昨日は繁昌亭に行ってきた。
好きな演者が比較的揃っていることと、
襲名後の米團治がどんなものか見ておこう、と思ったため。
平日だが、お盆中ということで
補助席も使うような入り。
客が多い
→ギャラが多い
→(代演でなく)演者がきちんと出て、きちんと演る
→面白いのでまた客が来る
という良い循環に入っている感じがする。
「つる」(二乗):△
持ち時間10分ということだが、特に違和感なく抜いて、
ウケもとっていた。
ご隠居さんとの会話をもう少し削り、
「まっちゃん」(だったか)との会話や
「つる」と言うところを丁寧に演る方が好みだが。
「ろくろ首」(七福):△+
マクラ・ネタとも、口調や雰囲気があまりプロらしくない。
ただそれが、この人の良い部分なのかな、とも思った。
よく聞く「ろくろ首」(米朝系?)とは違う設定・台詞回し。
2時に首が伸びるが3時には戻る、とか、
最初は顔合わせだけに行ったのだが
そのまま養子先の父親が引き止めてしまった、とか、
紙縒りを引っ張る件がない、とか。
特に養子先に行ってみて泊まることになってしまうあたりで、
地の文が多いのはイマイチ。
「平の陰」(恭瓶):△-
なんか鶴光くさい。
手紙を持ってくる側はあっさりしていて良いのだが、
兄貴分の描写でいろいろ手を入れ過ぎ、不自然に感じられた。
無理に変な科白を入れたり、強く喋ったりせずに演った方が、
次第にウケが大きくなるように思う。
「奇術」(Wonderful佳恵):△-
喋らない、普通の奇術。
紙をちぎる動きが遅い、
金魚を金魚鉢に入れるときにこぼす、など、
奇術の腕は分からないが「見せる」部分での穴が多い感じ。
最後の術で高座に紙を撒き散らすのが、
特に汚らしいなあ。
色替りにはなったが。
「千早ふる」(八天):△+
男と隠居の会話は、リズム良く運んでウケていた。
隠居の物語に入ったところで、あまり雰囲気が変わらない。
もう少し変わる方が好み。
後で「千早ふる」の歌の説明に戻るときに
落差ができない感じがする。
物語の中では、男が疑問を呈したところに
「なったんだから仕方がない」の繰り返しでウケをとっていく。
ただ個人的には、見台を叩くのは好きではない。
「青菜」(梅團治):○
「売れていない」みたいなマクラ。
ウケていたが、本当に彼のことを知らない客が多い前で
別にそんなことを言う必要もないのでは、と感じた。
今日は大丈夫だったが、
「面白くないのでは?」と先入観を与えてしまう恐れがあると思う。
ネタは特に何か強調して「ここでウケをとろう」としている訳ではなく、
ご隠居さんを穏やかで落ち着いた人として描写し、
植木屋さん(喜六、にしていたが)を普通に職人として造形しているだけだが、
きちんとウケている。
後の植木屋さんと大工の会話も同様。
自然な科白・会話で状況が可笑しければ、
それで落語として面白い、ということだろう。
「漫談(河内音頭など)」(レツゴー正児):△
喜寿だそうな。
自分の通ってきた学校の校歌を歌い、
最後に幸枝若ばりの河内音頭(雷電と八角)をうなる。
歯が悪いのか?少し言葉が聞き取りづらい。
声はよく出ていたが。
「田楽喰い」(福楽):△+
暑くて出てくるのがイヤになる、とか、
時間が押しているので何をしようか、といったことを
マクラでうだうだ喋る。
ネガティブな発言が多いのだが、あまり不愉快にならないのは
この人の愛嬌みたいなものがあるからだろう。
ネタは若い連中の会話から、
「田中の兄貴」のところで酒を飲み、田楽を食べる、という流れ。
若い連中の会話はもう少し短くできそう。
田楽は「れんこん」「にんじんだいこん」の後、
アホが探り探り(本当に「ん」のつかない野菜を福楽が探している感じだが)、
繁昌亭らしく「てんてんてんまのてんじんさんのはんじょうてい」、
京都の薬屋の言い立て、最後に火事。
