アルゼンチンタンゴ
の
ステップ
は
本来
場末の酒場で
荒々しい男たちが
フラストレーションを
ぶつけ合ったコトから
の
派生
だとか
二人が
上手く踊れるようになった時
其れは
完成では無く
終わりを意味しているようで
美しく
刹那かった
一緒に見たい景色も
決して
一緒には辿り着けない
一緒に居たいヒトは
いつも
一緒に居られなくなった時にしか
気付けない
happy together
最果てに捨てたい哀しみも
地球の裏側でしか感じられない悦びも
happy together
きっと
すべて
幻
きっと
いつか
幻
久しぶりに
紅玉を
購入した
小ぶりながらも
酸味と甘みが濃くて
ジャムやキャラメリゼにすると
一気に贅沢な味わいになる
ずっと観たかった
『サイダーハウスルール』
美しく成り
上手く収穫された林檎
もともと
不恰好に育ってしまった林檎
熟す前に
落ちてしまった林檎
上手くもぎ取られず
価値が下がってしまった林檎
林檎に合わせて使途を変えていく術
林檎をモノとしてではなく
イキモノとして扱うココロ
林檎はきっと
登場する各々を投影した姿
ー時には規則を破っても間違いを正すー
真の倫理観とは?
そう
投げかけられた
きびしくも
あたたかい作品
時々
読み返したくなる
シェル・シルヴァスタインの
『大きな木』
時に
友だちのように
時に
良き相談相手のように
時に
生き様で体現する師のように
林檎の木は
少年の一生を見守る
唯一無二の存在
其れに較べ
与えられる愛を
当たり前だと想う
甘えや
愚かさ
見えるモノでしか
量れない
ヒトの拙さ
其れら
を
想い当たるでしょ?
と
占い師みたいに
突きつけてくれる
ワタシにとっての
指南書
余談だけど
作者近影に
驚き慄いた一冊
でも(笑)
目の前にある林檎
を
ぼんやり眺めているだけで
次々と
紡ぎ出される
林檎に纏わるエトセトラ
好きな果物は?
と
問われ
決して
真っ先には
想い浮かばないのに
ワタシは
結構
林檎が好きなのかもしれない
ワタシは
結構
林檎に救われてきたのかもしれない
ーすべては無意識のうちに起こるー
遠ざかる記憶ほど
より鮮明に
暗闇が深くなれば
より光り輝き
忘れようと藻掻くほど
伝い絡まる
似ていると想うほど
違いが際立ち
動けない時ほど
此処ではない何処かへ馳せる
沢山あるほど
より際立ち
唯一無二ゆえ
見喪うコトばかり畏れる
捉えようとすればするほど
輪郭は朧げだ
ーすべては無意識のうちに起こるー
秋
を
満喫しておりますの
とは
云っても
旅に出るでもなく
高級懐石に舌鼓をうつでもなく
新潟の従兄から頂いた
ピカピカの新米に
蕩ける甘さの柿に
と
優しさたっぷりの旬を
味わったり
(毎年、ありがとう!)
読書三昧
映画鑑賞
そんな感じかしらねぇ
それに
此方は
初めて。
そう
いままでは
なんとも無かった
秋の花粉症
に
かかり
瞼やら首やらが
真っ赤に腫れ
ビックリしました!
春の花粉症
は
鼻炎や眼の痒みが
主なので
全く異なる症状に
ちょっと戸惑ってしまいましたよ
人生を四季に喩えると
そう
今のワタシは
秋真っ只中
きっと
免疫力も
ガクッと落ちてきているのかも
少しだけ
もの哀しくなったり
少しだけ
ロマンチシズムに浸ったり
其れも
秋のおかげか
更年期のせいか・・
ギラッと脂が乗った頃は去り
枯れた色気とは何ぞや
と
模索中⁈
とはいえ
考えても浮かばないモノは
感じるしかないのだけれど
大好きな角川映画の
「メインテーマ」
の
名台詞
セクシーになるって
頭を空っぽにするコトよ
を
モットーに
ケ・セラ・セラ〜と
鼻唄交じりに
日々を謳歌するしかないですよね
空っぽにする。
イコール
新しい知識を受け容れる機会を設ける。
だもんね
いつも
いっぱいいっぱい
とか
いつも
全力で頑張ります
とか
は
自身も好まぬし
誰もワタシに望んでいないから
やがて
訪れる
冬の静けさや厳しさを
受け容れられるよう
空っぽな秋
満喫します!
