よく、数学は訳わからん学問だと皆敬遠する。私もその一人だった、いや今もそうである。リーマンブログを書く度に、頭が重くなるし、後悔する事がないとも言えない。
ムズいというより、異質。異質というより異端?異端というより出来れば関わりたくない学問。いや学問というより異物的存在?
とにかく分からないし、解らないし、判らない。”数学=訳わからん学問”という苦情が聞こえそうだ。
ひょっとして数学とは、”わからん”学問だろうか。いや”わかる筈のない”学問?結局、なくても構わん学問なのか。
でも、ただ一つだけ言える事がある。
それは”どれだけわからないか”を探る学問であるという事。そのどれだけわからないかを追求する過程で、色んな予想が噴出する。その予想を証明する過程で、ホモサピエンスの歴史を覆す程の発見がある。
しかし、予想→証明→発見を延々と繰り返す、孤独な学問としての数学。
サピエンスだけが築き得た”文明”も、数学がなかったら存在しなかったろう。
数学が如何にサピエンスの思考の繁栄と成熟に寄与してきたか。しかし、それらが形としてハッキリと見えてこないのも事実。”見えない学問”としての数学。
”数学って美しい”と言われる。数学って本当に美しい学問か?数ははたして万物か神か?答えはイエスであり、ノーかもだ。
アインシュタインが言う様に、”数学なんって仕立て屋にやらせときゃ”いいのかも。
数学は複雑多岐に入り込んだ醜い厄介な学問かも知れないし、数が万物である筈もない。醜いからこそ美しく化ける必要がある。公式や定理や法則を使って、シンプルに美しく魅せる必要がある。
つまり、数学は万能ではない。故に、虚構の世界でのみ光り輝く。その虚構の光が現実を照らし出す。しかし、この虚構の光で照らし出される数学はやはり美しい。
数は万物ではないが、虚構の世界でのみ光り輝く数学は、やはり万物な学問であろうか。そしてその虚構のみで輝く数学が、あらゆる現実の世界で色んな分野で基盤になってる学問でもある。
数学って人が思う以上に奥が深く、複雑で潔い世界。いや、単なる変りモンがのめり込む変態向けの変質者向けの、虚しくも哀しくも閉ざされた学問なのか。
柔道で言えば、キレイな一本しか認めない。ボクシングで言えば、完全KOしか認めない。判定なんてまずあり得ない。
つまり数学の世界では、”収束”する事が大前提となる。発散しては駄目なのだ。”目に見えない学問”のくせに、完膚なくままにノックアウトしなければ気が済まない学問だのだ。
だから、誤解も多いし、取っ付く難い。だって現実の世界で綺麗に収束するものって何があるんだろう?殆どないはずだ。
ただ、”数学の美”に触れるのは、美味しい部分を堪能できるのは、厳密に言えば、数Ⅲの指数対数関数を使った微分方程式からかな。しかし、今の教育は平坦な受験を重視するあまり、ここまで教えない。よくて数Ⅱまでか。
だから数学の一番美味しい蜜を知らないまま、大学へ進む。当然落ちこぼれますわね。そんな低能が教師になり、数学を教える。生徒は残酷ですよね。ここにて数学アレルギーの一丁上がりと。
そういう私も大学で”数学難民”に落ち込んだ。数学のせいで人生を棒に振ったと思った。しかし、今になって数学にはホント感謝してる。
”数学の美”は、私の脳の奥深くで、ひっそりと息づいてくれてたんですね。今となっては、数学に感謝感謝の毎日です。
前者は仮の姿(虚像)で、後者は真の姿(実像)なんですね。数学は虚像と実像を行ったり来たりする学問なんです。
だから難解ですが、難問が解けるのかな。
私も、昔は、どちらかと言えば、数学好きなほうだったんですが、いま見ると、まったくチンプンカンプンです。
よく数学は生活に必要ないから勉強しなくてもいいと言われますが、頭を鍛えるためには有用なのかもと思ったりします。
それから解いて正解が得られたら、これはどんなゲームよりも快感が得られるかもしれないとも。
他の誰もが解けなかった問題が解けたら、天にも昇るような快感?(笑)
事実、リーマン予想が解決した所で、生活が変わる筈でもないですし。物理学や化学の様な”目に見える”発明の方が、ずっと実生活には貢献出来ますもの。
でも数学的思考こそが、我らサピエンスの存続を左右すると考えてます。大げさに言えば数学的思考を失った時、人類は滅びると。
事実、戦争というのは四則演算の領域のみで意味をなすんですね。つまり数の理論のみで定義される世界。でも複素領域にまで拡張すれば、戦争が殆ど意味をなさない廃棄物に成り果てる訳です。
何だか抽象的なコメントで申し訳ないですが、これだから数学は嫌われるんですかね(笑)。
ホモサピエンスが会話を取得してから、25万年以上経つが、未だに数の理論がサピエンスを支配してます。故に戦争はなくならなし、資本主義も民主主義も腐りますわな。戦争も資本主義も民主主義も数の領域のみで成立するんですから、当然ではあるんですが。
しかし、殆どの人は数学=数と勘違いしてんです。まずこれを正さないと、数学は誤解されっぱなしですね。
でも数と一口に言っても色々ある訳で、P進数も数の1つですから、数の論理と言っても複雑多岐に渡るのが数学という事で、戦争とか富とか強欲は、単なる自然数の世界ですかね。
もし、これら人類の負の遺産が”P進距離”の世界だったら、人類の在り方は180度変わるでしょうか。核分裂もある一定の威力(距離)を超えるとゼロになる(笑)。そんな世界に取り込めるなら、核戦争もなくなる筈かな。