小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

底のしれない日本国憲法

2015年06月23日 | 国際・政治

老後の自問自答①    

日本国憲法の真の制定者とはだれか。

 これが最初の、わたしの自問である。その答えは、「わたしたち国民である」。現状では、これに尽きると考える。

この一文を書くにいたるまで確認せねばならぬこと多々あった。おりしも集団的自衛権が合憲か違憲かが、当事者ともいうべき憲法学者らの発言もあって、憲法解釈について様々なメディアが連日のように扱っている。(別記参照

かくも日本国憲法は未完成というか、恣意的に解釈できるものであるのか。いや憲法は国の法制度の根幹であり、法解釈の積み重ねによって充てんされ、より豊かで懐のふかい憲法になるのだとされる。
そのつど憲法を法制度的な手続きによって改正しなくても、それまでの解釈の重層的な前例を参照することによって最適な運用をめざす。その方がはるかに合理的であり、法的な経験知として受け入れられる。

さて、69年まえの憲法の制作過程をツマビラカにしている人はどれほどいるのだろうか。時系列で正しく認識している人は専門家か、法学部の学生ぐらいか。
いわゆる憲法概論なるものは数多ある。私のような素人は、その高度に抽象化された論文をまえに途方に暮れるしかない。まあ、新書クラスの本でお茶をにごしているのが正直なところ、ご容赦願いたい。

日本人として宿業のように悩まされる憲法問題。このままでいけば、関心ある人とない人との格差は拡がるばかりだろう。いや、大半の人が「どうぞご勝手に」と投げやりの諦念状態にいたれば、それこそ日本の存立危機状態だ。そこで安倍ちゃんは待ってましたと、「私にまかせれば安心です」と自信たっぷりに言いそうである。

前置きが長いか。さて、日本国憲法の制作の主体は誰だったか? 
アメリカが大きく関わっていることは自明である。でも制定は日本人だと言い切れるか。私は言い切ることが大切だと思う。
ともあれ日本の、日本人の行く末を大きく左右するテーマだけに、わたしもその本質を見極めたい。

そのために私にとっての最終決着書、江藤淳の「一九四六年憲法  その拘束」を自分なりに読み解く必要があった。
いうまでもなく江藤淳は戦後を代表する文芸評論家であった。戦後日本の秩序体制に徹頭徹尾、疑問符をなげかけ、根底的な国のかたち、その主権の在り方についてこだわっていた識者である。
前述の著作はいま文春文庫の学芸ライブラリーとして復刊されているが、彼自身がメリーランド州の合衆国国立公文書館分室に足を運び、情報公開になった連合国総司令部関係のダンボール箱二百箱に及ぶ資料を調査した結果の著作である。
文芸評論家としての領域を超える深い学知と、丹念なる歴史的推量によって、原点ともいうべき日本国憲法の、真正なる制作過程をわかりやすくかつ格調高い文章でしたためてある。

「老後の自問自答」では文献その他からの引用はしないとの方針により、「一九四六年憲法 その拘束」からは引用しない。

 まず、「その拘束」とあるように、成立して六十九年になろうとしているのに、日本国憲法はいまだに私たちを拘束している。
拘束されるのは悪いことと思われるかもしれない。しかし、案外にも拘束されることで、私たちはふかく考え、その意味を問うという桎梏を課せられていると言えるかもしれない。

私なりに事実確認し、考えてきたことの骨格を箇条書きにする。

〇日本が敗戦、終戦を迎え、マッカーサー統治の占領にいたるまで、日本人の誰かしらが「大日本帝国憲法」を改定する、或いは新憲法をつくるという考えや発想をした人は、誰ひとりももいなかった。(実際にはいたかもしれないが、表面には出ていない)


〇ポツダム宣言の精神、あるいは大意が引き継がれるように、また日本人自らがつくったように、新憲法の制作をアメリカは画策した。


〇当初依頼した日本側素案が不出来のため、マッカーサーの命をうけた若い6,7名のメンバーにより一週間あまりで原型が作成された。(マッカーサーは占領統治政策に天皇の存在、影響力をいかした憲法を指示した)


〇被占領国の憲法を占領国がつくるのは国際法違反であることに鑑み、上記原型の憲法素案を日本側に提案。


〇度重なる会議・検討が内容の摺合せのため行われた。この間の事実認定が、関与者、当事者により受け止め方・考え方が違うため、今日までの混乱・誤解をうむ要因になっている。(日米相互の翻訳の調整、戦前の帝国憲法の連続性、文言の類似etc.)