近くに住んでいるのに
互いに元気だから
なかなか実家には
遊びに行かない
近しいヒトほど
ドライに
程よい距離を好む
母も
ワタシも
B型
ワタシの性格や気質は
父親譲りだと
信じて疑わなかった
多感な頃
幼少期には調べる機会が無くて
ふいに血液検査で
母と同じ血液型だと知った時
ワタシは
何故かひどく落ち込んでいたという
ーワタシと同じ血液型がそんなにイヤ⁈ー
あまり
怒ったり
不平不満を云わぬ母が
キレた
数少ない記憶のヒトツ
でも
オトナになるにつれ
色んな意味で
母のように
生きるのは
ほんとうに難しいコトなんだと
気付かされ
また
同時に憧れるようになった
父が居ないと何も出来ないヒト。
そう何処かで軽んじていた自身が
恥ずかしくなった
個性とエネルギーのかたまり。
だった父を
最期まで父らしく生きさせてあげた
ケ・セラ・セラな母の存在
もしも
母を送る日が来たら
より濃く
より強く
ワタシも
カノジョの存在感を
想い知らされるんだろうな
なんて
淋しい話になったけど
そうそう
最近知った共通点
母もワタシも
今夏は
メジャーリーグや
高校野球の
面白さに
どっぷり浸ってしまった
運動音痴母娘が
たまに顔合わせたら
謎の解説者二人組に早変わり
ツーシームだとか
カットボールだとか
口にしては
顔見合わせ
手を叩き盛り上がった
そこには
オンナ。
という共通点が多いにあって
やはり
大谷翔平選手や
近江の山田陽翔選手やら
スター選手効果
故でもあるのだった
そして
うれしい共通点がもうヒトツ
な、な、なんと
大谷翔平選手も
B型だったのだ‼︎
(山田選手は不明)
うれしい〜
今後
あぁ〜B型ね・・と
たとえ遠い目をされたとしても
ワタシには大谷くんがついているもん!
そう跳ね除ける強さを
手に入れるコトが出来た(笑)
純粋な野球ファンには
眉を顰められるかな
ただのミーハー
にわかファンに過ぎないけれど
いままで興味が湧かなかったセカイを
愉しんだり広げたりするコトを
幾つになっても諦めたくないなとも
想う
ワタシたち親子のみならず
こんな不安定な社会の中で
生きる希望を与えてくれるヒトたちに
束の間元気をもらっている瞬間が
誰しもあるはず
ー日々を出来るだけ笑顔で過ごしたいー
此れは
血液型云々ではなく
人類の共通点
輝くモノから
たくさん
キッカケや
ヒントを
与えてもらいつつ
ケ・セラ・セラ母さんを
見倣って
朗らかに生きようっと
最近
SNS上で
気になる記事があった
生物学者の方が
「人間の寿命は本来四十年
あとは生活環境の改善と
医学の進歩によって
生かされているだけ」
と説き
「よって本来なら存在しない
四十代以降は自由にのびやかに
生きるべきだ」
と
自己解放論で
結んでらした
なるほど
寿命から十年
生き延びている身には
妙に説得力ある論説だ
様々な役割を担い
なんとか辻褄合わせしながら
此処までやってきた
役割を終え
ホッとしたような
物足りないような
昨今
あぁ
生きてる。
のではなく
生かされている。
だから
どこかしら
他人事みたいに
日々を
人生を
俯瞰している気がしてならなかったのか!
