やあ、いらっしゃい。
…今夜も蒸すねぇ。
そんな折、此処で一時でも涼風を感じてくれたなら、幸いに思うよ。
ささ、何時もの席に座ってくれ給え。
今アイスコーヒーでも淹れよう。
突然だが…貴殿は『生れ変り』というのを信じるだろうか?
嘘か真かは判らないが、世界には「誰かの生れ変りだ」と申告する者が、多く存在する。
中には科学的にそれを調査し、研究結果を発表した者まで居る。
アメリカ、ヴァージニア大学に籍を置いていたイアン・スティーヴンソン博士は、1961年、そういった例が多く聞かれるインドとセイロンに赴き、その時の調査記録を自著『前世を記憶する20人の子供』の中で発表した。
日本は仏教国…輪廻転生を古くから信じている国民性だ。
昔は悔いを残して生涯を終えた者の足の裏に、転生の願いを篭め、呪いを書いたりしたそうだ。
…前置きが長くなってしまったが……今夜はそんな話をしよう。
ずっと以前の事、越後の国の新潟の町に、長尾長生と言う人が住んでいた。
長尾は医者の息子で、幼い頃から父の業を継ぐように、教育を受けていた。
更に父の友人の娘で、お貞と言う女の子と許婚にされた。
そして両家では、長尾の修行が終りしだい婚礼を挙げる事に、相談が出来ていた。
所が、お貞の体の具合が悪くなり、十五の時に不治の肺患に罹った。
とても助からぬ事が解ると、お貞は長の別れに、長尾を呼んで貰った。
長尾が枕元に坐ると、お貞はこう言った。
「長尾様、私達は子供の時分から、互いに言交した仲で御座います。
そして今年の暮れには、婚礼を挙げる事になっておりました。
所が私は、今もう、死に掛かっております。
――これも神様の思し召しで御座います。
たとい、私が、この先もう何年生き長らえたと致しましても、やはり人様の御心配や悲しみの元になるばかり…。
こんなに弱い体では、とても良い妻になれる訳が御座いません。
ですから貴方様の為に、生きて居たいと思う事さえ、大変身勝手な願いで御座いましょう。
私はもうすっかり、死ぬ事を観念しております。
それで、貴方もお嘆きにならぬと、約束して下さいませ。
……それに、申し上げておきたいのは、私達は、もう一度、逢えるような気がするので御座います。」
「そうだとも、私達は、きっとまた逢えるよ」と、長尾は熱意を篭めて答えた。
「そして、あの極楽浄土には、もう別離の苦しみは無いからね。」
「いえ、いえ」と、彼女は物静かに答えた。
「浄土の事を申したのでは御座いません。
私達は、きっとこの世で、もう一度逢える定めになっていると思います。
――たとい、私が、明日お弔いされるに致しましても。」
長尾はいぶかしげに、お貞をじっと見守った。
すると彼女は、長尾が不審がるのに、微笑んでいるのであった。
お貞は、穏やかな夢見る様な声で、言葉を続けた。
「そうです。
私の申しますのは、この世――貴方様が、現に生きていらっしゃる、この世で御座いますよ。
……本当に貴方様が、そう望んで下さるのでしたら。
ただ、そうなる為には、私はもう一度女の子に生れて、一人前の女にならねばなりません。
ですから、それまで待って戴かねばなりません。
十五年――十六年、随分長い事で御座います。
……でも、貴方様は…まだやっと、十九で御座いますものね。」
お貞の臨終を慰めたい一心に、長尾は優しく答えた。
「ねえ、お前を待つのは、私の務めでもあり、また嬉しい事なんだよ。
私達は、互いに七生を誓っているのだもの。」
「でも、貴方様…お疑いになりまして?」と彼女は、長尾の顔を見守りながら尋ねた。
「それはねえ」と彼は答えた。
「別な体になり、別な名前になってるだろうお前を、私がちゃんと解るかどうか気懸りだよ。
――何かの印か、証拠を教えてくれなくては。」
「それは、私には出来ません」と彼女は言った。
「ただ神様と仏様だけが、私達が何処でどうして逢うか、御存知なのです。
でも、私をお迎えになるのがお嫌でなかったら、きっと――本当にきっと、貴方様のお傍へ帰って参れますよ。
……私のこの言葉を覚えていて下さいませ。」
