いよいよ「歩け歩け隊」の本領発揮のお時間がやってきました。
午後からの歩きに備えて、とりあえず栄養補給の昼ごはん。
道の駅でちゃっちゃとすませることにしましたが、
結構ボリュームあって大満足。
(私はベタにとんかつ定食をイタダキマシタ。)
腹ごなしのために(?)ここからは徒歩にて、
いよいよ、ウダウダ歩きのスタートです。
まずは、人麻呂公園へ。
飛鳥から都人がこちらへ薬狩りや鹿狩りにやってきた際、
さすがに日帰りはできない距離だし、野宿はできんってことで、
当時はホテルなんてないし(笑)宿泊用の建物があったようです。
発掘作業で柱跡が出たので、その柱位置を示した復元遺跡がありました。
一棟のみ当時の建物を復元したような建物が建っていて、
あとは柱だけの場所の表示。
(ひとつだけ登呂遺跡のような竪穴式住居が復元されていましたけど)
人麻呂公園というからには、ヌシがいます。もちろん人麻呂さん。
足の短くて太い、小さなお馬さんにのった人麻呂の像が公園の中に建ってました。
どうせ作り物なんですけど、それでも当時の日本にいたであろう姿のウマの姿
(背が低くて、足が太くて、小ぶりな馬)で、
考証がなされて作られた像らしくて好印象を持ちましたわ。
この公園から北へ少しいくと、かぎろひの丘万葉公園。
こちらは少し丘になっていて登りますが、たいした距離ではありません。
旧暦11月17日(現代だと12月下旬くらい)には、ここで
「かぎろいを見る会」なるものが行われるそうですが、
なかなかどうして、現地の人でもかぎろひなんて見られるものではないそうで。
ぱっと行って、一見さんが見られる確率は非常に低いらしい。
それでも行っちゃう人がいるんだから、物好きというか、なんというか。
夜明け前の赤紫の光線だから、三時起き、四時起きの世界だそうで、
なにせ夜明け前が一番寒いもんだから、かぎろひを待つ人向けに
火を焚いたり、トン汁を振舞ったりをここの場所でするそうです。
その頃も狙ってみたいなとは思うものの、寒い時期の早起きはしんどそうだ。
次は阿紀神社へ。
バス道を道なりに歩いてくと、若干下り道であることが体感できて、楽チン楽チン。
逆向きだとゆるーい登りになるわけで。
こっちのルートを先にめぐったのは正解だったわと思ったのは、
あとで失敗だったかも~ということに気がつくのだが、先はまだまだ長いのであった。
阿紀神社は少し幹線道路から入ったところ。
午前中に回ったところはどこも山の中とか森の中とかいうところだったけど、
大宇陀のあたりは高原とも山の中とも感じないところ。
せいぜい、近鉄飛鳥駅から壺坂山あたりくらいの感じ。
それでも阿紀神社のあたりにくると、神社の目の前を川が流れ、後ろには森をたたえ、
神社のロケーション、完璧です。
この神社は天照大神が伊勢に鎮まるまで、あちこち「ここじゃない」「ここでもない」
「もっと他の場所を」と転々としていってる中のひとつ。
それに振り回された倭姫命さま大変だったことでしょう。
ここの舞台は、能舞台。
毎年6月には、蛍を放しての薪能が行われるとの事で、ここだったら
ロケーション最高だろうなあ。(先週行われたばかりとのことです)
ここのお社はまさに「伊勢神宮」の元宮らしいお姿。
神宮の原点をここに見たって感じ。
目の前の川では禊が行われたであろう場所もあり、
まさに五十鈴川のような風情。
そして、目の前には田園風景。
これぞ、日本の原点みたいな場所でした。
そして、もとのバス通りに戻りテクテクと歩く。
次なる目的地は「徳源寺」。ここは若干のぼり。
入り口まではなだらかだけど、地図をみると最後は階段ってことになっているらしい。
おそるおそる、なぎさんに「登り道だけど、どーする?」と聞くと、
「午前中は歩いてないし、ここが最後だし、大丈夫!」
よかった(笑)
とりあえず、一回来て見れば納得だから、イコイコ!
