やあ、いらっしゃい。
漸く少し、風が涼しくなったかな…?
しかしまだまだ暑い。
今ジャスミンティーを淹れるから、待っていてくれ給え。
貴殿はこの夏、何処かへ出掛けたかい?
夏の行楽地は何処も芋を洗う様な混雑振り…敢えて外して、秋に出掛ける人も多いだろう。
…何れにしろ、慣れてない土地では、用心召された方がいい。
恐ろしい鬼と出くわすかもしれないからね。
今夜はそんな話だ。
昔、快庵禅師(かいあんぜんじ)と言う、徳の高い僧が居た。
幼少の頃から仏教の本質を明らかにし、常に諸国を行脚して修行に明け暮れていた。
そして或る年、美濃の国の龍泰寺(↓の注1参照)で夏安居(↓注2)を終えると、この秋は奥羽の方で暮そうと出立した。
旅を続けて下野に入り、富田と言う里(現、栃木県下都賀郡大平町)を訪れた頃、すっかり日が暮れてしまった。
そこで大きな構えの裕福そうな家に立寄り、一夜の宿を頼んだ。
すると丁度田畑から戻って来た男達が、夕闇の中に、破れた黒染めの衣を纏い、頭に青染めの頭巾を被った僧が立っているのを見て、怯えた様に「山の鬼が来たぞ!皆出て来い!!」と叫んで騒いだ。
途端に家の中でも大騒ぎになり、女子供の泣き叫ぶ声が響いた。
主人と思しき男が血相変え、天秤棒を手に自分の元へ走り出て来たのを見て、禅師は驚き言った。
「御主人、どういう訳で、こんなに用心して居られるのですか?
拙僧は諸国を行脚の途中、今夜一晩の宿をお借りしようと、こうして参っただけ。
よもやこんなに怪しまれるとは、思いも寄りませんでした。
こんな痩せ法師に強盗を働く力等有りますまい。
どうか怪しんで下さいますな。」
これを聞いた主人は棒を投げ捨て、気まずそうに笑って禅師に謝罪した。
「…これはこれは失礼を働きまして。
下男共の愚かな見当違いから、お坊様を驚かせ申上げてしまいました。
一晩おもてなしをして、この罪の償いを致しましょう。」
それから禅師を丁重に奥の間へ案内すると、気持ち良く食事を出してもてなした。
食事が済むと、主人は禅師に向い、先程の無礼の訳を語った。
「下男達がお坊様を見て、鬼が来たと恐れたのには、然るべき理由が有っての事です。
…この里の上の山に、一つの寺院が御座います。
元はこの地の豪族小山氏の菩提寺で、代々高僧が住職を為さって居られました。
今の住職は何某殿の甥御様で、殊に学問も深く修行も積まれていると評判で、この国の人は香や蝋燭等のお供えを運んで、篤く信仰しておりました。
私共の家にも時々お出でになり、大変打解けたお付合いをしておりましたが――去年の春の事です。
越(北陸地方)の国へ灌頂(かんじょう)の儀式の戒師として招かれた折、百日余逗留なさった後、その国から十二、十三歳の少年を連れてお帰りになられ、身の回りの世話をさせられるようになりました。
その少年の容貌は大層美しく、住職は深く御寵愛なされていた様でした。
所が今年四月の頃、少年はふとした病で寝込み、立派な医師を招いての看護の甲斐も無く…とうとう死んでしまいました。
少年を失くされた住職様の悲しみ様といったら、そりゃあもう酷いものでした。
涙も涸れ果て、叫ぼうにも声が出ず…死を惜しむあまり、少年を火葬にする事も埋葬する事もせず、遺骸に頬擦りし、手を取って握り締める毎日。
終いには気が狂って、生前と同じ様に愛撫しながら、腐り落ちる肉をしゃぶり骨を舐めする内に、とうとう全部食い尽してしまったのです。
寺の人々が『院主様は鬼になってしまわれた』と、驚き慌てて逃出してしまった後は、夜毎に里に下って人を驚かし、或いは墓を暴いて生々しい死体の肉を喰らう有様は誠に鬼の如く。
