安倍の国葬には12億もの血税が浪費されたらしいが、お袋の一周忌は僅か千円ほどで済んだ。それも、無機質に無駄にも思える非難轟々の中で行われた国葬に比べ、ずっと充実してとても温かみのある祭儀にも思えた。
それ以上に、参ってくれた3人の叔母達の何とも言えない充実した微笑みが、私の心を慰めてくれた。
前者を国葬儀と定義するなら、後者は私葬儀と言えるかもしれない。特に、旧統一教会の信者達のド派手な参列にはヘドが出る思いをした国民も多かった事だろう。
8月初旬に行ったお袋の初盆は、(上手くはいったものの)不完全燃焼的な展開で終わったが、その2ヶ月後の一周忌は、ほぼ私のプラン通りで幕を下ろした。
”香典は厳禁”と強く言っておきながらも、しつこく包んでくる二人の叔母たちには心底ウンザリだった。しかし以降、度々強く怒鳴りつけたのが功を奏したのか、今回の一周忌には(火葬式には参列できなかった)東京の叔母も来てくれせいか、3人の叔母とも香典を包む事もなく、私が理想とする形で終える事が出来た(祝)。
実は、(天敵である)叔母の一人から”東京の叔母さんが◯日に来るそうだから、私も一緒に来ます”との電話があった。
とても嫌な予感がした。
この叔母は何かに理由をつけて私の家に来たがる。それだけならいいが、何かにつけて(喉に小骨が突き刺さった様な)微妙なイチャモンをつけるし、人の弱みにここぞとばかりに付け込む。
香典を包み続ける理由が、”これからも関係を続けたい”との事だが、アホ臭を超えて背筋が凍りついた程だ。
”安く”ついた初盆と一周忌
一方で、初盆(8/8)と一周忌(10/16)が2ヶ月ほどしか離れてなかったから、お坊さんに”一周忌は見送らせて頂きたい”と頼んだら、”お布施の事は気になさらず、一周忌はお寺の方で勝手にやらせて頂きます”との返事だった。
内心”ラッキー”だと思った。もし、初盆と一周忌を一緒に行ってたら、お経は一回だがお布施は二回包む必要がある。故に、一周忌を行うつもりは更々なかったが、(お袋と一番仲の良かった)東京の叔母さんが来ると言うので、その叔母さんの為だけに一周忌をすべきかなとも思った。がしかし、天敵の叔母が来るのだけは何としても避けたい。
私は(8月の初盆の時に)息子の名前で香典を包んだその叔母の行為を強く責めた。
何度も”香典は厳禁”と何度も言っておきながら、しつこく包んでくるのが許せなかったからだ。事実、もう一人の(脚の不自由な)叔母には私の怒りが理解できたのか、以降香典を包む事はなくなっていた。
”(東京の叔母さんには)香典は厳禁と強く伝えて下さい”と言って電話を切る。
少し言い過ぎたかなと思ったが、これだけ強く言い続けても(多分だが)香典を包んでくるだろう。
故に、東京の叔母には”香典は厳禁です。それでも(包みたい)というのなら、そちらの判断に任せます”とメールでダメ押しした。
一方で、天敵の叔母が(東京の叔母が来るのを理由に)私の家に来たがってるのは明白だった。しかし東京の叔母は迷ったらしく、(天敵の叔母である)姉の言う分を聞くか?私の言い分を飲むか?で、とても迷ったと思う。
その間、私はとても具合が悪かった。彼女の迷いがよく理解できたからだ。
結局、2日後にメールがあり、”実家に寄って従兄弟に送ってもらいます”との事だった。つまり、”中間”を選択したのだろう。彼女の判断は正解だったと思う。
これで”天敵の叔母が来る事はなくなった”と私は早合点した。それに、前回の初盆で軽くあしらった従兄弟は(東京の叔母を送るだけで)参列する事はないだろうと予感した。
実際その通りになったが、最悪、天敵の叔母が来るのを想定し、3人分の弁当(ちらし寿司)とペット茶を用意していた。
しかし、その最悪が的中したではないか。
従兄弟が天敵の叔母も一緒に連れてきたのだ。多分、最初は来る予定はなかったのだろうが、東京の叔母一人というのも心許ないので、一緒に連れてきたのだろう。が、脚の不自由な叔母は連れては来なかった。
(初盆の時は連れてきたのに)とても不思議に思ったが、天敵の叔母との間に(香典に関し)軋轢でも出来たのだろうか?