寺への入り口でお年寄りの集団と出会い「あっついですねー」
その後、登り階段があるが、個人名の表札の出たポストがあり、階段があり。あり?
幸い、農作業をされているかたに「お墓行くならここの道で行けるよ」と聞き、
隣の坂道をえっこらせーと上ります。
結構登ると民家の一画をお堂にした感じの建物が見えてきました。
あれが、お寺だとして墓所はまだ上。
こうなったら登ってやろうじゃないのと、ますます山道を登る登る。
一応石畳が敷かれていて整備されているのだけど、山道には変わりありません。
ぜーぜーしながら墓地に到着。
ここは織田家の墓所。織田信雄(のぶ「かつ」!)から
四代のお墓が並んでます。信雄は信長の次男。
織田家はその後も続いていくけど、何故信雄以下四代までしかお墓がないかというと
例の「宇陀崩れ」があって、藩主が自害(!)その子は国替え、そして宇陀藩は廃藩
ということになったので、ここには四代までしかないのだわ。
森の中のお墓ということもあって、昼間じゃないと墓参りにはこれない場所。
夜に来たらリアル肝試しそのもの。
昼間であっても、こんなところまで墓掃除にこなくちゃいけないとなれば、
「実家に帰らせていただきます!」だわね。
あとは、重伝建地区の松山の町並みをそぞろ歩きすべく、街中方面へ。
あれこれ見るもの時代劇セットのようで、すべての家を写真とって歩きたいほど。
「薬の館」を見つけて、中へ。
薬問屋だった家屋を改修して、現在は薬に関する資料やら、薬の看板やらの資料館になっています。
建物自体年季が入っているので、中を歩くだけでも楽しい。
福島の喜多方ではよくみかけた蔵屋敷もあって、蔵の中にも展示室。
関係ないけど、ここのお風呂は土間の真ん中にあって、焚き付けをするのが楽そうでした。
しかし、この通りあまり人通りがない。
タクシーが予約でいっぱいだといっていた割には、人とすれ違うことも少ない。
ひろこさんが「あ、四時半になっちゃう~あちこち閉まっているよね」
そこで初めて時計の存在に気がついた。
(人麻呂公園も、阿紀神社も、織田家廟所も入場時間に関係ない場所だったから)
げげげ。マジだ…。
通りを歩くだけならば暗くなるまで歩けるのだけど、この通りにあるお店やら、
ギャラリーやらを見て歩くにはちと遅かったようです。
そこでいきなり足早になって、大宇陀での最大の目的地「森野旧薬園」へと急ぎます。
途中「きみごろも」のお店の前を通りかかると、店主が店じまい途中。
「もう終わりですか?」
「はい、売り切れです」
あら残念。人手は結構あったようですが、そのご一行様はすでにこの地を去られた様子。
売り切れですかそうですか。それは結構なことで。
とりあえず森野旧薬園にたどりつくも、入り口の門は閉まっておりました。
グハっ、遅かったかと思ったら、門には「見学の方は店内よりお入りください」の文字。
駄目元で声をかけてみたら「まだ大丈夫ですよ」
とりあえず薬園の閉園時間の5時までは見せていただけるようです。
お店から中へ入ったところには、冬ならば葛造りをしているU型の水槽が向かい合わせに二つ。
遠目でみるとそうめん流しの機械のようにありました。
今は時期じゃないので、作ってませんでしたが、冬にくるとここでの作業も見られるのかな。
さっき、廟所に行くときに「これで上りは最後」と思っていましたが、
そういえば森野の薬園は裏山の斜面に薬草を植えていたんだっけというのを今頃思い出し。
ちょろっと登った映像は先週のNHKでも見ていましたが、どこまでいけるのかについては
未知の領域だったので、最後の最後で「山登り」になってしまった。
ごめんね、なぎちゃん。
吉宗の頃、幕府の薬草調査研究に随行していった薬草に詳しい森野藤助さんが、
その後幕府からお礼に5種類の薬草を下げ渡しされ、
それを裏山に植えたのが薬園の始まりとのこと。
斜面には見学者のことを考えて、立て札もかかっていて、植物名と何に効くかも書いてありました。