鬼という物、昔の物語には聞いて居りましたが…よもや人だった住職様が鬼になられるとは…まったく信じ難い心地で御座います。
しかし一体どうやって、この行いを止めさせればよいものか。
今ではどの家でも日没を限りに戸を堅く閉ざし…国中に噂が聞えてしまった為、人の往来もめっきり減ってしまいました。
そういう事情が有りましたので、お坊様を鬼の住職と見誤ったのです。」
禅師は主人の話をじっと聞いた後で、こう語った。
「この世にはまったく不思議な事が起るもの。
およそ人間と生れて、仏菩薩の広大な教えも知らず、愚かな心のまま死んで行く者は、その愛欲や邪な心の罪行に捕えられ、或る者は動物で在った前世の姿を現して生前の恨みを報い、或る者は鬼となり大蛇となって祟りを為すという例は、昔から今に至るまで数え切れない程沢山有ります。
また、人間が生きたままで鬼となった例も耳にした事が有ります。
隋の煬帝(ようだい)の或る臣下は、幼児の肉を好んで、こっそり庶民の幼児を盗み、蒸して食べたと聞きましたが…これなど浅ましい野蛮な心からした事で、御主人のお話になった件とは事情が違うでしょう。
しかしその僧が鬼になったのも前世の因縁というもの。
元来は修行に励み、人徳が優れていたと聞くに、少年を引取りさえしなければ、正しく立派な僧侶で在った事でしょう。
しかし一度愛欲の世界に迷い込み、煩悩の炎が止め処無く燃上って身を苦しめた事により、遂に鬼と化してしまった…それもこれも素直な性質だった為。
『心を緩めれば妖魔となるが、心を引締めれば仏となる』とは、この法師の例を言うのです。
もし拙僧がこの鬼を教化(きょうげ)して、本来の心に導き戻せたらば、今夜のおもてなしのお返しになるでしょうか。」
禅師のこの申し出を聞き、主人は畳に頭を擦り付けて喜んだ。
「なんと有難いお申し出…!
もしお坊様がそれを成就なさいますれば、この国に住む者は、皆平穏な暮しを取戻す事が出来ましょう!
何卒、お願い致します…!」
明くる日の夕刻、禅師は件の山寺に歩み入った。
長い事人の手の入れられてない寺は、誠に酷い荒れ様で、楼門には茨が覆い被さり、経間にはいたずらに苔が生えている。
蜘蛛の巣が仏像と仏像を繋ぎ、護摩壇は燕の糞で埋められていた。
禅師は錫杖を鳴らして「諸国遍歴の僧ですが、今宵一夜の宿をお貸りしたい」と何度も叫んだが、一向に返事が無い。
暫くして…寺院の一室より、痩せこけた僧がよろよろと歩み出て来て、しわがれた声で言った。
「御坊はどちらへ参ろうとして、此処を訪れたのか?
この寺は或る事情が有ってこの様に荒れ果て、一粒の米も無く、よって一晩お泊めする用意は御座らん。
早く里へ下りろ。」
これを聞いた禅師は怯む事無く、こう返した。
「私は美濃の国を出て、陸奥へ行く旅の途中でしたが、麓の里を通り掛った折、山の姿、水の流れの妙なる有様に誘われて、思いがけず此処まで参りました。
日も暮れかかっておりますので、里まで下るのも遠い道程です。
是非とも一夜の宿をお貸りしたい。」
それを聞いた主の僧は、「こんな荒野に居ては碌な目に遭わんぞ…それでも居たいと言うなら、好きにするがいい」と言ったきり、奥の間に引っ込んでしまった。
禅師も一言も問い掛ける事無く、寺に上ると適当な場所に坐った。
みるみる内に日は沈み、灯を点さない室は目の前さえはっきり見えず、ただ谷川の水音だけが、直ぐ近くに聞える。
僧が居る筈の奥の室では、物音一つしない。
夜が更けて、宵闇は月夜に変った。
月光は清らかに美しく輝き、禅師の坐る間の隅々まで、皓々と照らし出す。
子の一刻(午前零時頃)と思われる頃――俄かに奥の間から主の僧が出て来て、慌しく何かを探し始めた。
「くそ坊主め、何処へ隠れたのか!?