言い立てはやはり感心してもらえるなあ。
うまく抜き出して、短い時間でまとめていたと思う。
「鰻谷の由来+踊り(姐さん)」(生喬):△
珍しい噺。
もっともらしく喋っており、部分部分ではウケをとっていたので、
まあ良いと思う。
そもそも何がやりたいネタなのか、よく分からんが。
踊りは良い色替り。
「稽古屋」(米團治):△-
マクラは入門や襲名の際の話。
いろいろな人の物真似(枝雀・ざこば・米朝・春團治・文珍)も入れている。
工夫は買うけど、
吉朝に比べると似ているとは思わんなあ。
以前から、この人の落語には違和感があったのだが、
科白の間・強弱などが人間の普通の会話のリズムと異なっているのが
原因なのでは、と思った。
普通の人間とは異なる「落語世界の登場人物」を作って、
そのリズム・アクセントの付け方で喋っている。
それを「不自然」と感じてしまう、ということなのだろう。
「この人はこんなリズムで喋る人なんだ」「これは日常会話ではない」と思うと
違和感は少し減った。
でも変。
この人の「稽古屋」、
マクラで「稽古屋でも色事は教えてくれない」といった説明をするのだが、
野暮ったいし意図が分からず、くどくて好きになれない。
「色は指南の他」というサゲは、
所詮「色は思案の他」との地口だと思うのだが。
あと、全体にアホではなく稽古屋のお師匠さんに焦点が当たっている
(「手習子」の踊りの稽古場面が長い、とか)
感じがする。
このネタの軸は「色事をしたいがために稽古に通うアホ」にあると思うのだが、
そこが弱いと感じた。
別に、米團治になったからと言って
良くなっているとは思えないし、将来も良くならないだろう、というのが
久し振りに見ての感想。
終わって外へ出ると、
出演者が並んで送ってくれた。
このあたりの心遣いが続く間は、
繁昌亭はガラガラにはならないと思う。
米團治は兎も角、
全体には満足して帰った。
好きな演者が比較的揃っていることと、
襲名後の米團治がどんなものか見ておこう、と思ったため。
平日だが、お盆中ということで
補助席も使うような入り。
客が多い
→ギャラが多い
→(代演でなく)演者がきちんと出て、きちんと演る
→面白いのでまた客が来る
という良い循環に入っている感じがする。
「つる」(二乗):△
持ち時間10分ということだが、特に違和感なく抜いて、
ウケもとっていた。
ご隠居さんとの会話をもう少し削り、
「まっちゃん」(だったか)との会話や
「つる」と言うところを丁寧に演る方が好みだが。
「ろくろ首」(七福):△+
マクラ・ネタとも、口調や雰囲気があまりプロらしくない。
ただそれが、この人の良い部分なのかな、とも思った。
よく聞く「ろくろ首」(米朝系?)とは違う設定・台詞回し。
2時に首が伸びるが3時には戻る、とか、
最初は顔合わせだけに行ったのだが
そのまま養子先の父親が引き止めてしまった、とか、
紙縒りを引っ張る件がない、とか。
特に養子先に行ってみて泊まることになってしまうあたりで、
地の文が多いのはイマイチ。
「平の陰」(恭瓶):△-
なんか鶴光くさい。
手紙を持ってくる側はあっさりしていて良いのだが、
兄貴分の描写でいろいろ手を入れ過ぎ、不自然に感じられた。
無理に変な科白を入れたり、強く喋ったりせずに演った方が、
次第にウケが大きくなるように思う。
「奇術」(Wonderful佳恵):△-
喋らない、普通の奇術。
紙をちぎる動きが遅い、
金魚を金魚鉢に入れるときにこぼす、など、
奇術の腕は分からないが「見せる」部分での穴が多い感じ。
最後の術で高座に紙を撒き散らすのが、
特に汚らしいなあ。
色替りにはなったが。
「千早ふる」(八天):△+
男と隠居の会話は、リズム良く運んでウケていた。
隠居の物語に入ったところで、あまり雰囲気が変わらない。
