・比肩建禄⇔丙午印綬
   子丑空亡
ーーーーー
 ・・・?・・・
 霵=雨+戢
   雨+咠+戈
   雨+口+耳+戈
   シュウ
   雨音
   雨聲
   暴雨貌
   異体字「𩆭・𩇋」
ー↓↑ー
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8



 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?




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心象のカガミ=鏡・鑑・加賀見・僂(かがむ)・各務

2024-11-20 20:21:58 | 古事記字源
 ヒトビトの協同原則規範・・・
 ぬすむな・うそつくな・サッショウするな
 ヒトビトの対外侵略規範・・・?
 ぬすめ・うそつけ・サッショウすれ

 ↓↑
 軍紀紊乱対策・・・「岩畔豪雄」・・・
 「盗むな・殺すな・犯すな」
 「抗戦する敵は撃破するが
  降伏してきた者はいつくしみ
  無辜の住民を愛護し
  略奪強姦のごとき
  不法な行為を行わないことが
  軍人軍隊の最大最高の
  義務であり、責任である」
  ・・・「今村均」・・・
 「国際法による陸戦法規の遵守は
  国家と国軍の威徳を昂揚し
  とくに敵兵との投降を誘致し
  戦勝に資しえるものである。
  日清、北清、日露、日独
  の諸戦役はこれを確証している」
 ↓↑
 この文章(「戦陣訓」)
 の校閲に関わった・・・
 「島崎藤村」・・・
  島崎 春樹(しまざき はるき)
 1872年3月25日
 ~
 1943年8月22日(71歳没)
      大運1935年10月(63歳)庚戌・劫財
 壬 申(戊壬庚)傷官・劫財帝旺⇔癸未・食神
 癸┏卯(甲 乙)食神・偏財 絶⇔庚申・劫財
 辛┗未(丁乙己)  ・偏印 衰⇔壬子・傷官
 己┗丑(癸辛己)偏印・偏印 養⇔辛丑・比肩
   戌亥空亡・(氏宿)       (觜宿)
 ↓↑
 プーの「軍事侵略=壹仟(阡)一日目」・・・
 狡兎死して走狗烹らる
 コウトシしてソウクにらる
 狡兎死して走狗烹らる
        烹(にる・ホウ・ヒョウ)
        烹=亠+口+了+灬
 生きて虜囚の辱を受けず
 死して罪禍の汚名を残すこと勿れ
 ↓↑
 天都摩羅(あまつまら)=八坂の鏡
 ↓↑
 平群 木菟(へぐり の つく)
 『日本書紀』
 「平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)」
   「木菟宿禰」
    木菟=みみづく=鶹・鵩
    ミミズク=耳木菟・耳木兎
   (木菟・木兎
    鵩・鶹・鵂
    角鴟・鴟鵂)
    梟(ふくろう)科の
    羽角(ウカク・耳)がある種の総称
    古名は「つく・づく」
    羽角=哺乳類の耳(耳介)のように
    突出した羽毛
   「フクロウ」
    と
   「ミミズク」
    の違いは
   「羽角(ウカク)」の有無
  ↓↑
 『古事記』
 「平群都久宿禰」
   「都久足尼」
   「宿禰」は尊称
   「武内宿禰」の子
    平群氏、及び彼の同族の伝説上の祖
    ↓↑
   『日本書紀』
   「仁徳天皇元年正月三日条
    武内宿禰の子」
    大鷦鷯尊(仁徳天皇)
    と
    木菟宿禰
    とは同日に生まれ
    応神の子の産殿には
    「木菟(つく=ミミズク)」
    武内宿禰の子の産屋には
    「鷦鷯(さざき=ミソサザイ)
    がそれぞれ飛び込んだので
    その鳥の名を交換して
    各々の子に名付けた
    ↓↑
   『古事記』
   「孝元天皇段
    建内宿禰(武内宿禰)の子
    七男二女の
    第四子」
    ↓↑
   『新撰姓氏録』
   「右京皇別
    平群朝臣条等
    武内宿禰の子」
    ↓↑
    応神天皇三年是歳条
    百済の
   「辰斯王が天皇に礼を失したので
   「木菟宿禰」は
   「紀角宿禰」
   「羽田矢代宿禰」
   「石川宿禰」
    とともに遣わされ
    その無礼を責めた
    百済は
   「辰斯王」
    を殺して謝罪
    そして
   「紀角宿禰」
    らは
   「阿花王」を立てて帰国
    ↓↑
    応神天皇十六年八月条
   「葛城襲津彦」
    が朝鮮から久しく戻らないため
    天皇は新羅が妨げているとし
   「木菟宿禰」
   「的戸田宿禰」
    を精兵を従えて加羅に遣わした
   「木菟宿禰」
    らが新羅の国境まで兵を進めると
    新羅王は愕然として罪に服し
    弓月君の民を率いて
   「葛城襲津彦」
    と共に日本に来た
    ↓↑
    履中天皇即位前条
    住吉仲皇子(履中の弟)
    太子(履中)に対して反乱を起こし
    物部大前宿禰
    阿知使主
    とともに
    太子に啓したが信じなかったため
    3人で太子を馬に乗せて逃げた
    後
    瑞歯別皇子(反正天皇)の
    仲皇子討伐に従ったが
    仲皇子から離反し
    仲皇子を殺した
    刺領巾について
    自分たちにとっては大功だが
    主君には慈悲がないとして殺害
    履中天皇二年十月条
    天皇が
   「磐余」に都を作った時
   「蘇賀満智宿禰」
   「物部伊莒弗大連」
   「円大使主」
    らと共に国事を執った
   『古事記』では事績に関する記載はない
    ↓↑
 三種の神器
 ↓↑
 八尺瓊勾玉 (やさかにのまがたま)
 八咫鏡 (やたのかがみ)
 草薙の剣 (くさなぎのつるぎ)
 天叢雲剣 (あめのむらくものつるぎ)
 ↓↑
 「神-璽・劒・鏡」
 ↓↑
 『古語拾遺』
 崇神天皇
 鏡と剣は宮中から出され、外で祭られ
 形代が作られた
 草薙剣  熱田神宮
 八咫鏡  伊勢内神宮
 八咫鏡  形代は宮中三殿の賢所
 ↓↑
 八尺瓊勾
 は草薙剣
 の形代とともに
 皇居・吹上御所の
 「剣璽の間」に安置
 ↓↑
 八咫鏡(やたのかがみ)
 八尺鏡(やたかがみ)・古事記
 ↓↑
 伊勢神宮
 皇居
 形代・一般公開はされていない
 ↓↑
 『古事記』
 高天原の八百万の神々が
 天の安河に集まって
 川上の堅石(かたしは)を
 金敷にして
 金山の鉄を用いて作らせた
 ↓↑
 『日本書紀』
 別名
 真経津-鏡(まふつの かがみ)
 ↓↑
 神鏡(シンキョウ)
 宝鏡(ホウキョウ)
 は普通名詞
  ↓↑
 「八咫(やた)」=大きい・多い
 「八十萬神・八尋大熊鰐・八咫烏」
 「咫(あた)=円周の単位」
  径1尺の円の円周を4咫(0.8尺×4)として
 「八咫鏡」
  直径2尺(46センチメートル (cm) 前後)
  円周約147cmの円鏡・・・
  ↓↑
  後漢の学者・許慎の
 『説文解字』
  咫=中婦人手長=八寸 謂 之咫、周尺也
    (ふつうの婦人の手の長さ
      =八寸、これを咫、周尺)
 戦国〜後漢初期の尺
 一寸2.31cm×8寸×8咫=約147cm
 ↓↑
 平原遺跡出土
 「大型 内行花文 鏡(内行花文八葉鏡)」
 直径46.5cm
 円周は46.5×3.14 = 146.01cm
 弥生時代後期~晩期の鏡
 現存
 桶代(御神体の入れ物)の大きさから
 推察される神器の鏡はもっと小さい
 ↓↑
 特大の大きさから
 三種の神器の一つである鏡を指す固有名詞になった
 ↓↑
 伊勢神宮の八咫鏡
 天照大御神の「御神体=八咫鏡」
 神宮の内宮に奉安
 ↓↑
 神道五部書
 類聚神祗本源
 等によれば
 「八咫鏡」の見分記録には
 「八頭花崎八葉形也」
 「八葉中有方円五位象、是天照大神御霊鏡座也」
 この「八咫鏡」は
 明治初年
 明治天皇が天覧した後
 内宮の奥深くに奉納安置
 ↓↑
 宮中賢所
 八咫鏡
 内侍所の唐櫃(『平治物語絵巻』)
 皇居の八咫鏡
 賢所(かしこどころ)に奉置され
 鏡=賢所(かしこどころ)
 ↓↑
 内侍所の神鏡
 天徳四年(960年)
 火災によって
 内侍所の神鏡が
 3枚存在することが判明
 それぞれ
 伊勢・紀伊国日前・同国懸社の神鏡
 寛弘二年(1005年)
 火災によりうち2枚が焼失
 焼け残った1枚が
 伊勢の神鏡(八咫鏡の形代)とされた
 長暦四年(1040年)
 内裏の火災で完全に破損
 寛弘の際は
 改鋳・新造が議論されたが
 この際は議論されず
 神鏡の破片や金属の粒が
 安置された
 ↓↑
 平安時代末期
 平家の都落ちで
 西遷
 寿永四四三月二十四日(1185年4月25日)
 「壇ノ浦の戦い」で
 安徳天皇とともに海中に沈み
 それを
 源義経が
 八尺瓊勾玉とともに回収・・・
 ↓↑
 南北朝時代
 天皇が2人存在
 神器をめぐる主張の食い違い
 建武三年(1336年)
 後醍醐天皇は
 光明天皇に三種の神器を譲った
 南朝側は
 これは偽物であり
 本物は南朝が保有していると主張
 実際に
 正平一統で
 南朝は北朝の神器を接収
 その後の北朝には
 三種の神器は存在せず
 後光厳天皇以降は
 「内侍所御辛櫃」を神鏡の代用としていた
 後小松天皇の代
 明徳三年(1392年)
 南朝から神器が「還御」・・・
 ↓↑
 室町時代
 「禁闕の変」
 嘉吉三年九月二十三日(1443年10月16日)
 後南朝勢力が宮中を襲撃し
 三種の神器のうち
 宝剣と神璽は奪われたが
 神鏡のみは難を逃れ
 翌日
 近衛殿に移された
 ↓↑
 近世の内侍所で
 2つの
 「辛櫃」が奉安
 ↓↑
 宗像大社
 邊津宮の
 八咫鏡
 筑前国風土記の逸文
 古代の記録では
 八咫鏡を
 依代とするのは
 神社では
 伊勢神宮
 と
 宗像大社邊津宮
 だけ・・・
 ↓↑
 記紀神話
 天照大御神の
 岩戸隠れの際に
 「天津麻羅」
 ↓↑
 「天津(隋王朝)?」の
  「麻羅(あさあみ=漁網)?」
  「天津麻羅(あまつまら)」
  「鍛冶 の 神」・・・?
   ヘイパイストス
  『古事記』にのみ登場
  「神・命」などの神号無し
    岩戸隠れの段にのみ登場
  「鍛人(かぬち)
   天津麻羅を求(まき)きて」
   と記録
