象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

「サイコパスインサイド」に見るサイコの脳と遺伝と環境”その9”〜サイコパス的破壊行為と道徳心と倫理観

2018年05月31日 12時45分51秒 | サイコパス

 すみません。サイコパスの更新を忘れてました。昨日は、不人気な筈のサイコパスブログのアクセスが多く、何か変だなと思ってたら。これも怪我の功名ってやつですかね。逆に嬉しい限りです。


 さてと、本題に入ります。
 前回は、サイコパシーの行動は自身の力で制御出来るか?という非常にややこしく感傷的なテーマで、中途半端な所で終えましたが。今日はその続きです。


 ”私はこの表面的な行動の変化を一つの実験と考えた。内面的には気にもしてないのに、外面的に共感的に振る舞う事は可能なのか?下らない虚勢と危険を愉しむ為の、典型的なサイコパスの行動とは全く逆の事を、私は開始し、今まで続けてきた”

 つまり、ファロンは、自分の扁桃体(情動を抑制する領野)と快楽回路を満足させる代り、単純な人情味ある人間的な事を行う事で、何らかの弱いシナプスを一時的にせよ強化し、サイコパスとして、より普通の人間に、より相応しい行動へと繋がるものと考えたのだ。


 ”大半の人からすれば、面白味もない退屈な行動こそが、人間的な絆・共感・一体感から生まれる、純粋な歓喜の代りになるに違いないのだ。野生的な渇望と自然な喜びとは別物なのに。ファロンは酒もタバコもギャンブルもやらず、座りっ放しの生活でこの本を執筆してるのだ”

 
 ”今までの私は、絶対的に人生を愉しんできたが、良い事ばかりでもない。色んな病気を誘発してきた。ただ、他人を幸せにする為に、自分が不幸になり始める時がブレーキを掛ける時でもある”

 著者は今、自分の幸せと共に他人の幸せも同時に考える領域にあるのだろうか。これを”内性サイコパスと博愛の融合”と見るべきか。何だか、涙が零れそうですな。


 全ての行動は、遺伝と後天的素因が他の行動性を許す限りにおいて、変更可能である。遺伝子の命令に対し変更を求める事は、大切な事であっても、それを破棄すべきか、それともタブーか。

 私達の遺伝子とその影響が、人生半期のストレスに満ちた体験によって、どの様に変更されるかを予測する事にはなり得ないが。性格や行動に一定の仕方で、絶えず圧力を掛ける必要があると。

 もうここら辺になると、ガチな学術論というか、ファロンの生身の叫びというか。高度な知性と深い情愛が複雑に絡み合い、付いていくのに大変ですね。


 サイコパス的傾向との闘いは、特に困難をもたらす。モノアミン伝達物質に影響を及ぼす薬物は、衝動性や攻撃性に対し、部分的な効果しか示さない。
 食事や瞑想を含む早期介入は、行動上の問題は軽減するが、肝心の神経心理的な欠損は残ったままだ。
 つまり、共感や後悔の念の欠如に、特効薬はないのだ。全く悲しい現実ですな。 
 

 サイコパシーの診断は、ある程度は文化依存型である。規則とは通常は、誰かの心の安全と平和の為に作られるものだ。そして、社会的事項に対し、善悪を知るようになり、それで道徳を理解したとは、到底思えない。

 ”10代の頃、宗教意識が強かった私は、秩序は必要と考えたが、道徳心は得られなかった。それは50年後も変わっていない”

 
 私達の大脳辺縁系にいる”小さな野獣”、これこそが私達を誘惑し、退屈を打ち破り、豚小屋の境遇から外を覗く様に囁いてくる。
 嗜癖的行動であろうと、共感に欠ける行動であろうと、遺伝子という”機械”からすれば、最も深い所から生じる行動とは別物である。

 ”私は他の人と同様に、自分の行動を変える事はできるが。他と同様に、重要な破壊行為は、常に1年又は10年後には戻ってくる。そういったサイコ的連続殺人者ですら、殺人行動に屈せず、何年も過ごす事は可能なのだ”


 ”幸い私の欲求は、これより遥かに破壊性が少なく、柔和なものである。サディズムが副次的に混じった私の行動が、周りに与える影響を、私はもっと注意深く見つめる必要がある”


