やあ、いらっしゃい。
今夜も来てくれて有難う。
そちらは皆勤賞ものかい?
嬉しいねえ…ラジオ体操の様に、最終日には何か景品でもプレゼントしたいくらいだよ。
さて、今夜から最終日までは、あの『グリム童話』の内から、紹介したいと思う。
残酷な話が多いと世に有名な『グリム童話』だが、これは去年或る晩に語った通り、主に兄ヤーコプ・グリムが、「子供には有るがまま伝えるべき」との主張貫いての為だ。
そもそも『グリム童話』は、原題『Kinder und Hausmärchen(キンダー・ウント・ハオスメルヒェン)』の通り訳すなら、「子供達と家庭の童話」……「ドイツの家庭で、大人から子供へ伝えて行きたい話」との意味を篭めて、グリム兄弟は蒐集・執筆したのだろうと考えられている。
ただ「子供向きの話」と言う意味では無いのだ。
とは言えやはり世論に抗い切れなかったか…兄弟が生前中、グリム童話は第7版まで発行されているが、版を重ねる毎に弟ヴィルヘルムが中心となって、大きく改訂されている。
結果、後の版になればなる程、創作が入れられ、物語として面白いものになっているのだが、元来伝承されてた話からは遠ざかってしまったという批判が無きにしも非ず。
もっとも不思議と、残酷な話は削られていない。
削られている殆どは、子供が主役の話中での残酷描写・性描写だろう。
去年紹介した『子どもたちがごっこをした話』等は、初版以降、姿を消している。
童話が広く世に出た事で、ヴィルヘルムは子供の目を意識して、収録を控えたのかもしれない。
前置きが長くて済まない。
今夜は初版から第7版まで不思議と削られず、妙にリアルな描写が恐い、残酷話を紹介しよう。
昔々在る所に粉屋が居ました。
この人には綺麗な娘が1人在りました。
その娘が年頃になると、粉屋は娘が良い結婚をして大事にされる事を望み、「ちゃんとした人が結婚を申込みに来たら、娘をやる事にしよう」と考えました。
程無く結婚したいと言う人が来て、その人はとても金持ちらしく見えました。
粉屋は、何処にも文句を付ける所が無かったので、その人に娘をやると約束しました。
所が娘は、その男がどうも好きになれませんでした。
何度顔を合せて話をしても親しみが持てず、男の事を思うだけでも、心がぞっとするのです。
或る時、男が娘に言いました。
「あんたは私の許嫁になったのに、1度も私の所へ訪ねて来ないね。」
娘は、「だって私、貴方の家が何処に在るのか知らないんですもの」と、言い訳しました。
すると花婿は言いました。
「私の家は、町の外れの暗い森の中に在るよ。」
娘はどうしても男の家に行きたくなかったので、「行く道が解らないもの」と、やんわり断りました。
しかし花婿は、娘の言い逃れを許さず、押し切る様に言いました。
「次の日曜日に、町を出て私の所へ来ておくれ。
友人達にあんたを紹介したいと思う。
森を通る道が解る様に、灰を撒いておいてあげるからね。」
そして約束の日曜日が来ました。
娘は自分でも訳が解らない程、不安で堪りません。
ですが約束をした以上仕方ないと諦め、出掛ける事にしました。
出掛ける前に用心の為、娘は2つのポケットに、えんどう豆とれんず豆を、いっぱい詰込みました。
森の入口に着くと、灰が撒いてあるのが目に付きました。
娘はその灰を辿りつつ、1足歩く毎に右へ左へ、豆を2、3粒落として行きました。
丸1日近く歩き、漸く森の真ん中へやって来ると、真っ暗い中に家が1軒、ぽつんと建っているのが見えました。
酷く陰気で気味悪そうで…娘は近付くのも嫌に思えました。
それでも勇気を出して家を訪ねると、中には誰も居らず、しんと静まり返っています。
すると突然、けたたましい声がかかりました。
「お帰り、お帰り、若い花嫁さん
あんたは人殺しの家へ来たんだよ」
驚いて娘が上を向くと、壁に鳥篭が掛かっていて、中には鳥が1羽居ました。
声はどうやら、その鳥が出したようでした。
鳥はもう1度、同じ様に叫びます。
「お帰り、お帰り、若い花嫁さん
あんたは人殺しの家へ来たんだよ」
薄気味悪く鳴く鳥を後にして、美しい花嫁は部屋から部屋へと、家中隈無く歩き回りました。
何処もかしこもがらんとしていて、人っ子1人見当たりません。
終いに娘は、地下室へも下りてみました。
するとそこには、酷く年取った女が1人、頭をがくがく揺らして立っていました。
娘はお婆さんに向い、尋ねました。
「ねえ、教えて下さらない?
