やあ、いらっしゃい。
今夜も訪ねて来てくれて、嬉しいよ。
所で貴殿は…そもそも『霊』の存在を信じるかい?
此処に来てくれたって事は、深くとも浅くとも興味を持ち、信じている証拠かな。
何故、『霊』の存在を信じる人が居るのだろう?
…それは己の内に潜む、『執念』に気付いているからだ。
死して尚残る『思い』を信じているからだ。
自分はそう考えているのだよ。
さて…今夜の話を始めようか…。
兵庫の伝説として残されている話だ。
但馬の養父(やぶ)郡の『城がはな』と呼ばれる山に、昔、井垣城と呼ばれる小城が在ったそうだ。
何時の殿様の代かは解らないが、その城には『甚十郎』と言う、周りの信頼篤い、立派な侍が居た。
肝の据わった侍で、毎日殿様を助けて城の内外を取仕切り、殿様の方でも事有る毎に、甚十郎の名を呼んで頼りにしていた。
しかしそれを妬み、やっかむ者達も居る。
甚十郎が居る限り、自分等の思うようにならないし、上手い事も出来ない。
何とか甚十郎を放り出そうと相談を固めた。
そうして折有る度に、「甚十郎は『殿さんは飾り物じゃ。わしが居っての井垣の城よ』等と言うて居りまする」とか、「甚十郎は殿さんの蔵に納めねばならん物を、我が懐に入れておるという噂に御座ります」とか、有りもしない事を頻繁に殿様の耳に吹込んだ。
始めこそ殿様は「何を馬鹿な。甚十郎に限って、その様な事を申す訳が無い」と取り合いもしなかったが、繰返し繰返し聞かされると真の事の様に聞えて来る。
とうとう、「甚十郎は怪しからぬ男じゃ。引括って取り調べい!」という事になった。
所がこの甚十郎と言う男、何度責められようと、一言も言い訳をしない。
誇り高い性分故、身に覚えの無い言掛かりを付けられようと、申し開きをするのは嫌だったのだろう。
しかし殿様は、甚十郎が一言も申し開きしないのを面白くなく思い、次第に憎しみを募らせて行った。
そして遂に「ガンドウ引きの刑にせえ!」と、恐ろしい事を口にした。
『ガンドウ引き』と言うのは、木に体を縛り付け、近くを通る者に竹の大鋸で少しづつ首を引かせる、実に惨い刑の事だ。
それを聞き、心有る家来は皆、慌てふためいて殿様を止めた。
「甚十郎は武士に御座る。
どの様な過ちが有ったにせよ、ガンドウ引きの刑とは、あまりにも酷いのでは。」
「甚十郎に限って、殿を蔑ろにする等と、その様な事は御座り申さぬ。
今一度の御詮議を。」
口々に願い請われるも、殿様は「一旦口にした事じゃ」と、聞き入れてはくれなかった。
甚十郎の方もびくともせずに、その言い渡しを受けた。
いよいよその日が来ると、甚十郎は夜も明けぬ内に起きて、可愛がってる馬に別れがしたいと申し出た。
そうして馬に飛び乗ると、心行くまで馬場を乗り回し、それから白無垢の死装束に着替えて、静かに刑に臨んだ。
刑が執行される直前、傍らの武士に遺言を伝えた。
「わしの首が鋸で引き切られたなら、その首を前の川に投げ込んでくれい。
身の証を立ててみせよう。」
彼の死に様は実に惨たらしいものであったらしい。
首は何日か過ぎてから、漸く引き切られたそうだ。
甚十郎の遺言は、多くの者達の口を通じて、噂となり広がった。
「身の証を立てるちゅうて、どう立てるのじゃろ?是非見物せにゃ」と、大勢が刑場に詰め掛けた。
勿論殿様の耳にも入っていて、「えい、甚十郎めが、その様な事を申したか!面白い、投げ入れてみい!」と言った。
罠に掛けた侍達も「己の罪を恥じるどころか、身の証を立てる等と、盗人猛々しいとはこの事。死に首掴んで川へ放り出すべし。笑うてやりましょう」と、殿様に申し上げた。
そうした訳で、首は遺言通り、前を流れる建屋川へ、ざぶりと放り込まれた。
