九里 【九里】を探して三千里

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太田氏を考える(1) 乗明はどの太田氏か? 摂津源氏の場合

2018-05-31 | 太田・大田氏
源頼基から太田氏は始まったと聞く。
が、どの「頼基」なのか? 太田頼基と光基の三男である頼基とは同一人物ではないのか?

源 頼基(みなもと の よりもと)

源頼光の三男、叔父の源頼範の猶子。従五位下、筑後守。源頼基 (摂津源氏)を参照。
源光基の三男。後白河院蔵人。伊賀蔵人。
源国基(能勢国基)の孫・田尻冠者重綱の子。皇后宮権大進。広経、頼仲らの父。
土岐頼貞の九男。土岐九郎、長山頼基、伯耆守。明智氏の祖・頼重の父。兄の頼遠の猶子となり、堀口貞満の娘を娶る。
源頼親の四男。従五位下、右京少進。
源頼親の孫・頼俊の六代孫。太田太郎、摂津国の武士。太田頼基を参照。
源頼親の長男頼成の曾孫・季重の子。戸坂冠者。
源親治の九男。宇野冠者。
若槻頼隆の玄孫・蔵人太郎繁義の子。若槻六郎。
源為朝(鎮西八郎)の遺児とされる人物。閉伊氏の祖とされる。閉伊為頼。閉伊頼基を参照。
源基平の子。三条源氏。




源頼基は同じ系の中に「二人」いる。二段目と最後の段。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%BA%90%E6%B0%8F
源頼親-源頼房-源頼俊-源頼景-源惟風-源頼明-太田頼遠-太田頼資-太田頼基=義量=義資


系譜については、多田源氏(摂津源氏)の武士であるとされている場合があるが、厳密には源満仲の次男頼親に始まる系統である。頼親は大和国を地盤とした大和源氏の祖とされるが、大和を地盤とする以前は摂津国内に多くの所領を有していた事が確認されており、後代、頼親の子孫には頼基のほかにも摂津に所領を持つ者が散見される。

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こちらも満仲の系統ということで、源光基・源頼政と同じである。そして摂津国多田の地を本拠とした「多田源氏」の中にも含まれている。



国房の系につながる光基
仲政の系(息)の頼政

国房の息光国の妻は大中臣輔清の娘であり、時代が飛ぶが大江親広の外祖父が「多田仁綱の娘」(大江広元の妻)である。



コメント (1)
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