この本をサラッと読んで、結局思ったのは、やはり猪木は馬場を超えられなかったんじゃないのかなと。
アントニオ猪木はジャイアント馬場を超えたかった。生涯を賭けても超えたかった。しかし、それは最初から絶望に近い挑戦であり、猪木個人の野心であった様に思う。
かつて力道山は、”今は馬場が上にいるが、5年後には猪木が逆転する”と語っていた。
もし力道山が(殺されずに)生きてて、アメリカでスーパースターに君臨した馬場を甘やかし、日本で苦い飯を食い続ける猪木をバックアップしてたら、確かにアントニオ猪木はジャイアント馬場を超えたかも知れない。
ただ、「1976年のアントニオ猪木」(柳澤健著 文春文庫)を読んで、やはり1976年の猪木を持ってしても、馬場を超える事は出来なかったのかな?と漠然と思った。
この本は、1976年にアントニオ猪木が行った”異常な4試合”についてのドキュメントである。
かつて、日本は世界最大のプロレス大国であった。そして、今や(いや少し過去の事だが)世界最大の総合格闘技大国であるとも言える。それを裏付けるように、”鉄人”ルー・テーズは”日本人はこの惑星で最もプロレス好きの国民である”と断言していた。
1976年の狂気の中にいた猪木
著者の柳澤氏は、”1976年、猪木は極めて異常な4試合を戦った”と書いている。
2月のミュンヘン五輪の柔道無差別級と重量級の金メダリストウィリエム・ルスカを皮切りに、6月にはボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハマド・アリと戦った。
10月は、アメリカで活躍中の韓国人プロレスラーのパク・ソンナン。そして12月には、パキスタンで最も有名なプロレスラーのアクラム・ペールワンと”セメント”を披露した。
以下、”一条真也の読書館”を一部参考にしてます。
ウィリエム・ルスカ戦は、現在の総合格闘技の原型ともいえる”異種格闘技戦”の最初の試合である。しかしこの試合は、リアルファイトではなかった。
悲しいかな、ルスカの辛い事情による”プロレスデビュー戦”に過ぎなく、ルスカは病気の妻のた為に、負け役を敢えて引き受けたのだ。
モハマド・アリ戦は、現役ボクシング世界チャンピオンとの(一応は)”リアルファイト”であった。詳しくは、私の「アリ対猪木」を参照です。
勿論、猪木もアリも卑怯者ではなかったし、アリ軍団は(言われる程の)狂気の武装集団ではなかった。一連の噂は、プロレス寄りの”アングル”であり、厳しい言い方をすれば、猪木にタックルの技術さえあれば、アリを仕留める事は可能だったともされる。
事実、この時点で猪木のレスラーとしての限界を垣間見た人も多かったろう。
パク・ソンナンとアクラム・ペールワンについては、セメント(リアル)とも言えるが、プロと素人の無機質な喧嘩のようにも見えた。
著者は完本版で2つの章を使い、丁寧に説明されてるが、個人的には省いてもよかったかなとは思う。
一方で著者は、”1976年のアントニオ猪木は、あらゆるものを破壊しつつ暴走し、狂気の中にいた。ルスカ戦を除く3試合は、当時は全く支持されなかった。プロレスは本来、極めてわかり易いエンターテインメントの筈だが、1976のアントニオ猪木は、日本のプロレスを永遠に変えた”と冒頭で語る。
しかし、今のショー全盛のプロレス興行を見てると、それも違う様な気がする。
プロレスはショーなのか?勝負なのか?
本当にそうだろうか?
