象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

無謀な探検か、高貴な知の探求か〜「世界最悪の旅」の果てにあるもの

2022年05月10日 12時52分30秒 | 読書

 犬ぞりを使い、ベアドモア氷河を避け、南極点一番乗りを果たした栄光のアムンゼン
 一方、馬ゾリで出発が遅れ、あくまでも人力ソリと天体観測や生物調査に拘り、二番手ながらも南極点に到達したものの、帰路途中で力尽きた悲運のスコット隊
 皮肉にも彼らが命を犠牲にしてまで残したものは、アムンゼンの”人類初の南極点到達”という事実を世界中に実証した事である。

 訳者の加納一郎氏が同情する様に、ロバート・スコット(英国、1868-1912)は、北極点はアメリカのピアリーに先を越され、南極点もまたノルウェーのアムンゼンに横槍を入れられた形で先を越されてしまう。
 特に、この両極地の探検の歴史の半分以上はイギリス人により描かれたであろうから、英国民は余計に無念だったろう。
 完全版(朝日文庫)の1/3程の縮小版(河出文庫、320頁、写真)という事もあり、読み辛い点も多々あったが、もう少し判りやすい地図が欲しかった。
 つまり、悲運のスコット隊と同じく、地図と地形を無視して未踏の地の探検は成り立たないのだ。


スコット隊の悲運と誤算

 スコット隊遭難の原因と批判は、本書に腐る程に書いてあるので、ここでは控える事にする。
 が、ただ一つ理解に苦しむのは、4人編成であるべき極地隊を何故?途中で5人に増やしたのか。
 勿論、帰路途中の予期しない寒気が直接の原因ともされるが、スコット隊の最後の3人は飢えと衰弱で死亡したのは明らかだ。
 それに、食糧の問題や悪路・悪天候での極限状況を考えると、5人よりも4人の方が(素人目にも)ずっと有利に楽に行進できた思えるのだが。
 悲運のスコットが唯一批判されるべきはこの点だけだろう。「空白の5マイル」の角幡氏も反省してる様に、"過酷で隔絶された環境で生き延びるには無理をしない”という単純な原則を守る事が重要なのは、スコットにも当然解ってた筈だ。

 しかし、本書でもこの事はあからさまには触れてはいない。いや、彼等の名誉を考えると触れてはいけないのかもしれない。
 結果として(ノルウェー側から見た)皮肉的な見方をすればだが、ベアドモア氷河を避け、比較的安全で最短距離を選択し(距離にして160kmも短い)、スコット隊よりも早く出発し(10/20と10日早い)、かつ犬ぞり(52犬)を選択したアムンゼンの方が、あらゆる面で有利だった事は疑いもない。
 それにスコット隊には科学者が多く、アムンゼン隊には行動力に優れた少数精鋭で望んだ事も加味すべきで、彼らにとっては全くの勝ち戦であったのだ。

 歴史上の記録という点ではアムンゼン隊に軍配が上がるが、探索や調査という点ではスコット隊の方が遥かに大きな業績と貢献をもたらしたとも言える。
 しかし、スコットが日記に記してた様に、全てにおいて”ツキがなかった”し、なさ過ぎた。
 資金や装備の不足、事前の調査旅行による隊員たちの過労も加わり、油の漏れによる燃料不足や消化効率の悪い脂肪分中心の食事、悪天候・悪走路も手伝い、最後には絵に描いた様に力尽きてしまう。
 つまり、スコット隊の悲劇は、"もしも"や"タラレバ"だらけなのだ。


命を掛けた無策な冒険

 勿論、英政府の強引で単直なやり方も批判されよう。
 著者のギャラードも"人間らしい文化的な方法で探検を行うべきだし、政府も災害や死によって脅かされない知識の価値を学ぶ必要がある"と語ってた様に、高貴なプライドや独り善がりな自尊心だけじゃ、どんなに優秀で勇敢なる探査隊と言えど、いとも簡単に壊滅してしまう。
 つまり、(ギャラードが)”探検とは知的情熱の肉体的表現である”と書き残した様に、探検から知的要素を取り外したら、単に無謀な肉体的冒険に過ぎない。
 一方でアムンゼンは、イギリスの探検隊からとても多くを学んでいたし、同時に彼らの弱点も見抜いてたのであろう。