オモテナシの無駄
初盆の時よりも老人臭くなってた従兄弟は”お返しが多すぎる”と(お礼を言いに近寄った)私にイチャモンをつけた。
”こいつは思った以上のバ◯だ”
私は首を横に振り、ウンザリだという態度で背を向けた。この時点で、叔母たちを相手にする気が失せる。
正直、東京の叔母だけなら(古い洋間の改修作業を中断して)相手にするつもりだったが、天敵の叔母がいるのなら改修作業を優先しようとプランを変更した。
従兄弟が立ち去り、叔母二人を自宅に招き入れ、(脚が不自由な)もう一人の叔母を待つ。
東京の叔母との会話はとても盛り上がったが、天敵の叔母の方は明らかに元気がない。それでも私は明るく振る舞い、叔母姉妹との会話を支えた。
本当は(脚が不自由な)叔母が来るまで相手をするつもりだったが、私がいると話せない事もあるのだろう。気を利かせた私は、(旧洋間の修復の作業があるから)”何かあったら連絡して”と言い、その場を抜けた。
結果的にだが、私が途中で抜けた事が一周忌をうまく乗り切る事が出来た大きな要因となる。
長年付き添った姉妹には彼女らにしか分からない事が沢山ある筈だ。勿論、私にしか分からない事も沢山ある。そう思うと、オモテナシは程々の方がうまく行く。
不思議と私は作業に熱中する事が出来た。東京の叔母から”夕方の4時すぎに(宿泊の予約をしてる)駅前のホテルに連れて行ってくれ”との事だったが、時間を忘れ作業に熱中した。
あっという間に時間が過ぎ、東京の叔母が作業場にやってきた。
”悪いけど時間になったから駅前まで送って頂戴”と標準語で囁く。
”ああ、東京の言葉は美しい”と感心しながら、3人の叔母を駅前まで送った。一度は大喧嘩した(脚の不自由な)叔母との会話はとても弾んだ。天敵の叔母が落ち込んだままだったから余計に機嫌が良かったのだろう。
最後に〜香典を包みたがる人種
僅か2時間程の一周忌だったが、私にはとても充実したイベントでもあった。用意してたお弁当は(既に食事は済ませてるという事で)箸をつけられなかったが、それでも満足行く儀式でもあった。
儀式というものは、規模の大きさや派手な演出ではなく、思いやりと労りが全てである。それさえ相手に伝われば、高額な香典も豪華な食事も、高く付きすぎる読経もいらない。
惜しむらくは、従兄弟の”香典返しが多すぎる”との一言がなかったら、もっと理想的だった。
私は、香典を包みたがる人種は知能が低いのではないかと勘ぐる所がある。同じ様に、葬儀を派手にやりたがる人種も同様である。
故に、12億円ほどの血税を使った安倍の国葬は”具の骨董”と思えなくもない。自民党の某議員は安倍元首相を”国賊”呼ばわりしたが、身内でもそういう声は少なくはないのだろう。
一方で、海外からの要人の接遇に約5億円が使われ、海外からの参列者は4183人とされるから、1人当り約12万もの接待費が使われた事になる。これが高いと感じるか?安いと感じるかは人それぞれだろう。
因みに、私の場合、母の葬儀での接待費は(お通夜と火葬式と戻り初7日を含め)実質ゼロである。お茶と弁当(かっぱ巻き)は叔母さん達が用意してくれ、私はオモテナシすらしなかった。いや、その体力もなかったし、やる気すら起こらなかった。
でも私には、全くお金の掛からない最高で理想のお葬式でもあった。事実、葬儀代の17万とお布施代10万(火葬と初7日含む)の計27万は、地元葬儀屋の積立を解約して得た資金でトントンだったのだ。
更に(喧嘩になった)”49日法要”は、399円の海鮮丼4つと69円のペット茶4つで計1872円。そこそこ上手く行った”初盆”は、納豆巻(199円×4)とお茶(69円×4)で計1072円。そして今回のほぼパーフェクトな”一周忌”は、チラシ寿司(299円×3)とお茶(49円×3)で計1044円。
一方で、初盆の香典は(お菓子2つを除き)天敵の叔母と従兄弟の2件だったが、今回の一周忌は香典はゼロで(高価そうな)お菓子が2つだけ。更に、そのお菓子が目が飛び出る様に美味しかったというおまけ付である。
これから、できるだけお金の掛からない葬儀をと考えてる人には、少しは参考になったであろうか?