私の許婚は、此処に住んでいるのかしら?」
尋ねられたお婆さんは、こう返事しました。
「ああ、可哀想に…あんたはとんだ所へ来ちまったね。
あんたは自分が花嫁で、直に結婚式を挙げると思っているかもしれないけど、あんたは死神と結婚式を挙げる事になるだろうよ。
此処は人殺しで人食いの巣窟なんだ。
見ての通り、私は水を入れた大きな鍋を火にかけている。
そう言い付けられてるんだ。
奴等あんたを捕まえたら、情け容赦も無く切り刻んで、煮て食っちまうだろうよ。
助かりたかったら私の言う通りにしな。
でなきゃ、あんたはお終いだよ。」
そう言うとお婆さんは、娘を人の目に付かない、大きな樽の後ろへ連れて行きました。
「そこで子鼠みたいに、大人しくしといで!
ちょっとでも動いちゃいけないよ!
動いたら、あんたの命は本当にお終いになっちまうからね!
夜になるまで待って……強盗達が眠った隙に、2人で一緒に逃出そう。
実を言うと、私はずっと前から、そのチャンスを待っていたのさ。」
お婆さんの言葉が終るか終らない内に、罰当たりな連中が別の娘を引き摺って帰って来ました。
泣き叫ぶ娘に、強盗共は無理矢理ワインをなみなみ3杯呑ませます。
1杯目は白いワイン、2杯目は赤いワイン、3杯目は黄色いワイン。
呑まされた娘は、心臓が破裂して、死んでしまいました。
それから連中は娘の素晴しい服を剥ぎ取り、テーブルの上に寝かせると、美しい体を細かに切り、塩を振掛けました。
樽の後ろから、この光景を見ていた花嫁の体は、可哀想にがたがたと震えました。
強盗共が自分をどういう目に遭わせようとしているのか、よく解ったからです。
殺された娘の薬指には、金の指輪が嵌められていました。
連中の中で、それに気付いた男が、外そうとします。
しかし直ぐに抜き取れなかったので、男は手斧を取って、指を切り落しました。
所が指は高く跳ねて樽の向うまで飛び、丁度花嫁の膝の上に落ちました。
男は灯りを取って、指を探し出そうとしましたが、中々見付りませんでした。
すると別の1人が、「あの大きな樽の後ろ側に落ちたんじゃないか?」と言いました。
それを聞き、樽の陰に隠れている花嫁の震えが、益々酷くなります。
「こっちへ来て、御飯を食べな!
探すのは明日にしたらどうだい!