 一方で、石川氏の解説にある様に、ギャラードの実直でクールな文章は”事実を冷静に書き記した”という点では南極の恐ろしさを十全に伝えてる。
 このような無残で冷酷かつ過酷な経験の1つ1つを多くの人々が共有し、知恵や知識に置き換え、合理的な方法で探検を行う道標とすべきだろう。
 冒険は探検とは異なる。
 先述した様に、叡智を無視した冒険は無謀そのものであり、探検や探索になり得る筈もない。故に、単に危険を冒す冒険にロマンを求め、安易に命を落とす事は、無能で無知な行為に他ならない。
 そういう事が解りきってても、人は無謀な冒険に惹き込まれる様に、我が身をさらけ出す。

 スコット隊が行った南極探検は、探索や調査がメインで、好奇心をくすぐるロマン溢れるものではなかった筈だ。仮に、知的情熱を煮え滾らせるものであっても、あくまで"知の探求"に過ぎなかったはずだ。
 しかし、スコットがアムンゼン隊の旗を目にした時、密かに抱いてた野心と渇望いう名の冒険者としてのロマンをあからさまに拒絶する”絶望の旗”に映ったろう。
 つまり、スコットは”歴史と伝統の重さに敗れた”のかもしれない。


最後に

 自虐的な日本人は"命を懸けてこそ男の中の男”と冒険や探検を美化する傾向にあるが、このスコット隊の極地探検が命の危険を冒す旅ではなかった事は明らかである。
 彼らはあくまで人命優先に、出来るだけリスクを避け、事前調査を繰り返して踏み出した。
 ベアドモア氷河の危険も想定内であったろう。勿論、調査対象が多すぎて、隊員たちは疲労困憊ではあった。事実、スコット隊の遺骸の近くには何kgにも及ぶ(整理して包まれた)岩石の地質標本が発見されたのだから。
 だが、単に未知への好奇心を満足させる為だけに一歩を踏み出すほど、彼等は愚かではなかった筈だ。

 この本は人生のあらゆる局面を生き抜くではなく、あらゆる危機を避ける為のヒントが記されている。
 私自身、命を懸ける冒険家を支持するほど平和でもないし、探検で命を失った人全てを英雄視するほど単純でもない。五体満足で生きて帰る事で初めて、冒険や探検の意味を成すと考える。
 "人は死を恐れない。人は死への苦痛を恐れるのだ"と著者のギャラードは締め括る。
 つまり彼は、スコット隊の死を決して美談、いや英雄談として伝えてはいないのだ。

 以上、2016年末にAmazonでレビューしたものを少し修正・加筆しました。



2 コメント

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腹打てサン (象が転んだ)
2022-05-12 04:01:59
返事遅れました。

フランクリン隊のこと、ご存知だったんですね。
そうなんですよ。絶対に知ってた筈。
ただ言えるのは、全てにおいて不運だったというか。
フランクリン隊は最後の最後でルート選択を間違えたし、スコット隊は最初から困難で長いルートを選択してしまった。

部外者の立場からか、後からは何でも言えますが、謎の部分も多いですよね。
コメント有難うです。
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さらなる悲劇 (腹打て)
2022-05-11 09:31:53
北極でのフランクリン隊といい
南極でのスコット隊といい
この頃の英国隊は軍人上がりが多く
気性も激しく気色も強かったんだろうな。

けど、スコット隊が67年前(1845年)のフランクリン隊129人全員死亡という惨劇を知らないはずはない。
それでも探究と冒険をやめない大英帝国の伝統と誇りには頭が下がる。 
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