確かこの辺りに居た筈だが…!!」
恐ろしげな声を張上げ、禅師の前を何度も走り過ぎる。
本堂の方へ駆けて行くかと思えば、庭を走り回って踊り狂い、とうとう疲れたのか、倒れ伏して起上がらなくなった。
夜が明けて朝日が射し始めた頃…主の僧は酒の酔いから醒めたかの如く起上がり、禅師が元の場所に坐って居るのを見ると、呆然として物も言えないくらい驚いた様であった。
そうして柱に凭れ溜息を吐き、押し黙ったまま座り込んで居る。
禅師は近くに進み寄って、声を掛けた。
「院主殿、何をお嘆きなされるのですか?
もしひもじくて居られるのならば、拙僧の肉で腹を満たして下され。」
これを聞いた主の僧は、「師は一晩中そこに坐って居られたのか?」と尋ねた。
禅師が「はい、此処に居て、一睡もせずに、院主殿を見て居りました」と答える。
主の僧はこれを聞くと、項垂れて話した。
「私は浅ましくも人の肉を好んで食べて来ました。
しかし未だ僧侶の肉の味は知らず…そう考え、昨夜は師を捕まえ、食おうとしました。
それが、どうしても、その姿が見えない。
師は正しく生き仏…私の様な鬼畜生の愚かな眼では、見ようとしても見えないのが、当然で御座いました…。」
そう話したきり、口を噤む。
禅師は主の僧に向い、静かに語り掛けた。
「里人から聞いた話では、お前は一度愛欲に心乱れてからというもの、忽ちにして畜生道に落ちたとか。
その様浅ましくも哀れであり、前例聞いた事の無い程の悪因縁である。
お前が夜毎に里に下りて、人に危害を加える為に、里人達は心の休まる折が無い。
私はこれを聞いて、見過ごす事が出来なかったのだ。
お前が私の教えを聞くと言うなら、私はお前を教化し、人の心に立ち返らせようと思うが、どうか?」
これを聞いた僧は、禅師を拝み、涙ながらに頼んだ。
「なんと尊きお言葉か…!
どうか、この様に浅ましい悪行を、直ぐにでも止める道理を、お教え戴きたい!」
禅師は僧の言葉を聞くと、「ならば此処へ来るがよい」と言って、僧を縁の前の平らな石の上に坐らせ、自身が被っていた青染めの頭巾を脱ぎ、僧の頭に被せたのだった。
「『江月照らし、松風吹く
永夜清宵、何の所為ぞ(注3)』
…お前は此処から動かずに、じっくりとこの句の真意を考えてみるがよい。
真意が理解出来た時は、自ずと、本来お前に備わっている仏心を、探し当てる事が出来るだろう。」
僧にこの様な有難い禅宗の教えを説く証導歌二句を授けた後、禅師は山を下りて再び旅立った。
一年が過ぎて翌年の十月初旬――
禅師は奥州路の帰りに再び件の山里を通り、あの一夜の宿の主人の家に立寄ると、山寺の僧の消息を尋ねた。
主人は喜んで禅師を向え、心から礼を述べた。
「お坊様の高徳のお蔭で鬼は二度と山を下りて参る事も無くなり、里の人間は誰も彼も安楽な暮しを取戻した心地で御座います。
…しかし山に行く事は皆恐ろしがり、一人として登る者は無く、ですから消息は存じませんが……恐らくは亡くなったものと思われます。
良い機会ですので、今夜あの僧の菩提を、お弔い戴けますでしょうか?