もう少し変わる方が好み。
後で「千早ふる」の歌の説明に戻るときに
落差ができない感じがする。
物語の中では、男が疑問を呈したところに
「なったんだから仕方がない」の繰り返しでウケをとっていく。
ただ個人的には、見台を叩くのは好きではない。
「青菜」(梅團治):○
「売れていない」みたいなマクラ。
ウケていたが、本当に彼のことを知らない客が多い前で
別にそんなことを言う必要もないのでは、と感じた。
今日は大丈夫だったが、
「面白くないのでは?」と先入観を与えてしまう恐れがあると思う。
ネタは特に何か強調して「ここでウケをとろう」としている訳ではなく、
ご隠居さんを穏やかで落ち着いた人として描写し、
植木屋さん(喜六、にしていたが)を普通に職人として造形しているだけだが、
きちんとウケている。
後の植木屋さんと大工の会話も同様。
自然な科白・会話で状況が可笑しければ、
それで落語として面白い、ということだろう。
「漫談(河内音頭など)」(レツゴー正児):△
喜寿だそうな。
自分の通ってきた学校の校歌を歌い、
最後に幸枝若ばりの河内音頭(雷電と八角)をうなる。
歯が悪いのか?少し言葉が聞き取りづらい。
声はよく出ていたが。
「田楽喰い」(福楽):△+
暑くて出てくるのがイヤになる、とか、
時間が押しているので何をしようか、といったことを
マクラでうだうだ喋る。
ネガティブな発言が多いのだが、あまり不愉快にならないのは
この人の愛嬌みたいなものがあるからだろう。
ネタは若い連中の会話から、
「田中の兄貴」のところで酒を飲み、田楽を食べる、という流れ。
若い連中の会話はもう少し短くできそう。
田楽は「れんこん」「にんじんだいこん」の後、
アホが探り探り(本当に「ん」のつかない野菜を福楽が探している感じだが)、
繁昌亭らしく「てんてんてんまのてんじんさんのはんじょうてい」、
京都の薬屋の言い立て、最後に火事。
言い立てはやはり感心してもらえるなあ。
うまく抜き出して、短い時間でまとめていたと思う。
「鰻谷の由来+踊り(姐さん)」(生喬):△
珍しい噺。
もっともらしく喋っており、部分部分ではウケをとっていたので、
まあ良いと思う。
そもそも何がやりたいネタなのか、よく分からんが。
踊りは良い色替り。
「稽古屋」(米團治):△-
マクラは入門や襲名の際の話。
いろいろな人の物真似(枝雀・ざこば・米朝・春團治・文珍)も入れている。
工夫は買うけど、
吉朝に比べると似ているとは思わんなあ。
以前から、この人の落語には違和感があったのだが、
科白の間・強弱などが人間の普通の会話のリズムと異なっているのが
原因なのでは、と思った。
普通の人間とは異なる「落語世界の登場人物」を作って、
そのリズム・アクセントの付け方で喋っている。
それを「不自然」と感じてしまう、ということなのだろう。
「この人はこんなリズムで喋る人なんだ」「これは日常会話ではない」と思うと
違和感は少し減った。
でも変。
この人の「稽古屋」、
マクラで「稽古屋でも色事は教えてくれない」といった説明をするのだが、
野暮ったいし意図が分からず、くどくて好きになれない。
「色は指南の他」というサゲは、
所詮「色は思案の他」との地口だと思うのだが。
あと、全体にアホではなく稽古屋のお師匠さんに焦点が当たっている
(「手習子」の踊りの稽古場面が長い、とか)
感じがする。
このネタの軸は「色事をしたいがために稽古に通うアホ」にあると思うのだが、
そこが弱いと感じた。
別に、米團治になったからと言って
良くなっているとは思えないし、将来も良くならないだろう、というのが
久し振りに見ての感想。
終わって外へ出ると、
出演者が並んで送ってくれた。
このあたりの心遣いが続く間は、
繁昌亭はガラガラにはならないと思う。
米團治は兎も角、
全体には満足して帰った。