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源氏物語研究者の源光行 再登場 (3) 建礼門院女房 美濃局の時代はいつか?

2025-02-09 | 九里バラバラ情報


親行と同年代であったすると、1185年-1189年に生まれたとあり、その前後に建礼門院女房美濃局とすると、出仕したのはいつなのか?と言う疑問が生じる。
源光行が1163年生まれなので、光行が18歳の時に美濃局が生まれたとして、4歳の時までに出仕したことになると思う。
という事は、母親も建礼門院の女房であった可能性も思う。(幼い子を連れて出仕)
または、時代が違い後の鎌倉時代に入ってからのことでもあるのだろうか?


1188年に徳子が歿したという説もある。上のページより




文治2年(1186)
4月下旬後白河法皇、お忍びで建礼門院を訪問する。

28日建礼門院、法性寺に隠棲する(『平家物語 延慶本』)。
文治三年(1187)2月1日源頼朝が平家から没収した領地のうちから、摂津国真井、鳥屋の両荘園を建礼門院に与えた(『吾妻鏡』)。



文治四年(1188)2月15日頃
 建礼門院、往生する(仮説)


光行の娘は京在住の人物もいたそうなので、建礼門院美濃がそうであったのかもしれないと思う。

また、上にあげた系図の光行の兄にあたる『能廣』が気になっている。大江能廣・中原能廣が存在する。

など、考えているうちに池田利夫著の『新訂 河内本源氏物語成立年譜攷 ―源光行一統年譜を中心にー』が届いた!



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