――すると、不思議な事が起った。
投げ込まれた首はぶくりと浮上がったかと思うと、くわっと目を見開いたまま、じりじりと川を遡り始めた。
それを見た人々は、皆あっと息を呑んだ後、声も出なかった。
「せっ…拙者を睨みつけておる!」
一人の侍が絶叫し、狂った様に石を投げたが、首は不気味に目を据えたまま、川上へと流れ、大坪船谷の村々の間を遡り、三谷村との境の淵に出た。
そこは恐ろしく渦巻いている淵であったが、首は渦のまにまに、ぐるぐると七日間も回り続けたと言う。
それで此処を「ナヌカメグリ」と呼ぶようになった。
八日目に流れ出した首は大屋川に出合うと、それを遡り、川の中の石の上に、城の方を向いて坐った。
川波にぴたぴた洗われようと、首は最早微動だにせず、空ろに黒い目の窪みだけが、じいっと城を睨んでいたそうだ。
その光景を目にし、心を痛めた付近の村人達は、首を河原に埋めて祀った。
暫くして、罠に嵌めた侍達の企みは知れ、甚十郎の疑いは晴れた。
殿様は「済まん事じゃった」と言って、五輪塔を建てさせたそうだ。
…死して尚残る執念は、常軌を逸した現象すら引起せる。
この世で晴らせぬ恨みは、あの世で晴らす。
幽霊が何故斯くも人々の間で根強く存在を信じられるか…
それは弱者のヒーローで在るからとも言えるだろう。
今夜の話は、これでお終い。
さあ、何時もの様に、蝋燭を1本、吹消してくれるかい。
……有難う。
また1つ…明りが消えたね。
では気を付けて、帰ってくれ給え。
…くれぐれも…帰る途中で後ろを振り返らないように。
深夜、鏡を覗いてもいけないよ。
それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
『日本の民話10――残酷の悲劇――(松谷みよ子、集)』より。
今夜も訪ねて来てくれて、嬉しいよ。
所で貴殿は…そもそも『霊』の存在を信じるかい?
此処に来てくれたって事は、深くとも浅くとも興味を持ち、信じている証拠かな。
何故、『霊』の存在を信じる人が居るのだろう?
…それは己の内に潜む、『執念』に気付いているからだ。
死して尚残る『思い』を信じているからだ。
自分はそう考えているのだよ。
さて…今夜の話を始めようか…。
兵庫の伝説として残されている話だ。
但馬の養父(やぶ)郡の『城がはな』と呼ばれる山に、昔、井垣城と呼ばれる小城が在ったそうだ。
何時の殿様の代かは解らないが、その城には『甚十郎』と言う、周りの信頼篤い、立派な侍が居た。
肝の据わった侍で、毎日殿様を助けて城の内外を取仕切り、殿様の方でも事有る毎に、甚十郎の名を呼んで頼りにしていた。
しかしそれを妬み、やっかむ者達も居る。
甚十郎が居る限り、自分等の思うようにならないし、上手い事も出来ない。
何とか甚十郎を放り出そうと相談を固めた。
そうして折有る度に、「甚十郎は『殿さんは飾り物じゃ。わしが居っての井垣の城よ』等と言うて居りまする」とか、「甚十郎は殿さんの蔵に納めねばならん物を、我が懐に入れておるという噂に御座ります」とか、有りもしない事を頻繁に殿様の耳に吹込んだ。
始めこそ殿様は「何を馬鹿な。甚十郎に限って、その様な事を申す訳が無い」と取り合いもしなかったが、繰返し繰返し聞かされると真の事の様に聞えて来る。
とうとう、「甚十郎は怪しからぬ男じゃ。引括って取り調べい!」という事になった。
所がこの甚十郎と言う男、何度責められようと、一言も言い訳をしない。
誇り高い性分故、身に覚えの無い言掛かりを付けられようと、申し開きをするのは嫌だったのだろう。
