ここ数日は、ずっと具合が悪い。ここ10日程、急激に”戦争”ブログにアクセスが増えだし、有り難いと思う半面、戦争で犠牲になった人たちの英霊が、私の心に深く乗り移ったのだろうか。気分も身体も重い、重すぎる。
そこで今日は気分を変えて、お得意の”好きになれない”シリーズです。違和感を覚える人もいるでしょうが、ご勘弁をです。
グレープ時代のさだは、好きだった
グレープ時代のさだまさしは好きだったが、”独立した後のさだは嫌いだ”と言う人は少なくない。
実は私もその一人で、タモリが”偽善者の匂いがする”と毛嫌いする気持ちも理解できる。特に、グレープの「鐘楼流し」は最高だったが、ソロになっての「関白宣言」は最悪だった。
あれでさだまさしは終わったと思った。グレープ時代の悲しい感じの抒情的系統を徹底的に突き進んで欲しかった。いや、”暗い”と揶揄されても突き進むのが男だろう。
あの頃のさだには、ある種の哀しくも憐れな狂気が潜んでた様に思う。その狂気を”抒情”に置き換え、自分を表現してた様に思う。そしてそこには、”孤高のレジスタント”しての静かな闘いがあった。
しかし、ソロになった後のさだは、”抒情”を”叙事”に置き換え、事実を語るだけのありきたりな”トークマン”に成り下がった。
チューリップの財津もオフコースの小田も、さだが及ばない卓越したシンガーだったが、大衆に迎合するという点では、さだには及ばなかったし、歌詞も”さだ”が上だったかなと思う。
そ〜うなんです。実は私はグレープ時代のさだまさしのファンだったんです。
因みに、解散したキッカケは、"グレープの音楽は暗い”というイメージが付き纏い、自分たちのやりたい音楽と受け手との齟齬が生じた為だという。
しかし、グレープ時代のさだまさしは、神妙で静かだが、ある種の輝きと咆哮があったのも事実。全くそのままでよかったのにと思うのは、私だけだろうか。
大衆迎合主義に走ったさだまさし
ソロになった後の「秋桜(1977)」や「償い(1982)」は良かったが、詩だけが傑出し、曲はパターン化した。
特に、「償い」は社会現象にもなったが、同じ社会現象で言えば、「泳げたい焼きくん(1975)」の方がもっと凄かった。子門真人のボーカルとして資質も実力も半端なかった。
社会現象で言えば、藤井フミヤの「TURE LOVE」も披露宴では腐る程に流され、最後には偽善ぽく聞こえた。特に、フミヤの鼻に掛かる”安っぽい”歌い方が、今でも好きになれない。でも郷ひろみよりかはまだマシか(笑)。
吉田拓郎も松山千春も、さだまさしの才能は認めてるが、生理的に合わないという。気持解ります。
結局、「関白宣言」で大衆迎合主義に走ったさだまさしが、元に”復元”する事はなかった。勿論、「秋桜」や「償い」は、グレープ時代の”さだ復興”と位置づけられなくもない。が、グレープの甘い香りとレジスタンスの静かな狂気が蘇る事はなかった。
大衆に迎合する事は、メガヒットを飛ばす上では、重要で不可欠な要素ではある。しかし、それだけ副作用も大きい。以降のさだまさしは、その副作用と戦い続ける事になる。
さだまさしが背負った莫大な借金とは
関白宣言が大ヒットし、金銭的にも余裕が出た事から、家族の歴史に関わる地を題材にした映画である「長江」(1981)の制作に携わった。因みに、さだまさしの祖父は陸軍のスパイだったという。祖父と父母が青春時代を送った中国を訪ね、長江の流れに沿う街と人々と、その歴史を追うドキュメンタリーであったが、何せ制作費が嵩みすぎた。
しかし、”シルクロード”ブームにも乗り、そこそこヒットはした(興行収入は5億)。が、ワンマンで撮ったが故に、結果として35億の借金を抱え込む事になる。
日本人が外国で映画を撮ると、多額の借金を背負うのはよく知られてる事だが、さだまさしも例外じゃなかった。借金返済の為に、年間100回以上ものコンサートを行ない、2013年までの30年近くで4000回のコンサートを行い、35億を見事に完済した。
