この時期になると、ラグビーや駅伝でお茶の間は盛り上がっていたものだ。が、ラグビーに限っては、世界的に見ると国内では随分と盛り上がってはいるが、世界の壁はまだまだ厚い。
一方で、五輪に駅伝という種目があれば、日本は表彰台くらいは狙えるのではないか?特に東京五輪では野球を排除して、駅伝を公開競技にしてほしかった。つまり、駅伝は長い時間でも見てて飽きる事はないから、人気が冷え込みつつある野球とは異なり、スポンサーも付き易いだろう。
昨日、放送されてた全国高校駅伝も留学生の区間限定走が問題にはなっていたが、蓋を開ければ、最後まで競り合う熱い展開で、随分と盛り上がった大会となった(写真)。
一方、ネタ的に少し古くなるが、パリ五輪のマラソンでは、男女ともアフリカの選手らが上位を独占する中、アフリカ勢以外では日本人が唯一、男女ともに6位入賞を果たした。
もしアフリカ勢がいなかったなら、男女とも日本人が金メダルの快挙であった筈だ。事実、高橋尚子が金を獲った時は黒人はいなかったし、野口みずきの時も黒人はヌデレバ1人であった。そう思うと、鈴木優香さんと赤﨑暁さんには(張本さんじゃないが)アッパレを上げたい。
事実、人気で言えば”陸上の華”とされる女子マラソンが、最高で18.7%(平均世帯視聴率、NHK)を記録し、競技全体の2位になり、マラソンがスポンサーにとっても美味しいコンテンツである事を見せつけた。
因みに、1位は男子バレーの準々決勝イタリア戦で23.1%。但し、パリ五輪の閉会式は0.1%(開会式は10%前後)だったというから、やるだけ無駄って事だ。特にNHKは、一番人気の男子バレーの生中継を数多く放送し、”若者離れ”が進む五輪視聴率の平均値を押し上げた。但し”五輪中継と若者離れ”については、別途テーマにしたい。
ともあれ”若者離れの五輪”とは言え、日本が獲得した金メダルは20個。アメリカや中国に次ぐ堂々の3位であり、歴史上の快挙である。開催国フランスですら16個だから、今や堂々たるオリンピック大国とも言える。
が、もはやスポーツも五輪も娯楽とはみなされないのだろうか。一方で、駅伝がお茶の間の娯楽に君臨するのも夢ではない気もするのだが・・・
世界駅伝選手権
夢の中で、私はメキシコの高地にいた。
そこでは、4年に1度の”世界駅伝選手権”が行われている。そして、私は何と日本チームのアンカーを務める事になっていたのだ。
走る事なんて、大の苦手な私が・・である。この時点で明らかに夢だと判っても当然だが、代表チームに選ばれた私は興奮と緊張の余り、気分は天にまで昇り、身体は躍動の真っ只中にあった。
過去に何度も走る夢を見てきたが、それらの殆どが地獄の様な苦しさで、息を切らし、ほぼ窒息状態で、両足はバーベルの様に重く、心臓は破裂しそうな状況で、悶絶したまま夢から覚めるというのが常だった。
しかし、今回は何かが違った。
我が日本チームの戦術は先行逃げ切りである。1区に一番速い選手を、2区に2番目に速い選手を・・という風に速いのを順に並べる戦法だ。つまり、アンカーとは聞こえはいいが、チームの中では私が一番遅いランナーとの位置づけとなる。
全5区間で争う駅伝だが、1人が走る距離は20km(だったと思う)と皆同じである。つまり、全長100kmだから持久力と言うよりスピードが命で、前半から飛ばしたチームが優位に立てる確率は高い。
だが、唯一例外のチームがいる。ニカラグアかどこかのチームで、最終ランナーに20kmの世界記録保持者がいた。勿論、優勝候補の筆頭なのは言うまでもない。
日本チームの総合力では、このチームには勝てる筈もないので、前半から飛ばし3位以下に大きく差をつけての2位に狙いをつけた。
つまり、アンカーの私が世界記録保持者に抜かれる事は最初から織り込み済みだったのだ。もっと言えば、私は最初から期待されてはいない”捨て駒”に過ぎなかったのだ。
それでも私は、日本の代表として”日の丸を背負う”という、大きな期待と幻想を描いていた。
そうこう思ってるうちに、スタートの笛が鳴る。1区から4区までは山あり谷ありの厳しいコースだから、各チーム共に鉄人レース等の経験豊富な実力者を揃えていた。一方、最後の5区は平坦なコースで、各チームともスピードランナーが待ち構える。
日本チームも、箱根駅伝のスター選手を配置し、前半からライバルチームをグイグイと離し、2区に入ると早くも独走体勢に入った。
猿男!失速!