   何をしたのかは説明なし
   麻羅観音(まらかんのん)
   山口県
   長門市
   俵山温泉
   下安田にある寺院、祠
   子孫繁栄、精力増強
   良縁、恋愛成就、夫婦円満
   などにご利益
   戦国時代に滅ぼされた
   大内氏の1人で
   幼くして殺された
  「大内歓寿丸」
   の霊を慰めるために建立・・・
   ナゼ、「まら」なのか?
  「大内義隆」の末子
  「大内歓寿丸(当時5歳)」は
  「大寧寺の変(1551年)」
   の後に
  「女装」して山中に隠れていたが
   翌年の1552年に
  「陶晴賢」
   の兵に捕らえられ
   兄の
  「大内義尊」
   と同じこの地で殺され
  「男児」であるという証拠の
  「歓寿丸の陰茎(麻羅)」が
   切断され持ち帰られた
   不憫に思った住人が
   その霊を慰めるために
   観音堂を作った
   ヘーパイストス
  (古希Ἥφαιστος・Hēphaistos)
   ギリシア神話の
   鍛冶神
   火山の神
   炎と鍛冶の神
   オリュンポス十二神の一柱
   キュクロープス
   らを従え
   工房で
   様々な武器や道具を造った
   象徴は
   円錐形の帽子・武具・金床・金鎚・矢床
   名前の語源
  「炉・燃やす」
   という意味のギリシア語由来
   インド神話の
   火の神・ヤヴィシュタに由来・・・
   小アジア
   レームノス島
   シケリア島
   の火山帯で崇拝された神・・・
   ローマ神話
  「ウゥルカーヌス(Vulcānus)=火山」
  「ヴァルカン(Vulcan)」
   日本語
  「ヘパイストス・ヘファイストス」
   と記載
   小惑星
  「ヘファイストス=ヘーパイストス」
   にちなんで命名
   ↓↑
   ゼウスとヘーラーの息子で第1子
  「両足の曲がった醜い奇形児」で
   ヘーラーは我が子を
   天から海に投げ落としたが
   海の女神
  「テティス」
   と
  「エウリュノメー」
   に拾われ、9年の間育てられた後、
   天に帰った
   ヘーパイストスはその礼として
   養母二人に自作の宝石を送った
   ↓↑
   他説
   ヘーラーが
   ヘーラクレースの航海を妨害するため
   嵐で船を漂流させ
   ゼウスがヘーラーを罰しようとしたのを
   息子のヘーパイストスがかばおうとし
   ゼウスによって地上へ投げ落され
   1日かかって
   レームノス島に落ち
   シンティエス人に助けられた
   ヘパイストスは
   この時に足が不自由になった
   ↓↑
   他説
   ヘーパイストスは
   ゼウスとヘーラーの息子とされるが
   ヘーラーはゼウスと喧嘩し
   ゼウスと交わらずに1人で生んだが
   醜い男の子だった
   だが
   ゼウスは男なのに
   美貌と才気の女神
   アテーナーを生んだ
   面目を失ったヘーラーは
   ティーターンの力を借りて
   1人で
   テューポーン
   を産んだ
   ↓↑
   ヘーラーから
   冷たく虐められた
   ヘーパイストスは
   仕掛けのある
   宝石をちりばめた
   黄金の椅子を
   母に贈った
   感激した上機嫌の
   ヘーラーが椅子に座ったとたん
   椅子に体を拘束され
   身動きが取れなくなってしまった
   その後
   ディオニューソスが
   ヘーパイストスを酔わせて天上に連れ
   ヘーラーを解放させた
   ↓↑
   『イーリアス』では
   ヘーパイストスは
   ヘーラーに命じられ
   アキレウスを襲う
   河神
   スカマンドロスと対決し
   放射大火炎で
   巨大な河を
   沸騰・蒸発させ屈服させた
   ↓↑
   頭痛に悩むゼウスが痛みに耐えかね
   ヘーパイストスに命じて
   斧(ラブリュス)で頭を叩き割らせ
   頭から
   軍神アテーナーが生まれた
   ↓↑
   ヘーラーが一人で生んだのは
   アレースである・・・
   ↓↑
   ヘーパイストスの妻は
   アプロディーテー(ヴィィナス)
   カリスの
   アグライアー
   ともいわれる
   一説
   天上の妻はアプロディーテー
   地上の妻はカリス
   ↓↑
   ヘーパイストスの子供
   アテーナイの王
   エリクトニオス
   テーセウスに退治された
   ペリペーテース
   アルゴナウタイの1人
   パライモーン
   ↓↑
   ホメーロスの
  『オデュッセイア』
   ゼウスが
   ヘーパイストスに
   アプロディーテーを妻として与え
   だが
   アプロディーテーは
   ヘーパイストスの醜さを嫌った
   ゼウスと
   ヘーラーの子
   軍神アレースは残虐だったが美男子で
   アプロディーテーは
   アレースと浮気関係となった
   ヘーリオス
   からその事実を知らされた
   ヘーパイストスは落胆し、激しく憎悪し
   復讐を考え
   浮気に浸る
   アレースとアプロディーテーが
   寝床に入ったとたんに
   見えない網の罠で
   裸で抱き合ったまま捕獲されてしまった
   この網はヘーパイストスが作った特製の網で
   彼以外解く事が出来ない物だった
   密通現場を押さえたヘーパイストスであったが
   妻が媚態の艶やかなる美しさを
   アレースに晒したことに
   激怒し
   更に辱めを
   浮気妻に与えようと考えていたところ
   伝令の神
   ヘルメースが通りかかり
   ヘルメースが
   アプロディーテーに
   片思いしていることを
   知っていたヘーパイストスは
   密通現場を彼に見せ
   ヘルメースに
   ヘーパイストスは
  「他の十二神を呼んで来て頂きたい
   特に
   結婚の
   仲人をして頂いた
   母上を
   呼んで来て欲しい」
   と頼んだ
   伝令神
   ヘルメースは
   オリンポス中を駆け巡って
   面白いものが見られると触れ回り
   十二神を
   ヘーパイストスの神殿の前に連れて来た
  「これから面白い見世物をご覧に入れましょう」
   と言って
   アプロディーテー
   と
   アレースの密通現場を晒した
   アポローンが
  「ヘルメース殿、以前から
   アプロディーテーと
   臥所を供にしたいと
   申していたそうではないか
   丁度良い機会だ
   アレースと代わって貰ったらどうだ?」
   ヘルメースは
  「入りたいのは山々なれど
   私の一物は
   アレース殿の物と比べ
   頑丈でも逞しくもございませぬ」
   神々が思わず吹き出してし
   アレースは解放された途端逃げたが
   アプロディーテーは
   ただその場で微笑んでいた
   ヘーラーだけは笑えず
   ヘーパイストスは
  「母上
   貴方様より拝領いたしました花嫁は
   他の神々と臥所を共にする
   ふしだらな女にございます
   されば
   ここにのしを着けて
   お返し申し上げますので
   どうぞお引取りください」
   と言った
   神々の前で
   恥を掻かされたヘーラーは
   アプロディーテーを連れ
   神々の失笑する中
   退散していった
   ↓↑
   ポセイドーンの仲介で
   ヘーパイストスは
   アプロディーテーと離婚
   アレースから賠償を受け
   アレースは
   トラーキア
   アプロディーテーは
   クレーテー島での謹慎を命じられ
   アプロディーテーは
   ポセイドーンにこの仲介の礼を与えた
   ↓↑
   他の説
   不仲ではなかった説
   ゼウスとヘーラーが夫婦喧嘩をし
   ヘーパイストスが母ヘーラーを擁護
   これにゼウスが逆鱗
   天界から突き落とされ
   足に障害を負った
   ↓↑
   アポローンは
  「アプロディーテーと
   臥所を共に出来るのならば
   二重・三重に巻かれても構わない」
   と羨ましがった・・・とする説・・・
   アレースは
   アプロディーテーと浮気をするとき
   従者の
   アレクトリュオーンに見張りをさせたが
   アレクトリュオーンは居眠りをしてしまい
   ヘーリオスが天に昇っても
   2人は気付かなかった
   2人はヘーリオスに見つかり
   ヘーパイストスの罠にかかった
   アレクトリュオーンは
   激怒したアレースの怒りを買い
  「鶏(ニワとり)」
   へ変えられてしい
   それ以来、鶏は太陽が昇ると
  「ヘーリオスが来たぞ(コケコッコー)」
   と鳴くようになった・・・
   ↓↑
   結婚後
   アプロディーテー
   に相手にされなかったヘーパイストスは
   アテーナー
   が仕事場にやって来たときに欲情し
   アテーナーと交わろう(強姦)としたが
   処女神の
   アテーナーから固く拒まれたが
   アテーナーの足に精液を漏らし
   アテーナーがそれを羊毛でふき取り
   大地に投げると
   そこから
   上半身が人間で
   下半身が蛇の
   エリクトニオスが誕生した
   アテーナーは自分の神殿で
   エリクトニオスを育てた
   ↓↑
  『ゼウスの雷を鍛えるヘーパイストス』
  (ピーテル・パウル・ルーベンス作
   1636-1638年頃の絵・プラド美術館所蔵)
   ヘーパイストスの発明品
   エピメーテウスの妻となった
   美女パンドーラー
   ゼウスの盾アイギス
   ゼウスの雷
   自動歩行のできる真鍮の三脚器
   アポローン
   と
   アルテミス
   の矢
  「アキレウスの盾」
  「アキレウスの武具一式」
  「青銅の巨人タロース」
   ヘーラクレースが
   ステュムパーロスの鳥退治の際に
   使った青銅の鉦など・・・
  ↓↑
 「天津麻羅」・・・リンガー(男根)
 と
 「伊斯許理度売命」
  ・・・いしごりどめ-みごと
  医師語理訳女-見 事?
  意志語理譯埋-三五十?
 が「鏡」作った・・・
 鼉龍文盾形銅鏡
(ダリュウモンたてがたドウキョウ)
ー↓↑ー
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8



