昨夜の
金曜ロードショー
Back To the future!!
面白かったですね〜
展開がわかっていても
名作は
何度観てもワクワクします
三週にわたって
三部作が放映されるとか!
楽しみです
寒波の影響もあり
此の週末も
自宅で
ゆっくり過ごしています
図書館に行きそびれ
手持ち無沙汰だったので
back to the future
ならぬ
return to myself
久しぶりに
自身が
好きだったコトを
想い起こして
チャレンジしてみました
二十年ぶりくらいかな!?
の
ワイヤークラフト
アルミのワイヤー
と
ペンチさえあれば
あとは
気の向くまま
指先が動くまま
遊びゴコロ。
が
そのまま
カタチになるので
大好きだったなぁ〜
卓上の植物たちに
ワタシプラス
手前味噌ですが
春が
グッと近づいた気がしましたよ
ようやく
食欲も戻り
(痩せてはいませんが・・💦あちゃー)
バードモナミで
作っていた
ドーナツを
不意に食べたくなりました
オリジナルマグカップに
たっぷり
カフェ・オ・レも注ぎ
ひとり喫茶店ごっこ
です
それだけで
うん
それだけなのに
不思議だなぁ
深呼吸したみたいに
リラックス出来て
澱みも
循環して
流れていくようです
そういえば
だれとも
お喋りしていないけれど
無。になったり
夢中。になったり
かなり
大満足な休日でした
寒気も
明日くらいまでかしら
ぼちぼち
整えていきましょう!
ここ一週間ほど
体調が万全ではなく
極力
心身を休めるよう
ココロ掛けていた
(ほぼほぼ元気になりました)
それは
普段から
意識している筈なのに
ヒト(ワタシ)は
自身に甘く
健やかなる心身は
つい
欲望という名の電車に
乗りまくってしまう
というコトバを
最近
よく目にする
加齢による虚弱。
という
意味合いらしい
のだけれど
あぁ
情報過多な現代よ
更年期
というワード
だけでも
散々
打ちのめされているのに
さらに
わんこそば
かな
味わう暇を与えず
さぁ
現実を
呑み込めと
突きつけてくる
自覚は無かったけれど
ワタシの世代は
不遇の世代らしい
いわば
バブル崩壊後の
就職氷河期とか
アナログから
デジタルへの移行期に
青春時代を過ごしてきた故か
組織においては
パワハラ最後の世代とか
囁かれているらしい
いやいや
其れらは
横並びに
当て嵌まるとは
云えないので
聴き流すに徹しなければ
やってられないけれど
(自戒は大切だけどね)
ヒトは
気力体力が落ち込むと
不要な情報まで
キャッチしてしまったり
色んなコトが
煩わしくなったり
想い掛けない
温度差に
辟易したりしてしまうんだねぇ
などと
弱音を吐きつつも
結局は
自身の物差しだったり
天秤だったりを
大切にするしかないんだよなぁと
吾に還る
何かのせいにすれば
それだけで
とりあえずは安心してしまう
けれど
いちばん大切なのは
自身が
どうしたいのか
何を
受け容れぬか
明確で在るコト
colorfulな朝食を
取りながら
まるで
白夜のような
窓の外へ
目をやる
暇は、いかん。
今
この時も
いつも通り
仕事をしたり
日々を過ごしている
大切なヒトたちを想い浮かべる
動き出そう
動き出せば
気は流れ
澱みも和らぐ
疲れたら
休めばいい
整えれば
また
動き出したくなる
立ち止まるコトでしか
気付けぬ
稚拙さよ
加齢だけを
言い訳には
出来ぬ
あぁ
恥ずるべき
此の
虚弱
筒井康隆氏
二冊目
『モナドの領域』
読了した時に
不思議なカンジがした
読者なのに
書き上げた作者のような
達成感
みたいな
爽快感
みたいな
勿論
知識の粒子
組立の粒子
視野の粒子
あらゆるモノが
桁違い
あんなモノ
書ける筈ナイのに
なんだろう
あの
寄り添うカンジ
揺り起こしてくれるカンジ
開眼してくれるカンジ
そして
心地好く
ポォンと
突き放してくれるカンジ
『キモチよかった』
氏は
常套句として
『コレは小説だから』
と
メタフィクションという技法を
よく用いるらしい
そう
手招きしておいて
目隠しして
想像力を掻き立てる
耳許で
語りかけて
ちょっとだけ
難しいコトバやら
専門知識やら
ヒトの弱さやら
宇宙の無限やら
説き明かしてくれて
最後には
『コレは小説だから
すべてにおいて
美しく
愛おしくあれ』
などと
催眠術をパチンと解いてしまう
ハッと
吾に還った時には
この世界は
何も変わっていないんだけれど
束の間
この世。
でも
あの世。
でもナイ
云わば
その世。
を
体感していたに違いない
そんな
謎の自信と確信に
塗れているんだ
