「公共事業の増加によって、企業の収益が上がれば、雇用が増えて給料が上がるってのは」本当にそうなのかと。デフレ期にも経済成長基調だった時期はあるのに。その時期に雇用は増えず、給料が上がらなかったわけですが。
もともとラッツィンガーがある意味教皇にするのはもったいない人材だった。彼は教会行政に優れた人(教理省長官)であると同時に,カトリック最強の神学者で,私も2-3の著作を持っている。
ヨハネ・パウロが亡くなった年齢を超えているのだから、退位も認められるべきだろう。それに引き替え天皇が気の毒、と感じる。>時事ドットコム:ローマ法王、28日に退位=600年ぶり、高齢で決断-後継者3月末にも・バチカン jiji.com/jc/zc?k=201302…
近鉄の「ABENO!」が「ABEND!」に見えて嫌だ。元汎用機プログラマとして(笑)
「光の中から、量子力学的に仮想状態にあった電子と陽電子を、エネルギーを掛けて実際に粒子として取り出す」。同様に「ヒッグス場から、量子力学的に仮想状態にあったヒッグス粒子を、エネルギーを掛けて実際に粒子として取り出す」ことを目指す訳か。
「ヒッグス粒子が他の素粒子と一緒になって、壊れてしまう」。このあたり、ガイド粒子同様、「素粒子」として理解しづらいところだなあ。
情報の軽視。PDCAサイクルで、PDを正しいと仮定するのは良いがあくまでも「仮定」であり、現実からのFBを受けてメンテナンスしなければならない。計画の無謬性を前提にするのは危険。
参謀の独走が無謀な戦争を引き起こした歴史。参謀の個性が目立つが、陸大や海大の教育内容、権限はあれど責任がない体制、トップにリーダーシップを求めない風潮など、仕組みが無茶苦茶、という印象。特にトップは「お飾り」で良い、というのは現代の組織でも普通に存在すると思う。
「ないものねだり」である以上、「ないもの」を探し求める行為は必ず裏切られる。この「ないものねだり」、「「いまあるもの」への不信感をテコに「次」を探し求めるサイクル」そのものを相対化する必要性。
「民主主義とは高尚な理念の問題というよりむしろ物質的な問題であり、時間と空間をそのためにどれくらい確保できるか、に比例するのではないか」。「健康で文化的な最低限度の生活」は民主主義の基盤になってくるかな。金銭面だけでなく、時間や精神の余裕も含めて「健康で文化的」と言えるか。
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自分たちで意見調整し、合意形成する民主主義の「面倒臭さ」、主権者から降りられない民主主義の「疲れる」性質。「そんなコストは引き受けたくない、民主主義も要らない」「お任せします、当然責任は取らないよ」「今生きているので精一杯だから、将来のことは勝手に決めてくれ」が多数かも。
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ダイバシティによる生産量の向上。多様性切り捨てによって生産性が高いとされる個人のみとなった集団と、多様性を持つ集団とで、どちらの生産量が高いか。集団によって異なるものなのか。
人間臭くていいな。 追加2。"理論と現実が一致しない途上国の複雑な世界にわけいって、そこから「クール」な答えを、次々と導き出している〈新しい経済学〉のいまを紹介。"→『善意で貧困はなくせるのか? 貧乏人の行動経済学』:みすず書房 - msz.co.jp/book/detail/07…
繰上げの過去問解き直し。問題集の順序とは逆に、過去から近年に向けて解いてみた。これは有効。誤りは「数字の見間違い(問題、計算結果の転記ミス)」と「基礎年金や厚生年金のみ/合計の取り違え」が散見される。勿体ないので、そのようなミスをしがちであることを意識して、問題にあたること。
「支えられ手」ではなく、「支え手」に位置付ける。きちんと「あなたの力が必要です」というメッセージを送る。独りで存在意義を感じるのは難しい。「誰かの役に立っている」或いは「自分がいなくなることが誰かのマイナスになる」感覚が存在意義の自覚・自尊感情につながる。
炊き出しは食事の提供がメインの目的ではない。話すこと、関係構築のきっかけ。向かい合うよりも、並んで同じ方向を一緒に見て一緒に手を動かすのが重要か。「共同炊事」と云う意義がそこにあるのかな。
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弱い者同士で、限られたパイを奪い合う。本当は弱い者が手を携え、強い者から奪わなければならないのに。そして強い者が持つパイは、隠蔽するまでもなく、敢えて語られなかったりする。
自己責任論。「無責任では済まされない」という意味では、ごくまともな話。ただ、「全責任を負え」はおかしいし、「全責任を負え」と言われがちな今日の風潮を考えれば、実際以上に「責任はない」と主張すべき、という運動的な考え方はあり得るだろう。
複雑なものは複雑なものと認識する。単純化される中で切り捨てられてしまうものに目を向ける。分かりやすいものを見た時には、分かりやすくする過程で切り捨てられたものがないか、と意識する。単純で分かりやすいものは、世の中にはほとんどない、というのが前提となる認識。