象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

イカサマか合法か、それとも贖罪(しょくざい)か復讐か〜映画「カード・カウンター」の行方

2024年04月23日 06時47分05秒 | 映画&ドラマ

 ”キューバ危機”の連載を書こうと、映画「13デイズ」(2000)を見る為にアマプラを検索してたら、「カード・カウンター」(2023)という作品に引っかかる。
 何か見覚えのある言葉だと思ったら、過去に「数学とギャンブル」のテーマで書いた記事で少し触れた事を思い出した。
 映画「ラスベガスをぶっ潰せ」(2008)でも有名になった”(カード)カウンティング”だがブラックジャックの裏技で、デッキに残るカードを記憶し、プレイヤーに有利な状況持っていく攻略法の1つ。が、この手法は非常に迅速な計算能力と高度な記憶力を必要とし、カジノ側にとって最も恐れる攻略法となる。故に、違法ではないものの見つかればカジノを追い出される。
 現在は様々な対策が立てられ、使用できるカジノは殆どないが、ヨーロッパや南米ではまだ利用できる所があるとされる。
 ”カウンティング”の手法については、後で述べるとして、まずは、この映画の大まかな流れからです。


復讐か、贖罪か

 主役はカジノで生計を立てるウィルアム・テル(オスカー・アイザック)で、私は初めて見る俳優さんです(多分)。
 彼は米軍刑務所で10年服役し、刑務所内で”カード・カウンティング”を独学で学んだ。モットーは”小さく賭けて小さく勝つ”
 ある日、ウィリアムはギャンブル・ブローカーのラ・リンダ(ティファニー・ハディッシュ=写真左)と出会い、高額賞金が掛ったポーカー世界大会への参加を持ちかけられる。しかし、ウィリアムは”目立たないのが信条だ”と、誘いを断る。
 序盤は大人し目の展開で、期待してただけに少し拍子抜けしたが、彼女(リンダ)がいなかったら見るのを辞めてたと思う。決して美人でも可愛くもないが、非常に魅惑的な黒人女性に映った。

 その後、ウィリアムは2人の男と出会う。1人は軍隊時代の上司で彼に“消えない罪”を背負わせたジョン・ゴード(Wデフォー)で、もう1人はウィリアムにゴードへの復讐を持ちかける若者カーク。
 ここまで来れば、大方の展開は予測できそうだが、カークの父もウィリアム同じく、裁かれた後に出所するが、罪のトラウマにより家族に暴力を振るい、家庭は崩壊。数年後に自死した事を告げる。
 一方で、一連の拷問は全てゴードの命令によるものだったが、彼は何の罪にも問われる事なく悠々と生きていたのだ。

 ゴードに復讐を誓うカークだが、大学を中退し、奨学金の借金の多く残ったままだ。ウィリアムはカードで勝った資金で、カークの借金を返済し、彼を大学に復帰させる事で立ち直らせようとする。
 贖罪の意識とゴードへの復讐心で揺れ動くウィリアムだが、”若者を救う事で自分も救われたい”と強い希望を抱く様になっていた。

 トーナメントでもウィリアムは勝ち続け、カークの前に15万ドルの大金を積み重ね、借金で苦しむ母親の元に帰るよう強引に説得。カークは渋々ながらも納得し、ウィリアムは目的を果たした事で気分が高揚し、ラ・リンダと一夜を共にする。
 ”人生は頂点の時にこそ陥落が始まる”とはよく言ったもので、決勝戦でも勝ち続けるウィリアムだが、彼に届けられたのは勝利の美酒ではなく、1つの悲しくも屈辱に満ちた動画であった・・・

 この作品は、この世の理不尽さと社会に蔓延する矛盾の中で大きな傷を負った男をギャンブルを通して描いてるが、逆に、ウィリアムにとってカードを数え続ける事は、暴力を自制する為の手段でもあった。
 ポール・シュレイダーは「タクシードライバー」を脚本家として、「魂のゆくえ」では監督として作品を描いてきたが、今作も“アメリカの戦争”を痛烈に批判したという点では共通する。が一方で、作中では”U,S,A,! U,S,A,!”と連呼される星条旗すらも、醜い存在として描いている。