事実、ルー・テーズは自伝の中で、”プロレスの目的はファンを熱狂させる事にある。これこそが真の戦いで、パフォーマンスこそが真の勝者なのだ”と書いている。
私もルー・テーズに同感である。
1976年の猪木の奇怪な4試合を持ってしても、ルー・テーズの”岩石落とし”(バックドロップ)には敵わないと思わせる程の異次元のパフォーマンスが、そこには存在してた様に思う。
つまり、見るものを酔わせるパフォーマンスこそがプロレスである。”誰が世界一強いか?”なんて、ガキの喧嘩じゃないんだから、どうでもいい事だ。
スポーツの目的が勝負なら、プロレスはスポーツではない。が、プロレスは八百長なのか?というと、それも違う。つまり、プロレスのリングの上では真剣勝負は禁止なのだ。勝者と敗者を決めるのはプロモーターであり、レスラーではない。
故に、プロレスラーにとって重要なのは興行収入であり、観客をより多く喜ばせたレスラーがメインイベンターとなり多くの収入を得る。それこそがプロレスの本質である。勿論、アントニオ猪木も例外じゃない。
一方で、プロボクシングはスポーツであり、プロレスはスポーツではない。それに、派手でリアルな殴り合いに比べ、たとえリアルでも取っ組み合いは見ていて退屈なのだ。
事実19世紀後半、プロボクシングが多くの観客を集めたのに対し、プロレスは辛酸を舐めてた時期があった。
退屈なリアルファイトを捨て、ワクワクする様なショーを作り上げる。そうすれば観客は喜んでプロレスリングを見にきてくれるに違いない。そしてそれは、見事に的中する。
プロレスが真剣な試合でなく完全なショー、いやパフォーマンスとなったのは、いつからだろうか?ルーテーズによれば、1919年代半ばから20年代にかけての事らしい。
猪木の大ファンである著者も、プロレスの実情について以下の様に語る。
”プロレスの興行はショーであり、レストランのディナーのようなもの。最初は前菜(前座)からスタートし、最後はメインディッシュを堪能する。レスラーは決められた時間内に、決められた技で試合を終わらせる。その範囲内で最大限に観客を沸かせる事こそがレスラーの仕事だ。
あらかじめ決められたテーマでセッティングされ、途中は各自の即興にまかせ、最高に盛り上がった所でエンディングに突入し、フィニッシュする。
しかし20世紀末からは、試合中の全ての動きがキッチリと決められる様になり、試合開始のゴングからフィニッシュまでの動きを大方覚える必要があるのだから、レスラーも頭が悪くてはできない”
”全日本はショーだが、新日本はリアルだ”という言葉をよく耳にしたが、それは全くの嘘である。新日本も所詮はプロレスなのだが、”異種格闘技戦だけはリアル”という異質な幻想を大衆に植え付けさせた。そういう意味での新日本のプロレスは大きく評価出来る。
以降、UWFからリングス(前田)、UWFインター(高田)、パンクラス(船木)、修斗(佐山)とリアル系の流れが拡散した。
そして、衝撃的な”UFC”の登場。日本でも”PRIDE”や”K-1ダイナマイト”などの総合格闘技の興行が隆盛となり、やがて衰退していった。
猪木のプロレス
現在、日本の格闘技興行は非常に混乱している。いや、腐ってると言った方がいいのだろうか。
著者は猪木に、”プロレスラーの猪木さんがモハマド・アリとリアル?ファイトをやった事が、現在の混乱の原因ではありませんか?”と突っ込んだ。
それに対し、猪木は次の様に答える。
”それ全然矛盾はないんですよ。
プロレスは仕掛け合うもので、ある意味じゃゲーム的なものなんです(中略)・・・昔言ったけど、プロレスはSEXみたいなもので、こいつとやったらもう忘れられない(笑)”
因みに著者は、”でもアリとの試合はプロレスとは違い、特別だったのでは?”といった質問をぶつけた。それに対し猪木は、”あんまりそれは感じた事ない。いま言われてもね、<あれもアリこれもアリ>という、非常にいい加減なやつですけど(笑)”と即答する。
まさに、猪木の偉大さはここにある。言い方を変えれば、プロレスがボクシングと勝負したというより、”猪木がアリと戦った”という事実、ただそれだけじゃないかって事になる。
つまり、”異種格闘技”や”世界一決定戦”なんて言葉は、スーツ組が考え出した茶番とも言える。リング上で戦ってる本人たちは、半ばショーであろうがリアルであろうが、やはり真剣なのだ。
それは”SEXは茶番だ”というのと同じで、やってる本人達はやはり真剣なのである。
結局、SEXにファンタジーを求める様に、プロレスに幻想を求めて何が悪い?って事に行き着く。
猪木以前に、日本には偉大なプロレスラーが2人いた。力道山とジャイアント馬場である。
”アメリカにも世界にも、強くて偉大なレスラーたちは沢山いた。だが、彼らがプロレスの枠組みから外れた事は一度もない。ただひとり、アントニオ猪木だけが新しいジャンルを作り出したのだ”と著者は締めくくる。
果たしてそうだろうか?