もっと一つ一つのんびり見て回れればよかったのでしょうが、駆け足で見て回ってもかなり
楽しめました。帰りにはお詫びもこめて、葛菓子などを各人購入。
とりあえずお土産もできたし、よかったよかった。
途中見つけたお菓子屋さんで、「きみごろも」ではないにしろ「きみづつみ」なるものを購入。
「きみごろも」を買って帰ると約束していたので、どんぴしゃではないにしろ、
同じようなものをゲットできたのはよかったよかった。
(味はだいぶ違うようなので、今度は「きみごろも」を是非ともゲットしたい)
買っている最中に町内放送(?)で5時のチャイム
「蛍の光」が流れてきて「はやく帰りましょう」と催促(笑)
近所のお医者様の看板にも診察時間午後1時~4時って書いてあったから、
宇陀時間は四時で終わりなのではないかと>各所。
今度宇陀に来るときは、終了時間を四時くらいにしないといかんかもね。
(お店関係は早めに回るのが吉だと判った)
まだ回れば、町並みだけは歩けるし、大願寺というスポットもあったのだけど、
バス時間もあることだし、次回繰越ということに。
大宇陀まではバスも一時間に3本出ているし、
榛原から20分という距離なので、そう遠くはありません。
ならばまたの機会のお楽しみに残しておきましょう(強がり)
道の駅にてしばし涼を取り、ビールやソフトクリームにてお疲れさん。
調べておいたバスに乗り込んで本日は予定終了となりました。
榛原は今まで奈良と名古屋の通過点で、何度も通ってはいたものの、
下車したことはなかったので今回初めて降り立ってみて、好きになっちゃった。
大宇陀はどっちかっていうと、同じ宇陀市の中でも「室生寺」よりも開けた感じはするし、
奥深い場所でもタクシーつかえば自由自在(笑)
次は「桜の銘木巡り」とか「天誅組ゆかりの場所」とか
「巨木特集第二弾!お葉つき銀杏と千年桜」とか
やりたいわねー。もちろんタクシー乗車にて(笑)
今まで空白地点だった宇陀の地が、一気に埋まった気がしてかなり満足でした。
ふりまわしたお二人、お疲れ様でした。
また行きましょね♪
午後からの歩きに備えて、とりあえず栄養補給の昼ごはん。
道の駅でちゃっちゃとすませることにしましたが、
結構ボリュームあって大満足。
(私はベタにとんかつ定食をイタダキマシタ。)
腹ごなしのために(?)ここからは徒歩にて、
いよいよ、ウダウダ歩きのスタートです。
まずは、人麻呂公園へ。
飛鳥から都人がこちらへ薬狩りや鹿狩りにやってきた際、
さすがに日帰りはできない距離だし、野宿はできんってことで、
当時はホテルなんてないし(笑)宿泊用の建物があったようです。
発掘作業で柱跡が出たので、その柱位置を示した復元遺跡がありました。
一棟のみ当時の建物を復元したような建物が建っていて、
あとは柱だけの場所の表示。
(ひとつだけ登呂遺跡のような竪穴式住居が復元されていましたけど)
人麻呂公園というからには、ヌシがいます。もちろん人麻呂さん。
足の短くて太い、小さなお馬さんにのった人麻呂の像が公園の中に建ってました。
どうせ作り物なんですけど、それでも当時の日本にいたであろう姿のウマの姿
(背が低くて、足が太くて、小ぶりな馬)で、
考証がなされて作られた像らしくて好印象を持ちましたわ。
この公園から北へ少しいくと、かぎろひの丘万葉公園。
こちらは少し丘になっていて登りますが、たいした距離ではありません。
旧暦11月17日(現代だと12月下旬くらい)には、ここで
「かぎろいを見る会」なるものが行われるそうですが、
なかなかどうして、現地の人でもかぎろひなんて見られるものではないそうで。
ぱっと行って、一見さんが見られる確率は非常に低いらしい。
それでも行っちゃう人がいるんだから、物好きというか、なんというか。
夜明け前の赤紫の光線だから、三時起き、四時起きの世界だそうで、
なにせ夜明け前が一番寒いもんだから、かぎろひを待つ人向けに
火を焚いたり、トン汁を振舞ったりをここの場所でするそうです。
