ユーモアとジョーク、違いはよくしりませんが、ユーモアには品があるとか。
相手やその場を和ませる力があるようです。ならばジョークはその反対
と言うことになるのでしょうか?
私はこの種の本は買わないが、夫の蔵書に何冊かある。 ↓
「神の御心」
礼拝式でやたら大声を張り上げて祈っているユダヤ人のパン屋に
向って「ねぇ、あなたさんもうちょっと声を小さくする代わりにパンの
サイズをもうちょっと大きくした方が、神様は感心すると思いますがね」
「真珠の数」
「あなたの年の数だけ真珠のついたネックレスをプレゼントします」
「本当のこと言うとあたし、前に言ったより10だけ年上なの」
日本人はユーモアのセンスに欠けると言われますが
イグ・ノーベル賞に多くの日本人が何年も続けて受賞しています。
ノーベル賞はむつかしくてわからないことがよくありますが
イグ・ノーベル賞はクスッと笑えることが多々あります。
ユーモアのセンスを磨くのは一朝一夕には無理なようです。
ユーモアはそうですね優しさがありますね。
でもブラックユーモアはゾッとしたり( ;∀;)
お笑いも奥が深いのでしょうか?
私は本当に単純ですが薄っぺらいお笑いは笑えません。
私もチョッピリユーモラスなところがあるようです。でも、時と場を弁えないと・・・(;^_^A
夫の私に向けて言うのはジョークです(笑)
笑って言ってますが、どちらかというとブラックジョーク(笑)
でも、ぷんぷんせず笑いで受け止めてあげてます(笑)
亡きご主人様はどういうお方でしたか?
面白い本を読まれるのですもの♡
安易な、笑いを取ろうとするだけのものはユーモアとは思えませんし…。
同じことを言うにも、言い方ひとつで美醜が生まれるなんてことを思います。
「お祈りの声を小さくして、その代わりにパンのサイズを大きくした方が…」は、
読んでいる分にはうまいこと言うなとクスッとしますが、
相手があって発せられるのですから、ちょっときついのでしょうか?
後からジョークジョークと否定すのですね。
大阪はお笑いの本場、吉本もありますし。
きっと大阪の方はお笑いに厳しい目を持って
おられると思います。
きっと日本人は真面目過ぎるのかもしれませんね。
夫は教育県と言われる長野県人らしいところが
ありました。
真面目ですが「石部金吉」ではありません。
ちょっとばかりお世辞言えば「進取の気性」ありました。
この種の本は自分にないものを夫は自認していて
読んでいたのかもしれません。
自ずと学ぶようになっていたようです。
品よく相手を傷つけない、むつかしいと思います。
日本は鎖国状態が長く、ユーモアセンスに欠ける
原因の一つでもあると書いてありました。
まぁ、生真面目に対応していれば無難ではありますが・・・
ダジャレで顰蹙買うなど頂けませんね。
「それって笑えないジョークよ」とか
いうこともあるし、やはり皮肉っぽい
ところがあるように思います。
皮肉言う人って好きではないですね〜
そのてん、ユーモアは明るくて良い感じ
に思えますよね。
昔から日本には、落語や川柳、滑稽話などの
ユーモア文化があったようですね。
昨今のお笑い芸人では笑えませんが、古典落語の
人情噺や滑稽譚には、思わず笑います。
ユーモアセンスも時代と共に変わっていくよう
ですね。
興味がわいてきましたが
買おうとまでは思いません。
ユーモアは受け手に理解されて成り立つものですから
私にはできそうにありません。
理解できないユーモア、ジョークも多くて
私の理解力の足りなさか、はたまた国民性の
問題かわかりませんが・・・
最近は言葉を短くしたり、若者言葉も多くて
とてもついて行けません。
以前はよく大須演芸場へ行きましたが
今では遥か遠くなってしまいました。