 つまり、矛盾と理不尽さと醜さが混在するアメリカを”カードカウンター”という(一見合法だが)”違法すれすれの超大国”として認識してるのだろう。
 もしそれが本当だとしたら、これ程の皮肉もない。


カウンティングの裏技

 そこで、”カード・カウンティング”について少し補足する。
 冒頭で述べた様に、カウンティングとはブラックジャックで用いられる高度な戦略の1つで、ゲームの中で未だに配られてないカードを記憶し、推測する技術です。
 プレイヤーは、次に引くカードが高いカード(10点や絵札)なのか?それとも低いカード(2〜6点)なのか?を予測し、有利にゲームを進める事を可能にする。
 この理論的背景には、ブラックジャックが一部の情報を公開するゲームであるとの事実に基づく。既にプレイされたカードはテーブル上に明らかになり、それにより残りのカードの構成が変わる。例えば、デッキから多くの低いカードが出ている場合、残りのデッキには高いカードが多くなる可能性がある。故に、高いカードが多い状況はプレイヤーにとって有利となる。
 更に、ディーラーは17以上の数字になるまでカードを引くルールがある。故に、残りのデッキに高いカードが多いと、ディーラーが21を超えてバーストする可能性が高まる。逆にプレイヤーは、高いカードが出た時にブラックジャック(エースと10点の絵札)を得る確率が上がり、1.5倍の配当がある大きな利益となる。

 カウンティングには幾つかの方法があるが、特に有名な”Hi-Loシステム”を紹介する。
 まず、Hi-Loシステムですが、特定の値を各カードに割り当て、その値を追跡し、デッキ内のカードの構成を把握する。
 具体的には、2〜6のカードには+1、7〜9のカードには0、10〜エースのカードには−1の値を割り当る。ゲームが進行し、カードが配られる度にカードの値を”カウント”(合計)する。当然、カウントが高いほど、残りのデッキに高いカードが多いと推測できます。
 実際に、映画の中でもウィリアムはこの手法を使ってましたね。
 例えば、カウントが高い(+の数値が多い)場合は、次に引くカードが10点か絵札である可能性が高くなる。故に、ベット額を増やす事ができ、逆に低い場合は”待ち”となる。

 この様に、シンプルな数学的論理と戦略を駆使すれば、プレイヤーが長期的に見て利益を得る可能性が増える。故に、違法ともイカサマとも言えないが、カジノ側からすれば”好ましくない”行為のは明らかだ。
 カジノもビジネスだから利益がないと成り立たない。映画では”小さく勝ってれば、捕まる事はない”とウイリアムは諭すが、実際はどうなのだろう?


最後に

 私達の身の回りには、合法なイカサマで溢れている。
 水原容疑者の違法賭博の件に関しても、水原氏の違法行為や裏切りばかりが表沙汰になるが、よーく考えると、悪い事ばかりでもない。
 というのも、100億儲けて160億損をしたって事は、260億を賭けて100億は勝ってる事になる。
 これを確率に直せば、100/260=0.3846・・・となる。何と、イチローの安打世界記録の時の打率よりも高いではないか・・・
 更に言えば、ギャンブルで4割り近く勝つというのは、セミプロに近いと言っていい。
 つまり、水原氏の言う”ギャンブルでは負けっ放しであった”というのは嘘である。実際に”そこそこは勝ってたのだから”・・・

 映画の中でウィリアムは”初心者はルーレットをやるべきだ”とし、その理由として、勝率が4割7分である事と賭け事が1回きりで終わる事を挙げている。
 私も同意見だが、かつて沢木耕太郎さんがマニラで丁半博打にのめり込んだ様に、元手を取り戻そうと思えば、確率半々に賭けるのは有効な手段の一つである。
 一方で、数学の世界にもイカサマに近いものは存在する。例えばフェルマーの定理は単なる整数論の問題である。が、これを解くには正攻法では解けなかった。故に360年もの長い年月が懸かった訳だが、結局はモジュラ―定理という”虚数”を含む複素数の領域のツールを使う事で証明にこぎ着けた。
 そういう意味では、日本を代表すす数学者であった志村氏も谷山氏も、”400年近く”先を行くトリックスターとも言える。