〇以上について、制作においてアメリカ側のスタッフは守秘を貫き、日本主体の制定憲法だというフレームは完成された。江藤淳による国立公文書館分室での調査によりアメリカ側の深い関与は明らかになった。その後、江藤以外による調査等によってもGHQの戦後処理の実体が明らかにされた。


〇「国民主権」「人権保障」「平和主義」の大原則、男女平等、普通選挙など民主主義を謳った新憲法は、それがGHQが深く関与したものであっても、押し付けられた憲法ではなく国民にあまねく受け入れられた

いろいろ書き足すべきことはある。私としてはこれで充分であり、国民が主権者あるかぎり、この憲法はいうまでもなく私たちが制定したものである。もちろん、その帰結として一切の責任を負うことはいうまでもない。

三権分立とはいえ国家は権力をもち、ときに暴走する可能性もあるから、それを拘束するというか縛るためにも憲法はある。

平和と安全はただではない。アメリカの核の傘にあるから、今の日本が存立しているのか。永世中立国であるスイス、スウェーデンでさえ軍隊をもっているという世界現実。

いや、日本人は主権をもっているのか。主権者としての基本認識・行動原理をもっているのか。アメリカとの一蓮托生でいいのか・・。一人ひとりが考えねばならない、今なのであろう。

 

(別記)
 先日は長谷部恭男と小林節、両教授のプレスセンターでの会見を見、憲法を生かすも殺すも、その解釈によって国家国民の趨勢が決定されるという思いを強くした。

http://www.videonews.com/press-club/150615-hasebe_kobayashi/

長谷部恭男氏については、以前当ブログの「オバマと民主党」(2008.10.27)の記事において、私は以下のように書いている。

識者によれば「集団的自衛権を憲法で否定しておくというのは、合理的自己拘束として、充分にありうる選択肢」(長谷部恭男)という意見もある。分かるようで分からない。合理的自己拘束とはなにか。国家間の利害関係を解決する手段として、局地的とはいえ「戦争」がいまだに存続しているなか、根拠のない性善説に依拠した法体系は有効か。その合理性はあるのか。 

今となって長谷部の言わんとすることが理解できたとおもう。憲法改定を示唆しているのだ。九条と十三条を合わせ検討すれと、集団的自衛権の行使を許容する解釈余地がある、と。
しかるに憲法を改定して、集団的自衛権行使を否定する文言をつけ加えるべきだ。それが「合理的自己拘束」と言っているのだ、と現在の私なら斟酌する。

しかし、私はそのときには岩波の「憲法とは何か」と筑摩の「憲法と平和を問いなおす」という新書しか読んでいなかった。そのどちらに記載されているか失念しているし、「集団的自衛権を行使できないように、憲法を改定し規定する必要がある」と、なぜ端的に書かないのだろう。

言葉を慎重に選び、その文言に普遍性をもたせるべく叡智をそそぐ法学者。私のようなトーシーロには理解に及ばない。
また、長谷部恭男は「特定秘密保護法案」を支持し、その成立過程においても国会委員会に参考人として出席し、法案の成立をバックアップした学者である。なぜなのか理解に苦しむ。
小林節氏はかなり前のことだが、集団的自衛権の行使を合憲とすることに与していたひとりだった(※)。このことはついてはやはりプレスセンターでの合憲論者側からの会見、駒澤大の西修名誉教授と日本大の百地章教授に対する小林節とのやりとりで分かった。その変節を理解するには「法学者とは何か」を知るべきなのだろうか。それを知るための方法とはどんなものなのか。

私は底なし沼に入っていくような気がしている。接するな、傍観せよ! そんな声がきこえるのは気のせいか。

※このことについては、間違っているかも知れない。彼は改憲論者であるが、どの条文をどのように改定したいと考えているのか、結局のところ現在の私では認知不能だ。学者として優れた人であろうが、正直かれの著作をこれまでまともに読んだことがないことを告白する。勉強不足であり、自分の非を認めざるをえない。お詫びします。後に精読して、詳しく 訂正・補足する。


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