旧統一教会もそうだが、費用が異常なまでに高く付く儀式は冠婚葬祭も含め、何か裏があると考えた方がいい。
それでもアナタは派手に画策された儀式に参列し、無駄でアホ臭な香典を包み続けるつもりだろうか・・・
”いい事も悪い事もいつかは終わりが来る。
そして、人はいつかは死ぬ”
ただそれだけで十分ではないだろうか。
これ程の美しく尊厳のある言葉もないだろう。
それに比べれば、香典や読経やオモテナシがセットになった葬儀という名の儀式が、とても偽善に汚らしく思えてくる。
天国にいるお袋も、”してやったりじゃないか”と微笑んでる様でもあった。
人はいつか死ぬ。
何事もいつか終わりが来る。
おっしゃる通りです。
<祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響あり。
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。>
--- ですね。
一周忌、お疲れさまでした。
では、また。
日本も不景気になっているのだから、これまでの冠婚葬祭を考え直す時期が来ていると思います。
お葬式、結婚式に無駄なお金を使うのは間違っていると思います。
元金融マンのわたしにすると、「仏・葬」は部分的には積み立てか「講」の一種と言う風にみています。とりわけ現役の頃は、上司や同僚に不幸があると、必ず香典を渡していましたが、いずれ自分の身うちでの葬式の折は、同じくらい戻ってくるだろうと。
今の世の中それが通用しなくなりましたね。
時代と共に、色んな雑物を抱え込んでるみたいで、儀式が複雑になり過ぎてると思います。
愚直な程にシンプルにというのは、催事や仏事にも求められると思うんですが。
コメントに寄せられた教えはとても参考になりました。ありがとうございます。
”お葬式や結婚式に無駄なお金を使うのは間違ってる”というより、”お葬式や結婚式そのものが無駄”なんですよね。
日本はタダでさえ貧しいのに、色んな行事を派手にやり過ぎだと思います。
それだけ、昭和の時代が裕福だったという事ですかね。
コメントありがとうございます。
確かに、昭和の時代は、”見返り”(トレードオフ)という暗黙の期待もありましたね。
でも、バブルと共に祭儀も香典も膨れ上がり、そして今それらが全て弾けようとしてます。
無駄で非効率と薄々分っていながら、それでも昔の人は香典を包もうとします。
時代って変わるもんですね。
コメント参考になりました。
連続体仮説と同じで
イヤな親戚に次元は存在しないってね
でも僅か1000円の出費で
美味しいお菓子を頬張れたんだから
投資としては成功じゃないかしら(^^)v
ホント、この天敵の叔母はしつこいんですよ。
ストーカーとサイコパスを中途に混ぜた様な人で、それでいてバカみたいに世話好きなんです。
それに、親戚の寄りには必ずと言っていいほど顔を出してます。ま、それだけが生き甲斐なんでしょうが。
祭り好きや爆買い好きなオバサンとも言えますが、何でも度が過ぎるととても迷惑ですよね。