 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?




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イシン=異心・以心・移信・遺臣・・・伝心

2024-11-18 01:55:50 | 古事記字源
 岩倉欧米使節団
 ↓↑

 維新=イシン
   =異心・以心・移信・遺臣
 岩  倉  使節  団
 いわ くら しせつ だん
 維和 句等 私説  談
       私設  斷
 維新の   誌説  譚
  倭国の  
      くら・い
    冥(くらい) =冖+日+六(亠+八)
    昏(たそがれ)=氏+日
    儚(はかない)=イ+夢(艹+罒+冖+タ)
    眩(めまい) =目+玄(亠+幺)
・・・幺=∠+ム
    晦(みそか・つごもり)
     =日+毎
     (𠂉+母)
       母(はは)
       毋(なかれ)=勿・莫
       毌(つらぬく)=貫
    黯(くらい
      くろい)
   =黑(里+灬)+音(立+日)
    黑=口+丷+丨+二+灬
      (灬=火・炏・炎・焱・燚)
      口+丷+丨+一+灬
 炏
 塋=はか=墓=茔
  =𤇾+十+一
   炏+冖+土
   火+火+冖+土
 蛍
 「蛍雪時代」
 ケイセツ=傾説
 大学・試験問題の傾向
   景説
 高橋景保
   景行天皇
   倭建=小碓命
 螢=ほたる・ケイ・ギョウ=蛍
  =𤇾+虫
   炏+冖+虫
   火+火+冖+虫
 学
 學=𦥯+子=斈=文+子
  =𦥑+爻+冖+子
   𦥑+㐅+乂+冖+子
   𦥑+爻+冖+了+一
   𠀉 +爻+彐+冖+了+一
 学=⺍(ツ) +冖+了+一
 㩭=コウ
   みだす・みだれる
  =乱=亂
 㶅=カク・コク・サク・コウ
   夏に水があり
   冬に水がなくなる池や沢
   大波がぶつかり合うさま
  =澩=泶
 㙾=カク・ガク
   岩や石の多い山
  =嶨
 斅=コウ
   教える・考えや知識を授ける
   学ぶ
  =敩=斆
 㰒=ガク
  =十+八+學(𦥑+爻+冖+一+了) 
  =音楽・人名を表す?
 ↓↑
 岩倉使節団
 岩=いわ=磐=巌=巖=嵒=石
      磐余比古=神武天皇
 倉=くら=蔵=藏=庫=嵓
    =鞍
   鞍作太郎=蘇我入鹿
   鞍作=カント
 蒼・・・蒼白
 蒼頡(ソウケツ)
 ↓↑
 明治四年十一月十二日
 (1871年12月23日)
 ~
 明治六年(1873年)9月13日
 日本から
 アメリカ合衆国
 ヨーロッパ諸国
 米欧12ヶ国に対する派遣使節団
 「岩倉具視」
 特命全権大使
 首脳陣や留学生を含む
 総勢107名で構成
 目的
 「不平等条約改正の交渉」
 ↓↑
 1870年7月
 「普仏戦争」
 北ドイツ連邦
 プロイセン王国
 と
 フランス帝国
 の間の戦争
 ↓↑
 ドイツ側の連合国が
 1871年1月
 統一ドイツ帝国成立
 4月
 ビスマルク憲法施行
 5月
 戦争終結
 ↓↑
 1870年10月
 日本政府が
 北ドイツ連邦
 フランクフルト
 の印刷会社
 ドンドルフ・アンド・ナウマン社
 に注文した偽造通貨対策のための
 紙幣(明治通宝)は
 使節団が出発した
 1871年11月
 にはまだ届かなかった
 ↓↑
 明治四年(1871年)十一月十二日(陰暦)
 米国太平洋郵船会社
 の蒸気船
 「アメリカ」号
 で横浜港を出発
 カリフォルニア州(加州)
 サンフランシスコ(桑港)に到着
 アメリカ大陸を横断し
 ワシントン(華盛頓)D.C.
 を訪問し
 約8か月の長期滞在
 その後
 大西洋を渡り
 ヨーロッパ(欧羅巴)各国を歴訪
 ↓↑
 ウィンザー城 (1872年)
 使節団は
 キュナード社の
 蒸気船
 「オリムパス」号
 に乗船し
 1872年8月17日
 イギリス(英吉利・英傑列
      𠸄咭唎・伊幾里須
      諳厄利亜・伊祇利須
      及列的不列顛・大不列顛)
 リヴァプール(里味陂)
 に到着
 ロンドン~ブライトン
 ~ポーツマス海軍基地~マンチェスター
 ~スコットランド
 グラスゴー~エディンバラ~ハイランド地方
 イングランドに戻って
 ニューカッスル~ボルトン・アビー
 ~ソルテア~ハリファクス~シェフィールド
 ~チャッツワース・ハウス~バーミンガム
 ~ウスター~チェスターなどを訪問
 再度
 ロンドン(倫敦)
 1872年12月5日
 ウィンザー城で
 ヴィクトリア女王に謁見
 ↓↑
 1873年3月15日
 ドイツ宰相・・・独逸・独乙
         耶馬尼・徳国・徳意志
         入爾馬泥亜
         日耳曼
         プロシア=普魯社
         孛漏生・普魯士・普魯斯・普魯
 ビスマルク主催
 の官邸晩餐会に参加
 ↓↑
 イギリス(4か月)
 フランス(2か月)
 ベルギー、オランダ、ドイツ(3週間)
 ロシア(2週間)
 デンマーク、スウェーデン、イタリア
 オーストリア(ウィーン万国博覧会視察)
 スイスの12か国訪問
 帰途
 地中海から
 スエズ運河を通過し
 紅海を経て
 ヨーロッパ諸国の植民地
 セイロン、シンガポール、サイゴン
 香港、上海(申)
 等へ訪問
 出発から
 1年10か月後
 明治六年(1873年)九月十三日
 太平洋郵船
「ゴールデンエイジ」号
 で横浜港に帰着
 ↓↑
 明治六年(1873)政変
 朝鮮出兵を巡る征韓論
 ↓↑
 岩倉使節団は
 「大隈重信」
 の発案で小規模な使節団を派遣だったが
 大規模なものとなった
 同行した留学生は
 帰国後、文明開化に貢献したが
 維新首脳の
 木戸と大久保が政治的な対立
 ↓↑
 岩倉は「髷と和服」で渡航し
 アメリカに留学していた子の
 「岩倉具定」
 らに説得され
 シカゴで・・・・詞過誤?
 断髪し・・・・・カミを断つ・神を断絶?
 洋装に改めた・・・?
 ↓↑
 諸外国と結ばれた
 「不平等条約の改正」
 のための予備交渉
 使節団の主目的は
 友好親善
 欧米先進国の
 文物視察と調査
 条約改正の打診
 ↓↑
 1872年7月1日(明治五年六月二十六日)
 欧米十五カ国との
 修好条約が改訂の時期をむかえ
 以降1ヵ年の通告を持って
 条約を改正しうる取り決めであった
 明治政府は不平等条約の改正を図った
 法制度が整っていないこと
 キリスト教禁教政策
 などを理由に不成功・・・
 ↓↑
 謁見した国家元首と国家名の漢字表記
 ↓↑
 アメリカ合衆国・・・亜米利加
 大統領
 ユリシーズ・グラント
 ↓↑
 大英帝国・・・英吉利
 女王
 ヴィクトリア
 ↓↑
 フランス共和国・・・仏蘭西
 大統領
 アドルフ・ティエール
 ↓↑
 ベルギー王国・・・白耳義
 国王
 オポルド2世
 ↓↑
 オランダ王国・・・阿蘭陀
 国王
 ウィレム3世
 ↓↑
 ドイツ帝国・・・独逸
 皇帝
 ヴィルヘルム1世
 ↓↑
 ロシア帝国・・・魯西亜・俄西亜
 皇帝
 アレクサンドル2世
 ↓↑
 デンマーク王国・・・丁抹
 国王
 クリスチャン9世
 ↓↑
 スウェーデン王国・・・瑞典
 国王
 オスカル2世
 ↓↑
 イタリア王国・・・伊太利亜・伊太利
 国王
 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
 ↓↑
 オーストリア・・・墺太利
 ハンガリー帝国・・洪牙利
 皇帝
 フランツ・ヨーゼフ1世
 ↓↑
 スイス連邦・・・瑞西
 大統領
 ポール・セレソル
 ↓↑
 派遣使節団
 使節46名
 随員18名
 留学生43名
 使節は薩長中心
 書記官などは
 旧幕臣から選出
 ↓↑
 福地源一郎
 ジャーナリスト・文筆家
 で活躍し
 立憲帝政党の立党に参画
 ↓↑
 林董三郎
 外交官として活躍
 1902年
 日英同盟締結時の
 駐英公使
 ↓↑
 久米邦武
 ・・・「句目・汲め・組め」+句邇建
 帰国後
 『米欧回覧実記』編集
 ↓↑
 村田新八
 西南戦争で戦死
 ↓↑
 岩倉具視・・・五百円札
 特命全権大使
 ↓↑
 副使官
 木戸孝允(桂小五郎)
 大久保利通
 伊藤博文・・・千円札
 山口尚芳
 ↓↑
 一等書記官
 田辺太一
 何礼之・・・何 礼之(何 禮之・が のりゆき・レイシ)
       天保11年7月13日(1840年8月10日)
       ~
       大正12年(1923年)3月2日
      大運1920年3月(79歳)壬辰・傷官
 庚 子(壬 癸)劫財・傷官長生⇔癸亥・食神
  半合・壬・傷官
 甲 申(戊壬庚)正財・印綬帝旺⇔甲寅・正財・冲
 辛 丑(癸辛己)  ・食神 養⇔甲戌・正財
 己 丑(癸辛己)偏印・食神 養⇔乙丑・偏財
  辰巳空亡
 ↓↑
 幕末~明治時代の
 翻訳家
 幕臣、官僚、裁判官、教育者、唐通事
 通称 礼之助
 姓  「何=が」と読む
 英語稽古所学頭
 長崎に創設した塾
 塾生が300名を越え
 維新後の英才を輩出
 緒方洪庵の適塾
 伊東玄朴の象先堂
 佐倉の順天堂
 と対比すべく
 英学の
 福澤諭吉の慶應義塾に匹敵
 開成所(東京大学)教授
 大阪洋学校(京都大学)創設者
 自由民権運動に影響を与え
 教育者、外交官、翻訳者として
 日本の近代化に貢献
 内務省権大書記官・翻訳局長
 元老院議官・高等法院予備裁判官
 貴族院議員
 ↓↑
 福地源一郎・・・天保十二年三月二十三日
         1841年5月13日
         ~
         明治三十九年(1906年)1月4日
      大運1903年8月(62歳)丙戌・劫財
 辛丑(癸辛己)偏財・偏官 墓⇔乙巳・偏印
 癸巳(戊庚丙)偏官・傷官帝旺⇔戊子・傷官
 丁丑(癸辛己)  ・偏官 墓⇔戊申・傷官
 辛丑(癸辛己)偏財・偏官 墓⇔癸丑・偏官
  申酉空亡
 ↓↑
 幕臣
 明治時代の
 政論家・劇作家・小説家
 幼名 八十吉(やそきち)
 号  星泓・櫻癡(おうち・桜痴)
 別号 吾曹
 東京日日新聞社長
 衆議院議員
 「江湖新聞」発刊で筆禍
 大蔵官僚を経て
 「東京日日新聞」社主筆・社長
 退社後は演劇改良運動に傾注
 活歴劇を創始
 改修物、翻案物
 時代物、世話物を創作し
 劇壇の第一人者となった
 ↓↑
 二等書記官
 渡辺洪基
 小松済治
 林董三郎
 長野桂次郎 - 通詞・長野智子の曽祖父
 ↓↑
 三等書記官
 川路寛堂
 ↓↑
 四等書記官
 安藤太郎
 池田政懋 仏学教授
      長崎税関長
      名村常之助の養子
 ↓↑
 大使随行
 久米邦武・・・
 中山信彬
 内海忠勝
 野村靖
 五辻安仲
 ↓↑
 理事官
 田中光顕
 東久世通禧
 山田顕義
 佐佐木高行
 田中不二麿
 肥田為良
 ↓↑
 随行
 村田新八
 由利公正
 原田一道
 長與專齋
 安場保和
 若山儀一
 阿部潜  - 阿部正蔵の三男
 沖守固
 富田命保
 杉山一成 - 幕臣、検査大属
 吉雄永昌 - 大蔵理事官
       工部省官僚
 中島永元
 近藤鎮三
 今村和郎
 内村公平
 大島高任
 瓜生震  - 三菱財閥幹部
 岡内重俊
 中野健明
 平賀義質 - 判事
       平賀義美の岳父
 ↓↑
 留学生
 金子堅太郎 留学当初は小学生
 嘉永6年2月4日
 1853年3月13日
 ~
 1942年〈昭和17年〉5月16日
 大日本帝国憲法起草者の一人
 従一位大勲位 伯爵