 話を戻すが、賭博行為自体が悪いと言うが、水原容疑者に一時は(額面上はだが)100億も勝たせたんだから、違法とか悪行と決めつける訳にもいかない。逆を言えば、24億の資金で100億の夢を見たと思えば、それほど悪いの人生でもない。
 水原容疑者はディーラー育成の専門学校にも通ってたとされるから、少なくとも”カウンティング”の技法くらいは知ってた筈だ。
 賭博行為自体は違法だが、当然抜け道も腐るほど存在する。少なくとも賭博を数学に置き換えて考える思考を水原氏が持ってたら、少しは違った結果になってたかもしれない。

 つまり、美しい人生を選ぶのも、汚い人生を選ぶのも全ては本人次第なのだろう。



2 コメント

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再び、肱雲さん (象が転んだ)
2024-04-23 22:37:34
言われる通りです。
私も何かを人生に賭けたのか?と問われれば
はっきりと言える自信がないですね。
良くて、家財保険か地震保険くらいですかね。トホホ・・・ギス

そういう意味では
違法賭博に人生の全てを賭けた水原氏は幸せ者かも知れません。
事実、大谷が二刀流で大成功し、ビッグマネーを稼げたのも、水原氏による所も多いでしょうから・・
少なくとも、24億円くらいの価値はある。

”賭ける”という点では、お金の要素が一番大きいと思います。
大谷もメジャーへの憧れというよりかは、大金に対する欲望が強かったと思いますね。
それ程までに、昨今のMLBの凋落ぶりは目に余るものがありますから
でも、これからの大谷の成績次第では、”水原の呪い”が襲うかもです。
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命懸けではなかった私の人生ゲーム (こううん)
2024-04-23 14:52:29
ナニかを懸けてゲームをするのは人生に付き物です。小さい頃はトランプで負けたらシッペされる罰があるとか、痛みを伴うゲームをしたものです。
そしてゲームは徐々にエスカレートして行き、正月などに兄弟間で菓子や少額の小遣いを懸け、一喜一憂した思い出もあります。
ナニかを懸けてゲームをする事にスリルや興奮を覚えたりする事は、自然と人生ゲームにも繋がる教訓となったりもする場合があるでしょう。
例えばスポーツ選手がオリンピック金メダルを目指して自分の人生を懸け鎬(しのぎ)を削りゲームに臨むとか。
一瞬の油断や判断ミスが勝敗の分かれ目に繋がるとなれば、それこそ血眼(ちまなこ)になり人生を懸けて取り組もうとする。
その際、よく言われる人生を懸けるの人生とは何でしょうか。
その意味するものは人それぞれでしょうが、おカネの占める割合はやはり少なくはないだろうと思われます。
オオタニ選手もナニかを懸けて野球ゲームに取り組み、ビッグ・マネーを手に入れた。
と思いきや、思わぬ誤算が生じ深い傷を負う破目になってシマッタ。
でもこれは、小さい時にトランプゲームに負ければ、シッペされる痛みを味わわなければならない学習の一コマだと、捉えられなくもない。
禁固刑数年の実刑を受け刑務所暮らしになるだろうミズハラも、今後の長い人生途上に於ける暫(しば)しシッペ返しの苦痛と思えば、ソレなりに解釈し地獄の監獄生活にも光明を見い出せる筈。
さて私はどうだったのかなとこれ迄の人生を振り返って見た時、ナンだか虚し過ぎる想いでイッパイなのです。
人生というゲームのプレイヤーとして、ナニかを懸けて闘って来たのであろうかと。生命保険くらいでしょうか。トホホギス。
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