彼女は話を止めた。
そして目を閉じた。
死んだのである。
長尾は、心からお貞を慕っていた。
それで、彼の悲しみは深かった。
長尾は、彼女の俗名を書き付けた位牌を作らせた。
そして、その位牌を仏壇に納めて、毎日その前に供え物を上げた。
彼は、お貞が死ぬ直ぐ前に、自分に語った不思議な事を、色々と考えた。
そして、彼女の霊を喜ばせてやりたいと思って、もし彼女が別な体で帰って来る事が出来たら夫婦になる、という厳かな誓約を書いた。
そして、この誓文に判を押して封じ、仏壇中の、お貞の位牌の側に置いた。
しかしながら、長尾は1人息子だったから、どうしても結婚せねばならなかった。
間も無く家族の者達の希望に従って、父の選んだ妻を余儀無く迎えさせられた。
結婚してからも、彼はやはり、お貞の位牌の前に、供え物を止めなかった。
そして愛慕の情を篭めて、彼女を思い出さぬ事は無かった。
それでも、お貞の面影は、しだいに長尾の記憶の中で、思い出し難い夢の様に、薄らいで行った。
こうして歳月は流れた。
その幾年かの間に、色々な不幸が長尾の身に降り掛かって来た。
彼は両親と死に別れた。
それから、妻や一人子とも、死に別れた。
それで、この世の中で、独りぽっちになってしまった。
彼は寂しい家を捨てて、悲しみを忘れようと、長い旅に出た。
旅の途中の或る日の事、長尾は伊香保に着いた。
――此処は、温泉とその付近の美しい景色との為に、今でもやはり有名な山村である。
彼が泊った村の宿で、一人の若い女が給仕に出た。
そしてその女の顔を一目見るや、長尾はこれまでかつて覚えた事も無い程、激しく胸のときめきを感じた。
まったく不思議なくらい、その女がお貞に似ているので、夢を見ているのではないかと、自分の身を抓ってみた。
火や食べ物を運んだり、客間を整えたりして、行ったり来たりしている時、その女の物腰や動作の一つ一つが、彼が若い頃誓いを立てた乙女の、楽しい記憶を呼起こした。
長尾は女に言葉を掛けた。
すると彼女は物柔らかな澄んだ声で返事をしたが、その声の美しさに、過ぎた日の悲しみが思い出されて、長尾は心を曇らせた。
そこで彼は、あまりの不思議さに、彼女にこう尋ねた。
「姉さん、あんたは、ずっと以前に私が知っていた人に、あまりよく似ているので、あんたが最初この部屋に入って来た時には、びっくりしたよ。
で、失礼だが、お国は何処で、名は何と言うの?」
即座に――そして忘れもせぬ、あの亡くなった人の声で、彼女はこう答えた。
「私の名はお貞と申します。
そして、貴方様は私の許婚の、越後の長尾長生様で御座いますわね。
十七年前に、私は新潟で亡くなりました。
その時貴方様は、私が女の体でこの世に戻って来れたら、結婚して下さるという、誓約をお書きになりました。
そして、貴方様はその誓文に判を押して封じ、仏壇の、私の名を書き付けた位牌の側に、置いて下さいました。
それで、私は帰って参りました……」
彼女はこう言い終えると、意識を失ってしまった。
長尾は彼女と結婚した。
そして、その結婚は幸福だった。
けれども、その後お貞は、伊香保で彼の問いに何と答えたか、まるで思い出せなかった。
それにまた、前世についても、何も覚えていなかった。
前世の記憶――あの回り逢いの刹那に、不思議にも燃え上った前世の記憶は、再び朦朧となり、その後もそのままであった。
……この話を聞いて、貴殿はどの様に思われただろうか?
運命の糸に導かれ、再会を果たした恋人達の、ロマンチックな話……そうとも感じられるだろう。
しかし……再会までの間、男を襲った数々の不幸。
何故彼は、両親だけでなく、1度目の妻や子供とまで、早く死に別れたのか?
その訳を考えた時……影で蠢く執念に気付かされ、空恐ろしさを感じずに居られないと言うのは…意地の悪い見方であろうか…?
…さて、今夜の話は、これでお終い。
昨夜と同じく、蝋燭を1本吹消して貰えるかい。
……有難う。
また…1つ、明りが消えたね。
では気を付けて、帰ってくれ給え。
飲み終えたグラスは、そのままで構わないよ。
いいかい?