さすれば皆々回向致しましょう。」
主人の頼みを聞き、禅師はこう答えた。
「もし彼が善行の報いとして往生したとすれば、私にとって仏の道の先輩、師とも言えましょう。
また生きて居る場合には、私にとって一人の弟子です。
何れにしても消息を見届けない訳には参りません。」
そうして、再び山を登った。
寺までの道は、成る程人の行き来が絶えたと見えて、踏み分けて通った跡が無い。
寺に入って見れば、萩や薄が人の背丈よりも高く生い繁り、草木には露がまるで時雨の様に降り掛かっている。
通路さえ見分けがつかない中で、本堂や経間の戸は左右に打ち倒れ、方丈(寺の居間)や庫裏を廻る廻廊も、朽ちた箇所が雨で湿り、苔が生えていた。
さて、あの僧を坐らせておいた縁の辺りを探すと、影の様に痩せて髭や髪をぼうぼうに乱れさせた人物が、絡み合う雑草の中、蚊の鳴く様な声で、ぼそぼそと何事か唱えている。
「江月照らし、松風吹く
永夜清宵、何の所為ぞ」
禅師はこれを耳にすると、直ぐに錫杖を構え、「如何に、何の所為ぞ!(いかに、どうだ!)」と一喝し、僧の頭を打った。
すると忽ち僧の姿は日に照らされ融ける氷の様に消え失せ、後には禅師が被せた青頭巾と骨だけが、草葉の上に残っていた。
長い間の執念、此処に尽きたのである。
かくして主を失った山寺は、集まった里人達の手で清掃、修繕され、新しい住職には禅師を推し戴き、元の真言宗を改め、曹洞宗の霊場として開かれた。
そして今も尚、この寺は尊く栄えているという事だ。
…この話の実に興味深い点は、「鬼」が元々「人間」で在ったと語っている事だろう。
執念は人を鬼に変える。
幽霊も鬼も…化物の元は「人間」であると考えるなら…
姿を変えて尚、人の悪意や執念を抱き続けてるとしたら…
…それは確かに恐ろしい事だろう。
今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消してくれるかい。
……有難う。
では気を付けて、帰ってくれ給え。
…くれぐれも…帰る途中で後ろを振り返らないように。
深夜、鏡を覗いてもいけないよ。
それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
『雨月物語(上田秋成 著)』より
注1…現、岐阜県関市に在る曹洞宗の寺院、『祥雲山竜泰寺』。尚、話の主役で在る快庵禅師は実在人物らしい。
→http://www15.ocn.ne.jp/~akatsuki/ryutaiji/index.html
注2…げあんご…夏の90日間、1室に閉じ篭る修行。
注3…「江月(かうげつ)照らし、松風(しょうふう)吹く。永夜清宵(えいやせいせう)、何の所為ぞ。」…「訳:済んだ月光が入り江を照らし、松を吹く風が梢を照らしている。この長い夜の清らかな景色は、何の為に存在するのか?」→「いや天然自然の営みは、何ものの為でもない」と言う意を含んだ、自ずから否定を呼ぶ問い。
漸く少し、風が涼しくなったかな…?
しかしまだまだ暑い。
今ジャスミンティーを淹れるから、待っていてくれ給え。
貴殿はこの夏、何処かへ出掛けたかい?
夏の行楽地は何処も芋を洗う様な混雑振り…敢えて外して、秋に出掛ける人も多いだろう。
…何れにしろ、慣れてない土地では、用心召された方がいい。
恐ろしい鬼と出くわすかもしれないからね。
今夜はそんな話だ。
昔、快庵禅師(かいあんぜんじ)と言う、徳の高い僧が居た。
幼少の頃から仏教の本質を明らかにし、常に諸国を行脚して修行に明け暮れていた。
そして或る年、美濃の国の龍泰寺(↓の注1参照)で夏安居(↓注2)を終えると、この秋は奥羽の方で暮そうと出立した。
旅を続けて下野に入り、富田と言う里(現、栃木県下都賀郡大平町)を訪れた頃、すっかり日が暮れてしまった。
そこで大きな構えの裕福そうな家に立寄り、一夜の宿を頼んだ。
すると丁度田畑から戻って来た男達が、夕闇の中に、破れた黒染めの衣を纏い、頭に青染めの頭巾を被った僧が立っているのを見て、怯えた様に「山の鬼が来たぞ!皆出て来い!!」と叫んで騒いだ。
途端に家の中でも大騒ぎになり、女子供の泣き叫ぶ声が響いた。
主人と思しき男が血相変え、天秤棒を手に自分の元へ走り出て来たのを見て、禅師は驚き言った。
「御主人、どういう訳で、こんなに用心して居られるのですか?
