早川一光先生の「こんなはずじゃなかった」いつまでも心に残る言葉です
この一光先生は私の年長の友(故人)の弟さんです。
「私と違って立派な弟です」と何回もききました(以前ブログに書きました)
私は80歳になったら何かしら「けじめ」をつけたいと思い、
いろいろしたつもりでした。
次は90歳でと考えていましたが「こんなはずじゃなかった」と言うことになりました。
来年に迫った90歳の「けじめ」今は揺らいでいます・・・
軽々に「正念場」と言わないことに致しました。
私の経験値から余りに長い先のことは決められない、
決めてもその通りにならない、つまり無駄ということでしょうか?
キリストの教え「明日のことは思い煩うな、明日のことは明日煩え」
「できることが増えるより、楽しめることが増えるのがいい人生」(斎藤茂太さん)
先人、賢人たちはなるほどと思うことをおっしゃっています。
何にも心配がないより何かあった方が乗り越えた時に充実感が得られるかもです。
私は来年1月で79歳になります。最後の70代になるわけですが、さて、どうしましょうか?(^-^;
取り敢えずはブログが続けられたらと思っていますが。
毎日が正念場の心構えで過ごせば間違いないかも?
やっぱりのん子さんは前向きです。
心配から得られるものもあるとおっしゃるのですね。
ブログ、私もいつまで続けられますか?
P子さんどうなさったのでしょう?
カレンダーに「過去はどうあれ未来は今日作られる」と書いてありました。
大袈裟ですが先ずは今日をしっかり生きなければと(#^^#)
巡らすのはすばらしいです。
決めたことがその通りにならないのも人生。
決して無駄とは思いません。
明日のことより、今を楽しく過ごそうと思う
今日この頃です。
時間があるときによりそういうことになりますから
忙しくしていればいいかもしれませんね。
何も考えないと日々流されていく自分があります。
人生100年時代と言われますがこの先の
10年は考えたくない気持ちですです。
斎藤茂太さんの言葉はいいですよね。
明日のことは思い煩わないようにしたいものです。
こんにちは。
そんなに先はありませんから、
「楽しめることが増えるのがいい人生」で生きていきたいです。
良い言葉を教えていただきました。
比べればこの先は何分の一かでしょうね。
私は己に都合の良い言葉を選んでいます。
「蓋棺而定」と言う成語がありますが
人生の終わった時、その人の価値が
わかると言うような意味でしょうか?
ですね。明日のことなどわからない〜♪
というドリスデイの歌を
思い出しました。
12月に入り毎日の1日1日を考えながら
過ごしています。
コロナ禍の日々にあってもやはり師走の
には何かしら違うものがあります。
すべきことを先延ばしにして
一人前に師走の慌ただしさを味わっています。