
鼻の穴コンプレックス
の
ワタシ
(ビー玉が入ると思う)
ムスメが小学生だった頃の参観日
で
『生まれ変わったら何になりたいですか?』
の
問いを
親子で交互にインタビューし合うという
機会があり
迷わず
『中山美穂さんの鼻の穴』
と
答えたコトがあって
五年に一度くらい
不意に
ムスメから
『そういえばさ・・・』
と
掘り返されたモノでした
よっぽど
衝撃的だったのでしょうね
(今となっては
『生まれ変わっても
貴女のお母さん。』が
名答だったのではないかと
気付きます)
そんなムスメから
仕事中に
連絡が入り
訃報を知りました
同世代ながらも
憧れの(鼻の穴のみならず)女性
自身でも
ビックリするくらいショックでした
(KANさん以来かな・・・)
人生に終わりがあるコトを
もう他人事とは
想えない齢です
生き様や生き方は
取捨選択出来るけれど
産まれるコトと
閉じるコトは
導かれるまま
其れには
いつ慣れていくのでしょうね・・
今日は
なんだか何も手につかず
ぼんやり過ごしていました
そんな日も大事よねと
云い聞かせながら
日中
洗濯物を干していると
日なたがとても気持ちよかったので
観葉植物たちと
しばし
日なたぼっこしました
『風・光・水』
おまじないみたいに
呟きながら
明るい陽射しの中
新芽を見つけたり
少しだけ
脊の丈が伸びていたり
植物にとっては
今からの季節は
休眠期だと
聴くけれど
絶えず
季節も
いのちも
巡るのですね
植物たちは
喋らずとも
視覚的に
そして
抒情的に語りかけてくれる
植物たちのみならず
近しかったり
憧れていたり
そんな人々の生き様もまた
自身が
シアワセだと
想えたら
シアワセ
自身が
シアワセだと
感じられたなら
シアワセ
誰の為でもなく
誰のモノでもなく
『人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトにわかれる
私はきっと愛したことを思い出す』
あの
美しい横顔で
劇中
こう
呟いた
場面が
憶い起こされます
愛したヒトに
愛されるよう
愛してくれたモノに
愛を還せるよう
生きてみよう
今更ながら
あらためて
そう
想う