象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

パワハラで崩れ落ちたプロ野球〜安楽騒動の黒幕は誰だ?

2023年12月06日 05時08分28秒 | スポーツドキュメント

 ロッカールーム内で逆立ちさせながら下半身を露出させ、陰部に靴下を被せ、罵詈雑言の暴言を浴びせる事など日常茶飯事。他にも数万円単位の高額な罰金を課して徴収したり、酒席の誘いを断れば深夜の長電話で説教を浴びせたり・・・
 東北楽天の安楽智大投手(27)が後輩選手たちにパワハラ行為をしてた事が発覚。安楽本人は球団側から自由契約とされ、事実上の解雇となった。
 今回の問題は被害を受けていた選手の一部が意を決し、今オフの契約更改の場で安楽の蛮行を訴え出た事で表面化。11月25日に各メディアが安楽のパワハラ疑惑を一斉に報じ、事態を重く受け止めた球団側も即座に動いた。
 球団側は自宅待機を命じた安楽本人にヒアリング、選手や関係者ら137人にアンケート調査を実施し、結果、パワハラ被害を訴えたのは10人で、見聞きしたのは40人いた事も判明した(日刊ゲンダイより)。


パワハラもここまで来ると・・・

 まさに、パワハラとセクハラのやり放題。
 これじゃ”バ◯と野球選手は叩いても治らん”と批判されても文句は言えまい。

 私は野球そのものは大好きである。
 小さい頃は野球選手は一番の憧れだったし、球場にもよく足を運んだ。石みたいに固く重たい球を投げて打って捕球する野球選手って、子供心には超人の様に思えたものだ。
 一方で、プロ野球選手は”勉強が出来ないから野球をやってる”と、子供の頃にお袋から教えられた。勿論、勉強の出来る野球選手もいるし、東大卒のプロ野球選手も存在した。
 だが、”野球しか出来ない”人種が圧倒的に多いのも現実である。

 しかし、こういう事件が起きて、今更野球選手をバ◯呼ばわりしても何も解決する筈もない。プロ野球選手の悪行や素行の悪さについては、幾つか記事を書いたが、過ぎたハラスメントが収まる気配は一向にない。いや、むしろ加速しつつある。
 スキャンダルで終われば可愛いもんだが、最近は犯罪に近い、いや犯罪そのものの暴挙が目立つ。
 しかし、球団も保身の為か、具体的な処分を課したがらない。サラリーマンの世界では即クビになる様な悪質な行為でも、プロ野球の世界では何の悪びれもなく、謝罪のコメントもなく、スター気取りで堂々とプレーする。

 プロ野球選手だけでなく、政治家や芸能人などの有名人に、こうした悪行や愚行が目立つのも、メディアの標的に曝され易いという同情すべき点もあるが、所詮はそんな次元の素性の、いや属性の生き物であるという事の証明でもあろうか。
 票さえ集めれば、数字さえ残せば、メディア映りさえ良ければ、”何やっても許される”という暗黙の了承がある。
 こうした負の環境と連鎖も彼らを甘やかしてる病巣になってはいる。

 一方で、問題発覚から僅か5日で球団が動き、安楽に対して退団処分を下したのは正当で賢明な判断だと思う。
 山川(西武FA)のケースの様に、明らかな性犯罪行為を曖昧しにし、処分をダラダラと引き伸ばしては、プロ野球の信用は地に堕ちる。いや、既に朽ちてるのかもしれない。そんな彼を獲得しようと目論む球団が存在する事自体が私には信じられない事だが・・・
 以下、「説明責任が問われる“陰の重要参考人”」より(主観を交え)大まかに纏めます。


黒幕は誰だ?