指は逃げ出しゃしないよ!」
探されては大変と、お婆さんが怒鳴って引き止めます。
すると強盗共は、「婆さんの言う通りだ」と言って探すのを止め、御飯にしました。
間も無く連中は、鼾を掻いて、地下室に寝転びました。
お婆さんが予め、連中のワインに眠り薬を垂らし込んでおいたからです。
花嫁は鼾の音を聞くと、樽の後ろからこっそり出て来ました。
ずらりと床に寝転がっている連中の上を、おっかなびっくり忍び足で越えて行きます。
無事に通り抜けた娘は、お婆さんを連れて1階の玄関を出ると、急いで人殺しの巣窟から逃出しました。
道に撒いてあった灰は風に吹き飛ばされていましたが、来た時蒔いたえんどう豆とれんず豆が芽を出し伸びていて、月明かりの中、道を教えてくれました。
2人は夜通し歩いて、明け方に漸く水車小屋に辿り着く事が出来ました。
家に着いた娘は、父親に遭った事を何もかも話しました。
結婚式当日――粉屋は、自分の親戚と知り合いを、全部呼んでおきました。
そこへ、花婿が姿を現しました。
皆が席に着いた所で、1人づつ何か話をするように求められました。
でも花嫁はじっと座ったきりで、何も話そうとしません。
そこで花婿が、花嫁に向って言いました。
「どうだね、何も思い付かないのかい?
あんたも何か聞かせておくれよ。」
花嫁は、花婿の言葉に応えて、話し始めました。
「それじゃあ、私が見た夢の話をしましょう。
私は1人で森を通って行きました。
すると、終いに1軒の家に着きました。
中には人っ子1人居ませんでしたが、壁に鳥篭がかかっていて、その中に居る鳥が2度、こう叫びました。
『お帰り、お帰り、若い花嫁さん
あんたは人殺しの家へ来たんだよ』
――ねえ貴方、これはただの夢よ。
さて、私は部屋という部屋をすっかり歩きましたが、何処もかしこもがらんとしていて、気味が悪いったらありません。
終いに地下室へ下りてみました。
するとそこには酷く年を取って、頭をがくがくさせたお婆さんが居ました。
私はその人に『私の許婚はこの家に住んでいるの?』と尋ねました。
するとその人は、『ああ、可哀想に…あんたは人殺しの巣窟に来てしまったんだよ。あんたの花婿は此処に住んでいるけど、あんたを殺して、切り刻んで、煮て食う積りなんだよ』と答えました。
――ねえ貴方、これはただの夢よ。
でもお婆さんは、私を大きな樽の後ろに匿ってくれました。
私がそこに隠れた途端、強盗共が帰って来ました。
連中は娘を1人引き摺って来て、その娘に白・赤・黄色と、3種類のワインを呑ませました。
それを呑んだ娘は死んでしまいました。
――ねえ貴方、これはただの夢よ。
それから連中は娘の服を脱がせ、テーブルの上に載せると、細かく切り、塩を振掛けました。
――ねえ貴方、これはただの夢よ。
すると強盗の中の1人が、薬指に指輪が嵌っている事に気が付き、外そうとしました。
だけど中々抜けないものだから、その男は手斧を取って、指を切落としました。
所が指は高く跳ねて、大きな樽の後ろへ飛び、私の膝の上に落ちました。
――ほら、これがその指よ、指輪が嵌っているでしょ。」
話し終えた花嫁は指を取り出し、居合せる人達に見せました。
婿の強盗は、話を聞いている内に真っ蒼になり、飛上って逃出そうとしました。
客達は皆でその男を取押えると、裁判所に引渡しました。
婿の強盗とその一味の者は、働いた悪事を裁かれ、1人残らず死刑になりました。
…同型の話として、『フィッチャーの鳥』と『青ひげ』が在る。
この内『青ひげ』のみ、最終版には収録されていない。
結末等、童話にしては妙に現実的に思える。
恐らくは実際に有った出来事を元にして、語り伝えられていたのではなかろうか。
どんなに残酷な物語でも、現実の残酷さは超えられない。
今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。
……有難う。
では恐ろしい鬼に出くわさないよう、早く帰るといいだろう。
くれぐれも背後を振り返らないように、注意してくれ給え。
深夜、鏡を覗いてもいけないよ。
御機嫌よう。
次の晩を、楽しみにしているよ…。
『完訳グリム童話集2巻(ヤーコプ・グリム、ヴィルヘルム・グリム 作、野村泫 訳、ちくま文庫 刊)』より。
今夜も来てくれて有難う。
そちらは皆勤賞ものかい?