 それでも著者は、常に見知らぬ人でも困った人を助けようと続けてきた。それは社会への感謝の行為でもある。愛他主義が存在するとは思えないが、それに近い。倫理や道徳心についての著者の考えは、多くの人達のものとは異なってるだろう。
 著者にとっての倫理とは、集団や社会に特有の、行動を支配する”一組の規則”である。


 前頭前皮質(PFC)はそれら道徳や倫理を学習し、背側部(冷たい認知=dl-PFC)と眼窩部皮質(熱い認知=OFC)へと伝える。
 しかし、道徳心は教えるもので、遺伝ではない。”私の道徳心はよくないが、ある程度の倫理観は持ってる。よくイタズラをしたが、悪い事も判ってた”
 
 ”とにかく私には、私”らしい”生き方しか出来ないのだ。肥満が健康によくないのも判ってる。何度も減量に成功したが、それでも身体は太る。これは仕方がない事なのさ”


 ここまでズケズケと重々しく、ファロンの等身大の感情を、怒涛の如く説き付け、叩き付けられると。私めは圧倒されますね。
 この作品が、日本人受けしなかったのは、前半の学術的な展開と後半の重苦しい激白が、農耕的で安直で繊細な日本人には酷過ぎたんですな。


 道徳心は学ぶもの(後天的)で、倫理観は存在する(先天的)ものなのでしょうか。このファロンの心の闇の中の、深く密度の濃い感情の吐露は、書いてて感動を覚えますな。スポーツやオリンピック等の感動が、如何に陳腐で表面的なものかが判りますね。 


 つまり、ファロンが言いたいのは、サイコを変える事は出来ないと。遺伝を脳を行動を変える事は不可能なのだ。しかし、きちんとした道徳心を養い、立派で高質な倫理観を持つ事で、破壊行為や犯罪を防ぐ事はできると。

 ファロンの場合、彼の恵まれた環境のお陰で、高度な道徳心と高質な倫理観を持つに至った。彼はサイコでありながら、サイコではない。それはサイコという悍ましい魔物を、道徳心と倫理観で押さえつけてるに過ぎないが。


 全く、IQ150を誇るファロンの告白いや、告解には深く深く痺れますな。『コールガール』の邦訳のタイトルじゃないけれど、”私は医学部教授、そしてサイコパス”というタイトルの方がよかったか。 



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大脳辺縁系にいる”小さな野獣” (ootubohitman)
2018-06-07 06:23:17
おはようございます

大脳辺縁系にいる”小さな野獣”、これこそが私達の人間らしさを奪い去り、悪霊の核となるのでしょうか。故に、脳に障害や傷がある人は、突然、狂気や発作に憑かれると云うのも、理解できますが。

サイコパシーが一概に、脳障害による異常行動と、決めつける訳にもいかないんですが。サイコパシー的カリスマが昇華し、神の領域のリーダーとして崇められるのも、困ったものです。

しかし、著者のファロンのように、この脳内の小さな化物を、”知”の力で克服しようという試みは、凄い事です。これに関しても、サイコパシー抑制アルゴリズムなんかを開発して欲しいですね。

つまり、サイコパス系犯罪も脳内神経を巡る複雑な過程を経て、繰り返されるのでしょうか。それとも、環境を改善するだけで、サイコを抑制出来るのでしょうか。
返信する
Re:大脳辺縁系にいる”小さな野獣” (lemonwater2017)
2018-06-07 14:46:32
コンニチワです。

 全くですね。この脳みそ内にいる”小さな化物”こそが癌なんですよ。この目に見えない化物が強欲を異常なまでの執着心と野心と嫉妬を生み、人を獣人と化してしまうんですかね。

 アーベル総和法みたいなアルゴリズムを使って、この小さな化物を収束させる事が出来る様な気もしますが。核も放射性廃棄物もサイコパシーも北朝鮮も、経済バブルも癌もウィルスも、こういったアルゴリズムで収束させる時代が来るんですかね。

 確かに、こういったアルゴリズムによって、人類社会のシステムが構築されるなら、極端な不況によるトラブルは防げる様な気もしますが。
返信する

コメントを投稿