本を読む。
其れは
想像力と
破壊力を
培う訓練
自身の
常識や
非常識の
振り幅を
計測する
ひととき
でも
見誤ってしまわぬ様
気をつけなければいけないのは
其処に
生身のモノは
存在しないというコト
登場人物を名乗るモノ
作者を名乗るモノ
そして
読者を名乗るモノ
が
目一杯
隔たりを感じさせぬ様
努めながら
繰り広げられる
メタフィクションのセカイが
在るだけ
正しく在れ
誠実で在れ
そう
誓いながら
書き進める
このブログも
ノンフィクション(物質)
と
フィクション(思考)
の
間
云うなれば
メタフィクション
なのかもしれない
日々の
出来事や
気付きを
主に記しているけれど
それは
赤裸々や
明け透けという訳では
断じて
ナイ
一旦
書き出したコトによって
客観視できる
このココロ
きっと
いちばん奥を守るためにも
その外殻を
あたかも
生々しく
記したりするのだろう
偉大なる作家先生とは
729層と64層のパイ生地くらい
作業行程や注力は異なれど
ヒトの本質というのは
さほど
変わらないのかも
しれない
広げられるか
凝り固まるかの違いだけで
説いて回るか
内に秘めるかの違いだけで
あなたが
描いたモノへ
そっと
コトバを添えてみたい
そう
云いかけて
やめた
其れは
旅の終わり
の
ようなモノ
ようやく
荷物と
腰を
おろしたばかりなのに
次なる
方向性など
まさに
愚問
完了形
に
何を
添えるというのだ
あなたの
自身で完遂するトコロに
たしかに
惹かれた
キミが
紡ぐコトバを
そっと
何色かで染めあげてみたい
そう
云いかけて
やめた
其れは
旅の始まり
の
ようなモノ
行く先々
で
きっと
沁み渡らせていくモノ
其れが
旅の醍醐味
未来形
に
何を
添えるというのだ
キミが
自身で組み立てていく姿に
たしかに
惹かれた
せめて
いま
此の瞬間の
互いの
瞳に映る
違い
を
コトバに発さぬ
想い
を
各々
内包するコトで
あぁ
結局は
それだけで
満たされているコト
を
識る
充たされていくコト
を
知る
義務か
責務か
それとも
人情派
なのか
ここ数ヶ月
都市ガスの検針表と一緒に
検針員さんのメッセージが
添えられていて
密かなる
楽しみとなっている
たしか
前回は
『検針中バイクで転びました』
と
記されていて
お逢いしたコトもないけれど
大丈夫だろうか
身を案じていた
先ほど
のんきに
朝風呂に入っていたら
目隠しシールを貼った
浴室のガラス越しに
ガスの検針員さんが
安全・安心確認のため
何か呟きながら
通り過ぎる気配を感じた
たいてい
朝風呂に入っている時に
重なるコトが多く
向こう様の方が迷惑だろうなぁと
ココロの中で
『ごめんなさいねオバさんで』
と
小さく謝っている
(もちろん見えもしないのですがね)
お風呂から上がり
ビショビショなまま
郵便受けを覗き込むと
先月より少しだけ安い
ガス代の請求書と
見慣れたメッセージが入っていた
お名前まで記憶していなかったけれど
見憶えのある誠実さ溢れる文字が
そのままだったので
『良かったねぇ・・
大怪我に至らずに』
と
これまた
ココロの中で
小さくエールを送った
ワタシ自身も
すっかり機会が減ったけれど
やはり
手紙や
ひと言メッセージは
うれしいモノだなぁと
改めて
想う
字はやはり
その人となりを表すと想うから
ガラス越しにしか
手紙越しにしか
お逢いするコトはないだろう
けれど
きっと
光みたいな
風みたいな
水みたいな
ヒトなんだろうな
キラキラキラリ
そよそよそよよ
ゆらゆらゆらり
いつも
ありがとうございます
バイクの運転
だけは
気をつけて
。
運命のヒト。
は
きっと
すべてが閉じた
その時にしか
わからないのかもしれない
もう
閉じている。
から
判りようが
ないだろう
けれど
(決めつけずに生きろ。という
天からのメッセージでもあるのかも)
ただ
岐路のヒト。
は
必ず
存在するし
その都度
実感も湧くだろう
やはり
自身の人生だもの
自身主体で在りたいし
在らねばとも
誓う
根から
しっかりと
吸い上げるチカラ
と
出来るだけ
真っ直ぐに
のびやかにと
幹を
育むためにも
枝葉をアンテナのように
張り巡らし
時には
間引いたり
時には
向きを変えてみたり
そんな
植物に倣った
生き方を
全うしてみたい
その際
大切になってくるのが
岐路のヒト。
だと
想う
昨日
行きつけの
中華料理店にて
皿うどんを啜りながら
宙吊りTVで
中継されていた
マラソンをぼんやり観ていた
給水所って
