あるフォロワーの記事に、「戦争における”人殺し”の心理学」(デーヴ・グロスマン)の紹介があった。
私は、この人の記事を読むのが日課である。私の為だけにある様な事を書いてくれる。
今回の記事も、まさに目からウロコであった。
なぜ人は戦争をするの?って、人は知ったかぶった様に問う。
それは(人間の)種としての限界があるからだろう。少なくともジョン・レノンの歌にある様な、単純な理由ではないのだろう。
つまり、国境がなくなっても人は戦争をする(多分)。人間は元々、戦争をする様に出来てるのだろうか。その上、ゲーデルの不完全性定理に倣わなくとも、(衝動や狂気を抑えるにて)人間の知能や思考には明らかに限界がある。
要は、戦争になっても如何に人を殺さないか。出来るだけ無駄な血を流さないか。目の前の相手に(いや味方に)銃を発泡しないか。
そんな視点で戦争を捉えてみても、バチは当たらんだろう。
キレイ事では、戦争も人殺しもなくならないのは、歴史が証明している。
それでも、平和ボンボンな日本人は”なぜ戦争をするの?”って、いい子ぶる。
戦争における人殺し(の心理)というものを数学的に記述しない限り、大量破壊も無差別殺戮も狂人系の独裁者もなくならない(と思うのだが)。
つまり戦争の本質は、我らが思う以上に複雑でややこしい。
”殺しのプロ”の確率
この本によれば、第二次世界大戦まで、敵兵を前にして銃を撃てる人間は15~20%しかいなかったとの(数学的)事実を紹介する。因みに、相手を殺すつもりで(冷静に)狙いをつけて撃てるのは全体の2%だという。
つまり、敵兵一人殺すのに(統計的に言えばだが)5万発の弾丸を使ってる事になる。
しかしアメリカ軍は(誇張はあるが)、パブロフの犬の様な(条件付けによる忌避感を乗り越える)訓練により、朝鮮戦争では発砲率を55%、ヴェトナム戦争では95%までに上昇する事に成功したと。しかしこれは、PSTD(心的外傷性ストレス障害)となって帰還兵を襲い、アメリカの大きな社会問題となった。
つまり、人の目が見える距離で戦う事は強度のストレスであり、ごく普通の人間には耐えがたいものなのだ。
前述した2%の忌避感を持たない人々こそが、敵を殺す主力(プロの兵士)として機能した。まさに”殺しのプロフェッショナル”であり、プーチンも間違いなくその一人であろう。
しかし、第一次世界大戦も第二次世界大戦も職業軍人だけでなく、徴兵によってごく普通の善良な市民が戦争に動員された。
故に、徴兵され動員された兵士の多くは精神異常に陥り、前線の任務に耐えられなくなる。
従来のアメリカの戦争では、帰還兵は社会に受け入れられ、賞賛&顕彰され、自分が人殺しをしたという経験を緩和する事ができた。しかし、ベトナム戦争では国内で反戦運動が高揚し、社会からも拒絶された。
それ以前の戦争では、兵士たちは戦争が終わるまで行動し、(船で時間をかけ)戦友たちと一緒に帰郷した。これが復帰の緩衝の役割を果たしていた。
しかしベトナムでは、兵士も指揮官も大半が20代の若者で、僅かな訓練を受け、戦地に送り込まれ、1年間の任務が終了すると1人ずつ本国に飛行機で送り返された。
つまり、戦友との仲間意識は未完のままで、戦地と本国との時間は数週間ではなく僅かに10時間程度。そこにアメリカ社会の拒絶が加わったのだ。
戦場の心理学
ロシア軍がキエフを包囲しながらも膠着化した状況から垣間見えるのは、(ロシア軍が強引に侵攻し)市街戦になれば、至近での殺し合いが必須になり、それはロシア軍兵士に激しい動揺を引き起こす事である。
その動揺はロシア国内にも波及し、ロシア軍が数十キロ離れた所からミサイルや砲撃を繰り返してるのは、その証拠と見て取れる。
今回のウクライナの徹底抗戦は、”ロシアに降伏すれば何をされるか分からない”という恐怖から来る。旧ソ連のホロモドール(人為的大飢饉)やロシア時代の虐殺や投獄、強制収容所送りなどの悍しくも苦い共通認識を背景にするものだ。
反対に、(情報戦の一環かもだが)降伏したロシアの若い兵士に暖かいスープを与え、母親に電話をさせる。この違いは決して無視すべきではない。
以上、レビューを参考に主観を交えてまとめましたが、数学的に戦場における人殺しの心理を眺めると、これだけの事が解る。
つまり、戦場で行われてる事を数学で記述すれば、人殺しの本質(いや戦場の心理)が見えてくる。
人間には(本能的には)同類である人間を殺す事に忌避感を抱く。その様な回路が生得的に埋め込まれている。これは人間に限らず、哺乳類全般がそうであり、一部の爬虫類にも該当する。
それでも、一旦戦争になれば、祖国の為にとお互いに殺し合う。これはナショナリズム(国家主義)とかパトリオティズム(愛国心)とかいう言葉のお遊びの問題でもない。一旦戦争になれば、両者はごちゃまぜになる。
つまり(好き好んで)戦争をやりたがるのは、国家のトップであり、独裁者である。彼らは、戦場で自国民や敵兵が何万人犠牲になろうが、知ったこっちゃない。
彼らは、自分が英雄になる為には歴史に名を刻む為には、平気で人を殺せる人種である(多分)。
つまり、戦争における無差別破壊や大量虐殺は現場の兵士たちではなく、ごく僅かな数の国家の政権を支配する(私欲で頭がイカれた)トップたちによるものである。
彼ら政権のトップたちが(僅か2%の)殺しのプロだとしたら?