デビュー46年間で、コンサート回数は2位以下に大差をつける4300回超。作った曲は570曲以上、著書累計300万部超。
数字だけを羅列するとその凄さが際立つが、”さだまさし”の生き方や考え方に、改めて注目が集まってるという。
もし私がさだまさしだったら、バルザックみたいに、中国の大金持ちの愛人を作り、そいつに完済してもらうだろうか。いや、もし「長江」という作品が35億に見合うと思ったのなら、単なる勘違いだったのかもしれない。
つまり、自らの貴重な才能と労力を借金完済に当てるのは愚か過ぎるし、勿体無い。だって、借金の大半は中国側が勝手に吊り上げた様なもんだから。
やっぱり、さだまさしは好きになれない
今のさだまさしは、私が知ってるさだまさしじゃない。
不条理な借金を背負う為に、メディアへの露出を極限にまで増やし、大衆に迎合する姿に、グレープ時代の”孤高のレジスタント”の面影は何処にもない。
それに、さだまさしの幽霊みたいな声がどうも好きになれない。あの媚を売る震えた様な声がね。評価されてる才能とかキャリアとか人間性を度外視しても。
それ以上に、さだの慢性化したトークが好きになれないし、安直で惰性と化した”噺り”が気に食わない。事実、彼のコンサートの1/3以上は喋りだ。つまり、35億の借金の1/3の12億以上はその喋りで稼いだ事になる。
さだ本人は、”嫌われない”つもりでトークを交えたというが、そのトークが嫌われる原因にもなる。
さだまさしの歌は絵画で言えば、デッザンの段階で放棄した様な弱々しい歌に聴こえる。確かに、詩は立派すぎる程だが。絵と同じでいくら構成がよくても、塗ってみてダメだったらやっぱりダメ。芸術とはそういうもんだ。
バルザックの「知られざる傑作」に出てくる、狂気の老画家が描くイカれた絵と同じで、”無数の奇妙な言葉が雑然と重なり合った奇怪な歌”と表現したら失礼だろうか。
一方で、”歌詞が説教臭いからイヤだ”という声もある。また一方で、”一兆人に一人の価値”という最大級の評価もある(堀江貴文)。
でも、それらはさだまさしの個性であるから、致命傷になる筈もない。かのゴッホだって、天才ゴーギャンからは毛嫌いされた。性格や芸風の違いもあるだろう。勿論、歌や芸に関する考え方の違いもある。
さだまさしが、たけしの番組に出た時、自らの苦労話を一方的に喋りまくった事がある。あの時点で、さだが100%嫌いになった。その時、”こいつは周りが見えてない”と思った。
”アンタの陳腐で身勝手な苦労と俺達庶民の苦労とを一緒にするんじゃない”と叫びたくもなる。”苦労だって金額じゃなく次元がある”とね。
流石のたけしも毒舌が出せず、うんざりしてた様子だった。
そして、「にゃんぱく宣言」
そして今回、さだまさしは「にゃんぱく宣言」なる超かわいい?CM曲を発表した(7/1)。勿論、「関白宣言」をアレンジしたものだ。
”忘れてくれるな〜、俺の頼れる飼い主は、生涯お前ただ一人〜”
猫から飼い主へのメッセージとして、終生飼育を訴える日本動物愛護協会のCM曲とのふれこみだが。偽善もここまで来ると犯罪に映る。
ここ数年のSNSの大きな流れだが、自慢の愛猫の写真や動画を紹介したものが目立つ。お陰で極端なアクセスを生み、ある種の社会現象を引き起こしてはいる。
勿論、私も猫は大好きだし、プロフィールにも(亡くなった)猫イラストを使ってる。しかし、猫ブームも度が過ぎると、大衆迎合に偏りすぎてると思えなくもない。
TVCMやドラマや映画やSNSに、猫を最大限に利用するのは構わない。しかし、それで得た収益は100%、猫たちに還元されてるのだろうか?
飼い猫だったら、飼い主を通じ、養育費を除いた額が全て飼い猫に支払われてんだろうか?或いは、野良猫の生態系を守る為に100%還元されてるのだろうか?
