瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第39話―

2007年08月20日 20時54分29秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
夏がまた戻って来た様な暑さだね。
我慢出来ず、水場に向う人も多いだろう。
しかし水場には魔物が多い…注意しないと引き摺り込まれるかも知れない。

今夜はそんな、水場に潜む怪奇の話だ。



中国晋の栄えていた頃、劉伯玉(りゅうはくぎょく)と言う名の男が居た。
彼の妻は頗る嫉妬深い女であった。
伯玉は女神『洛神』に憧れ、常に『洛神賦』を暗誦しては妻に語っていた。

「妻を娶るならば、洛神の様な女が欲しいものだ。」

それを聞いた妻は憤慨して言った。

「貴方は人間の私より、女神の方がお好きなのですね。
 けど、私とても女神になれない事はありませんよ。」


或る日妻は、河に身を投げ、死んでしまった。

それから七日目の夜…彼女は伯玉の夢の中に現れた。


「貴方は女神がお好きな様だから、私も女神になりました。」


目が醒めて、伯玉は覚った。
妻は自分を河へ連れ込もうとしていると。

そう考えた彼は、一生を終えるまで、河を渡ろうとしなかったそうだ。


嫉妬深い女が身を投げた河を、以来人々は『妬婦津(とふしん)』と呼んで恐れた。

美しく装った美女が渡ると、嫉妬深い女神の怒りに触れて、忽ち風波が起るからだ。
但し醜い女は幾ら化粧をし着飾って渡っても、女神が妬まないと見えて無事であったらしい。

そこでこの河を渡る時、風波の難に遭わない者は醜婦であるという事になってしまうので、どんな女もわざと衣服や化粧を崩して渡る様になったと云う。

中国の昔の諺に、こんなのが有るそうだ。


「良い嫁を貰おうと思ったら、妬婦津の渡し場に立って居ろ。
 渡る女の美しいか醜いかが、自然に判る。」


尚、妬婦津と言う渡し場は、山東省臨清(りんせい)県に在ると云われているらしい。



…女の虚栄心を突いた中々ブラックジョークの効いている伝説であろう。
この話は唐の時代に段成式(だんせいしき)と言う者が著した『西陽雑爼(せいようざっそ)』なる書物に出て来るとは、中国の怪奇譚に造詣の深い岡本綺堂の語る所。

事故で死ぬのは佳人、故意で死ぬのは「それなりの女」と言う事か…。


今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。

……有難う。

さてと、お帰りの時間だ。
夜道ではくれぐれも背後を振り返らないように。
深夜、鏡を覗く事も厳禁だ。

では、御機嫌よう。
また次の晩に会えるのを、楽しみにしているよ…。



『中国怪奇小説集(岡本綺堂 著、光文社時代小説文庫 刊)』より。



*洛神(らくしん)…中国魏の都洛陽付近を流れる川『洛水』の女神。『洛神賦(らくしんふ)』とは、魏の皇族にして文学者曹植(そうしょく)が、洛神の美しさを讃えた詩。洛神の別名は『雒嬪(らくひん)』・『宓妃(ふくひ)』。
コメント
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