 大日本帝国憲法
 皇室典範
 日本の諸法典を整備
 司法大臣・農商務大臣・枢密顧問官
 日本大博覧会会長
 日本速記会会長
 語学協会総裁
 東京大博覧会会長
 「維新史編纂会」の発足に関わり
 臨時帝室編修局総裁
 『明治天皇紀』編纂局総裁
 維新史料編纂会総裁
 帝室編纂局総裁
 帝国大学法科大学
 慶應義塾
 で法学を講じ
 日本法律学校(日本大学)初代校長
 二松學舍舎長

 福岡藩校
 修猷館を経て
 目賀田種太郎
 や
 相馬永胤
 とアメリカに留学
 ハーバード大学
 ロー・スクールで法律を学ぶ
 帰国後
 帝国大学
 初代行政法講座初代担当者
 (1886年~1888年)
 日露戦争中
 渡米し
 外交交渉・外交工作
 日米協会
 日米同志会などの会長
 誕生
 嘉永6年(1853年)2月4日
 福岡藩士
 勘定所附
 金子清蔵直道の長男
 筑前国
 早良郡
 鳥飼村
 字四反田(福岡市中央区鳥飼)で誕生
 幼名 徳太郎
 万延元年(1860年)
 金山和蔵
 翌年
 正木昌陽
 に師事し漢学修行
 文久3年(1863年)1月
 藩校・修猷館に学び
 慶応4年(1868年)4月
 父・清蔵死亡
 清蔵は1代限りの生涯士分で
 士籍を失い
 銃手組に編入され
 鉄砲大頭役所使番
 1か月後に中番
 勘定所給仕
 銃手組の株を購入
 4人扶持12石
 明治維新後
 修猷館での成績優秀で
 永代士分
 秋月藩へ遊学
 東京遊学を命ぜられ
 元昌平黌中博士
 松山藩大参事
 藤野正啓
 留学
 明治4年(1871年)
 岩倉使節団に同行の
 藩主・黒田長知の随行員
 團琢磨
 とともにアメリカに留学
 ボストンの小学校(グラマー・スクール)に入学
 飛び級で
 中学校(ハイスクールに)入学
 中途退学後
 ハーバード大学
 ロースクールに入学
 ハーバード入学前に
 ボストンの弁護士
 オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア
 (ハーバード大学教授、連邦最高裁判事)
 に師事し
 ヘンリー・スイフト
 と
 ラスル・クレイ
 の共同法律事務所に通い勉強
 ホームズの指示で
 ブラックストンの『英法注解』
 メインの『古代法』
 カトルファージュの『古代都市』
 モルガンの『古代社会』
 を読む
 ハーバード入学後
 小村壽太郎
 と同宿
 在学時代
 ハミルトン、マディソン、ジェイらの
 『ザ・フェデラリスト』
 ハラムの『英国憲法史』
 ルイースの『哲学史』
 ラボックの『文化史』
 を学ぶ
 ジョン・フィスク(ハーバード大学哲学教授)
 にも個人的に教示を受け
 ハーバード・スペンサー
 について学んだ
 学外で
 著名な
 政治家・議員・文学者・哲学者・ジャーナリスト
 等の知識人と交際
 在学中に大学のOB
 「セオドア・ルーズベルト」
 と面識を得
 上院議員
 チャールズ・サムナーの発言から
 エドマンド・バークの存在を知り
 サムナーの愛読書で
 バークの著作を讀む
 ハーバード大学を卒業し
 Bachelor of Laws
 の学位を受領
 帰国後
 1905年頃
 都市民権政社の社員
 小野梓
 馬場辰猪
 らと「共存同衆」に所属
 英米法制度に関する論文作成
 陪審員制度の提案
 憲法私案の作成
 演説会・講演会などで
 自由民権運動を行う
 1880年(明治十三年)
 嚶鳴社の同志
 河津祐之
 と
 沼間守一
 の紹介で元老院に出仕
 青森県令
 山田秀典の次女
 弥寿子と結婚

 ルソー的な
 自由民権派に対抗する
 保守漸進の理論がないかを
 元老院副議長
 佐々木高行から質問を受け
 これに答えて
 エドマンド・バーク
 の名を挙げ
 『フランス革命の省察』
 『新ウィッグから旧ウィッグへの上訴』
 の2書を名著として紹介
 元田永孚
 から
 明治天皇に奉呈
 毎週日曜に
 参議の
 山田顕義
 にバークについて講義
 この2書を抄訳し
 保守主義の政治思想をまとめた
 『政治論略』刊行

 元老院権閣の
 総理秘書官に就任
 大書記官昇格
 北海道視察の後
 開拓に関する建白書を政府に建議
 網走集治監(網走刑務所)の
 囚人(思想犯多数)を
 開拓や道路建設に従事させる提案

 元老院総理秘書官後
 太政官権大書記官
 兼
 元老院権大書記官
 制度取調局御用掛

 伊藤博文内閣
 1910年頃
 1885年以降
 大臣秘書官
 として
 井上毅
 伊東巳代治
 らとともに
 大日本帝国憲法
 皇室典範
 諸法典の起草

 1887年(明治20年)12月
 福澤諭吉とともに
 アメリカ
 ユニテリアン協会から
 アーサー・メイ・ナップ牧師
 を招聘し
 ユニテリアン主義の
 布教ミッション
 のための
 調査活動開始を支援

 1889年(明治22年)
 から翌年
 欧米諸国を視察
 帰国後
 日本法律学校(日本大学)初代校長就任
 貴族院勅選議員
 初代貴族院書記官長
 国際公法学会会員として
 スイス・ジュネーヴ
 での国際会議出席

 第2次
 伊藤内閣
 農商務次官
 第3次
 伊藤内閣
 農商務大臣
 第4次
 伊藤内閣
 司法大臣
 農商務次官在任中に
 製鉄事業調査会の委員長
 官営八幡製鐵所の設置を決定

 日露戦争時
 日米友好親善
 1904年(明治37年)
 第1次桂内閣
 ロシアとの開戦決意
 2月
 金子は
 日露戦争が勃発
 ハーバード留学時代に
 セオドア・ルーズベルト
 アメリカ大統領と
 伊藤博文枢密院議長の説得を受け
 同月末出帆の船で渡米
 ルーズベルト大統領に常に接触
 全米各地で講演
 アメリカ世論に
 日本の立場を訴えた

 「日本は
  領土的野心のために
  戦っているのではない
  ペリー提督が
  もたらした門戸開放のために戦っている
  将来は
  世界皆兄弟という
  東洋西洋の聖教の本旨を実現させる
  希望を日本人は抱いている」

 1905年(明治38年)8月
 ポーツマス会議(第7回本会議)
 で
 償金問題
 樺太割譲問題
 で日露双方の意見が対立し
 交渉が暗礁に乗り上げ
 外相の
 小村壽太郎全権
 より依頼を受け
 ルーズベルト大統領と会見し
 援助を求め、講和の成立に貢献
 同年10月に帰国

 1906年(明治39年)
 枢密顧問官
 自ら
 「憲法の番人」
 と称した

 日露戦争後
 枢密顧問官
 日本大博覧会会長
 日本速記会会長
 語学協会総裁
 東京大博覧会会長
 子爵に叙爵
 維新史編纂会の発足に関わり
 臨時帝室編修局総裁
 『明治天皇紀』編纂局総裁
 維新史料編纂会総裁
 帝室編纂局総裁
 などを歴任
 『明治天皇紀』
 完成の功により伯爵に昇爵
 『維新史』を奉呈
 東京上野日本美術協会で
 大橋翠石百幅展の発起人として開催
 勲一等旭日桐花大綬章

 ジュネーヴ国際会議出席後は
 アメリカを経て帰国
 渡米中に調査したことをまとめて
 「トラストの利害」
 「米国経済と日本興業銀行」
 等を発表
 憲法制定の功により男爵となった後
 ハーバード大学から
 憲法制定等の功績により
 名誉法学博士号(L.L.D)を受けた
 米友協会会長
 日米協会会長
 を歴任した後
 賀川豊彦
 松田竹千代
 三木武夫
 らとともに
 「日米同志会」会長
 晩年
 日米開戦を憂慮
 1942年(昭和17年)5月16日
 腎盂膀胱炎のため
 神奈川県
 葉山別邸
 恩賜松荘にて死去
 享年90
 葬儀は同月20日
 築地本願寺で
 原嘉道(枢密院議長)
 が葬儀委員長となって行われた
 墓所は
 青山霊園
 ↓↑
 岩倉使節団
 シカゴ滞在中の
 女子
 留学生5名も渡航
 ↓↑
 新暦1872年2月
 永井繁子
 上田悌子
 吉益亮子
 津田梅子(当時満6歳で最年少)
 山川捨松
 ↓↑
 留学生のほとんどは士族
 清水谷公考
 坊城俊章
 万里小路正秀(万里小路正房八男)
 武者小路実世(武者小路実篤の父)
 錦小路頼言 公家
 ↓↑
 イギリス留学
 中江兆民・・・
 鍋島直大
 百武兼行
 前田利嗣
 毛利元敏
 ↓↑
 イギリス・フランス留学
 前田利同
 ↓↑
 アメリカ留学
 金子堅太郎
 日下義雄
 木戸孝正
 黒田長知
 高木貞作
 團琢磨
 津田梅子
 鳥居忠文
 永井繁子
 牧野伸顕
 三岡丈夫
 山川捨松
 山脇正勝
 吉川重吉
 ↓↑
 ドイツ留学
 平田東助
 武者小路実世
 ↓↑
 ロシア留学
 清水谷公考
 万里小路正秀
 ↓↑
 留学
 大村純熈
 朝永甚次郎
 長岡治三郎
 錦小路頼言
 坊城俊章
 ↓↑
 随員
 新島襄(通訳)
 同志社英学校をひらき
 キリスト教の伝道
 ↓↑
 岩倉具綱
 大久保利和
 畠山義成(杉浦弘蔵)
 牧野伸顕
 山縣伊三郎
 山口俊太郎
 吉井幸輔
 吉原重俊(大原令之助)
 ほか・・・
 ↓↑
 キリシタン禁制の
 高札撤去と
 信教の自由の保障
 ↓↑
 岩倉具視は
 各国から
 浦上キリシタンへの
 非人道的行為(浦上四番崩れ)
 外海と長崎湾周辺における
 キリスト教徒の大規模な捕縛など
 厳しく非難され
 日本において
 信仰の自由を認めるよう迫られ
 キリスト教徒への弾圧が
 条約改正の障壁になっていると判断し
 使節団はその旨を日本へ打電通達
 政府は
 1873年(明治六年)2月24日
 太政官布告第68号で
 キリシタン禁制の高札を撤去
 ↓↑
 3月14日
 関係各県に流配されていた
 浦上の
 キリスト教徒を帰還させる命令発布
 5年の流刑を経て
 1,930人が浦上に帰ることが許された
 1889年(明治二十二年)
 公布の
 大日本帝国憲法により
 信教の自由が保障
 ↓↑
 金貨の鋳造・発行に
 必要な資金を調達する契約を
 カリフォルニア州
 バンク・オブ・カリフォルニア
 と結ぶ
 ↓↑
 1984年
 バンク・オブ・カリフォルニア
 は
 三菱銀行
 により買収され
 1996年
 東京三菱銀行誕生に伴い
 東京銀行傘下の
 ユニオン・バンク
 と合併し
 MUFGユニオン・バンク
 として現存
 契約書には
 伊藤博文
 大久保利通
 が署名
ー↓↑ー
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8



 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?