…くれぐれも明るい所に出るまで……絶対に後ろを振り返らないように。
夜に鏡を覗いてもいけないよ…。
それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
『怪談・奇談(小泉八雲 著、田代三千稔 訳、角川文庫 刊)』より
…今夜も蒸すねぇ。
そんな折、此処で一時でも涼風を感じてくれたなら、幸いに思うよ。
ささ、何時もの席に座ってくれ給え。
今アイスコーヒーでも淹れよう。
突然だが…貴殿は『生れ変り』というのを信じるだろうか?
嘘か真かは判らないが、世界には「誰かの生れ変りだ」と申告する者が、多く存在する。
中には科学的にそれを調査し、研究結果を発表した者まで居る。
アメリカ、ヴァージニア大学に籍を置いていたイアン・スティーヴンソン博士は、1961年、そういった例が多く聞かれるインドとセイロンに赴き、その時の調査記録を自著『前世を記憶する20人の子供』の中で発表した。
日本は仏教国…輪廻転生を古くから信じている国民性だ。
昔は悔いを残して生涯を終えた者の足の裏に、転生の願いを篭め、呪いを書いたりしたそうだ。
…前置きが長くなってしまったが……今夜はそんな話をしよう。
ずっと以前の事、越後の国の新潟の町に、長尾長生と言う人が住んでいた。
長尾は医者の息子で、幼い頃から父の業を継ぐように、教育を受けていた。
更に父の友人の娘で、お貞と言う女の子と許婚にされた。
そして両家では、長尾の修行が終りしだい婚礼を挙げる事に、相談が出来ていた。
所が、お貞の体の具合が悪くなり、十五の時に不治の肺患に罹った。
とても助からぬ事が解ると、お貞は長の別れに、長尾を呼んで貰った。
長尾が枕元に坐ると、お貞はこう言った。
「長尾様、私達は子供の時分から、互いに言交した仲で御座います。
そして今年の暮れには、婚礼を挙げる事になっておりました。
所が私は、今もう、死に掛かっております。
――これも神様の思し召しで御座います。
たとい、私が、この先もう何年生き長らえたと致しましても、やはり人様の御心配や悲しみの元になるばかり…。
こんなに弱い体では、とても良い妻になれる訳が御座いません。
ですから貴方様の為に、生きて居たいと思う事さえ、大変身勝手な願いで御座いましょう。
私はもうすっかり、死ぬ事を観念しております。
それで、貴方もお嘆きにならぬと、約束して下さいませ。
……それに、申し上げておきたいのは、私達は、もう一度、逢えるような気がするので御座います。」
「そうだとも、私達は、きっとまた逢えるよ」と、長尾は熱意を篭めて答えた。
「そして、あの極楽浄土には、もう別離の苦しみは無いからね。」
「いえ、いえ」と、彼女は物静かに答えた。
「浄土の事を申したのでは御座いません。
私達は、きっとこの世で、もう一度逢える定めになっていると思います。
――たとい、私が、明日お弔いされるに致しましても。」
長尾はいぶかしげに、お貞をじっと見守った。
すると彼女は、長尾が不審がるのに、微笑んでいるのであった。
お貞は、穏やかな夢見る様な声で、言葉を続けた。
「そうです。
私の申しますのは、この世――貴方様が、現に生きていらっしゃる、この世で御座いますよ。
……本当に貴方様が、そう望んで下さるのでしたら。
ただ、そうなる為には、私はもう一度女の子に生れて、一人前の女にならねばなりません。
ですから、それまで待って戴かねばなりません。
十五年――十六年、随分長い事で御座います。
……でも、貴方様は…まだやっと、十九で御座いますものね。」
お貞の臨終を慰めたい一心に、長尾は優しく答えた。
「ねえ、お前を待つのは、私の務めでもあり、また嬉しい事なんだよ。
私達は、互いに七生を誓っているのだもの。」
「でも、貴方様…お疑いになりまして?」と彼女は、長尾の顔を見守りながら尋ねた。
「それはねえ」と彼は答えた。
「別な体になり、別な名前になってるだろうお前を、私がちゃんと解るかどうか気懸りだよ。
――何かの印か、証拠を教えてくれなくては。」
「それは、私には出来ません」と彼女は言った。
「ただ神様と仏様だけが、私達が何処でどうして逢うか、御存知なのです。
でも、私をお迎えになるのがお嫌でなかったら、きっと――本当にきっと、貴方様のお傍へ帰って参れますよ。
……私のこの言葉を覚えていて下さいませ。」
彼女は話を止めた。