嬉しいねえ…ラジオ体操の様に、最終日には何か景品でもプレゼントしたいくらいだよ。
さて、今夜から最終日までは、あの『グリム童話』の内から、紹介したいと思う。
残酷な話が多いと世に有名な『グリム童話』だが、これは去年或る晩に語った通り、主に兄ヤーコプ・グリムが、「子供には有るがまま伝えるべき」との主張貫いての為だ。
そもそも『グリム童話』は、原題『Kinder und Hausmärchen(キンダー・ウント・ハオスメルヒェン)』の通り訳すなら、「子供達と家庭の童話」……「ドイツの家庭で、大人から子供へ伝えて行きたい話」との意味を篭めて、グリム兄弟は蒐集・執筆したのだろうと考えられている。
ただ「子供向きの話」と言う意味では無いのだ。
とは言えやはり世論に抗い切れなかったか…兄弟が生前中、グリム童話は第7版まで発行されているが、版を重ねる毎に弟ヴィルヘルムが中心となって、大きく改訂されている。
結果、後の版になればなる程、創作が入れられ、物語として面白いものになっているのだが、元来伝承されてた話からは遠ざかってしまったという批判が無きにしも非ず。
もっとも不思議と、残酷な話は削られていない。
削られている殆どは、子供が主役の話中での残酷描写・性描写だろう。
去年紹介した『子どもたちがごっこをした話』等は、初版以降、姿を消している。
童話が広く世に出た事で、ヴィルヘルムは子供の目を意識して、収録を控えたのかもしれない。
前置きが長くて済まない。
今夜は初版から第7版まで不思議と削られず、妙にリアルな描写が恐い、残酷話を紹介しよう。
昔々在る所に粉屋が居ました。
この人には綺麗な娘が1人在りました。
その娘が年頃になると、粉屋は娘が良い結婚をして大事にされる事を望み、「ちゃんとした人が結婚を申込みに来たら、娘をやる事にしよう」と考えました。
程無く結婚したいと言う人が来て、その人はとても金持ちらしく見えました。
粉屋は、何処にも文句を付ける所が無かったので、その人に娘をやると約束しました。
所が娘は、その男がどうも好きになれませんでした。
何度顔を合せて話をしても親しみが持てず、男の事を思うだけでも、心がぞっとするのです。
或る時、男が娘に言いました。
「あんたは私の許嫁になったのに、1度も私の所へ訪ねて来ないね。」
娘は、「だって私、貴方の家が何処に在るのか知らないんですもの」と、言い訳しました。
すると花婿は言いました。
「私の家は、町の外れの暗い森の中に在るよ。」
娘はどうしても男の家に行きたくなかったので、「行く道が解らないもの」と、やんわり断りました。
しかし花婿は、娘の言い逃れを許さず、押し切る様に言いました。
「次の日曜日に、町を出て私の所へ来ておくれ。
友人達にあんたを紹介したいと思う。
森を通る道が解る様に、灰を撒いておいてあげるからね。」
そして約束の日曜日が来ました。
娘は自分でも訳が解らない程、不安で堪りません。
ですが約束をした以上仕方ないと諦め、出掛ける事にしました。
出掛ける前に用心の為、娘は2つのポケットに、えんどう豆とれんず豆を、いっぱい詰込みました。
森の入口に着くと、灰が撒いてあるのが目に付きました。
娘はその灰を辿りつつ、1足歩く毎に右へ左へ、豆を2、3粒落として行きました。
丸1日近く歩き、漸く森の真ん中へやって来ると、真っ暗い中に家が1軒、ぽつんと建っているのが見えました。
酷く陰気で気味悪そうで…娘は近付くのも嫌に思えました。
それでも勇気を出して家を訪ねると、中には誰も居らず、しんと静まり返っています。
すると突然、けたたましい声がかかりました。
「お帰り、お帰り、若い花嫁さん
あんたは人殺しの家へ来たんだよ」
驚いて娘が上を向くと、壁に鳥篭が掛かっていて、中には鳥が1羽居ました。
声はどうやら、その鳥が出したようでした。
鳥はもう1度、同じ様に叫びます。
「お帰り、お帰り、若い花嫁さん
あんたは人殺しの家へ来たんだよ」
薄気味悪く鳴く鳥を後にして、美しい花嫁は部屋から部屋へと、家中隈無く歩き回りました。
何処もかしこもがらんとしていて、人っ子1人見当たりません。
終いに娘は、地下室へも下りてみました。
するとそこには、酷く年取った女が1人、頭をがくがく揺らして立っていました。
娘はお婆さんに向い、尋ねました。
「ねえ、教えて下さらない?
