臨 灌頂記
昨日は、九州国立博物館の「王羲之と日本の書」を観て来ました。
お目当ては、空海の灌頂記(灌頂歴名)。
王羲之、王献之、智永、王羲之関連の書。そして、王羲之を手本として広がった書、仮名への展開、和様、そして江戸からの個性の時代、と変遷する日本の書。国宝、重文だらけの、流石に国立博物館という展示です。
昨日から25日まで展示されてます。何度か作品の入れ替えがあったのですが、灌頂記の初日とあって、混雑が予想されましたが、案の定、長蛇の列です。特に音声ガイドのある作品の所では、なかなか動きません。
たまたま開いた空間に、最澄「久隔帖」を見つけたので、ここからスタートです。
そして、横にはお目当ての灌頂記。ただ、列を乱して割り込むことはできませんから、じっと待つことにして、先ずは久隔帖から鑑賞です。
灌頂記には、三度並んでじっくり観ることができました。
実はこの灌頂記、学生の時に、手袋、マスクで直かに観て以来、一番好きな古典の一つとなりました。
今まで何度臨書してきたか分かりません。きっと、僕の線質の一部分は灌頂記、といえるほどの古典です。
昨日、43年振りに再会して、こんなに小さな字だったのかと改めて思いました。特に僧名の下の佛名の部分、小さいですね。
小さいけれど、いつの間にか、大きく大きく書いているのです。それほど一字の持っている大きさや迫力があるということです。
興奮覚めやらず、筆を執りましたが、手近にあった薄墨の色を試した本画箋紙に書いた一枚目がベストでした。
臨書は二行目の「界」一字です。
書は動きです。形は後から付いてくる、と思っています。
実はこの大きさ。
ついでに、太宰府天満宮の風景を二枚。
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飛梅は花の盛りを過ぎていました。
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