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縄文の「object(オブジェクト)」の意味?

2024-11-15 23:20:45 | 古事記字源

 縄文土器・・・
 遮光土偶・&・半人半蛙深鉢土器
 ↓↑
 光を遮るって・・・
 半ヒトって・・・・
 半カエルって・・・
 ・・・胎児が
    女性の
    子宮
    陰唇(ラビア=labia)
    から出てくる時の
    塑像(ソゾウ)
    可塑性のある軟材を用いて
    造形された立体象
    泥像・泥塑・捻・塐(素)
    などとも
    二次元的な芸術表現(絵画)
    に対して
    三次元的な芸術表現の総称
    木や石などを
    彫り刻む彫像(カービング)
    と
    心棒に粘土など可塑性素材を
    肉付けしていく塑像(モデリング)
    を云う
    縄文土器の側面に
    箆と素手で施した粗象付き深鉢
 ↓↑

 漢字形象がイメージさせる
 形而下的で
 具体的な状況・・・
     常況と情況
 プチブル意識の大衆に埋没しながら
 愚痴っているヤツって・・・
 オマエだろう・・・
 ↓↑
 及ぶ・・・カンジる漢字(からもじ)・・・
     「及=キュウ=吸=扱=級」
 乁=丿=及=人+㇋=丿+乀+㇋
     及=乃+乀
       乛 +丿+又
       尸+乂       
       ユ+丿+乂

     廴(ひく・イン)=延長
     廴=ㄋ+乀  朝廷・法廷・艦艇
           庭園・遅延・延長
  「ㄋㄟ」=「~だね」みたいなカンジ?
  「ㄋㄟ」=「ネエィ」
  「𠄎」 =「乃」の古字
 キュウ
 および・およぼす・ならびに
 ふたつ以上のものを並列させる
 いたる=至・到る・之・延
 追いつく・達する
 およぼす・行きわたる・行きわたらせる
 ↓↑
 衣(ころも)=亠(音)+𧘇(裔・末裔)
   亠+イ+㇀+卜(乀+㇒)
     ㇒+㇙(𠄌)
   表=龶+𧘇
   袁=土+口+𧘇=長袖・long-sleeve
          裾の長い衣類
          袀(キン)・袂(たもと)
     ・・・袁世凱
   ↓↑
   移動する・追及・及第
   「及」の古字(『説文解字』掲載)
   「乀」の誤用・・・
   呉音 イ・キュウ
   漢音 イ・キュウ
   亠+執+𧘇=䙝=亠+幸+丸+𧘇
       =セチ・セツ・ダイ・ナイ
        けがれる(汚れる・穢れる)
        なれる=慣れる
        ふだんぎ=普段着
   異字体「亵=亠+扌+丸+𧘇」
 ↓↑
 井戸尻 遺跡・・・
(いどじりいせき)
 イド
「怡土・緯度・異土・伊土」
   ジリ 
   字理
     イセキ
     移籍・伊籍
     医籍・堰
   夷石(イセキ)
   ↓↑
  「日本中央石碑」
   青森県東北町にある石碑
   1949年(昭和24年)6月21日
   甲地村・・・甲チ
   であった
   石文集落・・イワもよう
   近くの
   赤川上流で・・あかがわ
   千曳・・・・・ちびき・センひき
   在住の
  「川村種吉」・・・種の吉
   により発見
   高さ1.5mほどの自然石に
  「日本中央」
   と刻まれている碑
  「壺の碑(つぼのいしぶみ)」
   12世紀末の歌学者
  「藤原顕昭」
  ・・・顕正・検証・謙称
     憲章=マグナ・カルタ
    (大憲章 ラテン語 Magna Carta
         英  語 Great Charter
             of the Liberties
    「自由大憲章」)
 イギリス連合王国の
 国王の権限を制限する
 不成典憲法
 1215年6月19日
 貴族たちの要求で
 サリー近郊
 ラニーミード
 で制定
 イングランドで
 法の支配が初めて確認
 後
 「マグナ・カルタ」
 は
 教皇インノケンティウス3世
 の勅令により無効
 その後復活し数度改正され
 1225年
 ヘンリー3世による
 「マグナ・カルタ」
 の一部は
 イギリスの憲法を構成する法典を構成

