
仕事も
今月は
ひと段落して
のんびり過ごしております
積読の山から
一冊ずつ
開いては
それを被って
いつのまにやら
寝てしまうという
ひとり催眠術を
マスターしました(笑)
どうして
図書館や本屋さんに行ったら
おならが出て
家で本を開くと
眠くなるのでせう
紙特有の
匂いだったり
手触りだったりの
仕業だとか
おかげだとか
便秘のヒトは
トイレに
不眠のヒトは
ベッドサイドに
本棚を置くと
改善されるのかしらん?
話は逸れましたが
こちらの
ワタシは
舟越桂さんの装丁と
タイトルに惹かれて
手に取りましたが
若者たちの間では
ちょいと前に
流行ったそうですね
実は
筒井康隆氏の作品を
読むのも初めてで
どことなく
ジェームズ三木氏と
見分けがつかないまま
今日に至った
氏の存在
(無知でごめんなさい)
きっと
難しい話を
難しく表現する方
なんだろうなぁと
苦手意識を
持っていたのも
確か

なんだか
胸締めつけられる
帯書きに
背中を押してもらい
いざ
飛び込むと
・・むずかしい。
でも
普段から感じている
『現実は虚実を超える』
そんな感覚の
逆の。
答え合わせと
なりました
それと
同時に
現実。
と
虚実。
の
間には
常に
印象。
という
クリーム
いや
緩衝材
が
ペラリ
在るに過ぎない
と
いうコトにも
気付かされた気がします
文字やら
コトバを
沢山
知れば知るほど
使えば使うほど
本質からは
遠のいていくような
不意に襲われる
あの
虚無感やら
違和感やら
作品の中で
抜け落ちていく文字が
増えるほどに
見事なまでに
快復していく
躍動感や
解放感が
そんな
日々の不安までも
拭い去ってくれたようでした
此のセカイに
不要なモノなど
存在しないのかもしれない
(そぐわぬモノは自滅していくと想う)
少なくとも
ワタシの周りには
でも
存在しなくても
成り立つモノは
哀しいかな
少なからず
在るのかもしれない
同時に
自身の存在が
大切なヒトにとって
そんな風だったら
淋しいだろうなぁとも
しみじみ
噛み締めさせてもらえたのでした。
せめて
此のセカイから
あ。
と
り。
と
が。
と
う。
だけは
ずっとずっと
消えてしまいませんように
もう少しだけ
欲を云えば
あなた。
の
名前
と
ワタシ。
の
名前
も
せめて
此の
狭くて
いとおしい
セカイ
から