私の許婚は、此処に住んでいるのかしら?」
尋ねられたお婆さんは、こう返事しました。
「ああ、可哀想に…あんたはとんだ所へ来ちまったね。
あんたは自分が花嫁で、直に結婚式を挙げると思っているかもしれないけど、あんたは死神と結婚式を挙げる事になるだろうよ。
此処は人殺しで人食いの巣窟なんだ。
見ての通り、私は水を入れた大きな鍋を火にかけている。
そう言い付けられてるんだ。
奴等あんたを捕まえたら、情け容赦も無く切り刻んで、煮て食っちまうだろうよ。
助かりたかったら私の言う通りにしな。
でなきゃ、あんたはお終いだよ。」
そう言うとお婆さんは、娘を人の目に付かない、大きな樽の後ろへ連れて行きました。
「そこで子鼠みたいに、大人しくしといで!
ちょっとでも動いちゃいけないよ!
動いたら、あんたの命は本当にお終いになっちまうからね!
夜になるまで待って……強盗達が眠った隙に、2人で一緒に逃出そう。
実を言うと、私はずっと前から、そのチャンスを待っていたのさ。」
お婆さんの言葉が終るか終らない内に、罰当たりな連中が別の娘を引き摺って帰って来ました。
泣き叫ぶ娘に、強盗共は無理矢理ワインをなみなみ3杯呑ませます。
1杯目は白いワイン、2杯目は赤いワイン、3杯目は黄色いワイン。
呑まされた娘は、心臓が破裂して、死んでしまいました。
それから連中は娘の素晴しい服を剥ぎ取り、テーブルの上に寝かせると、美しい体を細かに切り、塩を振掛けました。
樽の後ろから、この光景を見ていた花嫁の体は、可哀想にがたがたと震えました。
強盗共が自分をどういう目に遭わせようとしているのか、よく解ったからです。
殺された娘の薬指には、金の指輪が嵌められていました。
連中の中で、それに気付いた男が、外そうとします。
しかし直ぐに抜き取れなかったので、男は手斧を取って、指を切り落しました。
所が指は高く跳ねて樽の向うまで飛び、丁度花嫁の膝の上に落ちました。
男は灯りを取って、指を探し出そうとしましたが、中々見付りませんでした。
すると別の1人が、「あの大きな樽の後ろ側に落ちたんじゃないか?」と言いました。
それを聞き、樽の陰に隠れている花嫁の震えが、益々酷くなります。
「こっちへ来て、御飯を食べな!
探すのは明日にしたらどうだい!