しかし殿様は、甚十郎が一言も申し開きしないのを面白くなく思い、次第に憎しみを募らせて行った。
そして遂に「ガンドウ引きの刑にせえ!」と、恐ろしい事を口にした。
『ガンドウ引き』と言うのは、木に体を縛り付け、近くを通る者に竹の大鋸で少しづつ首を引かせる、実に惨い刑の事だ。
それを聞き、心有る家来は皆、慌てふためいて殿様を止めた。
「甚十郎は武士に御座る。
どの様な過ちが有ったにせよ、ガンドウ引きの刑とは、あまりにも酷いのでは。」
「甚十郎に限って、殿を蔑ろにする等と、その様な事は御座り申さぬ。
今一度の御詮議を。」
口々に願い請われるも、殿様は「一旦口にした事じゃ」と、聞き入れてはくれなかった。
甚十郎の方もびくともせずに、その言い渡しを受けた。
いよいよその日が来ると、甚十郎は夜も明けぬ内に起きて、可愛がってる馬に別れがしたいと申し出た。
そうして馬に飛び乗ると、心行くまで馬場を乗り回し、それから白無垢の死装束に着替えて、静かに刑に臨んだ。
刑が執行される直前、傍らの武士に遺言を伝えた。
「わしの首が鋸で引き切られたなら、その首を前の川に投げ込んでくれい。
身の証を立ててみせよう。」
彼の死に様は実に惨たらしいものであったらしい。
首は何日か過ぎてから、漸く引き切られたそうだ。
甚十郎の遺言は、多くの者達の口を通じて、噂となり広がった。
「身の証を立てるちゅうて、どう立てるのじゃろ?是非見物せにゃ」と、大勢が刑場に詰め掛けた。
勿論殿様の耳にも入っていて、「えい、甚十郎めが、その様な事を申したか!面白い、投げ入れてみい!」と言った。
罠に掛けた侍達も「己の罪を恥じるどころか、身の証を立てる等と、盗人猛々しいとはこの事。死に首掴んで川へ放り出すべし。笑うてやりましょう」と、殿様に申し上げた。
そうした訳で、首は遺言通り、前を流れる建屋川へ、ざぶりと放り込まれた。
――すると、不思議な事が起った。
投げ込まれた首はぶくりと浮上がったかと思うと、くわっと目を見開いたまま、じりじりと川を遡り始めた。
それを見た人々は、皆あっと息を呑んだ後、声も出なかった。
「せっ…拙者を睨みつけておる!」
一人の侍が絶叫し、狂った様に石を投げたが、首は不気味に目を据えたまま、川上へと流れ、大坪船谷の村々の間を遡り、三谷村との境の淵に出た。
そこは恐ろしく渦巻いている淵であったが、首は渦のまにまに、ぐるぐると七日間も回り続けたと言う。
それで此処を「ナヌカメグリ」と呼ぶようになった。
八日目に流れ出した首は大屋川に出合うと、それを遡り、川の中の石の上に、城の方を向いて坐った。
川波にぴたぴた洗われようと、首は最早微動だにせず、空ろに黒い目の窪みだけが、じいっと城を睨んでいたそうだ。
その光景を目にし、心を痛めた付近の村人達は、首を河原に埋めて祀った。
暫くして、罠に嵌めた侍達の企みは知れ、甚十郎の疑いは晴れた。
殿様は「済まん事じゃった」と言って、五輪塔を建てさせたそうだ。
…死して尚残る執念は、常軌を逸した現象すら引起せる。
この世で晴らせぬ恨みは、あの世で晴らす。
幽霊が何故斯くも人々の間で根強く存在を信じられるか…
それは弱者のヒーローで在るからとも言えるだろう。
今夜の話は、これでお終い。
さあ、何時もの様に、蝋燭を1本、吹消してくれるかい。
……有難う。
また1つ…明りが消えたね。
では気を付けて、帰ってくれ給え。
…くれぐれも…帰る途中で後ろを振り返らないように。
深夜、鏡を覗いてもいけないよ。
それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
『日本の民話10――残酷の悲劇――(松谷みよ子、集)』より。