Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

浦高はやっぱり「天下の浦高」だった!~県立浦和高校説明会

2009-09-01 | 日本の教育一般
お待たせしました。埼玉県が誇る名門校、県立浦和高校の説明会のレポートです。予想以上にすごい人でした。説明会前、埼玉会館に入る列に並んでいたら、後ろのお母さんが、「こんなに受けるのかしら・・・○人入ったのよね。○○君も入ったの?」(このお母さんの息子の通う中学から、去年浦高に入った人数を意味しているのだろう)などと興奮気味に話している。並んでいる男の子たちもめがねをかけている子は、一部ちょっとがり勉っぽく見える。きっと、浦高をめざして、夏休みも毎日猛勉しているのだろう。さすがに、浦高の説明会とあって、保護者の熱気というものを感じた。

中学の先生も「そりゃ、なんといっても天下の浦高ですからね!」と強調するほどの学校。私たち外部からきている者にはその意味はピンとこない。しかし、説明会に参加して、それがよくわかった。説明する先生たちの話から、生徒を深く思い、学校を愛する熱意、そんなものが伝わってくる。その熱血な思いは、ビデオに集約されていた。シカゴ日本人学校全日校も熱血度は高いのだが、浦高はおそらくその何倍もの熱血度であろう。

ビデオで紹介された注目のイベントを紹介しよう。浦高から茨城県の古河まで50キロというとてつもない距離を走り抜く強歩大会という有名なイベント。「少年をもっとも早く大人の男にするスポーツがラグビー・・・」といううたい文句で盛り上がる、クラス対抗のラグビー大会。先生チームとも戦うというから、先生たちも東大の難問を解けると同時に、運動も完璧にこなさないと浦高の先生は勤まらないというわけだろう。別名「北浦和体育専門学校」というあだ名がつけられるほど運動に力を入れているという。ビデオでの生徒たちの熱血度はすごいインパクトがあったので、私は結構ジーンときていた。いまどきの高校生がこんな風に一つのことに一心不乱に一生懸命になれるなんて・・・グリークラブという男性コーラス部の合唱も素晴らしい出来だった。指揮者の男の子を見ていたら、昔のバンカラの学生のような雰囲気。こんな硬派な感じに生徒たちを染めている学校の威力ってすごいわあ!と感心する。

勉強面では、名門浦和の名にふさわしく、素晴らしいプログラム内容。放課後、埼玉大学を聴講できるプログラム。さまざまな知名人の講演会。全国の公立高校では唯一、イギリスのパブリックスクール、ホイットギフト校と姉妹校関係があり、短期、長期交換留学できるシステム。しかも各学年1人選ばれる長期留学には、相手校が500万円もの費用をだしてくれるという。第5、6期長期交換留学生の大谷君は、ケンブリッジ大学合格の快挙をはたした。やはり、浦高の質の高い生徒だからこそこんな素晴らしいプログラムが可能なのだ。そして勿論きめ細かい進学指導。3年の夏期講習は36講座もあり370時間。「予備校なんか行かせません!」と先生が宣言していた。こんな素晴らしい環境で、宇宙飛行士若田さんの精神は昇華されていったのだろうか?(若田さんは、浦校出身です!)

とここまできて、私は、かなり感動しながら、説明会を終えた。して、うちの息子の反応は・・・と思って聞いたら・・・結構引いている。あまりの熱血度におののいていたのだ。男子校の独特の雰囲気もそうさせたのだろう。「オレ(浦高に)入ったら、3日ともたないな・・・」とぽつり。そっ、そうですか。やはり、帰国子女にはちょっとインパクト強すぎでしたか。私は、シカゴ日本人学校にも共通する熱血度を感じるのではと期待していたし、去年の11月に日本に帰国して、勉強、部活、クラス委員、行事と何事にも一生懸命に打ち込んでいる息子を見て、浦高にも共通する部分があるのではと勝手に思っていた。私だって、正直、世の中の多くの母親のように、「息子が浦高に入ったら、自慢できるわあ!」という妄想も抱きたくなる。だからこそ、とりあえず、説明会に参加してみたのだ。でも、心の奥底では、授業参観に参加したときから、「帰国子女である息子には、こういう学校は合わないだろうなあ」ととっくに思っていたのだ。

「日本人学校だって、浦高みたく熱血だったじゃん」と言うと、息子が「熱血の部分もあるけど、日本人学校は、ある種さめた部分もあったからなあ・・・」ともらした。そっ、そうだったのか、日本人学校は。「さめた部分」とは何を意味するのか?私たち保護者にはわからない。だが、そこが今どきの中学生にとって、居心地のいい部分だったのだろう。そうだよな、そうでなかったら、アメリカナイズしている子供たちもやっていけないよなあ。海外の駐在員の子供たちは、しょっちゅう仲の良かった友達との別れが訪れる。それに一々反応していたら、やっていけない。ある種ドライな精神を持っていないとやっていけないのだ。息子の言う「さめた部分」というのは、そこなのではないか。日本人学校は、日本の教育内容に沿って、日本人としての規律を重んじ、勉強面だけではなく、精神面までしっかりと教育してくれたが、いろんな面で自由だった。きちっとした規律と日本の学校にないほんわかした柔軟な自由さの微妙なバランスが、きっとアメリカで育った日本人である息子たちにフィットしていたのだろう。浦高の説明会を終えて、息子と話しながら、またまたシカゴ日本人学校のよさに気づかされた日であった。


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