私は5区のテントが張られた簡易の待機室の中で、電光掲示板に目が釘付けになっていた。というのも、我がチームは2区でトップに立ったものの、独走状態はそれ程続かず、3区では3位にまで後退し、4区では再び1位に返り咲くなど、全く先が読めない混戦状態になっていたからだ。
益々緊張感と高揚感は高まるばかりである。私はスタートラインの一番内側に立ち、トップで来るであろう筈の走者を待っていた。
2位は予想通り優勝候補筆頭のチームで、私の隣には猿みたいな奇怪な風貌の小柄な男がポツンと立っている。この男こそが20kmの世界記録保持者で、”ニカラグアの絶対超人”と呼ばれ、各国から恐れられていた。
私には貧相な小猿にしか思えなかったが、よく見ると”全身バネ”の身体からは、まるで黒豹みたいな獰猛さを備えている。
”こんな野生動物みたいな奴には勝てない。前半は体力を温存し、2位狙いで行こう”
そうこう思ってるうちに、1位の走者が日の丸のゼッケンを揺らしながら近づいてきた。勿論、我がチームの選手だ。
”前半から飛ばせ、2位狙いなんて捨てろ。でないと2位すら危うくなる”
目の前の走者は、私にタスキを掛けながら、必死に呟く。
勇気づけられた私は最初から飛ばした。何かに憑かれたかの様に飛ばした。いや疾走するというのが正しいだろう。
走ってるうちに、身体が空気みたいに軽くなるのを感じた。
”何だかいつもとは違う。ひょっとしたら勝てるかも知れない”
私がそう思った瞬間、あの”猿男”が宙を舞う様な走りで一気に近づいてくる。猿男は明らかに宙を飛んでいた。
男は一気に私を抜き去ると、圧倒的なスピードで駆け抜け、瞬く間に私の視界から消えてしまう。
私は急に苦しくなった。いつもの様に息は絶え絶えになり、両足は鉛みたいに重くなり、足を動かすのもままならなくなる。今や立ってるのが精一杯で、一時は棄権しようかとも考えた。
が、その時、私の頭上に神が舞い降りたのか?私の視界が大きく開いた。
気が付いたら、スプリングのついた足で蹴り上げる如く走っているではないか・・スライドが倍々に伸び、僅か1歩で10m程を駆け抜けた。走ると言うより跳ぶという感覚である。
スライドはぐんぐん伸び、窒息しそうな呼吸はスムーズになった。心臓は平静を取り戻し、身体がやけに軽く感じる。
”このまま追走すれば、必ずやあの猿男に追いつける”
やがて、猿男の背中が私の視界に入ってきた。私の身体はブースターエンジンの如く、益々加速する。一気に猿男を抜き去ろうとすると、あろう事か猿男は走るのをやめた。
私は立ち止まり、男のそばに寄り、”どうした?具合でも悪いのか?”と尋ねると、男は”少し具合が悪いだけだ。私には構わんで、先に走ってくれ・・”と苦し紛れに咳き込んでいる。
複雑な思いが私の脳裏をよぎったが、私の走りは好調さを持続した。
猿男みたいに途中で失速するのかなと不安もよぎったが、最後まで好調さは変わらなかった。
私はぶっちぎりの1位で、ゴールのテープを切る。
優勝と思いきや・・
だが、騒ぎ、熱狂してるのは我が日本チームの選手やスタッフだけである。
レースが終わったというのに、電光掲示板には1位のタイムだけが映し出されない。
”どのチームが1位なのかは明らかだろう。一体どうなってるんだ!”
我がチームのスタッフの1人が叫びながら、大会事務局がある部屋に押しかけていく。
一方で私はと言えば、地元メディアのプレスインタビューに自慢そうに応えていた。
”驚異的な記録が出たとの噂ですが・・”
”運がよかっただけで、1つ間違えれば、私が棄権してたかも知れない”
”世界記録は意識してたんですか?”
”いえいえ、私はチーム内でも<捨て駒>的な扱いでしたから、最初から2位狙いで行こうと思ってました”
”でも結果的には、大記録が生まれました”
”偶々運がよかっただけですし、そうとしか思えない”
私にとって代表チームの順位も、世界記録もどうでもよかった。空を飛ぶ様に走れたのが嬉しかった。
メディアから開放されて、チームスタッフのいる控室に戻ると、記録員が選手らに何かを説明していた。
私は”記録は非公式扱いとなるのか?”と問い質した。
”正直に申し上げますと、記録自体が非常識な数字を示してますので、正式な判定が下だるのが長引いてます。もう少し時間を下さい”
記録員の苦し紛れの言葉に、私は只々笑っていた。
”気にせんで下さい。私にとって世界駅伝は、参加する事に意義があるお祭りだったんです・・・”
そう答えた所で、夢から覚めた。
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