  『袖中抄(シュウチュウショウ)』
 振袖(そで)の
 中の
 抄=ショウ・ソウ・写す
 漉く(すく)・すくう
 掠める=かすめとる・奪いとる
 抄いとる・すくいとる
 書き写す・うつしとる
 抜き書き・抜き書きする
 漉(す)く・紙をすく・紙漉き
 日本語
 注釈書・注釈をつける
 で
 「坂上田村麻呂」が
 巨大な石に
 矢の矢尻で
 「日本中央」と書いたと記録
 和歌の歌枕
 「壺の碑・坪の碑・坪石文」
 は
 「遠くにあること」
 「どこにあるか分からない」文言に付く 
 津軽の
 安藤氏は
 「日之本将軍」を自称
 天皇にも認められていた
 「豊臣 秀吉(木下藤吉郎)」
 の手紙には
 奥州を
 「日本(ひのもと)」
 と記載
 ↓↑
 「坂上 田村麻呂」
    「坂本(坂下)龍馬」?
 はこの地に到達していない・・・が
 「文屋 綿麻呂」・・・ナゼ「文屋」なのか?
 はこの地に到達    新「聞屋」?
 ↓↑
 青森県東北町
 「坪(つぼ)」という集落の近くに
 「千曳神社(ちびきジンジャ)」があり
 神社の伝説に
 1000人で石碑を引っぱり
 神社の地下に埋めた・・・
 1876年(明治九年)
 明治天皇が東北地方巡幸の際
 神社の地下を発掘するように命令
 地面が掘られ探索されたが
 石は発見できなかった・・・
 ↓↑
 長野県
 諏訪郡
 諏=言+耳+又・・・
   シュ・ス
   とう(問う)
   はかる(諮る・諮問)
   たずねる(尋ねる・訊く)
   相談する
 訪=言+亠+勹
   訪問
   往訪(オウホウ)
   訪う(おとなう)
   再訪(サイホウ)
   採訪(サイホウ)
   訪(と)う
   訪日(ほうにち)
   来訪(らいほう)
   訪れ(おとずれ)・・・音ずれ
   ↓↑
   織当訪婢(ショクトウホウヒ)
   糸の音の戈を当て
   卑弥呼を訪れる 
   表敬訪問(ヒョウケイホウモン)
 ↓↑
 富士見町の
 縄文時代中期を
 中心とする集落遺跡
 ↓↑
 参照・参考ページ
https://www.bing.com/images/search?q=%e5%8b%9d%e5%9d%82%e5%bc%8f%e5%9c%9f%e5%99%a8&form=RESTAB&first=1
 参照・参考ページ
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=mHcz97KV&id=C688C0DAC4AF1B6C464125FC2B1DFB35E04C6A1C&thid=OIP.mHcz97KV1h889BFQWC0ZOwHaJ0&mediaurl=https%3A%2F%2Fassets.st-note.com%2Fimg%2F1669480194425-JQ6eiLzPx1.jpg%3Fwidth%3D1200&exph=1299&expw=979&q=%E4%BA%95%E6%88%B8%E5%B0%BB%E5%BC%8F%E5%9C%9F%E5%99%A8&simid=608003809117282583&form=IRPRST&ck=EA035DD8EA4966C1DF775A2031C6C204&selectedindex=21&itb=0&qpvt=%E4%BA%95%E6%88%B8%E5%B0%BB%E5%BC%8F%E5%9C%9F%E5%99%A8&cw=1085&ch=566&ajaxhist=0&ajaxserp=0&pivotparams=insightsToken%3Dccid_x91eOwWz*cp_C263A259E6B990F5C0EC6C089940CE99*mid_12585060A1684B8A13C8D76A518CDAFA9C880DC2*simid_608027989748037085*thid_OIP.x91eOwWzfuqWORjaKyLV3gHaJI&vt=0&sim=11&iss=VSI&ajaxhist=0&ajaxserp=0
 ↓↑
 長野県の
 中央に位置する
 八ヶ岳・・・・葉知掛けタケ
 山麓地域
 湧水(わきみず・ユウスイ)
 が沸き
 縄文時代の遺跡が多
 井戸尻遺跡は・・・女陰+尻
 八ヶ岳南麓
 海抜
 800m~1000m
 の尾根や台地上に立地
 釜無川・・・かまなしがわ
 に向かって
 緩やかに落ち込む
 傾斜地となって
 湧水が豊富
  ↓↑
 「箍状 口縁 縦帶 区画文 深鉢」
  箍(たが・コ・ク)=笟
  箍=竹+㧜
    竹+扌+匝
    竹+扌+匚+巾
  笟=竹+瓜
    たが=樽(たる)や桶(おけ)を
       しめる竹で編んだ輪
       金属製の輪
   「たが」をハメる・・・填・扖・嵌
   鎮星=土星(ドセイ)=填星の輪
   「たが」をカケること
  箍(たが)が外(はず)れる
  箍(たが)が緩む(ゆるむ)
  箍(たが)を締(し)める
  箍(たが)を外(はず)す
 ↓↑
 井戸尻・・・「ヲ-いど(女陰)+尻」
 双眼 五重  深鉢(藤内遺跡)
 四方 神面文 深鉢(井戸尻遺跡)
 ↓↑
 ㇙㇚
 ↓↑
 半 人 半 蛙文   深鉢(ふかばち)
(ハンジンハンアモン)(ハチ・ハツ)
 ナカバの字ム・ナカバを替える
       丫(ア)文
       蛙=ア・かえる・蝦蟇
 ↓↑
 人(頭・体・四肢)
 と
 蛙(三本指)
 の特徴を合わせ持った文様土器
 ↓↑
 水煙 渦巻文 深鉢
 神人 交会文 深鉢
 蛇文 装飾  深鉢
 四方 眉月文 深鉢
 ↓↑
 口縁=コウエン・くちふち
    陶器の縁(ふち)にあたる部分
    巻き貝の殻口の縁
    土器や焼き物などの開口部の縁
 ↓↑
 喙=口+彖
   口+彑+豕
   カイ
   くちばし
   ことば
   鳥などの細く突き出た口
   人のしゃべることば
   人の口
 ↓↑
 彖
 彑(ケイ)
 彐部(けいがしら・いのこがしら)
 タン・シ
 ぶた(豕・豚)が走る
 いのしし(猪)が走る
 ↓↑
 易の
 各卦の意味の総論
 論断する・判断(判斷)する
 ~凶吉・吉凶を判断する
 ↓↑
 謂 文王 緣卦 以得其義。
 然則 彖者、掾 之 叚借字與。
 漢官有掾屬。正曰掾。副曰屬。漢舊注。
 東西
 曹掾比四百石。
 餘掾比三百石。
 屬比二百石。
 此等 皆 翼輔其旁者也。
 故
 曰掾。
 ↓↑
 椽=木+彖
   木+彑(ㄴ+ㄱ)+豕
   く+ユ+乑
     彑=∠+ユ=⺈=刀=彐・・・
   ⺽(キョク)=𠀉(左手)+彐(右手)?
   ⺽=キョ・あがる・あげる・こぞって・こぞる
      挙・舉・・・挙手・検挙
異体字「臼・匊・舉=𠀉+与+彐+一+人+手
   裒・⺽・挙」
  ↓↑
  ⺈=勹・ヮ・ク・・・?
   ㄴ+ㄱ+豕・・・・┐・冖・ㄥ+ㄱ+豕
   乑=イ+〃+㇏(㇝)+㇒
       丄=上=⺊⤴・ト⤴
    =㐺・众・伒・眾・𠱦・𰁧
   乑=異体字
    「㐺・众・𰁧」
    =人+人+人=众=衆の簡体字
     ギン
     ハン
     シュウ(衆)
  ならび立つさま・大勢が立つさま
  よじる・よじのぼる=攀
  すがる・たよりにする=攀
  おおい=衆・大衆
  人を三つ重ねて
  多くの人が集まり立つ
  並び立つとの意味を表す
  衆
 衆=血+乑
 聚=取(耳+又)+乑=あつめる
  =集める=蒐・彙・輯・儹
  =湊・鳩・裒・鍾・纂
 潨=氵+血+乑=水の合流箇所・水の流音・岸
   =潀・灇・潈
 㔌=取(耳+又)+乑+刂=
 藂=艹+取(耳+又)+乑=叢・樷・丛
     叢雲の剣・叢書 
   ソウ・くさむら・むらがる
   草がむらがって生えている所
   一ヶ所にあつまる
 㵵=氵+取(耳+又)+乑=シュウ・ジュ・ショ・ジョ
   水の流れが速い・水音
 鄹=取(耳+又)+乑+阝=スウ
   春秋時代・魯の地名・孔子の故郷=山東省
 䝦=豸(チ・ジ・むじな=貉)
   +
   血
   +
   乑=角のある豹の様
   豸=ジ・タイ・ダイ・チ=むじな(貉)
 䠫=足+取(耳+又)+乑=ソウ・ジュ
   酔ってよろめく
   ふらふらと歩く・ちどりあし=千鳥足
 䝒=豕+取(耳+又)+乑=ス・ジュ・ソウ
 驟=馬+取(耳+又)+乑=シュウ
   しばしば・俄に・走る・速い・屡々・度々
   急に・突然
 ↓↑
 彖=豕𧺆也・・・𧺆=走
 玉篇作 豕走悅也
 周易卦辭謂 之 彖
 爻辭謂之象
 𣪠辭傳曰・彖也者、才也・虞翻曰、彖說三才(天・地・人)
 ↓↑
「喙」と類字の漢字
 彖+α
 剶=彖+刂=テン
   木の枝を切りそろえる・剪定する
 㑰=イ+彖=エン
   疲れる・難しい
 掾=扌+彖=エン
   したやく・じょう・たすける・補佐役
   四等官・国司の第三位
 湪=氵+彖=タン・タク・ジョク・ダン・ナン
 猭=犭+彖=テン・デン・エン・セン
   「𤣆猭」=獣の走るさま・兎の走るさま
    兎に似ている獸
    獣が草むらを走る
 蒃=艹+彖=テン・篆に同じ
   漢字の書体の名
   大篆とそれを簡略化した小篆
   印章・篆書が多く用いられることから
 㥟=忄+彖=カイ・ゲ・ケイ
   うらむ
 䧘=阝+彖=テン・テン・タン・ダン
 堟=土+彖=テン・デン
   田のうね(畝・畦)・うねを作る
 椽=木+彖=テン・たるき
   屋根を支えるために
   棟(むね・むな・トウ)から
   軒(のき・ケン・コン)にかけ渡す木材
 瑑=王+彖=テン
   玉器に掘り込まれた浮き彫りの模様
   文字や模様を掘り込む
   彫刻する・篆刻
 腞=月(肉)+彖=テン
   絵や模様などの装飾を施した霊柩車
 褖=衤+彖=タン
  「褖衣(タンイ)」
   赤い縁取りのついた黒い服
   皇后の礼服
 盠=彖+皿=レイ
   瓢箪(ひょうたん)で作った容器
   古代の官職の名
 䂕=矢+彖+=カイ・ガイ・ケ・ゲ
   短い
 禒=ネ+彖=セン・ロク
   示+彖
 篆=竹+彖=テン・蒃に同じ
   漢字の書体の名
   大篆とそれを簡略化した小篆
   印章・篆書が多く用いられることから
 緣=糸+彖=縁=エン
   ふち・えにし・へり・ゆかり・よすが・よる
   衣服のへり・物のへり・まわり
   よる・すがる・たどる・たどる・よじのぼる
   えにし・ゆかり・つながり
   めぐりあわせ・仏教で用いる
   日本語
   えん(縁)・えんがわ(縁側)
   ・・・緑=みどり・リョク
 ↓↑
 蝝=虫+彖=エン
   翅(はね)の生えていない
   蝗(いなご)や
   飛蝗(ばった)の幼虫
   蟻(あり)の子
 ↓↑
 䛹=言+彖=竄・窜=サン・ザン
   はなす(話)・放す=追放
   あらためる・文字や文章を書き換える
   改竄(カイザン)
   かくれる・かくす
   逃げる・のがれる・逃げかくれる
   すてる・追放する
   香りなどが染(しみ・滲)る
 ↓↑
 䞼=走+彖=サン・ザン
   あらためる・かくれる・にげる
 䤸=金+彖=ショウ
   短く小さい矛=鏦
 餯=食+彖=カイ・ケ
 鶨=+彖+鳥=テン・トン・ドン・タン・チ・ジ
 䱲=魚+彖=エン
 ↓↑
 䗍=彖+虫=蠡
 蠡=彖+䖵=蟸・䗍=ラ・リ・レイ
   かい・にな・ひさご・ほらがい
   むしばむ・虫が食う
   木食い虫
   ひさご
   ひょうたんを半分に割って作った器
   にな・ほらがい・巻き貝の一種
   ↓↑
  蟲=虫・䖝
  チュウ・むし
  昆虫類の総称
  動物の総称・・・人間も含めて「蟲」
  日本語
  むし・子供の病気
  ある物事にひどく熱中する人
  おたく
  䖵=コン
  むし
  昆虫類の総称
 ↓↑
 容喙(ヨウカイ)=くちばしを入れること
          横から口出しをすること
          差し出口
 ↓↑
 交喙(いすか・コウカイ)
  喙(くちばし・シ)
  嘴(くちばし・シ)
 ↓↑
 喙長三尺(カイチョウサンジャク)
 跂行喙息(キコウカイソク)
 長頸烏喙(チョウケイウカイ)
 ↓↑
 交喙の嘴(いすかのはし)
 ↓↑
 くちばし(嘴・喙・觜)
 鳥類他の採食器官
 上下の顎が突出し
 口周辺がひと繋がりの角質の板によって硬くなったもの
 頭部の他の部分から滑らかに続くものもあるが
 鳥類ではその間に区別がある
 唇のような柔軟性がないが
 硬いために突くなどする際には効果が大きい
 一般には鳥のそれを指す
 ↓↑
 爬虫類のくちばしは
 鳥のくちばしに似ている
 亀
 翼竜
 恐竜
 鳥に近い一部の
 獣脚類(オルニトミムス、オヴィラプトルなど)
 鳥盤類の大多数(カモノハシ竜、角竜など)
 がくちばしを発達させた。
 イカ、タコ:カラストンビと呼ばれる
 骨格の一部ではなく
 筋肉と連続しており
 先になるほど硬くなる
 ↓↑
 カモノハシのくちばし
 鳥や爬虫類のくちばしに
 外見は似ているが
 摂食器というよりは
 感覚器
 骨格は中心部にしかなく
 軟組織でできている
 白亜紀末
 大量絶滅に前後して
 口の形状が
 歯からくちばしへ進化していた鳥類は
 頭部が軽くなったうえに
 荒廃した地上に残っていた
 植物の種子や木の実を
 割って食べることができ
 歯を持ったままの
 鳥類や小型恐竜などに比べ
 生き延びやすかった・・・の仮説
 ↓↑
 育=云(言・曰・謂)+月
  =冑=由+冃
     由(ユウ)・理由・由緒・由縁
     甶(フツ)
     囟(シン・ひよめき)
 ↓↑
 育=𠫓(とつ)+月(肉)=毓
   𠫓 は生子の倒形
   生まれるときの様子
  . 月=肉・・・冃(頭巾・帽子)=ニ+冂
   亠+厶+月
   𠫓=「子」を上下逆に書いた文字
  「毓」の略字+「肉=月」
  「冑」の異体字
   上の部分が省略された文字
   仮借して
  「そだてる」=育に用いる
  「𠫓=子の左右上下反転の逆字」
  「𠫓⇔云」
   𠫓=亠+ム
    亠=鍋蓋
    音の漢字の略字=立+日(曰)
    亠+䒑+曰
    亠+丷+_

   𠫓=子=「ー+了」=始終=終始
        終わりの始まり=出生
        終了・完了⇔仏=佛

   云=二+ム
    二つに分れたモノ
    開閉する唇(くちびる)
 ↓↑
 毓=毎+㐬=育
   每+㐬
   𠂉+毋+亠+厶+川
   𠂉+母+亠+厶+川
   亠+厶+月
   イク
   そだつ
   そだてる
   はぐくむ
   生む・生まれる
   みちびく・やしなう・しつける
   生長する・大きくなる
   幼い
  ↓↑
  去(キョ・コ)=土+ム・・・過去
  十+一+ム
  亠+亠・ム・・丟
  ㄊ=亠+ム・・・云=ニ +ム
  去=亠+亠+ム
   =十+ㄊ=土+ム
   育+α
   撤・徹・轍・澈・・・徹(とおる)
   疏・流・硫・琉
  㐬=ㄊ+儿+l
  ↓↑
 ・・・荒=「艹+巟」
   =巟=あれる
   =㠩=亾+川(ノ+l+乚)
   亡=亾=乚+人
   亡=亠+乚
   匃=勹+亾
     勹+乚+人
    =匄=勹+亠+乚
    =𠣏=勹+乚+ト
     乚(イン)=乙(イツ・オツ)
     カイ・カツ
     乞う・物をねだる     
     願い求める
  ↓↑
  㐬=ㄊ+儿+l・・・流=氵+㐬
    ㄊ+ノ+l+乚  疏(あらい)
    亠+厶+川   硫黄(いおう)
    トツ・リュウ
    子が生まれる
    突出する=突
    はたあし=旒
  ↓↑
  疏=疋+㐬=䟽=足+㐬=疎=疋+束
    乛+龰+亠+厶+川
    乛+止+亠+厶+川
    ショ・ソ
    あら(荒・粗)い
    うと(疎)い
    うと(疎)む
    おろそ(疎)か
    とおす
    とおる
    まばら
    親しくない・よく知らない=疎
    うとんじる・うとんずる・うとむ
    とおざける。=疎
    おろそか・おろそかにする。=疎
    あらい・おおまか・おおざっぱ
    まばら=疎
    とおる・通ずる・通じさせる=疎
    分ける・分かれる・分かつ=疎
    除く・取り除く・洗い去る=疎
    わけて示す・箇条書きにする
    ときあかす
    ↓↑
    手疏(シュソ)
    情疎・情疏(ジョウソ)
    疎音・疏音(ソイン)
    疎水・疏水(ソスイ)
    疎通・疏通(ソツウ)
    注疏・註疏(チュウソ)
    弁疏(ベンソ)
    綱挙網疏(コウキョモウソ)
  ↓↑
 「撤=すてる・ひらく・テツ・テチ」
    撤退・撤収
 「徹=とおる・とおす・テツ・テチ」
    徹夜
 「澈=きよい・テツ」
 「轍=わだち・テツ・デチ」
 ↓↑
 ヒカリを遮るモノ・・・
 遮光器・・・
 母神の眼はカエルの目
 ↓↑
 遮光土偶
ー↓↑ー
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8



 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?