きっと
ちょうど。のトコロに
設置してあるんだろうなぁ・・
マラソンは不得手なので
実感は出来ないけれど
そう想った
経験上で云うなれば
(整備してくださった)
登山道の途中途中に
設置してくださる
ベンチのようなモノかしら
あぁ・・
また頑張れる
また踏み進められる
と
リセットしたり
少しだけ
足取りが軽くなるような
それが
人生に於いてならば
岐路のヒト。
なんだと想う
喩えば
ワタシが
明日
出逢うかもしれぬ
岐路のヒトAさん
は
すでに
今日
他のどなたかの
岐路のヒトを
見事に
やり切っていて
何処で
ものすごく
感謝されているのかもしれない
そう
運命のヒト。
は
ある意味
時として
呪縛。
とも
なり得る
想い込みほど
人生を狂わすモノはない
でも
岐路のヒト。
は
流動的であって
ちょうど
光や
水や
風に
似ているから
そんな
だれかの
岐路のヒト。
が
また
他の
だれかの
岐路のヒト。
に
成り得るかもよ〜
と
ウィンクしてくれるようなのが
此の一冊
なのでした
もうお終い。
譬え
そう
諦めても
まだ
何も始まってやしない。
譬え
そう
焦っても
大丈夫。
すでに
何かが始まり
何かが終わる
どこかで
繰り広げられている
物語
の
一端を担っている筈ですよ
どなたさま
も
どちらさま
も
きっと
岐路のヒト。
と
して
きっと
気が付いていないだけ
で
真夜中のキッチンで
ボゥッとしている
よしもとばななさんの
小説のコトバを
引用するなれど
『ワタシがこの世でいちばん
好きな場所は台所だと想う』
ここ数日
喉風邪を
ひいてしまい
ゴロゴロ過ごしていた
不思議なくらいに
食欲は衰えず
梅流しやら
思いつき
有り合わせの料理を
ちゃちゃちゃと作ったり
ふと目が醒めた
真夜中や明け方には
ホットミルクや
はちみつレモネードを
ずずずと啜り
あぁ
一生治らなかったらどうしよう
とか
明日人魚姫みたいに
何かと引き換えに
声が出なくなっていたら
いったい何を欲するだろうか
とか
そういえば
ここ数日
誰とも話してなかったな
とか
そんなコトを
スツールに腰掛け
ぼんやり考えたりした
おかげさまで
ずいぶん元気になり
今日いや
昨日の夕方には
散歩がてら
歩いて買い物に出掛けるまでに
快復している
しかも
明日
いや今日か
には
新しい
コンロがやってくる
家を建てた時のモノだから
もう二十六年経っていて
三口のうちの一口と
グリルが
経年劣化で
数年前から
使えなくなっていた
ちょうどのタイミングで
ほぼほぼ
ひとり暮らし状態だったので
さほど不便ではなくなったけれど
三口のうちの一口くらいで
やはり
世の中の奥方は
危機感を憶えるらしく
後が無くなる前に
ワタシもそれに倣い
新しくするコトにした
半日は
使えなくなるだろうから
今のうちに
今日買い出しした
食材で
煮物やら汁物やらを
コトコト
グツグツ
仕込んでいる
そんな
真夜中のキッチンなのだ
よくぞ
二十六年もの間
ワタシの行き当たりばったりショーに
付き合ってくれたなぁと
感謝している
有り難いコトに
ワタシの大切なヒトたちは
その行き当たりばったりショーを
ニコニコ喜んで
平らげてくれる
そして
ワタシ自身も
たぶん
家事の中で
いちばん炊事が好きだし
手前味噌であるけれど
自身のごはんが大好きなのだ
そんな
ワタシの存在価値や意義を
証明してくれ
発表の場として
スポットライトを当ててくれる
キッチンには
感謝しかない
この頃は
想い浮かべるモノ
すべてが
感謝したいモノばかりだ
憎たらしいモノや
歯痒いモノは
これっぽっちも
浮かびやしない
ふわぁ・・・
切り干し大根も
ずいぶん汁気が無くなったし
トローチも
舐め終わったから
そろそろ
眠るとしましょうか
どんなに好きでも
キッチンの床は冷たすぎるので
また
明日ね
いや
また後でね
か
おやすみなさい
取り外す前に
お礼がてら
磨かせておくれ
頬擦りはしないけれど
愛おしさ
と
感謝
を
込めて
おやすみなさい
ワタシの
愛すべき
真夜中のキッチン
仕事も
今月は
ひと段落して
のんびり過ごしております
積読の山から
一冊ずつ
開いては
それを被って
いつのまにやら
寝てしまうという
ひとり催眠術を
マスターしました(笑)
どうして
図書館や本屋さんに行ったら
おならが出て
家で本を開くと
眠くなるのでせう
紙特有の
匂いだったり
手触りだったりの
仕業だとか
おかげだとか
便秘のヒトは
トイレに
不眠のヒトは
ベッドサイドに
本棚を置くと
改善されるのかしらん?