その頃も狙ってみたいなとは思うものの、寒い時期の早起きはしんどそうだ。
次は阿紀神社へ。
バス道を道なりに歩いてくと、若干下り道であることが体感できて、楽チン楽チン。
逆向きだとゆるーい登りになるわけで。
こっちのルートを先にめぐったのは正解だったわと思ったのは、
あとで失敗だったかも~ということに気がつくのだが、先はまだまだ長いのであった。
阿紀神社は少し幹線道路から入ったところ。
午前中に回ったところはどこも山の中とか森の中とかいうところだったけど、
大宇陀のあたりは高原とも山の中とも感じないところ。
せいぜい、近鉄飛鳥駅から壺坂山あたりくらいの感じ。
それでも阿紀神社のあたりにくると、神社の目の前を川が流れ、後ろには森をたたえ、
神社のロケーション、完璧です。
この神社は天照大神が伊勢に鎮まるまで、あちこち「ここじゃない」「ここでもない」
「もっと他の場所を」と転々としていってる中のひとつ。
それに振り回された倭姫命さま大変だったことでしょう。
ここの舞台は、能舞台。
毎年6月には、蛍を放しての薪能が行われるとの事で、ここだったら
ロケーション最高だろうなあ。(先週行われたばかりとのことです)
ここのお社はまさに「伊勢神宮」の元宮らしいお姿。
神宮の原点をここに見たって感じ。
目の前の川では禊が行われたであろう場所もあり、
まさに五十鈴川のような風情。
そして、目の前には田園風景。
これぞ、日本の原点みたいな場所でした。
そして、もとのバス通りに戻りテクテクと歩く。
次なる目的地は「徳源寺」。ここは若干のぼり。
入り口まではなだらかだけど、地図をみると最後は階段ってことになっているらしい。
おそるおそる、なぎさんに「登り道だけど、どーする?」と聞くと、
「午前中は歩いてないし、ここが最後だし、大丈夫!」
よかった(笑)
とりあえず、一回来て見れば納得だから、イコイコ!
寺への入り口でお年寄りの集団と出会い「あっついですねー」
その後、登り階段があるが、個人名の表札の出たポストがあり、階段があり。あり?
幸い、農作業をされているかたに「お墓行くならここの道で行けるよ」と聞き、
隣の坂道をえっこらせーと上ります。
結構登ると民家の一画をお堂にした感じの建物が見えてきました。
あれが、お寺だとして墓所はまだ上。
こうなったら登ってやろうじゃないのと、ますます山道を登る登る。
一応石畳が敷かれていて整備されているのだけど、山道には変わりありません。
ぜーぜーしながら墓地に到着。
ここは織田家の墓所。織田信雄(のぶ「かつ」!)から
四代のお墓が並んでます。信雄は信長の次男。
織田家はその後も続いていくけど、何故信雄以下四代までしかお墓がないかというと
例の「宇陀崩れ」があって、藩主が自害(!)その子は国替え、そして宇陀藩は廃藩
ということになったので、ここには四代までしかないのだわ。
森の中のお墓ということもあって、昼間じゃないと墓参りにはこれない場所。
夜に来たらリアル肝試しそのもの。
昼間であっても、こんなところまで墓掃除にこなくちゃいけないとなれば、
「実家に帰らせていただきます!」だわね。
あとは、重伝建地区の松山の町並みをそぞろ歩きすべく、街中方面へ。
あれこれ見るもの時代劇セットのようで、すべての家を写真とって歩きたいほど。
「薬の館」を見つけて、中へ。
薬問屋だった家屋を改修して、現在は薬に関する資料やら、薬の看板やらの資料館になっています。
建物自体年季が入っているので、中を歩くだけでも楽しい。
福島の喜多方ではよくみかけた蔵屋敷もあって、蔵の中にも展示室。
関係ないけど、ここのお風呂は土間の真ん中にあって、焚き付けをするのが楽そうでした。
しかし、この通りあまり人通りがない。
タクシーが予約でいっぱいだといっていた割には、人とすれ違うことも少ない。
ひろこさんが「あ、四時半になっちゃう~あちこち閉まっているよね」
そこで初めて時計の存在に気がついた。