拙僧は諸国を行脚の途中、今夜一晩の宿をお借りしようと、こうして参っただけ。
よもやこんなに怪しまれるとは、思いも寄りませんでした。
こんな痩せ法師に強盗を働く力等有りますまい。
どうか怪しんで下さいますな。」
これを聞いた主人は棒を投げ捨て、気まずそうに笑って禅師に謝罪した。
「…これはこれは失礼を働きまして。
下男共の愚かな見当違いから、お坊様を驚かせ申上げてしまいました。
一晩おもてなしをして、この罪の償いを致しましょう。」
それから禅師を丁重に奥の間へ案内すると、気持ち良く食事を出してもてなした。
食事が済むと、主人は禅師に向い、先程の無礼の訳を語った。
「下男達がお坊様を見て、鬼が来たと恐れたのには、然るべき理由が有っての事です。
…この里の上の山に、一つの寺院が御座います。
元はこの地の豪族小山氏の菩提寺で、代々高僧が住職を為さって居られました。
今の住職は何某殿の甥御様で、殊に学問も深く修行も積まれていると評判で、この国の人は香や蝋燭等のお供えを運んで、篤く信仰しておりました。
私共の家にも時々お出でになり、大変打解けたお付合いをしておりましたが――去年の春の事です。
越(北陸地方)の国へ灌頂(かんじょう)の儀式の戒師として招かれた折、百日余逗留なさった後、その国から十二、十三歳の少年を連れてお帰りになられ、身の回りの世話をさせられるようになりました。
その少年の容貌は大層美しく、住職は深く御寵愛なされていた様でした。
所が今年四月の頃、少年はふとした病で寝込み、立派な医師を招いての看護の甲斐も無く…とうとう死んでしまいました。
少年を失くされた住職様の悲しみ様といったら、そりゃあもう酷いものでした。
涙も涸れ果て、叫ぼうにも声が出ず…死を惜しむあまり、少年を火葬にする事も埋葬する事もせず、遺骸に頬擦りし、手を取って握り締める毎日。
終いには気が狂って、生前と同じ様に愛撫しながら、腐り落ちる肉をしゃぶり骨を舐めする内に、とうとう全部食い尽してしまったのです。
寺の人々が『院主様は鬼になってしまわれた』と、驚き慌てて逃出してしまった後は、夜毎に里に下って人を驚かし、或いは墓を暴いて生々しい死体の肉を喰らう有様は誠に鬼の如く。
鬼という物、昔の物語には聞いて居りましたが…よもや人だった住職様が鬼になられるとは…まったく信じ難い心地で御座います。
しかし一体どうやって、この行いを止めさせればよいものか。
今ではどの家でも日没を限りに戸を堅く閉ざし…国中に噂が聞えてしまった為、人の往来もめっきり減ってしまいました。
そういう事情が有りましたので、お坊様を鬼の住職と見誤ったのです。」
禅師は主人の話をじっと聞いた後で、こう語った。
「この世にはまったく不思議な事が起るもの。
およそ人間と生れて、仏菩薩の広大な教えも知らず、愚かな心のまま死んで行く者は、その愛欲や邪な心の罪行に捕えられ、或る者は動物で在った前世の姿を現して生前の恨みを報い、或る者は鬼となり大蛇となって祟りを為すという例は、昔から今に至るまで数え切れない程沢山有ります。
また、人間が生きたままで鬼となった例も耳にした事が有ります。
隋の煬帝(ようだい)の或る臣下は、幼児の肉を好んで、こっそり庶民の幼児を盗み、蒸して食べたと聞きましたが…これなど浅ましい野蛮な心からした事で、御主人のお話になった件とは事情が違うでしょう。
しかしその僧が鬼になったのも前世の因縁というもの。
元来は修行に励み、人徳が優れていたと聞くに、少年を引取りさえしなければ、正しく立派な僧侶で在った事でしょう。
しかし一度愛欲の世界に迷い込み、煩悩の炎が止め処無く燃上って身を苦しめた事により、遂に鬼と化してしまった…それもこれも素直な性質だった為。
『心を緩めれば妖魔となるが、心を引締めれば仏となる』とは、この法師の例を言うのです。
もし拙僧がこの鬼を教化(きょうげ)して、本来の心に導き戻せたらば、今夜のおもてなしのお返しになるでしょうか。」
禅師のこの申し出を聞き、主人は畳に頭を擦り付けて喜んだ。
「なんと有難いお申し出…!
もしお坊様がそれを成就なさいますれば、この国に住む者は、皆平穏な暮しを取戻す事が出来ましょう!