 勿論、安楽一人を“クビ”にして蓋をしただけで、この問題の解決になる筈もない。”安楽死”というのが一時的な解決法で根本的解決とは程遠い様に、安楽を”安楽死”させただけではプロ野球全般に蔓延るハラスメント系の問題は解決しない。
 一方で、安楽問題が飛び火し、SNSなどで批判を浴びている田中将大も窮地に立たされている。というのも、投手陣の集合記念撮影で安楽が若手選手らの背中を蹴り飛ばしてるのを、田中がニヤニヤしながら黙認してた映像が拡散し、世間の批判を大きく買う事になったのだ。
 田中は、チーム内で常態化していた安楽のイジメの現場に何度か居合わせ、注意しないどころか、”一緒になって笑っていた”と複数のメディアで報じられ、今も激しいバッシングを浴びている。
 当の田中は”チームの年長者として意識が甘かった”と反省の弁を述べてはいるが、これこそが今のプロ野球選手のパワハラに対する認識である。
 2013年にNPB記録のシーズン無傷の24連勝をマークし、NYヤンキースでも7年間で78勝を飾った。21年から楽天に復帰後もチームの顔として屋台骨を支えた選手にしては、実に頼りない無責任な言葉でもある。

 露骨なパワハラをあえて見過ごし、峠を過ぎたロートル投手に2年で18億を払う球団も間抜けだが、今季まで総指揮官を務めていた石井一久氏にも大きな責任がある。
 管理能力やリスク管理に欠けた”野球しか出来ない”元選手をGMなどの管理職に登用しても、”ヌカに釘”である事は自明であった。
 多分、石井氏もGM職の勉強は殆どしてないだろうし、理解もない筈だ。
 私も顔の事では言えないが(笑)、彼のバ◯丸出しな間抜けヅラを見れば、明らかな様にも思える。
 GMとして無能だったばかりか、”専制君主”と揶揄された総監督になってからも、3位が1度で4位が2度と監督業も僅か3年でクビになる。

 高級取りの移籍組やスター選手の一部“特権階級”たちと、低い契約内容に抑え込まれる中堅クラス以下の層との年俸格差が露骨になっていったのも、石井氏が21年に総指揮官(GMと総監督)に就いて以降の事だとされる。
 GM職と言えば、会社の会計係みたいなもので、内閣府で言えば財務省や金融庁に相当する。
 多分、田中投手の高額買取の一因を作ったのも石井氏だろう。この選択が球団を大きく狂わせ、今回の安楽事件を引き起こしたとも言える。その石井氏は雲隠れしてるが、メディアからは“陰の重要参考人”と揶揄されるのも当然ではある。
 以上、JBpressからでした。

 来季からは心機一転、今江敏晃監督の新体制で船出する。とにかく全ての“膿”を今オフ中に出し切った上で、新生イーグルスはリスタートを切る。
 しかし、まず球団が最初に手を付けるのは、シニアディレクターに左遷された石井氏を排除し、田中選手との契約を白紙に戻す事だろう。
 今回のパワハラ騒動の本質はこの2人にある。勿論、安楽選手が行った愚行は許されるべきものではない。しかし、黒幕を排除しない限り、楽天に明るい未来はないし、安楽選手が社会復帰できる道も完全に閉ざされるだろう。 


最後に〜選択の難しさ

 勿論、石井氏をGM職に登用した球団トップにも責任はあるし、田中投手を高額で獲得したフロントにも責任はある。
 全ては”選択”の問題だが、何でも無差別に選択すると問題や矛盾が起きる。
 これは数学の世界でも現実の世界でも言える事だが、公理系集合論の重要な公理の1つに”選択公理”がある。
 因みに、”選択公理は矛盾を含むから選択公理の使用は禁止する”との疑惑が勃発し、当時の数学界を真っ2つにする程の大論争を呼んだ。

 <選択公理>とは”(空でない)各集合から適当な要素を1つずつ選択すれば、新しい集合が作れる”との事である。
 元々選択公理とは、”どんな選び方をしても、結果的に同じ現象が発生する”状況にのみ使われるので、選ばれ方には依存しない。つまり、一般的には矛盾は存在しない。
 しかし、横方向の選択となると無限の要素が出てくるから、選択も無限回行う必要がある。つまり、”選択を無限回行う事が可能なのか?”という疑問が生じる。
 勿論、選択という行為は1つの動作であり、人為的行為でもある。故に、選択は有限の動作だが、”無限回の選択を許す<選択公理>は如何なものか?”って人情的には言いたくもなる。

