大阪の知事さんがコロナ問題で「今が正念場」と述べておられました。
私も老いが迫ってからはブログでこの言葉をよく使っていました。
「正念」とは正しい心、正しい心が必要な場面のことを「正念場」と
言うようになったそうです。(仏教用語)
つまりここぞと言う大切な場面(局面)に
使うべきで安易に使うのは「狼少年」ではありませんが
心に響かなくなるように思います。反省しなければと思いました。
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終日家に籠りました。落ち葉集め1時間の収穫です
頼まれた本を探しましたがない!作家別に整理したつもりが見つからず、
疲れて途中で頓挫、見つかる保証はありませんが明日に先延ばしです。
愛知(名古屋)も感染者が毎日三桁続き「正念場」でしょうか?
作家別になさっているのに見つからないとなると、
これだけの中から探すの大変ですね。
上段、奥? 下段、お疲れでしょう。
確かにです。ここぞという時に使わなければ…。
正念場がそう度々あるのも困りますが、それでも、何かしら
個々には使って気を引き締めようという時はあるかもしれません。
京都もぐんと増えました。心配です。
この時期に私たちはコンサートをします先生が亡くなられて心も迷いましたが団が一段となり正念場かな?
身構えて対峙したのは遥か昔のことに思えます。
平穏が何よりですね。
落ち葉かきもあと暫くですね。
きれいそうなところだけ撮りました。
ふちっこのほうは吹き溜った落ち葉がたくさんです。
いい加減な整理なのでいざというとき見つかりません。
私は80歳になったとき「正念場」と言っていました。
10年を経てまたまた今と言っています。
今はまだ京都へ行ける体力が残っていますのに
コロナ禍で本当に残念無念です。
コロナ終息したころはもういけないような気がします。
そうでもなかったことがよくあります。
人生には何回もの正念場があるかもしれませんね。
先生のご逝去は悲しいですが、
後に続く皆さんが頑張られることが供養になると思います。
落ち葉を楽しむ広い心が持てなくて恥ずかしいです。
公園や道路の落ち葉はなかなかいいものと楽しめますのに・・・
終わってしまった気がします。
とにかくあとは川の流れに任せる
気持ちですね〜
達観なさっていますね。
コロナのせいで心まで病まないようにしなければと
心がけています。
ご無沙汰してすみません。
家の雑事に追われていました。
確かに「正念場」もそうですがあまりに何度も使うと、
言葉の持つ強さが薄れていくように感じますね。
私も最近は探しものばかりしています。
出てくればいいのですが、見つからない時もしばしばです。
自粛生活で余裕があるはずですのに
雑用って多いものですね。
正念場は一生に何度もないわけですよね。
今頃軽い気持ちで使ってはいけないと気づきました。