僅か2%の狂人の為に98%の人間が犠牲になる。言い換えれば、2%の悪の為に98%の良心が犠牲になる。
これこそが戦争における人殺しの統計学とでも言えようか。
追記〜プーチンとサイコパス
2%の”殺しのプロ”や狂人系独裁者を単純にサイコパス(精神病質者)と決めつける訳にもいかないが、こうした精神病質者の確率は1%とも言われている。
反社会性パーソナリティ障害で言えば、有病率は男性で3%、女性1%ほどとされる。
つまり確率で言えば、サイコパスも殺しのプロもほぼ同じである。
因みに、サイコパシー(精神病質)は精神障害の一種で精神病と健常との中間とされ、狭義では”反社会性パーソナリティ障害”の事を指す。またパーソナリティ障害とは、社会に適応するのが難しい人格障害を言う(ウィキ)。
一方でアメリカには、(凶悪な犯罪に結びつく)人格異常者が4%いるという報告(M・スタウト)もある。
また、CEOの5人に1人はサイコパスであり、企業の上司の21%が臨床的なサイコパス特性を示し(N・ブルックス)、これは受刑者と同じ様な割合だという。
英国の研究では、サイコパスは犯罪者の約8%に過ぎないが、”永続的で暴力的な”犯罪者の約半数はサイコパスであるという。
こうして、戦争のプロ(殺しのプロ)とサイコパスを数学で記述すれば、戦争とは言えど(たとえ愛国心と言えど)冷静に人を殺せる人種が(精神ではなく)異常人格に近い事を理解できる。
プーチンも、この2%の”殺しのプロ”の中の”永続的で暴力的な”独裁者の一人なのかもしれない。
こんなのが20年以上もロシアのトップに立ち、大国を牛耳ってるのだ。紛争や戦争がなくなる筈もない。
冒頭で紹介した「人殺しの心理学」も含め、「良心をもたない人たち」(マーサ・スタウト著、木村博江訳)は、今だからこそ読むべき本である。
一見、頼もしく魅力的だが、身近でみると平気で嘘を付き人を操る。都合が悪いと涙を流して同情を引き、追いつめられると逆ギレし、脅しにかかる・・・
サイコパスの研究が本格的になる前に書かれたものだから、決めつけに近い極論もあるが、”良心をもたない人”はある確率で存在する。
”殺戮の遺伝子”が無差別な破壊衝動を引き起こし、そんな破壊衝動や負の感情で動く精神異常者が国家のトップに立てば、その国はどうなるかは歴史が証明している。
精神異常でも、(サイコパスを含め)彼らはとても冷静に賢く振る舞う。”良心を持たない”が故に、冷酷かつ冷淡な判断が大きな成功を生む事もある。
つまり、毒性の強い”真性サイコパシー”は(独裁者には必須な)現代の大量破壊ツールかもしれない。しかし、多くの穏やかな(内向性)サイコパスは薬物依存に陥り、哀れな末路を辿るとされる。
サイコパシーという(冷淡な脳の)病理だけを排除できれば何ら問題はないが、それが出来ないなら(毒性の強い)真性サイコパス群を強制隔離するしかない。
訳者は、”軽々しくこの名称を人にあてはめ、排除すべきでない”と締め括るが、サイコパシーにも毒性の程度と多様性があり、そんな単純な事でないのは明らかだ。
(プーチンの様な)毒性の強いサイコパスが破壊的な行為に移った時、大衆の良心だけでは防ぎようもない。
しかし脳を検査すれば、サイコパスはある程度は判明できるという。プーチンの脳が異常人格者の脳でないとは、誰が言い切れるのだろうか?
