今日、親類の葬儀に出掛けた。
以前にも述べた様に、私は葬儀と親戚付き合いと病院が大嫌いだ(嫌いなもの大過ぎ)。
そして、今日それをしっかりと確信した。
坊さんは、やたら声を張上げ、訳わからん事を怒鳴ってた。本人は張り切ってお経を読んでるつもりだが、少なくとも私にはそう思えた。
私が子供の頃は、ここまで怒鳴り声を張り上げてたろうか?こんなに態とらしい演技や演出が入ってたろうか?
事実、最近の葬儀はやたら出来過ぎ感、いや演出感がありすぎる。
最近のお葬式って?
読経は30分程で、時間的に短かったから何とか辛抱出来た。でもお孫さんの純朴で超か細く可愛い声での、遺族の代表スピーチはとても良かった。何だか心の底からシンミリとした。
これで亡くなった人も、天使に誘われて天国に登り詰めるんだなと、勝手に妄想した程だ。
俺の葬儀の時は、子供たちに”ゴスベル(福音音楽)”で何か歌ってもらおうかな。坊さんの腐ったおバカなお教よりも、ずっと安上がりでずっと盛り上がるだろうか。そう思えた瞬間だった。
これで終われば全ては上出来だった。嫌々ながら足を運んだ甲斐があったというもんだ。
しかし、その後も坊さんのド煩い読経が始まった。あまりに苛つくので、今こうやってバカ丸出しのお経を聞かされながら、スマホを眺めブログを書いている。
因みに、お坊さんのこのバカ臭い読経代を見て、その高額さに唖然とした。
最低でも、お通夜や葬儀の読経で140,000円、普通の一日葬で65,000円、火葬時の僅か10分の読経で35,000円なり。
”高給コールガール”の世界ではないが、これでは詐欺という名の大ボッタクリだろう。
高級エステも”本番アリ”にしては値が張るが、坊さんの経読みは、”本番無し”でもお金が掛かリ過ぎる(笑)。
いくら日本が神の国や仏の国と言っても、流石にやりすぎだろう。
どうりで、最近のお坊さんはやけに張り切る訳だ。でもあんまりじゃねーか?”モリカケ”も汚いが、これも汚さすぎる。
神と仏の時代は終わった?
新興宗教が陰で大儲けできるのも、これで説明がつく。つまり、神や仏という存在は、全て大金に直結するという事。
ダライ•ラマは一回の説教で幾らもらってんだろうか?来日時にオウムの麻原から1億もらい、新興宗教の承認と推薦状を与え、銀座で豪遊したのだろうか?歌舞伎町でシャぶってもらったんだろうか?
そのダライ•ラマも、”日本の仏教はすでに退廃した。このまま仏教は日本で消えてしまう”と訴えた(1987年)。事実その後の仏教は、ダライ•ラマと共に”金の成る木”に腐れ果てた。
以降、お坊さんはド派手な装束を羽織り、葬儀ではわざとらしいアホ丸出しの読経をする様になった。まるで、ゴリ押しの”まな板の営業”を見てるみたいで、葬儀に出掛ける度に厭な思いをしたもんだ。
葬儀は年々大きく派手になり、まるでカーニバルみたいに変色&変質した。葬儀屋は全国隅々に乱立し、大衆の貴重なお祭りに成り上がった。
日本人は元々、神様とお祭りが大好きの純朴な農耕族だ。きらびやかな葬儀屋は、楽園と天国に見えたろう。
そして今や、ド派手な葬儀もただ煩いだけの、産業廃棄物的な行事に衰楽しつつある。いやそう思いたい。でないとやってられない。
葬儀をしない事の勇気と
先日、”何もしない勇気”でも書いたが。こういうのを目の当たりにすると、葬儀やお坊さんの読経なんてものが必要なのか?って確信してしまう。
何もしないってのは、地球にもお財布にも人にも優しいのだから。
参列者が40人ほどの小さい規模の葬儀だったから何とか許せたが、田舎に行くほどに葬儀の規模はデカく派手になる。
一方、膨らみつつある葬儀費用は何処から持ってくるのか?香典を高めに設定し、参列者を増やし葬儀の規模を大きし、高額の葬儀代を回収するのだろうか(”お香典て必要なの”参照です)。
つまり、死んだ人間の儀式にそこまで大金を掛ける必要があるのか?猫みたいに潔く尊く一人で死ぬ事は不可能なのか?
”法事って必要か?”でも述べた様に、仮通夜はお通夜は、法事(法要)は本当に必要なのか?
確かに、お袋がまだ若い頃に言ってたな。”どれだけ立派な葬儀を挙げたかで家訓が決まる”と。
つまり、どんな生き方をしたかではなく、どんな葬式を挙げたかが、昔は人生の人間の価値の全てだったのだ。
最後に〜こんな葬儀ならいらない
実は、今日の葬儀に行くつもりはなかった。というのも、母が脳梗塞で倒れた時にお見舞いを貰ってたが、香典返しをする事なくそのままにしておいたからだ。
何か機会があったらそのまま返そうと思ってた矢先に、その機会が訪れただけの事だ。
冷たい言い方だが、私にとっての葬儀とはそれ位の意味しか成さない。人の死を大げさに飾り立てる必要は何処にもないと思ってる。
こんな葬儀がこれからも続くなら、オレはこの惑星から逃げ出したい。
全く後味の苦すぎる、親族の葬儀であった。
でも、こうやって冠婚葬祭もお坊さんも自然淘汰されるんだろうか。自然の猛威が家や土地や人を押し流すんではなく、冠婚葬祭やそれに関わる無駄な風習を、全て洗い流してほしいもんだ。
オレの葬式はお坊さんの読経ではなく、子供たちが歌う”ゴスペル”だけでいい。つくづくそう思った。
織田信長は早く生まれすぎましたな。
コメント遅くなりまして。
ダライラマなんて最初から怪しいやね
今の時代、宗教も詐欺法人と同類ですよね。
特に笑ったのが、
=>高級エステも”本番アリ”にしては値が張るが、坊さんの経読みは、”本番無し”でもお金が掛かリ過ぎる(笑)。
まったく、その通りなのでしょうね。(爆)
普段あまり笑わない私をこんなに笑わせてくれた記事に拍手です。
あ、そうそう、ダライ・ラマって見た目、助べえ丸出しですね。立派なお坊さんらしいですが、どういうわけか好き者に見えるのは私の目がオカシイ?
目一杯皮肉を込めたブログですが、ご理解頂いて有難うです。
最近は女性のお坊さんも目立ってきたから、カルトや児童わいせつ神父よりはずっと健全でいいかも
だったらあんなにお金持ちになれませんから。
でも女性のお坊さんが目立つと、少しホッとしますね。現実感があり、質素な感じがまたいいんですよ。
昔ながらの健全なお坊さんてイメージですかね。