瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第33話―

2007年08月14日 21時31分07秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
今夜はカモミールティーを用意しておいたよ。
さあ、早く席に着いて。

…今夜も千客万来の様だね。
活気が有って嬉しいが…こういう催しをするには、相応しく思えないかな。

え?…誰も声なんて出してないだろうって…?
おかしな事を言うね……貴殿には、この騒々しい声が、聞えないのかい?

……まあ、いいか。

それでは今夜は、身の毛もよだつ怨霊に、命を狙われた男の話をしよう。



体は氷の様に冷たく、心臓はずっと前から鼓動しなくなっていた。
それでも、他に死んだという徴候は、少しも無かった。
誰一人として、その女を埋葬しようと言う者は無かった。
女は離別されたのを、悲しみかつ怒って死んだのだった。
それで、人々はその女を埋葬しようとしても、無駄だろうと考えたのである。

何故かと言うと、死に掛けている者が復讐したいと願う、いまわの際の最後の一念は、何時までも消える事は無く、どんな墓でも微塵にし、どんなに重い墓石でも、割ってしまうからである。

女が横たわっている家の近くに住んでいる人達は、我が家から逃げ去った。
自分を離別した男が帰って来るのを、女がひたすら待っている事を、人々は知っていたのである。

女が死んだ時、男は旅に出ていた。
帰って来て、事の顛末を聞かされると、男はぞっと怖気をふるった。

「何とかして、日暮れ前に助けて貰わないと」と、彼は一人思案した。

「あの女に八つ裂きにされるだろう。」

未だ辰の刻(午前七時~九時頃)だったが、一刻の猶予も無い事を、男は知っていた。
男は直ぐ陰陽師の所へ行って、助けを乞うた。


陰陽師は、死んだ女の話を知っていた。
そして、その死骸も見ていた。
彼は依頼の男に言った。

「あんたの身には、大変な危難が迫っていますぞ。
 まあ、わしが助かるようにやってみましょう。
 だが、何でもわしの言う通りにすると、約束して貰いたい。
 あんたの助かる途はたった一つしかない。
 そりゃ恐ろしいやり方です。
 しかし、あんたにそれをやろうという勇気が無けりゃ、女はあんたを八つ裂きにしてしまいますぞ。
 勇気が有るなら、夕方、日の暮れぬ内にもう一度、わしの所へお出でなさい。」

男はぞっと身震いした。
が、何でも言われるままにすると約束した。


日暮れになると、陰陽師は男と連れだって、死骸の置いてある家へ行った。

陰陽師は雨戸を押し開けて、依頼の男に入るように言った。

辺りは、刻々と暗くなっていた。

「とても駄目です」と男は、頭から足の先まで、わなわな震わせながら、息を喘がせ言った。

「女を見る勇気さえ、有りません。」

「顔を見るどころか、それ以上の事をせねばならん」と、陰陽師はきっぱり言った。

「あんたは言う通りにすると、約束されたんだ。
 さあ、お入り。」

彼は、震えている男を、無理に家の中へ入れて、死骸の傍に連れて行った。


死んだ女はうつ伏せに寝ていた。


「さあ、女の上に跨りなさい」と陰陽師は言った。

「そして馬に乗る様に、背中にしっかり跨るのです。
 ……さあ、そうしなくちゃいかん。」

男は大変震えていたので、陰陽師は支えてやらねばならなかった。

――酷く震えたが、男はその通りにした。

「さあ、髪の毛を手に持って。」

陰陽師は命じた。

「半分は右手に、半分は左手に。
  
 ……そうです!……手綱の様に、しっかり掴むんです。

 髪を手に巻いて――両手に――しっかりと。

 そう、その通り!……宜しいか!朝までそうして居るのですぞ。

 夜中に恐ろしい事が起る――きっと。

 だが、どんな事が起ろうと、髪を放してはなりませんぞ。
 
 もし放したら――ほんの束の間でも――女はあんたを八つ裂きにしますぞ。」

陰陽師は、それから何か霊妙な文句を、死骸の耳に囁いて、馬乗りになっている男に言った。

「さあ、わしの都合で、あんた一人を、女の元に置いて行かねばならん。
  
 ……このままにして居るんですぞ!

 ……何はさておき、女の髪の毛を放さぬよう、気を付けねばなりませんぞ。」

そう言って陰陽師は、後ろの戸を閉めて出て行った。


幾時間も幾時間も、男は暗澹とした不安に包まれたまま、死骸の上に跨っていた。
夜の静けさは辺りに段々深まって行き、とうとう男は叫び声を出して、その静けさを破った。


すると忽ち、下の死骸は、男を振り落とす様に、躍り上った。

そして死んだ女は、大声で喚き出した。


「おお、なんて重いんだろう!
 でも、あいつを今、此処へ連れて来てやろう!」


それから、女はすっとばかり立上って、戸口へ飛んで行き、荒々しく戸を開けて、男を背負ったまま、夜闇の中へ走り出た。
しかし、男は目を閉じ、呻き声すら立てられない程恐怖に襲われながらも、両手に長い髪の毛を、固く固く巻き付けたままで居た。


どれ程女が行ったか、男は知らなかった。

男は何も見なかった。

ただ暗闇の中に、女の裸足の足音がピチャピチャ、ピチャピチャいうのと、走りながらヒュウヒュウ言う女の息遣いとが、聞えるばかりだった。


とうとう女は引き返して家の中へ駈込み、全く最初の通りに床の上に寝た。

鶏が鳴き始めるまで、男の下で、喘いだり呻いたりした。

それから後は、静かに寝ていた。

しかし男は歯をがたがたさせながら、朝になって陰陽師が来るまで、女の上に跨っていた。


「その様にして、髪を放さなかったのだね」と、陰陽師は大変嬉しそうに言った。

「それで宜しい。
 
 ……さあ、立上って宜しい。」

彼はまたもや、死骸の耳の中に囁いて、それから男に向って言った。

「さぞかし恐ろしい晩を、過された事でしょう。
 だが他には、あんたを救う途は無かったのです。
 これからはもう、女の仕返しの心配はせんでも宜しい。」

それを聞いた男は、ひたすら泣いて陰陽師に向い、伏して拝んだ。



…八雲は伝え聞いたこの結末が、気に食わなかったらしい。
「道義に適ってない」と、作品中でかなり酷評している。
男が最後、気が狂うか、髪の毛が白くなる等の描写が有るべきと…八雲はそう考えたらしいのだ。

しかしこれだけ恐ろしい目に遭ったのだ。
書いてはいないが、恐らくはそうなった事だろう。
それにしても壮絶な話だ。
何故死骸の上に、一晩跨らねばならなかったのか?
…謎に感じて仕方ない。


さて…今夜の話は、これでお終いだ。
さあ、蝋燭を1本、吹消してくれ給え。

……有難う。

また1つ…明りが消えたね。

では気を付けて…夜道の途中、後ろはくれぐれも振り返らないように…。
家に帰り着いてから、鏡を覗く事も無きように…。

それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。



『怪談・奇談(小泉八雲 著、田代三千稔 訳、角川文庫 刊)』より
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