何かにつけて、サイコ呼ばわりされた人が”可哀そー”となる。
でもその”可哀ソー”って庇ってる奴らが本当のサイコだったりもする。
多分、サイコって場の空気を読むのが上手いんでしょうね。
プーチンだって、ロシア国内では(強硬派と穏健派の中間である)バランサーと言われながら、いざ戦闘となると狂人的な独裁者に成り果てる。
脳のある領野の機能不全という事で、目には見え難く、定義し難い現代の病理とも言えますね。
脳の機能障害がサイコパスを発症させることを理解しない限り、サイコパスの研究は頓挫するだろうね。
しかし日本では、サイコパスは精神の病という曖昧なテーマで長年タブーとされてきた。
”サイコなんて軽々しく呼ぶんじゃない”と怒りを覚える人もいるけど、逆に‹サイコの脳›という観点で鋭く突っ込まない限り、サイコによる大量殺人はなくならない。
勿論‹サイコ=殺人›と決めつけるのは危険すぎるけど、サイコの最悪の結果が無差別殺人にあることは頭に入れとく必要がある。
精神鑑定で用いられる‹原因&動機ありきの犯罪›だが、サイコパスでは‹動機なき犯罪›。
精神分析という時代遅れの手法から、サイコの脳を数学的に分析する時代に移行しない限り、凶悪なサイコパスはなくないだろう。
写真の「冷淡な脳」(2009)はこの著書の序章みたいな位置づけに思えますね。
サイコパスに関する本の大半がその傾向や解釈を安易に垂れ流す類で、受刑者のサイコ脳のデータを集め、大胆にも分析したブレア氏の貢献は画期的だと思います。
この研究がきっかけとなり、衝撃の著である「サイコパスインサイド」を生んだとも言えますね。
日本ではまだまだサイコパスに関する曖昧な噂が蔓延してますが、サイコパスが数学的に記述出来れば、サイコパスの研究は大きな飛躍を遂げるでしょうか。
白人至上主義者に多い特徴ですが、事実アメリカにサイコパスは多いとされる。
転んだ君も言ってたけど、ハーバードでは隣人を蹴落とす事を一番に教えるように、白人社会ではサイコ系エリートは当り前の如く輩出する。
ロシアの富裕層も日本のエリート層も同じような傾向にあるのだろうか。それに安倍元首相の1億総活躍時代というのも現代の全体主義で、サイコ的とも言える。
しかし、人殺しや凶悪犯罪となると稀で、”サイコパス=殺人”というより、一部の狂った毒性の強い人格異常者が大量殺戮を犯すと考えた方がいいかもしれません。
そうとも言い難いですかね。
家族が大きな悲劇を受けた確率と
それが原因で人格障害を引き起こす確率。
この2つを掛ければ、どれ程の確率になるんでしょうか。
しかしその人格障害を起こした事で、大統領になれたとすれば、あながち単純ではないかもです。
幾らでも後知恵は付けられるんですが、こうして数学的に考えると多様な見方が出来ますね。
一定の確率で起こるというより
素数の出現確率と同じ様に、(複雑で厄介な)ある法則の元で起きると思った方がいいかもです。
この本は、(元軍人の方が)統計を元に大まかに弾き出した数字ですが、本質を見抜いてると思う。
サイコパス予備軍でも、良心の間で悩む人も多いでしょうから、僅か2%の狂人と言えど程度や毒性も様々です。
故に、サイコパス専用の数理モデルを幾つか作り、あらゆる面から検証する事も必要でしょうね(多分)。
プーチンの野心の背後に、第二次大戦のレニングラード包囲を挙げていました。
この悲劇の体験がプーチン少年の心に深刻な影を刻みつけた。
それに東ドイツと旧ソ連崩壊がトラウマになり、プーチンの心を歪めたと解説してました。
今回のウクライナ侵攻はプーチンの復讐と言ってますが、それも単純過ぎですよね。
狂人の心理学で言えば、元々この男は人格的にも狂ってたと見るべきか。
僅か2%の確率で起きた人格異常
その狂人がたまたま国家の主になったという悲劇
今回のウクライナ侵攻もある一定の確率で起こり得る悲劇なんでしょうか。
98%の善良な大衆を騙して丸め込んだ挙げ句
世界戦争に巻き込むってことよね
戦場における殺人の心理学でも
数字も数学もウソをつかないとしたら
戦争も殺人も
一定の確率で起こるのかしら