黄昏れたフクロウ

黄昏が近づくとフクロウは飛び立つ準備を始めます。暗闇で木に激突。最近は夜目、遠目が効かなくなって来ました。

スロージョギングの問題点について

2011-12-06 | スポーツ
 人生に目標を持て

 よく言われる言葉である。これは人生の全ての側面にわたって言えることだ。

 会社勤めをしている頃は必ず目標設定をした、それも数値目標を。定量的に測定できない目標など意味が無い。数字がノルマになり、モチベーションの元になった。

 私生活においてもいろいろと測定できる目標を定めていた。たとえばジョギング。30年も前にはジョギングなどというしゃれた言葉は無く、ランニングが一般的だったと思う。皇居一周ランニングとか。

 毎週水曜日、定時間日といって残業しない日に、スキー仲間が皇宮前広場に集結。走れる格好に着替え、脱いだ洋服や荷物はそのまま広場の芝生の上においたままで走り始める。なんともおおらかな時代だった。

 5キロの皇居一周ランニング。初めて走った時は30分を切ることが出来なかった。そこで立てた目標が20分を切ること。万が一このスピードで42.195キロメートルを走れれば、3時間を切ることができるというなかなかの目標である。

 毎回時間を記録し、順調に伸びていくのを見ているとモチベーションは最高に上がっていく。数値目標の絶大な効果だ。

 そして1年余りたったころ、わずかだが20分を切ることができた。たしか19分45秒前後だったと思う。

 さて、目標設定には問題点もある。目標を達成した後のことである。20分を切ったなら次は19分を目標にすればよいかというとそうはいかない。その次は18分、そして17分と永久に目標をあげていくことが出来ないのは自明だからである。

 私はどうしたかといえば、20分を切った翌週からぱったり皇居一周ランニングをやめてしまった。また走ると20分を切れない恐れがあったからだ。私のランニング能力は5キロ20分と確定したかったからだと思う。数値目標の問題点かもしれない。

 それから20年近くランニングとは無縁の生活をおくっていたが、世間にジョギングブームが起こり、腹も出てきたのでまた走り始めた。日に日に体力が衰えてくる年齢になり、記録の向上は望めない。今度は目標設定なしである。

 毎日30分、誰と会話することも無く、無の境地で走る。体と精神のストレス発散だけが目的だ。内省的な静かな時間が貴重であった。

 最近これにも問題が生じた。巷で流行のスロージョギング。仲間と一緒に、わいわい話しながら走らないといけないのだそうだ。

 私は一体どうしたらよいのだ。悩みの尽きないこのごろである、、、、



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