この戸村義国編の佐竹氏は新羅三郎こと源義光から始まっている。
その中に、源国政の女(娘)が佐竹義重の母として名が残されていた。義重の父秀義は美濃国の山田郷の地頭にもなっている。
国政のwikipediaには
「系譜上従兄弟にあたる源頼政の養子となっていたとされ、父より美濃国山県郡の所領を継承する一方、都で斎院次官などを務めて従五位下に昇ったとされる(『尊卑分脈』)。
その詳しい動向は不明であるが、以仁王の挙兵で自害した頼政の首は郎党の渡辺省・猪早太らによって国政の美濃の領地内(現在の岐阜県関市蓮華寺[1])に運ばれ葬られたという伝説が存在する。
四人の子息たちもそれぞれ美濃国内に所領を有し、美濃源氏山県氏族として勢力を持った。」とある。