古代、都から政治の使者として志しあらずとも、東北へ赴かざるをえなかった人々がいる。旅そのものも過酷であるから、途中病に倒れる者も多くいた。「ここからがみちのく」とされた標が、奥州三関のひとつ「白河の関」である。 往事の面影をしのばせるこの地は、いまでもひっそりと森に囲まれ、静閑とした雰囲気が漂う。そっと心を鎮めてみれば、古代人の息づかいが耳元に迫ってくるようだ。
○ 便りあらば いかで都へ告げやらむ 今日白河の 関を越えんと(平 兼盛)
○ 都をば 霞とともに立ちしかど 秋風ぞふく 白河の関(能因法師)
○ 秋風に 草木の露をはらわせて 君が越ゆれば 関守もなし(梶原 景季)
上の2つは10世紀頃、残りは12世紀ごろとされている。
社の回りには、関として守りを固めた土塁跡が残されている。
(見た目は大したことないのだが、実際ここを越えようとすると息が切れる。武具や武器をつけていれば尚更だった、と想われる)