 一方で数学の世界では、選択公理が当り前の様に使われている。
 だが、この選択公理は過去に何度もパラドックスに近い事件を引き起こした前科がある。故に、”無限回の選択を行う行為”をよくよく考えると、選択公理とは”無限回を超える回数の選択を行う”行為を許す事に帰着する。
 因みに、無限には加算無限と非加算無限があり、無限を超える無限とは非可算無限となる。こうした人間では到達できない無限までをも選択可能にするのが選択公理の驚異である。
 こうした人間の能力を遥かに超える選択公理だが、それ自身もその否定も他の公理からは証明できない事が証明されている。

 集合論の創始者ゲオルク・カントールは選択公理を自明なものとみなした。実際、有限個の集合からなる集合族であれば、その各々の集合の中から順に1つずつ元を選び出し、それらを併せて集合とすればよいから、この様な選択が出来るのは自明である。
 だが、無限個の集合となると”順に選び出す”操作は有限回で終わらないので、この様な選択が行えるかどうかは自明ではない。
 以上をまとめると、無限を超える無限という問題を除けば、選択公理を採用する方が数学的に柔軟で自然な形になる。故に、問題がないなら選択公理は有効とした方がいいのも事実である。但し、選択公理を使う時は自己責任でとなる。

 大きく話が逸れましたが、今回のパワハラ騒動は球団トップの”選択”が引き起こした矛盾であり、問題とも言える。
 石井氏をGMに招聘し、田中投手を高額買取した事が導火線となり、安楽選手のパワハラを生んだと言えなくもない。
 こうした選択ミスが有限回で終われば、傷口も程々で収まる筈だが、無限に続くようだと収まりが効かなくなる。つまり、選択公理の限界である。
 たかが選択されど選択だが、人を選別(登用)する時はよくよく考えて、矛盾や問題が起きない様に慎重に選択すべきである。

 そうでもしない限り、昨今のプロ野球は政治と同様に悪行と愚行にまみれ、腐った組織に成り果ててしまう。
 時代と数学とファンは正直である。プロ野球が日本列島から消滅しても、この3つには殆ど影響を及ぼさないだろう。  
 つまり、プロ野球は日本人が思う程に有用な娯楽ではなく、排除すべき文化の1つに成り下がるのかもしれない。



6 コメント

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メジャーでも (tomas)
2023-12-06 09:49:22
薬物供与が野放し状態になり
スター選手の薬物使用が次々と暴かれてますね。
ステロイドは勿論のこと
コカインやマリファナなんてやりたい放題に近い。
そのうえMLB機構はマリファナを禁止薬物から除外するという愚策にも似た決断を下しました。
こういうのを見るとメジャーも終わったかなって思いますね。
大谷が二刀流で孤軍奮闘しメジャーを独りで牽引してますが、大谷だって人間だから限界がある。

日本のプロ野球界でもパワハラやセクハラは当たり前の時代になってます。
時代遅れの球技とはいえ大相撲と同じで徐々に衰退していくんですよ。
東京オリンピックじゃないけど悲しすぎるプロ野球です。 
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自主退団 (腹打て)
2023-12-06 13:50:00
今回のパワハラも、ワンマン的存在の石井や田中へのあてつけなんだよ。
だから2人とも何にも言えんかった。
石井も田中も自ら退団を申し出た方がいい。

楽天球団の失態を<選択公理>に結びつける辺りは多少無理があるけど、延々と続く悪しき体質を排除するには悪しき矛盾を注意深く取る除くしかない。
たった一度の選択ミスが人生を棒に振るって事もあるから、管理職の編成は慎重に進めるべきだったろう。
特にGMは予算の配分を任されてるから、それで失敗するとチームはガタガタになる。 
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tomasさん (象が転んだ)
2023-12-06 16:12:21
日本のプロ野球はメジャー程には落ちぶれてはいないし、まだ庶民の信用は保ってると思ってました。
でもこうハラスメントが続くと少し考えますよね。
”またか”ではなく、”もういい加減にしてくれよ”って感じです。
内閣支持率じゃなくプロ野球支持率というものを統計で出してみたらどうでしょうか。
一方で、日本サッカーは欧州の強豪と肩を並べるほどに強くなってるし、今や多くの子どもたちは野球よりもサッカーを目指す。
野球はゲートボールみたいに老人の球技と成り下がるんでしょうか。
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腹打てサン (象が転んだ)
2023-12-06 16:13:20
おっしゃる通りです。
そういう意味で言えば、安楽選手も加害者であり犠牲者でもありますよね。
選択公理に関しては、こじつけ的な部分もありますが、悪しき連鎖が繰り返される今のプロ野球においては、連続しない様に注意深く人選を選択する必要があります。
勿論、無限に悪の連鎖が続く事はあり得ないのですが、プロ野球が一度消滅してしまえば、蘇る事は永遠にありえない。
うーん、やっぱり無理がありすぎですかね。