そして目を閉じた。
死んだのである。
長尾は、心からお貞を慕っていた。
それで、彼の悲しみは深かった。
長尾は、彼女の俗名を書き付けた位牌を作らせた。
そして、その位牌を仏壇に納めて、毎日その前に供え物を上げた。
彼は、お貞が死ぬ直ぐ前に、自分に語った不思議な事を、色々と考えた。
そして、彼女の霊を喜ばせてやりたいと思って、もし彼女が別な体で帰って来る事が出来たら夫婦になる、という厳かな誓約を書いた。
そして、この誓文に判を押して封じ、仏壇中の、お貞の位牌の側に置いた。
しかしながら、長尾は1人息子だったから、どうしても結婚せねばならなかった。
間も無く家族の者達の希望に従って、父の選んだ妻を余儀無く迎えさせられた。
結婚してからも、彼はやはり、お貞の位牌の前に、供え物を止めなかった。
そして愛慕の情を篭めて、彼女を思い出さぬ事は無かった。
それでも、お貞の面影は、しだいに長尾の記憶の中で、思い出し難い夢の様に、薄らいで行った。
こうして歳月は流れた。
その幾年かの間に、色々な不幸が長尾の身に降り掛かって来た。
彼は両親と死に別れた。
それから、妻や一人子とも、死に別れた。
それで、この世の中で、独りぽっちになってしまった。
彼は寂しい家を捨てて、悲しみを忘れようと、長い旅に出た。
旅の途中の或る日の事、長尾は伊香保に着いた。
――此処は、温泉とその付近の美しい景色との為に、今でもやはり有名な山村である。
彼が泊った村の宿で、一人の若い女が給仕に出た。
そしてその女の顔を一目見るや、長尾はこれまでかつて覚えた事も無い程、激しく胸のときめきを感じた。
まったく不思議なくらい、その女がお貞に似ているので、夢を見ているのではないかと、自分の身を抓ってみた。
火や食べ物を運んだり、客間を整えたりして、行ったり来たりしている時、その女の物腰や動作の一つ一つが、彼が若い頃誓いを立てた乙女の、楽しい記憶を呼起こした。
長尾は女に言葉を掛けた。
すると彼女は物柔らかな澄んだ声で返事をしたが、その声の美しさに、過ぎた日の悲しみが思い出されて、長尾は心を曇らせた。
そこで彼は、あまりの不思議さに、彼女にこう尋ねた。
「姉さん、あんたは、ずっと以前に私が知っていた人に、あまりよく似ているので、あんたが最初この部屋に入って来た時には、びっくりしたよ。
で、失礼だが、お国は何処で、名は何と言うの?」
即座に――そして忘れもせぬ、あの亡くなった人の声で、彼女はこう答えた。
「私の名はお貞と申します。
そして、貴方様は私の許婚の、越後の長尾長生様で御座いますわね。
十七年前に、私は新潟で亡くなりました。
その時貴方様は、私が女の体でこの世に戻って来れたら、結婚して下さるという、誓約をお書きになりました。
そして、貴方様はその誓文に判を押して封じ、仏壇の、私の名を書き付けた位牌の側に、置いて下さいました。
それで、私は帰って参りました……」
彼女はこう言い終えると、意識を失ってしまった。
長尾は彼女と結婚した。
そして、その結婚は幸福だった。
けれども、その後お貞は、伊香保で彼の問いに何と答えたか、まるで思い出せなかった。
それにまた、前世についても、何も覚えていなかった。
前世の記憶――あの回り逢いの刹那に、不思議にも燃え上った前世の記憶は、再び朦朧となり、その後もそのままであった。
……この話を聞いて、貴殿はどの様に思われただろうか?
運命の糸に導かれ、再会を果たした恋人達の、ロマンチックな話……そうとも感じられるだろう。
しかし……再会までの間、男を襲った数々の不幸。
何故彼は、両親だけでなく、1度目の妻や子供とまで、早く死に別れたのか?
その訳を考えた時……影で蠢く執念に気付かされ、空恐ろしさを感じずに居られないと言うのは…意地の悪い見方であろうか…?
…さて、今夜の話は、これでお終い。
昨夜と同じく、蝋燭を1本吹消して貰えるかい。
……有難う。
また…1つ、明りが消えたね。
では気を付けて、帰ってくれ給え。
飲み終えたグラスは、そのままで構わないよ。
いいかい?
…くれぐれも明るい所に出るまで……絶対に後ろを振り返らないように。
夜に鏡を覗いてもいけないよ…。
それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
『怪談・奇談(小泉八雲 著、田代三千稔 訳、角川文庫 刊)』より