藤原敦倫の周辺
敦倫の娘が、源光行の妻となって親行の母となった。
藤原明衡ー敦基ー茂明ー敦経ー敦倫ー源光行妻(敦倫の養父が敦経)
藤原明衡ー敦光ー有光ー有季ー敦倫ー源光行妻(敦倫の実父が有季)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/ba/5a090905c5a15244c116a32abca50642.jpg)
では、藤原敦倫の周辺を調べてみよう。以下の系図も参考に進めようと思う。
藤原敦倫の養父であった敦経は藤原茂明と中原広俊の娘を父母としている。
藤原茂明は藤原敦基と中原季成の娘を父母としている。
つまり、茂明の母も妻も中原氏となる。
敦経の養子に敦倫がいる。
藤原敦倫は、実は藤原有季の息である。敦倫の母はわからない。
有季の両親は、藤原有光と三善為倫の娘である。(倫の文字はここからきていると思う。)
三善為倫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/78/372d1713a84bc8e2459f2c803d87acb8.jpg)
藤原有光の父は藤原敦光、母が源親光であり、祖父が藤原明衡となる。
敦光の妻にはもう一人、大中臣輔清の娘もいた。
敦光の祖父でもあった藤原明衡の母は、良峯英材の娘。
養子明業を迎えるが、明業は実は菅原明任の息である。
菅原明任の父は為職である。高祖父が菅原道真となる。
敦光の兄弟であった藤原敦基の息に茂明がいて、敦倫の養父であった。
承久の変まで読み、ふと新古今和歌集親行本の経緯を読んで、「おお!」😆と声を上げたくなりました。昔親行本と言う本が有るのを勉強していたのですが、源親行だったのか?と😓
kunorikunori様から調べて欲しいと言われなければ、全く繋がっておりませんでしたので。
感謝申し上げます😉
後数年勉強しますね☺️
【鎌倉殿の13人】と【光る君へ】を見ていた為か、なんとなく源光行の世界も想像できるような気がしています。
源光行の周辺には、その場に居て、生き残り、語ることの出来た人がいたのでしょうね。
武功夜話も、話し上手なおじさんがいて、その方の話に、他の人から聞いたことや、文書で調べたことを追記していったのではないかと思う事がありました。
源光行がもしも平家物語を書いた場合も、同じようなことが作用したのだろうなぁーと想像していました。
本を国立国会図書館にまで探しに行ってくださり、本当にありがとうございました。久々にツボにはまっています。感謝!!!