話は逸れましたが
こちらの
ワタシは
舟越桂さんの装丁と
タイトルに惹かれて
手に取りましたが
若者たちの間では
ちょいと前に
流行ったそうですね
実は
筒井康隆氏の作品を
読むのも初めてで
どことなく
ジェームズ三木氏と
見分けがつかないまま
今日に至った
氏の存在
(無知でごめんなさい)
きっと
難しい話を
難しく表現する方
なんだろうなぁと
苦手意識を
持っていたのも
確か
なんだか
胸締めつけられる
帯書きに
背中を押してもらい
いざ
飛び込むと
・・むずかしい。
でも
普段から感じている
『現実は虚実を超える』
そんな感覚の
逆の。
答え合わせと
なりました
それと
同時に
現実。
と
虚実。
の
間には
常に
印象。
という
クリーム
いや
緩衝材
が
ペラリ
在るに過ぎない
と
いうコトにも
気付かされた気がします
文字やら
コトバを
沢山
知れば知るほど
使えば使うほど
本質からは
遠のいていくような
不意に襲われる
あの
虚無感やら
違和感やら
作品の中で
抜け落ちていく文字が
増えるほどに
見事なまでに
快復していく
躍動感や
解放感が
そんな
日々の不安までも
拭い去ってくれたようでした
此のセカイに
不要なモノなど
存在しないのかもしれない
(そぐわぬモノは自滅していくと想う)
少なくとも
ワタシの周りには
でも
存在しなくても
成り立つモノは
哀しいかな
少なからず
在るのかもしれない
同時に
自身の存在が
大切なヒトにとって
そんな風だったら
淋しいだろうなぁとも
しみじみ
噛み締めさせてもらえたのでした。
せめて
此のセカイから
あ。
と
り。
と
が。
と
う。
だけは
ずっとずっと
消えてしまいませんように
もう少しだけ
欲を云えば
あなた。
の
名前
と
ワタシ。
の
名前
も
せめて
此の
狭くて
いとおしい
セカイ
から
葉物野菜の
価格上昇を受け
カットキャベツばかり
購入して食べているけれど
ちょっと目先を変えて
生産者市場を見渡すと
普段は選ばぬ野菜たちと
目が合う
鮮やかさに
惹かれ
購入した
ラディッシュ
そういえば
昔
便秘薬コーラックのCMで
オトナになったら
こんな
お洒落な野菜食べられるんだステキ♡
と
憧れていたコトを想い出し
ぷぷぷと
ヒトリ笑った
話が逸れたけれど
今朝
じっくり味わってみたら
葉も実も根っこも
それぞれの味わいがあって
ほんとうに美味しかった!!
経済の末端にいるワタシにさえ
こんなにも実感が湧くくらいだから
生産者さんや事業者さんは
ほんとうに大変なんだろうな
右に倣えで
不平不満ばかり
云わずに
回れ右で
思考や方向を変えつつ
やっぱり
日々は
豊かに
愉しく
過ごしたいモノだと想う
ガソリンも
ビックリするくらい
値上がりして
登山も
最近は
近場の山ばかりに
なってしまったけれど
新たな景色や
魅力再発見が出来て
良かったなぁと
頷いている
向かい風
も
回れ右
なら
追い風
に
個人のもどかしさ
で
留まらせるコト無く
此の前
観た
ドラマ
で
印象に残った
コトバ
『Personal is political』
にも
期待しながら
に
ハマっている
きっかけは
いつのかわからぬ
大根が
野菜室で
出番を待っていたから
疲れた胃腸を整え
お通じにもいいとか
梅干しも
ちょうどあったので
大根は皮付きのまま
銀杏切り
梅干しも種も含め
鍋にちぎり入れ
昆布だしで炊き
ちょっとだけ
白出汁を加えたり
(白味噌も合います)
朝から
それを啜ると
たしかに
満腹感と
スッキリ感を
同時に得るコトが出来
なんとも云えぬ
多幸感に包まれる
もちろん
お腹のお掃除もしてくれるから
その分
お昼ごはんが
実に美味しい!
ダイエット効果にも繋がる。
と
書いてあるけれど・・
ワタシの場合は・・(笑)
年末年始のごちそうも
美味しかったり
愉しかったりしたけれど
朝陽射し込む
日常
鳥の囀りに
目を細め
啜る
梅流し
ホゥっと
ひと息
大根と
梅干しの
相乗効果
は
ココロの鎮静と
カラダの活性の
相乗効果とも
なっているのかもしれない