(人麻呂公園も、阿紀神社も、織田家廟所も入場時間に関係ない場所だったから)
げげげ。マジだ…。
通りを歩くだけならば暗くなるまで歩けるのだけど、この通りにあるお店やら、
ギャラリーやらを見て歩くにはちと遅かったようです。
そこでいきなり足早になって、大宇陀での最大の目的地「森野旧薬園」へと急ぎます。
途中「きみごろも」のお店の前を通りかかると、店主が店じまい途中。
「もう終わりですか?」
「はい、売り切れです」
あら残念。人手は結構あったようですが、そのご一行様はすでにこの地を去られた様子。
売り切れですかそうですか。それは結構なことで。
とりあえず森野旧薬園にたどりつくも、入り口の門は閉まっておりました。
グハっ、遅かったかと思ったら、門には「見学の方は店内よりお入りください」の文字。
駄目元で声をかけてみたら「まだ大丈夫ですよ」
とりあえず薬園の閉園時間の5時までは見せていただけるようです。
お店から中へ入ったところには、冬ならば葛造りをしているU型の水槽が向かい合わせに二つ。
遠目でみるとそうめん流しの機械のようにありました。
今は時期じゃないので、作ってませんでしたが、冬にくるとここでの作業も見られるのかな。
さっき、廟所に行くときに「これで上りは最後」と思っていましたが、
そういえば森野の薬園は裏山の斜面に薬草を植えていたんだっけというのを今頃思い出し。
ちょろっと登った映像は先週のNHKでも見ていましたが、どこまでいけるのかについては
未知の領域だったので、最後の最後で「山登り」になってしまった。
ごめんね、なぎちゃん。
吉宗の頃、幕府の薬草調査研究に随行していった薬草に詳しい森野藤助さんが、
その後幕府からお礼に5種類の薬草を下げ渡しされ、
それを裏山に植えたのが薬園の始まりとのこと。
斜面には見学者のことを考えて、立て札もかかっていて、植物名と何に効くかも書いてありました。
もっと一つ一つのんびり見て回れればよかったのでしょうが、駆け足で見て回ってもかなり
楽しめました。帰りにはお詫びもこめて、葛菓子などを各人購入。
とりあえずお土産もできたし、よかったよかった。
途中見つけたお菓子屋さんで、「きみごろも」ではないにしろ「きみづつみ」なるものを購入。
「きみごろも」を買って帰ると約束していたので、どんぴしゃではないにしろ、
同じようなものをゲットできたのはよかったよかった。
(味はだいぶ違うようなので、今度は「きみごろも」を是非ともゲットしたい)
買っている最中に町内放送(?)で5時のチャイム
「蛍の光」が流れてきて「はやく帰りましょう」と催促(笑)
近所のお医者様の看板にも診察時間午後1時~4時って書いてあったから、
宇陀時間は四時で終わりなのではないかと>各所。
今度宇陀に来るときは、終了時間を四時くらいにしないといかんかもね。
(お店関係は早めに回るのが吉だと判った)
まだ回れば、町並みだけは歩けるし、大願寺というスポットもあったのだけど、
バス時間もあることだし、次回繰越ということに。
大宇陀まではバスも一時間に3本出ているし、
榛原から20分という距離なので、そう遠くはありません。
ならばまたの機会のお楽しみに残しておきましょう(強がり)
道の駅にてしばし涼を取り、ビールやソフトクリームにてお疲れさん。
調べておいたバスに乗り込んで本日は予定終了となりました。
榛原は今まで奈良と名古屋の通過点で、何度も通ってはいたものの、
下車したことはなかったので今回初めて降り立ってみて、好きになっちゃった。
大宇陀はどっちかっていうと、同じ宇陀市の中でも「室生寺」よりも開けた感じはするし、
奥深い場所でもタクシーつかえば自由自在(笑)
次は「桜の銘木巡り」とか「天誅組ゆかりの場所」とか
「巨木特集第二弾!お葉つき銀杏と千年桜」とか
やりたいわねー。もちろんタクシー乗車にて(笑)
今まで空白地点だった宇陀の地が、一気に埋まった気がしてかなり満足でした。
ふりまわしたお二人、お疲れ様でした。
また行きましょね♪