ともあれ、楽天は今すぐにフロントも含め、変革に取り掛かるべきですね。
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選択公理と集合族 (paulkuroneko)
2023-12-07 13:24:54
とりあえず
”無限回の選択を認める”との仮定からから話を進めましょうってことですよね。

まずは、集合族の直積集合を使って選択公理を定めます。
集合の集まりである集合族が与えられた時、各々の集合から1つずつ順番に要素を選べば、それらの要素の集まり、つまり新しい集合が作られる。
また、集合族の直積集合はそのような新しく出来た集合を全て集めてできる集合として定義されます。
つまり、集合族の要素である集合がいずれも空集合でない時、その集合族の直積は空集合ではないという主張こそが選択公理となります。

集合族の個数が有限であれば、要素の選択も有限回で済みますが、無限個だと選択は”無限回”続き、終わりがありません。
そこで、無限回の選択が可能であることを示す為には、ランダムではなく、その選択の仕方を具体的に指定すればよいとなります。
つまり、それぞれの集合から取り出す要素を1つずつ指定する写像を選択関数に定め、この関数の存在が数学的に証明できれば、選択公理も成立すると言えます。

結局は”選択関数に矛盾がない事を数学的に保証する”というものですが、こうした選択関数の存在を認める事で選択公理は支えられてるとも言えますね。 
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paulさん (象が転んだ)
2023-12-07 18:05:56
詳細な補足、感謝感謝です。
選択公理の本質は”無限回の選択が可能なのか?”って事に尽きるんですが、(後でも述べますが)自明ではないので”公準”と呼んだ方が誤解はない様に思えますね。

言われる通り、選択公理で定義された集合族の直積集合を選択関数に置き換え、その関数が存在する様に写像を定め、数学的に保証する事で選択公理は成り立ってるんですが
選択関数の存在は保証されてますから、選択公理は成立します。
選択公理が独立してるのはこの為で、この保証は”ツェルメロの公準”とも呼ばれます。
一方で、”公準”とは公理と同じく証明なしに用いられますが、公理の様に自明ではありません。つまり、選択公理を成立させる為の一種の”要請”の様なものですが、ZF公理系とは独立し、選択公理を受入れるかは自由となります。
そういう意味でも”扱いには自己責任で”となりますが、選択公理を含めたZFC公理系は普通に使われてます。

因みに、集合族{Aλ}λ∈Λとし添字(Index)をΛで表すと、例えば、Λ={1,2,..,n,...}の時、集合族の直積集合は∏Aᵢ[i:1~∞]=A₁×A₂×・・・×Aₙ×・・・で表されます。但し、直積とても単なる掛け算ではなく、A×B={(a,b)|a∈A,b∈B}を満たす順序対(a,b)(≠(b,a))の集合となる。
故に、集合族の直積集合(順序対)を用いた選択公理の定義とも言えますね。
一方で選択関数とは、f:Λ→:UAλ(λ∈Λ)が存在する時、これを集合族{Aλ}λ∈Λの選択関数と呼びます。
この時、各々の集合の添字λ∈Λに対し、集合Aλから取り出す要素f(λ)を1つずつ具体的に指定する写像になってます。
これは”選択関数を用いた選択公理の表現”とも言えますね。

カントール物語で何度かネタにした選択公理ですが、独立して記事にしたくなりました。
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