
先月末は「雀のおやど」へ。
南天があまりおおっぴらでなく(100枚程度のチラシと「ねたのたね」くらいか)、
前座もゲストも、二番もお囃子もなしに
独りでやる落語会。
「人前でやるネタ繰り」みたいなイメージか。
が、開場前から20人くらい並んでおり、
結局、ほぼ満員の入り。
「天狗刺し」(南天)
上がってきて、軽く会の趣旨説明。
別に定期的に演るつもりもないらしい。
ネタ下ろし、とのこと。
ところどころ、後から考えると調和の取れていない科白もないではないが、
アホや周りの人間が陽気に描けていて良かった。
サゲは「五条の念仏さし」。また変えていくのかも知れないな。
最初の「相談があって来た」と言われた甚兵衛さんが、
その時点で「またか」という気持ちを持っても良いと思う。
今後サゲで「それをあんたに相談に来た」と戻るのであれば、特に。
「天すき屋」で甚兵衛さんが聞き返すところ、
「天すき」より「天狗」と言われた時の方が制す声を大きくしている。
繰り返しと、周囲に聞こえると後者の方がマズいことから、
自然にそうなるのだろう。
「天すき」の話で独りで盛り上がるアホが可笑しい。
甚兵衛さんがもう少し取り残される感じの方が良いかも知れない。
あと、「天狗を刺す時にトリモチ竿ではいけない」あたり、
甚兵衛さんが話す部分が多かったが、
甚兵衛さんは「それではマズい」ことを指摘するだけで、
後はアホが独りでその場で思いつき、突っ走っていく方が良いと思う。
山に上がり、坊さんを捕まえる。
アホの「すき焼きにする」に対して「私は出家の身、すき焼きはご法度」と
返すズレは面白かった。
掃除しながらの2人の京都人の会話がおっとりとしており、
朝の京の空気に、坊さんを縛り付けたアホが意気揚々と引き揚げて
空気を掻き回す絵が見えて良かった。
この空気の中で終わり、
「五条の念仏さし」という京都の名物でサゲるのも悪くないかなあ。
終わった後で「こんなマクラを考えている」という話で
「五条の念仏さし」の説明を軽く。
「お寺の横に生えている、念仏を聞いて育った竹で出来ている」から
「念仏さし」なんやね。
サゲでいうと、
この説明をする必要があるから「五条の念仏さし」にはしたくないだろう、と
個人的には感じる。
「どうらんの幸助」(南天)
引き続きネタに入る。
3月に「らくご道」でネタ出ししているから、
それに向けての試運転、かも知れない。
微妙に詰まるところがあり、
この人のように勢いで進めていると、
その詰まるところがけっこう引っ掛かって感じられた。
特に最初の2人で割木屋のおやっさんの噂話をしている掛け合いが、
あまりスムーズでない印象。
割木屋のおやっさんは「小さい人」を強調するんやね。
最初の止める際の目線、
後で稽古屋で格子から中が見えない、という仕込みに使っているのかな。
個人的に、別にそこまでやらなくても良いのでは、と思う。
別に背が低いコンプレックスが云々、というネタでもないし。
仲直りする前の歩きながらの2人の会話や、
上がってのアホの説明が本当に訳が分からない
(勿論最初の噂話からなのだが、摘み方が凄い)ところなど、流石。
ただストーリー全体に関わる面白さ、
例えば「あっさり飲む心算だったのが理由を聞かれてしまう」予定外や、
要求を厚かましくエスカレートさせていくあたりは、
あまりウケていなかった。
個々のギャグをつないでいた印象。
場面変わって稽古屋。
最初に語っているとき、花木さんが途中で笑ってしまったので
「柳馬場押小路」までで切って稽古に入るのは、それはそれで良いだろう。
ただ、師匠がいくら何でも恐過ぎるかなあ。
「お師匠さん、私ここ嫌いでんねん」が転換になるが、
逆に恐過ぎて転換が利かなかったように思う。
どうらんの幸助が入り、「お半長」の説明をする件りは普通。
そこから「陸蒸気・三十石」の説明が入り、
船着場、帯屋と進んでいくのだが、
やはりこのサゲのための説明、流れを妨げているように感じる。
「子どもでも知っている」や、
南天で入っている「大阪の人は面白い」といって肩を叩いて笑うところなど、
魅力的な科白はあるのだが、
それは別に説明なしに三十石に乗っても入れられる件だし。
説明をなくすためには、サゲを変える必要があるだろうが。
帯屋に入ると、どうらんの幸助の年齢や描写が崩れていたように思う。
また、番頭に「出してくれ」と言った後で
「良い人で、頑張っていると思い込んでいる」おかみさんの手を握り、
やってきた客を「おとせ」と思って追い払うなど、
面白いギャグになってはいるのだが
個人的には番頭や周囲の人の方に感情移入してしまい、
見ていてしんどくなった。
昔、枝雀のを見た時にもしんどく感じたのだが、
結局個人的には、このネタが好きではないのだろう。
計1時間で終演。
遅い開演時間で、安価だが見たい人しか出ない会、も良いな。