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十字形に手を広げた藁人形=かかし=案山子

2024-11-13 22:01:22 | 古事記字源
 久延毘古(くえびこ)=山田の案山子
           =十字形に手を広げた藁人形のナゾ解き
 寒い、冷たい・・・白銀の世界・・・
 興味ある「ユウチューブ」を見つけたので・・・

 ↓↑
https://www.youtube.com/watch?v=xIwn83u7CvM
【日本のあれこれ】
 ↓↑
 久米 邦武(くめ くにたけ)
 1839年8月19日(天保十年七月十一日)
 ~
 1931年(昭和6年)2月24日
 歴史学者
 幼名 泰次郎→丈一郎
 号  易堂
 家族
 父 久米楽只 - 佐賀藩士
 妻 釆 - 小野保知の四女
 ↓↑
 岩倉使節団に同行
 『特命全権大使 米欧回覧実記』著作
 1888年(明治二十一年)
 帝国大学
 (東京帝国大学・東京大学)
 教授就任
 1892年(明治二十五年)
 「久米邦武筆禍事件」
 で依願免官
 1894年(明治二十七年)
 立教学校(立教大学)教授
 1899年(明治三十二年)
 同郷の盟友の
 「大隈重信」
 の招きで
 東京専門学校(早稲田大学)講師・教授
 1922年(大正十一年)
 退職
 古文書研究・国史を教え
 歴史学の基礎を構築
 古文書学の創始者
 ↓↑
 肥前国
 佐賀城下
 八幡小路
 佐賀藩士
 「久米 邦郷」の三男として出生
 1854年(安政元年)
 16歳
 佐賀藩校
 弘道館入学
 一歳年上の
 「大隈重信」と出会い
 儒書や史書
 「箕作省吾」著
 『坤與図識(コンヨズシキ・1845刊)』
 などの和漢の世界地誌書を読む
 5年後卒業
 共に尊皇派の
 「枝吉神陽」が結社した
 「義祭同盟」に参加
 弘道館で首席
 ↓↑
 藩主
 「鍋島直大」
  鍋=金+咼=なべ・・・鍋蓋=なべ ぶた(亠)
      咼=冎+口   鍋亠=なべぶた(亠=音)
      咼=カ・カイ・ケ=呙=口+冂+人
        口がゆるむ(緩む・弛む
              弛緩(チカン))
        倦(う)まず弛まず(うまずたゆまず)
        螺子(ねじ)が弛(ゆる)む
       ・・・渦(うず)
           渦巻⇔鳴門
           蝸牛(かたつむり)
           過(あやまち)
           過失・過去
           媧=カ・カイ・ケ=娲
           中国古代の伝説上の女帝
           冎=カ
           えぐる・えぐりとる
           さく・さいてわける
           骨(ほね)・髑髏・骨格
      ↓↑
     「和氏之璧(カシノヘキ)
          =和氏之璧
          =咼氏之璧」
     ↓↑
     島=嶋・嶌=しま・・・揣摩
     直=十+目+乚=値
      =なおす・正直・直接
           女直=女真
     ↓↑
     大=一+人=おほきい・巨大・偉大
       ひとり=日取り・比録り
       比鳥(酉・禽・鶏)・・・
        止利仏師・鞍作止利?
        鳥居の比較・・・鳥居耀蔵?
  ↓↑ ↓↑
 「鍋島直大」
 へ、論語の御前講義
↓↑
 1862年(文久二年)
 25歳
 江戸で
 昌平坂学問所で
 「古賀謹一郎」
 に学ぶ
 翌年帰藩し
 弘道館で教鞭
 前藩主
 「鍋島 閑叟」
 の近侍
 30歳
 弘道館の教諭就任
 1868年
 31歳
 明治維新確立後の
 府藩県三治制にともない
 藩政改革案の立案者
 ↓↑
 廃藩置県後
 33歳
 鍋島家の下扶
 太政官政府(明治政府)に出仕
 権少外史
 1871年(明治四年)
 特命全権大使
 「岩倉使節団」の一員として欧米を視察
 1871年11月12日
 横浜出港~サンフランシスコ到着
 「枢密記録等取調兼各国の宗教視察」
 の役職に就き
 アメリカ合衆国に半年
 イギリスに四ヶ月滞在
 「使節紀行纂輯専務心得」
 を命じられる
 フランスに三ヶ月滞在
 ベルギー・オランダ・プロシア
 デンマーク・スウェーデン・イタリア
 オーストリア・スイス
 などを訪問
 帰路
 フランス
 マルセイユ
 を出発し
 スエズ運河・アジアの諸港を経由
 1873年(明治六年)9月
 横浜に到着
 一年九ヶ月の長期視察
 「杉浦弘蔵」
 の通訳で聞き取り調査
 各地で
 統計書・概説書・地理歴史書
 などを蒐集
↓↑
 帰国後
 太政官の吏員
 視察報告書を執筆
 1878年(明治十一年)
 40歳
 全100巻の
 『特命全権大使 米欧回覧実記』編集
 政府から「500円」の報奨金を受領
 この資金で
 目黒に広大な土地を購入し
 実子
 「桂一郎」をフランスに留学させた
 太政官の
 修史館に入り
 「重野安繹」
 と共に
 「大日本編年史」
 など国史の編纂に尽力
 ↓↑
 1888年(明治二十一年)
 帝国大学教授兼臨時編年史編纂委員に就任
 「重野安繹」
 らとともに修史事業に関与
 1890年
  『史学会雑誌』
 に
 「穢多非人の由来」を発表
 「坪井九馬三」
 らと純歴史学を主張
 1892年(明治二十五年)
 「田口卯吉」
 の勧めにより
 雑誌『史海』に転載した論文
 「神道ハ祭天ノ古俗」
 が問題となり
 両職を辞任
 (久米邦武筆禍事件)
 1894年(明治二十七年)9月
 ~
 1896年(明治二十九年)
 立教学校(立教大学)
 専修科の教授として
 史学を講じる
 1899年(明治三十二年)3月
 「大隈重信」
 の招きで
 東京専門学校(早稲田大学)
 講師
 国史を講じ
 1909年(明治四十二年)7月
 70歳
 文学博士
 1911年(明治四十四年)
 教授・講師制度の発足に伴い教授
 1913年(大正二年)まで講義を担当
 1916年(大正五年)に
 国史講習会の会長
 1918年(大正七年)
 教授の嘱任を解かれ
 講義を担当しない講師
 1922年(大正十一年)
 「大隈重信」
 の死去を受けて講師辞任
 1931年(昭和6年)
 死去・享年93
 1982年(昭和五十七年)
 JR
 山手線
 目黒駅
 西口前
 久米ビル内に
 「久米親子の業績を展示」する
 「久米美術館」開館
ーー↓↑ーー
  丮=‡+⺄・・・𠨭=厂+‡
    左(𠨭)の手で握る
    右(丮)の手で握る
  ↓↑
 「海の向こうから
  大国主のところに
  小さな神がやって来た
  名を尋ねても答えず
  誰もこの神の名を知らなかった
  ヒキガエル・・・引き換える・検索して引き替える
  の
  多邇具久・・・・他字具句
  が
  久延毘古・・・・句重囗十(拾・足・充)上匕
  なら知っているだろう」
 と言うので
 「久延毘古」を呼び尋ねると
 「その神は
  神産巣日神・・・加見纂(簒)諏比加味
  の子の
  少名毘古那神
  ・・・
  少=亅+八+ノ(ヘツ・ヘチ)
  名=夕+口
  毘=田+比(上+匕)=へそ(臍・綣・𦜝)
  古=十+口
  那=尹(⺺・コ+ナ)+阝(阜)
    ⺕+丿+阝(阜・邑)
    𠃌+‡+阝(阜・邑)
 ・・・丮=‡+⺄⇔𠨭
    丮=右手で握る・ケ・キ
     =𢩦=𠃨
    𠨭=左手で握る
      手=𡴤=𠂿
      𠃌+二+丿+阝
     (阝=阜・・・岐阜(ギフ)
      𠂤=タイ・・・碓
        ツイ・・・対
        テ・・・氐=氏+ー
        おか=𠂤・・・追う
           =小高い丘=堆⇔碓=小碓命)
         阜=𠂤+十
           ゴルゴタの丘の十字架
           髑髏   邱 磔刑の‡(柱)
         𠃌+丿+ = + 阝(阜=𠂤 +十)
      呂=吕+ノ=ロ・リョ
      手=𠃨・𢩦・・・乙⺄二十キ‡=丮