と
納得している自身がいる
ワタシが食べたモノが糧となり
ワタシが選んだモノだけが経験となる
そう鼓舞して駆け抜けた前半戦
と
比較すると
かなり
なりゆき任せな後半戦
でも
其れを気に入っている自身もいて
あーでもないこーでもないと
頬膨らませるコト無く
そう来たか
ま、いいか
と
受け流す気楽さを
愉しめるようになった
此の本のタイトル
「月とコーヒー」
其れは
まさに
人生後半戦の象徴
著者のあとがき
に
こう記されている
『この星で生きていくために必要なのは
「太陽とパン」の方でしょうが、
この世から月とコーヒーが
なくなってしまったら
なんと味気なくつまらないコトでしょう。
日常を繰り返していくために
なくてはならいもの
それは場合によっては
とるにたらないものであり
世の中から忘れられたもの
であるかもしれません。』
と
24のショートショート
少し刹那くて
少し淋しいモノばかり
でも
じんわり
読了後には
あたたかさや
清涼感に包まれている
あぁ
コレコレ
日々
欲する
取るに足らぬモノ
ワタシだけが知っている
ワタシだけが納得していればいい
そんな
感覚
子どもの頃
夏休み
は
うれしかった
けれど
ニガテでもあった
家が自営業だったから
自由な時間は増えても
どこかへ連れて行ってもらえる
訳でもナイし
絵日記のネタ探しには苦労していた
誕生日が
夏休み真っ只中というのも
なんだか不満で
(いま想えば自意識過剰だけど)
おめでとう。
そう友だちに云ってはもらえぬ
淋しさが
カラッとした夏空とは
裏腹にココロに広がったのを
未だ拭えないでいる
そんななか
ヒトツだけ
幸せな記憶があって
何故かその年は
珍しく夏風邪をひいてしまい
ウンウン唸って
アイスノンに慰めながら誕生日を迎えた
母も流石に心配だったようで
(漫画でもいいから読書をするように
常々云っていた)
ドラえもんだったか
ベルサイユのばらだったか
愛読書の最新刊を買ってくれた
そして
これまた何故か
当時
大好きだった男のコが
お見舞い&お祝いに
サッポロポテトバーベキューを
携え
訪ねてきてくれたのだった
あぁ
夏風邪も
夏休みに誕生日も
悪くないモノだな
でも
こんなに
キツイのに幸せな誕生日は
もう二度と無いんだろうな
そう
ボォッとしながらも
ポォッとしていた
あの年の夏休み
を
此の二冊を読みながら
憶い出していた
恩田陸さん
と
酒井駒子さん
が
タッグを組めば
底知れず
美しく
底知れず
儚く
底知れず
不思議なセカイへ
誘われる
一見
ミステリーであり
ファンタジーであるけれど
読み進めると
確実に
ヒューマンドラマであり
青春群像劇なのだから
尚のコト
愛おしい
多感な時代の
無知と想いこみは
ことごとく
現実との
ズレやら
溝やらを
想い痴らせてくれる
でも
勝手に傷付いたり
勝手に打ちのめされる先にしか
真実は存在しないというコトを
皮肉にも
自身を反面教師として
識るコトになる
そんな時代を経て
いつしか
見守り
見送られる世代へと
経年劣化してしまった
いまのワタシには
哀しすぎるくらい
清らかな物語だった
小説の中の少年少女は
特別な夏を過ごしたけれど
もしかしたら
実を生きる少年少女も
退屈だと想っている日常の中に
きっと
こんな特別を潜ませているのだろう
気付く
か
気付けない
か
の
違いがある
だけで
右ばかり
気にするな
左から
押しのけられる
左ばかり
気にするな
右から
追いやられる
上ばかり
気にするな
下から
引き摺り下ろされる
下ばかり