指は逃げ出しゃしないよ!」
探されては大変と、お婆さんが怒鳴って引き止めます。
すると強盗共は、「婆さんの言う通りだ」と言って探すのを止め、御飯にしました。
間も無く連中は、鼾を掻いて、地下室に寝転びました。
お婆さんが予め、連中のワインに眠り薬を垂らし込んでおいたからです。
花嫁は鼾の音を聞くと、樽の後ろからこっそり出て来ました。
ずらりと床に寝転がっている連中の上を、おっかなびっくり忍び足で越えて行きます。
無事に通り抜けた娘は、お婆さんを連れて1階の玄関を出ると、急いで人殺しの巣窟から逃出しました。
道に撒いてあった灰は風に吹き飛ばされていましたが、来た時蒔いたえんどう豆とれんず豆が芽を出し伸びていて、月明かりの中、道を教えてくれました。
2人は夜通し歩いて、明け方に漸く水車小屋に辿り着く事が出来ました。
家に着いた娘は、父親に遭った事を何もかも話しました。
結婚式当日――粉屋は、自分の親戚と知り合いを、全部呼んでおきました。
そこへ、花婿が姿を現しました。
皆が席に着いた所で、1人づつ何か話をするように求められました。
でも花嫁はじっと座ったきりで、何も話そうとしません。
そこで花婿が、花嫁に向って言いました。
「どうだね、何も思い付かないのかい?
あんたも何か聞かせておくれよ。」
花嫁は、花婿の言葉に応えて、話し始めました。
「それじゃあ、私が見た夢の話をしましょう。
私は1人で森を通って行きました。
すると、終いに1軒の家に着きました。
中には人っ子1人居ませんでしたが、壁に鳥篭がかかっていて、その中に居る鳥が2度、こう叫びました。
『お帰り、お帰り、若い花嫁さん
あんたは人殺しの家へ来たんだよ』
――ねえ貴方、これはただの夢よ。
さて、私は部屋という部屋をすっかり歩きましたが、何処もかしこもがらんとしていて、気味が悪いったらありません。
終いに地下室へ下りてみました。
するとそこには酷く年を取って、頭をがくがくさせたお婆さんが居ました。
私はその人に『私の許婚はこの家に住んでいるの?』と尋ねました。
するとその人は、『ああ、可哀想に…あんたは人殺しの巣窟に来てしまったんだよ。あんたの花婿は此処に住んでいるけど、あんたを殺して、切り刻んで、煮て食う積りなんだよ』と答えました。
――ねえ貴方、これはただの夢よ。
でもお婆さんは、私を大きな樽の後ろに匿ってくれました。
私がそこに隠れた途端、強盗共が帰って来ました。
連中は娘を1人引き摺って来て、その娘に白・赤・黄色と、3種類のワインを呑ませました。
それを呑んだ娘は死んでしまいました。
――ねえ貴方、これはただの夢よ。
それから連中は娘の服を脱がせ、テーブルの上に載せると、細かく切り、塩を振掛けました。
――ねえ貴方、これはただの夢よ。
すると強盗の中の1人が、薬指に指輪が嵌っている事に気が付き、外そうとしました。
だけど中々抜けないものだから、その男は手斧を取って、指を切落としました。
所が指は高く跳ねて、大きな樽の後ろへ飛び、私の膝の上に落ちました。
――ほら、これがその指よ、指輪が嵌っているでしょ。」
話し終えた花嫁は指を取り出し、居合せる人達に見せました。
婿の強盗は、話を聞いている内に真っ蒼になり、飛上って逃出そうとしました。
客達は皆でその男を取押えると、裁判所に引渡しました。
婿の強盗とその一味の者は、働いた悪事を裁かれ、1人残らず死刑になりました。
…同型の話として、『フィッチャーの鳥』と『青ひげ』が在る。
この内『青ひげ』のみ、最終版には収録されていない。
結末等、童話にしては妙に現実的に思える。
恐らくは実際に有った出来事を元にして、語り伝えられていたのではなかろうか。
どんなに残酷な物語でも、現実の残酷さは超えられない。
今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消して貰おうか。
……有難う。
では恐ろしい鬼に出くわさないよう、早く帰るといいだろう。
くれぐれも背後を振り返らないように、注意してくれ給え。
深夜、鏡を覗いてもいけないよ。
御機嫌よう。
次の晩を、楽しみにしているよ…。
『完訳グリム童話集2巻(ヤーコプ・グリム、ヴィルヘルム・グリム 作、野村泫 訳、ちくま文庫 刊)』より。