  ↓↑
  少名毘古那神
  である」
 と答えた・・・
 ↓↑
 久延彦 神社
 古事記
 「久延毘古=山田のそほど」
 「山田のそほど」=「かかし(案山子)」の古名
 「久延毘古=かかし
       案山子
      =アンザン+シ)」
      「暗算・安産」の
       掛算・安蒜(アンサン)
           蒜子(ひるこ)
         子=一+了=始終
 「安蒜(アンサン)」姓の
  名字の由来と起源
  千葉県に多
  江戸時代の
 「牧士」
  牧師・・・の名前?
  天保十一年(1840年)
  天(あま)を保つ
    壱拾壱
    イチ拾うイチ
    の建築
  下総地方西部の最も古い長屋門
 (しもふさ)・・・上総(かみふさ)
  千葉県松戸市内に
 「安蒜(アンザン)長屋門」
  という建物が現存
  養老二年五月二日(718年6月4日)
  「阿波(あわ)」
   ・・・淡路(あわじ)島
   面積が日本の島で「11番目」に大
   神戸市を左手の人差し指で
  「ㄥ=☞・👉」
       指差している形象
  「安房(あわ)」=房総半島=千葉県
   および
  「長狭」国造
   ↓↑
   長髄彦(ながすねひこ)
   神武天皇(磐余彦)に抵抗し
   惨敗
  『古事記』
   那賀須泥毘古
   登美能那賀須泥毘古
  (とみのながすねびこ)
   登美毘古
  (とみびこ)
    富雄丸山古墳
   「蛇行剣」=2・37メートル
   「鼉龍(ダリュウ)鏡・盾形銅鏡」
    長さ64センチ
    最大幅31センチ
    最大の厚さ0.5センチ
    出土 
    ↓↑
   「長狭」国造
   (ながさのくにのみやつこ
    ながさこくぞう・チョウサコクゾウ
    千葉県
    鴨川市の大部分)
    の領域
    平群郡・安房郡・朝夷郡・長狭郡
    の4郡を割いて
   「安房国」とした
    天平十三年十二月十日(742年1月20日)
    安房国を併合
    天平宝字元年(757年)
    安房国を分割
    ↓↑
   『南総里見八犬伝』
   (なんそうさとみはっけんでん
    南總里見八犬傳)
    曲亭馬琴の長編小説
    文化十一年(1814年)刊行開始
    28年をかけ
    天保十三年(1842年)完結
    全98巻・106冊
    長編伝奇小説
    南総(ナンソウ)=上総(かみふさ)国
    北総(ホクソウ)=下総(しもふさ)国
 ↓↑
 島津家の家紋
 「十字文」
 「丸に十字紋」
 「桐紋」
 「牡丹紋」
 有名な家紋「丸に十字紋」は
 源頼朝から下賜された・・・
 鎌倉幕府初代征夷大将軍
 「源頼朝」
 より
 元暦二年(1185年)
 「島津忠久」
 はわずか6歳で
 島津荘地頭職に任命
 以降、薩摩・大隅・日向の守護職
 越前の守護職も追加
 文治五年(1189年)
 「源頼朝」の鎌倉幕府軍による
 奥州征伐で10歳で従軍
 「忠久」は鎌倉幕府内で特別な御家人であったが
 建仁三年(1203年)
 「頼朝」亡き後の
 「比企能員の変」に連座
 守護職を失ったが
 後に薩摩・大隅・日向の守護職を回復
 ↓↑
 ナゼ
「権=十+八+𠂉+ナ+隹」
   十+八+𠂉+ー+隹(イ+亠+)
         隹=スイ
           ふるとり
           尾の短い鳥の総称
「權」が
「木の雚(艹+吅+隹)」
  「萑」=鳥の象形文字
      のちに「吅」を加えた
     「コウノトリ=鸛」
     「鸛」・・・
     『説文解字』は
     「吅」を音符と説明
      甲骨文字において
      類似した
     「舊」と区別するための
     「羨符(センプ
         無意味な装飾的記号)」
      で
     「吅」なる字の実在は
      確認されていない・・・?
  ・・・「無意味な装飾的記号」ではない
      ダロウ・・・「吅=お喋り」で
     「有意味」である・・・
「權=木+雚
   木+艹+吅+隹
   木+卝+吅+隹
   木+艹+口+口+隹
   木+卝+口+口+隹」
 なんだか・・・?
 權=権=权・・・又=右手
     「丮=‡+⺄=右手で握る」
  =木+雚(艹+吅+隹)
  ・・・雚=萑
      芄蘭=一種草
     雚=萑=荻
       形狀像 蘆葦
       莖可編葦席=雚葦有積
    観=𠂉+一+隹+見
      𠂉+ナ+l+亠+圭+見
   ケン[漢]・ゴン[呉]
   秤(はかり)
   秤に使う分銅(重さの基準となる金属の塊)
   重さを量(はか)る
   状況を量りそれに応じて釣り合いを取る
   釣り合いを
   左右することができる重み、力、立場
   物事を左右できる力や立場を利用して
   支配・指揮する
   仮の・一時的な・一時しのぎに
   その場限りに・苟且(コウショ)
  ↓↑
 「木」の意味と
 「雚=2つの冠毛と
  両眼が強調された水鳥」
  の象形(「鸛=こうのとり」
 ↓↑
 鸛=雚+鳥
   艹+吅+隹+鳥
   卝+吅+隹+鳥
   艹+口+隹+鳥
   卝+口+隹+鳥
   ↓↑
   雚=艹+吅+隹
     卝+吅+隹
     艹+口+隹
     卝+口+隹
     カン
     こうのとり・コウノトリ科の鳥
     がんらん(鴈蘭・贋蘭)・草の名
     ががいも(カガミイモ=鏡芋・輝美芋
          が訛ってガガイモ)
     つる(蔓)草の名
     蘿藦=キョウチクトウ科ガガイモ属
        のつる性多年草である
        中国名は蘿藦
        種子や葉は薬用
        若い芽は食用
     スクナビコナ(少名毘古那・宿奈毘古那・少彦名
            少彦根・小比古尼・少日古根・少日子根)
     スクナヒコ(須久奈比古・小彦・小日子・少名彦)
     スクナミカミ(須久那美迦微)

    『古事記』    少名毘古那神
    『日本書紀』   少彦名命(すくなひこなのみこと)
    『先代旧事本紀』 天少彦根命
            (あまのすくなひこねのみこと)
    『出雲国風土記』 須久奈比古命
    『播磨国風土記』 小比古尼命(すくなひこねのみこと)
     その他     須久那美迦微
             少日子根・・・

    『古事記』
     「神産巣日神(かみむすびのかみ)」の子
    『日本書紀』
     「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」の子
     ↓↑
    『古事記』
    「大国主」の国造りに際し
    「天乃羅摩船
    (アメノカガミノフネ=ガガイモの実)」
     に乗り
    「鵝(ヒムシ=ガ)」
     の皮の着物を着て
     波の彼方より来訪
    「神産巣日神」の命によって
    「大国主」と
     義兄弟の関係となって国造りに参加
     ↓↑
    『日本書紀』
    「ミソサザイ(鷦鷯・三十三才・Linnaeus,1758
     スズメ目ミソサザイ科ミソサザイ属)」
    「ササキ→サザキ→ササギ→ミソササギ」
     冬の季語
     1710年(宝永七年)
    「蘇生堂主人」
     による鳥の飼育書の
    『喚子鳥』で描写・・・
     ↓↑
     西欧の民間伝承
    「ミソサザイ=鳥の王」
        ・・・鷦鷯=鳥の王
              鳥居耀蔵
     グリム童話の
    『みそさざい(鷦鷯)と熊』
     で
    「鳥の王さま」
     と呼ばれ
     コマドリ(駒鳥)と対になって現れる
     コマドリがオス=神の雄鳥=新年の魂
     ミソサザイがメス=神の雌鳥=旧年の魂
     として伝承で夫婦とされた
     ↓↑
    「森の王」
     に立候補したミソサザイ(鷦鷯・三十三才)が
     森の王者
     イノシシ(猪)の耳の中に飛び込んで
     イノシシを倒したが
     森の住人は
     小さなミソサザイを
     森の王とは認めなかった
     ↓↑
     アイヌの伝承
     ミソサザイが
     人食い熊の耳に飛び込んで攻撃し
     他の鳥たち、サマイクル神も参戦し
     クマを倒した
     ↓↑
     スクナビコナは
     ミソサザイ(鷦鷯・三十三才)
     の皮の着物を着ていた
     スクナビコナは悪童でもあり
    (『日本書紀』八段一書六)
     後に常世国へと渡り去った・・・溺れて死んだ
     スクナビコナの名前由来
    『古事記伝』
    「御名の須久那(スクナ)は・・・少名比古名
     大名持(オホナムチ)の
     大名と対であるため」
     必ず
    「大名持(オホナムチ)」
         ・・・「一人タ口の手の寺」
             初児太郎の氐(氏+-)の字?
     と行動を共にする・・・
    「スクナビコナ」
     は、国造りの協力神、常世の神
       医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物
       知識・酒造・石工の神
     など多様な性質を持つ・・・

     酒は古来、薬の一つで
     スクナビコナが酒造りの技術を広めた
     神功皇后が
     角鹿(敦賀)より還ってきた
    「応神天皇」を迎えたときの歌に
    「少名御神」の名で登場し
    「酒造の神」・・・

     石は「磐余」の「岩の割れ、欠片」
     海から来訪した「渡来人」・・・
    「酒造り=太秦(うずまさ)=秦→新羅→倭=大和」
     末裔
    『先代旧事本紀』
    「鳥取」氏の祖神・・・

 権=木+𠂉+ナ+隹
   木+𠂉+一+イ+亠+龶
   いきおい・ちから
  「権威・権力・おもり(錘)・はかりの分銅
   権衡」
  「はかる・はかりごと・もくろみ
  「権謀」
   けんり・権限・人権
   かり(假・仮)・かりそめ(仮初め)
   便宜的な処置

 「権」
  そえ・正に対する副
  主要な要素に対し
  補助的な役割を果たすものを示す

2024-11-03
古事記字源・・・参照・参考
ー↓ー
 なぜ、「ブッダ」は
 「佛=仏=イ+ム(私・よこしま→邪)」
 になったのか・・・横の島・・・
 緯度33度・・・横島→阿蘇山→横島
     ・・・「玉名・熊本・隈本」
         王名=みそさざい=鷦鷯
 孉=𡢸
   女+雚
   ケン[漢]・ゴン[呉]
   美しいさま・可愛らしいさま
  =「婘」
 ↓
 権力の根元・・・根源・・・今現・・・
 「権原・權原」
 「権力・權力」
 「権限・權限」
 の
 「権=權」の漢字
 「権=木+𠂉+隹(スイ・とり・フル鳥)」
 「鳥=白+丂+灬」
 「權=木+雚(カン・こうの・おぎ)
   =木+サ(廾・艸→丱)」・・・
  ナゼ
 「権=權」・・・
 「木の雚(𠂉+隹)」なんだ? ・・𠂉=カミさし
     「𠂉+ナ+l+亠+龶」・・・龶
     「𠂉+ー+イ+亠+龶」・・・龶
  ↓ 
 「雚」
 「草」+「隹(鳥)」+「口口・口々)
 草むらで、鳥が「カンカン」と鳴くさま
 部首の意味は
 しきりに・熱心に・心をこめて
 雚→𠂉+隹
  「𠂉」=「艹+口+口」
  瞿=おそれ・ク・グ
   =目+目+隹・・・・贔屓(ひいき)
            嬰児(エイジ)=赤子
   =おそれ=懼れ・怖れ・惧れ
        恐れ・畏れ・虞
 易経・・・風地雚(風地観)
     =静かなか細い鳴き声
 雚(鸛)=鵠の鳥
     =こうのとり
     ・・・赤ん坊を運んでくる
   =鵠(くぐい)・白鳥の古称
    鴻(くくい)・・・
      九九意・区々意・句々意
   無用之鵠鳥=
   刻鵠不成尚類鶩=後漢書・馬援伝
 子産(シサン?~紀元前522年)
 春秋時代
 鄭に仕えた政治家
 姓は姫
 氏は国
 諱は僑
 字は子産
 「公孫僑」とも
 祖父は
 鄭の
 穆公・・・
 穆=禾+白+小+彡
   やわらぐ・ボク・モク
   おだやか・なごやか・てあつい
   丁寧(テイネイ)
   敦穆(トンボク)
   禾=実の熟すること
   孚=胚胎(ハイタイ)すること
   剖=剖(さ)けること=副
    解剖
   㣎=細文也・從彡、𡭴=省
     彡=言文・𡭴=言細
   㣎=ボク・モク・ビュウ・ミュ
     細かい模様
   穆(ボク) ・ムー
   穆巴拉克 Mùbālākè
       (ムバラク)
   穆罕默德 Mùhǎnmòdé
      (ムハンマド・モハメド)
 父は子国(公子発)
 子は国参(子思)
 紀元前536年、
 人類史上初めて
 成文法を制定・・・?
 「参辟」・・・
 夏、商、周の三代の刑法
 法律を定めて
 鼎(青銅器)に
 鋳込んだ(春秋左氏伝)
ー↓↑ー
  ↓↑   ↓↑
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8



 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?



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