気にするな
上から
押し潰される
いつも
前
自身が
見据えているのは
前なんだ
過ぎた輝き
は
今
を
照らす
過ぎた
穴にも
小石にも
もう
気も
足も
取られるコトは
無くなるんだ
いつも
前
右も
左も
上も
下も
気の持ちようで
身の向けようで
其れ
は
いつも
前
オトコとオンナの間に在るのは
時差である
近年
感じているコトだけれど
此方の一冊を読了し
改めて
頷いた
五十路を歩み進め
更年期とやらに
差し掛かったからか
あまり
男女の機微を考えぬようになった
それだけでなく
四方山
深く考え進め無い方が
生き易いのだなと
確信めいた気もする
(深い思考は、
つい自身の肩を持ってしまうから)
好む本も
ベタベタ
ギトギト
したモノじゃなく
ツルリ
フワリしたモノへと
移行しているような
タイトルコールでもある
ー女たちは二度遊ぶー
オトコの中には
過去形でしか
オンナは存在しないのだろうか
そう想わせる内容だった
現在形のオンナ
は
全くもって
異国のヒト
オトコを
ただ
日々
欲情させたり
ただ
不可思議な問いを投げかけるばかり
オンナは
打っても響かぬ
現在形オトコに
ではなく
届かぬ返信に
枯渇していく自身に
嫌気が差し
手品みたいに
ワン・ツー・スリー迄
数えぬうち
その関わりを
過去形に変える
オンナの不在
こそ
オトコにとっては
最大のヒントであり
最高の熟考タイム
そう
識っているから
過去ならば
それ以上
謎が増えぬ分
想い出せる気もするし
答え合わせが出来る気がする
そう想い込んでいた
若かりし頃に
此方の一冊を読んでいたら
違和感を感じていたかもしれない
此方と対岸では
見える景色が真逆で
ヒトツになるには溺れなければいけない
そう
想っていたから
ほんとうは
時差も
ましてや
川も
無く
性質や環境が異なるモノ同士
互いを
知るほどに
興味が湧き
自身の持たぬモノ
足らぬモノを
欠けたピースのように探し
当てはめ
成就したと悦ぶ
オトコとオンナ
というのは
たった
それだけのコト
かもしれない
ワタシが住む街でも
此処数年の
雁字搦めから
解き放たれたかのように
たくさんのイベントが
復活して
賑わいをみせている
人混みがニガテになり
あまり他者と連れ立って
出掛けるコトをしなくなったから
ほぼほぼ無縁な日々だけど
昨夜は
イベントの一企画として
運営された
天燈に惹かれ
愛犬の散歩と託けて
覗いてみた
天燈は
諸説あるみたいだけれど
無病息災などの祈祷を込めて
昊へ還す意があるとか
夜空に
仄明るくも
無数の天燈が集い
飛び立つ様は
なんとも云えず
美しく浄らかだった
イベントなので
有料かつ
電球とヘリウムガス化されていたけれど
きっと
其処に掛けた願いと
見上げた瞳の光は
本場さながらだったのではないだろうか
ヒトは
いつの時代も
願うコトを
祈るコトを
尊ぶ
ましてや
清らかな世界に憧れ
更には
其れに
永久不変を求める
自身は
無力だ
微力だ
祈るコトしか出来ないから
そう
謙虚に開き直れば
さぞラクになれるし
救われるだろうけれど
一歩踏み出した後や
叶った先を
イメージする迄が
祈りびとの責務だと想う
ワタシも
日々
願うコトがある
祈るコトがある
天に乞えば
応えてくれるだろうか
天に乞えば
叶えてくれるだろうか
いや
天は
いつも
見守ってくれるだけ
決意に満ちた
表情を
天は
いつも
照らしてくれるだけ
岐路に立ち
迷う視線を
天はいつも
醒ましてくれるだけ
必要以上に熱を帯び
空回りするココロを