何卒、お願い致します…!」
明くる日の夕刻、禅師は件の山寺に歩み入った。
長い事人の手の入れられてない寺は、誠に酷い荒れ様で、楼門には茨が覆い被さり、経間にはいたずらに苔が生えている。
蜘蛛の巣が仏像と仏像を繋ぎ、護摩壇は燕の糞で埋められていた。
禅師は錫杖を鳴らして「諸国遍歴の僧ですが、今宵一夜の宿をお貸りしたい」と何度も叫んだが、一向に返事が無い。
暫くして…寺院の一室より、痩せこけた僧がよろよろと歩み出て来て、しわがれた声で言った。
「御坊はどちらへ参ろうとして、此処を訪れたのか?
この寺は或る事情が有ってこの様に荒れ果て、一粒の米も無く、よって一晩お泊めする用意は御座らん。
早く里へ下りろ。」
これを聞いた禅師は怯む事無く、こう返した。
「私は美濃の国を出て、陸奥へ行く旅の途中でしたが、麓の里を通り掛った折、山の姿、水の流れの妙なる有様に誘われて、思いがけず此処まで参りました。
日も暮れかかっておりますので、里まで下るのも遠い道程です。
是非とも一夜の宿をお貸りしたい。」
それを聞いた主の僧は、「こんな荒野に居ては碌な目に遭わんぞ…それでも居たいと言うなら、好きにするがいい」と言ったきり、奥の間に引っ込んでしまった。
禅師も一言も問い掛ける事無く、寺に上ると適当な場所に坐った。
みるみる内に日は沈み、灯を点さない室は目の前さえはっきり見えず、ただ谷川の水音だけが、直ぐ近くに聞える。
僧が居る筈の奥の室では、物音一つしない。
夜が更けて、宵闇は月夜に変った。
月光は清らかに美しく輝き、禅師の坐る間の隅々まで、皓々と照らし出す。
子の一刻(午前零時頃)と思われる頃――俄かに奥の間から主の僧が出て来て、慌しく何かを探し始めた。
「くそ坊主め、何処へ隠れたのか!?
確かこの辺りに居た筈だが…!!」
恐ろしげな声を張上げ、禅師の前を何度も走り過ぎる。
本堂の方へ駆けて行くかと思えば、庭を走り回って踊り狂い、とうとう疲れたのか、倒れ伏して起上がらなくなった。
夜が明けて朝日が射し始めた頃…主の僧は酒の酔いから醒めたかの如く起上がり、禅師が元の場所に坐って居るのを見ると、呆然として物も言えないくらい驚いた様であった。
そうして柱に凭れ溜息を吐き、押し黙ったまま座り込んで居る。
禅師は近くに進み寄って、声を掛けた。
「院主殿、何をお嘆きなされるのですか?
もしひもじくて居られるのならば、拙僧の肉で腹を満たして下され。」
これを聞いた主の僧は、「師は一晩中そこに坐って居られたのか?」と尋ねた。
禅師が「はい、此処に居て、一睡もせずに、院主殿を見て居りました」と答える。
主の僧はこれを聞くと、項垂れて話した。
「私は浅ましくも人の肉を好んで食べて来ました。
しかし未だ僧侶の肉の味は知らず…そう考え、昨夜は師を捕まえ、食おうとしました。
それが、どうしても、その姿が見えない。
師は正しく生き仏…私の様な鬼畜生の愚かな眼では、見ようとしても見えないのが、当然で御座いました…。」
そう話したきり、口を噤む。
禅師は主の僧に向い、静かに語り掛けた。
「里人から聞いた話では、お前は一度愛欲に心乱れてからというもの、忽ちにして畜生道に落ちたとか。
その様浅ましくも哀れであり、前例聞いた事の無い程の悪因縁である。
お前が夜毎に里に下りて、人に危害を加える為に、里人達は心の休まる折が無い。
私はこれを聞いて、見過ごす事が出来なかったのだ。
お前が私の教えを聞くと言うなら、私はお前を教化し、人の心に立ち返らせようと思うが、どうか?」
これを聞いた僧は、禅師を拝み、涙ながらに頼んだ。
「なんと尊きお言葉か…!