私から見れば、時代と共にプロレスの枠組みは大きく広がり、アリvs猪木ですらプロレスの範疇だったのだ。
しかし、”猪木が開拓したニッチ・マーケットの異種格闘技者との対決は、現在アルティメットファイトという形になって大きなマーケットに成長してるが、その部分でも猪木の功績は大きかったと思う”と、スタン・ハンセンが語る様に、そういう意味での”猪木のプロレス”の影響はとても大きかったと思う。
巨大なる幻想を現出させ、観客の興奮を生み出すのがプロレスラーであるならば、アントニオ猪木は世界屈指の偉大なプロレスラーだったと言える。しかし、それだけでその事だけで、ジャイアント馬場を超えたとは到底思えないんだが。
同じ柳澤健氏が書いた「1964年のジャイアント馬場」を読んでも解る様に、日本プロレスのキーパーソンは力道山でもアントニオ猪木でもなく、実はジャイアント馬場にあったのだから。
それが「1976年のアントニオ猪木」を読んだ後の、私の答えである。
レスラーの器としてみれば、209センチの馬場に分があるのは明らかで、アメリカでもビッグババで知れ渡ってたから。猪木は注目は集めたものの”アリと戦った男”くらいのイメージしかないもの。
力道山が生きてたとしても、後釜は馬場だったろうし、でも40ほどで引退して猪木にバトンタッチして、馬場はプロモーターとして君臨してたろうね。
過去投稿「アリと猪木」と合わせ楽しませてもらいました。振り返ってみると70年代の猪木氏は馬場さんに追いつこうと焦っていた気がします。レスラーとしてもプロモーターとしても大きな「ジャイアント馬場山」にアタックを繰り返していたのかもしれません。
会社の金を自分の事業につぎ込み億単位の負債を抱えていても、控室では立ち上がるのも困難な重い糖尿だったりしても、リングでは燃える闘魂を演じる人間離れした鷹揚さ。
ペールワン戦、パク戦、グレートアントニオ戦などで垣間見せる狂気。
“人たらし”とも言われる笑顔と陽気さ。
そんな複雑怪奇ではた迷惑を顧みない魅力は、馬場さんにないものでした。
今は病床にいらっしゃると聞きます。
ギラつき輝いていた頃が懐かしいです。
では、また。
若い世代には猪木イズムが浸透したんでしょうが、我らウルトラマン世代には安定した馬場なんですかね。
「1964年のジャイアント馬場」も読んで、記事にしたくなりました。
グレートアントニオはとても懐かしいですね。言われる通り、猪木は馬場にはないものを追い求めま、表現しました。
しかし馬場は、猪木にないものではなくプロレスの本道を歩き続けました。晩年は猪木に押されっ放しだったんですが、アメリカ時代の全盛期の馬場をもっと紹介してほしい気もしますね。
コメント有り難とうです。
それと猪木の試合を観ていて、何というか、ギスギスしていて、力道山や馬場が持っていた、アメリカン.スタイル?のリズム、間合いが感じられなくて、一寸正統?から外れているというのも影響しているかな、と感じています。
確かにです。お陰でレスラーの体格も全日が大きく、新日はやや小柄だったですかね。
馬場ももう新日と交流をとも思ったんですが、2人にしか解らない何かがあったんでしょうか。
猪木はもっと筋肉をつけて身体を大きくしてた方が、レスラーとしてはもっと成功したような気もしますが。でも馬場の腕も細過ぎですが。
コメント有り難うです。
確かに本気でやるセックスは充足感があるし、かといって喧嘩でもない。
興奮が度を過ぎて相手を傷つければ、それこそがレイプであり、性犯罪である。
レスラーにホモ(同性愛)が多いというのは有名な話だけど、そういう所から来てるのだろうか。
プロレスをSEXと結び付ける猪木さんのユーモアのセンスは抜群なんですが、どうも猪突猛進で脊椎反射的な所が欠点なんですよ。
ただ、今の新日本は完全にショーパフォーマンスに振り切ってますが、興行を続ける為には仕方ない所ですかね。
残念な事ですが、かつて日本人が熱狂したプロレスが蘇る事はないでしょうか。