誰でも自分のことはよく見えない
ひとがあなたの知らずにこぼれ落とした
宝石をひろい、持っていてくれる。
何も言わない
瞳の中にいれたまま。
〜片山令子「誰かがきっと見ていてくれる」〜
器用
に
生きるヒト
なんて
見たコト
ない
みんな
あれ?
ん?
どうしよう・・
ま、いいか。
なんて
自問自答
したり
自己完結
させたり
して
生きている
ただ
その
一連の流れ
が
早ければ
スマート
に
緩やかなれば
マイペース
に
他者
に
映る
だけ
だろう
此処
最近
生き易く
なった
何故か
そんな
気
がして
ならない
劇的
な
変化
など
ナイ
けれど
気付き。
が
増えたから
かな
以前
は
近しいヒト
なら
余計
に
感情移入し過ぎて
そのヒト
の
痛み。
に
寄り添おう
と
躍起
に
なって
いたけれど
あくまでも、心配。
と
あくまでも、他人事。
の
中間点
に
立つ術
を
いつのまにか
身につけていた
らしく
また
心地よい
距離感
を
保たせてくれる
デリカシー具合
が
近しいヒト
と
しか
関わらぬよう
無意識のうち
に
しているのかもしれない
から
だろう
大それたコト
など
何
も
ナイ
良くも悪くも
ワタシ
は
こういうモノ
が
好み。
です
ワタシ
は
こういうモノ
が
ニガテ。
です
そう
体現するだけ
好み。
が
近しいヒト
と
話
は
勢み
ニガテ。
を
やれやれ
と
苦笑い
しながらも
サポートして
くれるヒト
に
ただ
感謝
し
いつか
還せる
機会
を
伺う
それだけ
だ
太極拳
の
センセイ
も
おっしゃっていた
の
は
「自然な動作は
カラダを痛めるコトはナイ」
と
心身
の
何処かが
ヒー
と
救けを
求めている
うちは
まだまだ
動ける
余白
が
在る
の
かもしれない
まだまだ
変わる
余地
が
在る
の
かもしれない