どうか、この様に浅ましい悪行を、直ぐにでも止める道理を、お教え戴きたい!」
禅師は僧の言葉を聞くと、「ならば此処へ来るがよい」と言って、僧を縁の前の平らな石の上に坐らせ、自身が被っていた青染めの頭巾を脱ぎ、僧の頭に被せたのだった。
「『江月照らし、松風吹く
永夜清宵、何の所為ぞ(注3)』
…お前は此処から動かずに、じっくりとこの句の真意を考えてみるがよい。
真意が理解出来た時は、自ずと、本来お前に備わっている仏心を、探し当てる事が出来るだろう。」
僧にこの様な有難い禅宗の教えを説く証導歌二句を授けた後、禅師は山を下りて再び旅立った。
一年が過ぎて翌年の十月初旬――
禅師は奥州路の帰りに再び件の山里を通り、あの一夜の宿の主人の家に立寄ると、山寺の僧の消息を尋ねた。
主人は喜んで禅師を向え、心から礼を述べた。
「お坊様の高徳のお蔭で鬼は二度と山を下りて参る事も無くなり、里の人間は誰も彼も安楽な暮しを取戻した心地で御座います。
…しかし山に行く事は皆恐ろしがり、一人として登る者は無く、ですから消息は存じませんが……恐らくは亡くなったものと思われます。
良い機会ですので、今夜あの僧の菩提を、お弔い戴けますでしょうか?
さすれば皆々回向致しましょう。」
主人の頼みを聞き、禅師はこう答えた。
「もし彼が善行の報いとして往生したとすれば、私にとって仏の道の先輩、師とも言えましょう。
また生きて居る場合には、私にとって一人の弟子です。
何れにしても消息を見届けない訳には参りません。」
そうして、再び山を登った。
寺までの道は、成る程人の行き来が絶えたと見えて、踏み分けて通った跡が無い。
寺に入って見れば、萩や薄が人の背丈よりも高く生い繁り、草木には露がまるで時雨の様に降り掛かっている。
通路さえ見分けがつかない中で、本堂や経間の戸は左右に打ち倒れ、方丈(寺の居間)や庫裏を廻る廻廊も、朽ちた箇所が雨で湿り、苔が生えていた。
さて、あの僧を坐らせておいた縁の辺りを探すと、影の様に痩せて髭や髪をぼうぼうに乱れさせた人物が、絡み合う雑草の中、蚊の鳴く様な声で、ぼそぼそと何事か唱えている。
「江月照らし、松風吹く
永夜清宵、何の所為ぞ」
禅師はこれを耳にすると、直ぐに錫杖を構え、「如何に、何の所為ぞ!(いかに、どうだ!)」と一喝し、僧の頭を打った。
すると忽ち僧の姿は日に照らされ融ける氷の様に消え失せ、後には禅師が被せた青頭巾と骨だけが、草葉の上に残っていた。
長い間の執念、此処に尽きたのである。
かくして主を失った山寺は、集まった里人達の手で清掃、修繕され、新しい住職には禅師を推し戴き、元の真言宗を改め、曹洞宗の霊場として開かれた。
そして今も尚、この寺は尊く栄えているという事だ。
…この話の実に興味深い点は、「鬼」が元々「人間」で在ったと語っている事だろう。
執念は人を鬼に変える。
幽霊も鬼も…化物の元は「人間」であると考えるなら…
姿を変えて尚、人の悪意や執念を抱き続けてるとしたら…
…それは確かに恐ろしい事だろう。
今夜の話は、これでお終い。
さあ、蝋燭を1本、吹消してくれるかい。
……有難う。
では気を付けて、帰ってくれ給え。
…くれぐれも…帰る途中で後ろを振り返らないように。
深夜、鏡を覗いてもいけないよ。
それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
『雨月物語(上田秋成 著)』より
注1…現、岐阜県関市に在る曹洞宗の寺院、『祥雲山竜泰寺』。尚、話の主役で在る快庵禅師は実在人物らしい。
→http://www15.ocn.ne.jp/~akatsuki/ryutaiji/index.html
注2…げあんご…夏の90日間、1室に閉じ篭る修行。
注3…「江月(かうげつ)照らし、松風(しょうふう)吹く。永夜清宵(えいやせいせう)、何の所為ぞ。」…「訳:済んだ月光が入り江を照らし、松を吹く風が梢を照らしている。この長い夜の清らかな景色は、何の為に存在するのか?」→「いや天然自然の営みは、何ものの為でもない」と言う意を含んだ、自ずから否定を呼ぶ問い。