ブログ市長:「刈り取り作業を」と発言 障害者問題念頭に - 毎日jp(毎日新聞)
前にもくどくど書いたが。
この「刈り取り作業」発言、
今回は障害者に関してだけかも知れないが、
この市長は他の「弱者」とされる人に対しても
そう考えているように思う。
「刈り取り」は非常に安易。
金を稼ぎ、健康な若い人間だけで構成された国家を運営するのは楽だろう。
税金は入ってくるし、健康保険はさしてかからないし、
年金も払わずに済む。
しかし、現実の世界はそうではない。
だからと言って「刈り取り」と称して、
失業者を餓死させ、病人は死ぬに任せ、
老人は姥捨て山に送るのが適当なのか。
それは「政治」の役割を放棄しているのではないか。
そんな役割を放棄した者は不要だし、邪魔。
別の観点。
「刈り取る」ことは、本当に「活力ある社会」につながるのか?
腐った枝を直さず、刈り取るだけだと、木はどんどん細くなる。
結果風雨に耐えられなくなり、幹ごと折れてしまう。
それは社会でも同じではないのか?
一度腐るとフォローがなく、
刈り取られるだけで再起する可能性が低い、となれば、
リスクは取れなくなる。
また、同様の人間が集まっている社会ほど変化に弱いのは、
倒産した企業のパターンで語られているだろう。
しかし、この市長の発言・存在で
「阿久根」という市のイメージが良くなっているとは思えない。
発言の意図を説明する訳でもないし。
市のために、この市長を刈り取った方が良いのでは?
そうでないと、市全体が腐ってしまうぞ。
前にもくどくど書いたが。
この「刈り取り作業」発言、
今回は障害者に関してだけかも知れないが、
この市長は他の「弱者」とされる人に対しても
そう考えているように思う。
「刈り取り」は非常に安易。
金を稼ぎ、健康な若い人間だけで構成された国家を運営するのは楽だろう。
税金は入ってくるし、健康保険はさしてかからないし、
年金も払わずに済む。
しかし、現実の世界はそうではない。
だからと言って「刈り取り」と称して、
失業者を餓死させ、病人は死ぬに任せ、
老人は姥捨て山に送るのが適当なのか。
それは「政治」の役割を放棄しているのではないか。
そんな役割を放棄した者は不要だし、邪魔。
別の観点。
「刈り取る」ことは、本当に「活力ある社会」につながるのか?
腐った枝を直さず、刈り取るだけだと、木はどんどん細くなる。
結果風雨に耐えられなくなり、幹ごと折れてしまう。
それは社会でも同じではないのか?
一度腐るとフォローがなく、
刈り取られるだけで再起する可能性が低い、となれば、
リスクは取れなくなる。
また、同様の人間が集まっている社会ほど変化に弱いのは、
倒産した企業のパターンで語られているだろう。
しかし、この市長の発言・存在で
「阿久根」という市のイメージが良くなっているとは思えない。
発言の意図を説明する訳でもないし。
市のために、この市長を刈り取った方が良いのでは?
そうでないと、市全体が腐ってしまうぞ。