人間の自己満足で、アクセ数や人気を稼ぐ為に、猫の動画や写真を一方的に使用するのは、猫からすれば明らかな”著作権侵害”であろうか。
猫だって自然界の法則を守って生きてる。ヒトだって自然界の法則を守るべきだ。
しかしヒトは、自らが作った自らに都合のいい、偽善的な法律の”鉄格子”の中で生きている。”動物愛護”なんて聞こえはいいが、虚構という目に見えない権力に過ぎない。
最後に
猫にとって飼い主とは、エサと住み場を与えてくれるだけの単なる”便利屋”に過ぎないのか?いや、飼い主と一生、共存したいと思ってる猫が、果たしてどれ位いるのか?
実際それは、猫に聞いてみないと解らない。
それでも我らサピエンスは、猫という生き物の本質と生態系を、勝手に自らの都合のいい様に決めつける。自然という存在もまた然り。
本当は、猫にとって飼い主も含めた人間の存在とは、大きなお世話で余計な迷惑なだけかもしれない。丁度、自然が人類を厄介な敵だと見なしてる様に。
そういう思いで、「にゃんぱく宣言」を聴いてると、何だか”偽善”に思えてくる。
結局、さだまさしは”偽善”を歌う歌手だったのだろうか?だから、さだは好きになれない。と言ったら言い過ぎだろうか。
小田さんも映画で失敗してんですか?知らなかったな。日本でヒットする映画作れたのは、角川春樹くらいかな。半端な覚悟じゃ無理ですかね。
タモリは芸能界で結構嫌われてるって噂だけど、私は不思議と彼が好きなんですね。何故か知らないけど、これも感性が近いのかな。ああこれもブログにしたくなった。
人は見た目じゃありませんね。(笑)
以上、さだまさしへのコメントでなくて、失礼しました。
それに対し、数学ネタはその特異性と難解さが故に、殆ど誤解も反撃も関心もないかな。
でも、軽い気持で書いた戦争ネタも今から思うと、結構重くしんどいですね。今朝もNHKBSで”インパール”が再放送されてたんですが、それに合わせてアクセ数がグングン伸びてました。少し怖ろしい気がしました。
今年の夏は身体がだるく重いから、汎用ネタで押し切ろうと思います。
kounnhさんも早くブログ復活してくださいな。
タモリは、一応予備校の先輩なんで、今も応援してます。
それに幽霊みたいな声よ。脳死状態の植物人間みたいで、見てる側のことを少しは考えてほしいな、さだまさし。
NHKもよくあんなの使うよな。タダでさえイメージ悪いのに。ああ厭だ嫌だ、韓国と同じで、しつこいのは絶対にイヤだね。
二言目には借金返済の話ばかりですが、自慢にしか聞こえないことに本人は気づいていないし、まわりに止める人もいない。偏った思想をきれいな言葉で包んで得意気に話している。
災害などがあると真っ先に出てきて泉谷しげるとライブとかするし、老害でしかない。馴れ合いのファンに向けたギャグやNHKの生さだは寒すぎて笑えない。
自分に良い評価をする人の言葉にしか耳を傾けない。才能があるとは到底思えない。ほぼ100%変な衣装でテレビに出ている。
少し前に引退しようと思ったが、自分の歌が役に立つのであれば、死ぬまで歌い続けたいと言っていて、お気に入りで固めた社員や良い格好をしたいために手広く仕事を増やした関係者の雇用確保については決して口を割らない。組織で生きていないので、こんな風になるのは仕方がない部分もあるが、頑固で上から目線なところが致命傷。
娘、息子もさだ同様、才能はないが、さだの七光でさだと同じ手法で音楽活動をしている。
24時間テレビでも開き直ってましたが
彼にはどうも卑怯で嫌味な”違和感”を感じるんですね。
それにシンガーだったら歌で勝負すべきなのに、トルクの弱いか細い声が恥ずかしいのか、苦労話を含めたトークばっか。まるで自分だけが苦労したと言わんばかり。
でも、女性を含め支持層は幅広いですから、記事を書くに多少勇気いりました。
でも引退しようとした時期があったんですね。そのまま引退してたらそれなりに評価されたのに・・・
ほんと嫌な老人ですよね。