序盤は、微妙?な問題を抱える夫婦のセックスの描写が中途過ぎて、何度も見るのをやめようかと思った。
思うに、最近のハリウッド女優のSEXシーンは異常なまでに事務的で、そこにはファンタジーもエロさもなく、過疎とか閑散ささえ感じてしまう。つまり、嫌々ながらならヤラない方がマシなのだ。
しかし、中盤から後半にかけ、養子として迎え入れた小娘が縦横無尽の悪事をこれでもかとやり尽くし、過去に苦い経験を持つ夫婦とその家族を破滅の一歩手前にまで落とし込んでしまう。
実は、このマセた小娘は孤児院出身というのは大ウソで、殺人や放火を繰り返しては精神病院を転々とする、先天性異常性格者であったのだ。
エスターと名乗る9歳の娘だが、成長ホルモン異常を原因とした発育不全の為に外見が幼く、実際はリーナ・クラマーという名の33歳の大人で、その本性は”少女の顔をした殺人鬼”であったのだ。
「エスター」(2009)
過去に死産を経験し、悲しみから立ち直れないケイト(ヴェラ・バーミガ)とそれを見かねた夫のジョン(ピーター・サースガード)は、何とかこの苦境から逃れようと養子を取る事を決意。二人の子供がいながら、全く余計な事をする夫婦だが、孤児院でエスター(イザベル・ファーマン)という娘と出会い、養女として迎え入れた。
が、それを境に周囲で奇妙な出来事が起き始める。娘はこの家族の弱点をすでに見抜き、恐ろしい本性を隠していた。
死産による苦いストレスを払拭する為だけに、敢えて養子を招き入れる。
こうしたアメリカ的傲慢さと身勝手さの設定は、日本人である私には理解し難いが、”よせばいいのに”の典型な展開でもある。
一方で、”大人の心を持ち、子供の見た目を持つ”エスターは、家族の微妙な弱点や夫婦の複雑な心理を読み取り、あえて夫妻が好みそうな子供を演じる事で、巧みに家族に溶け込もうとする。
が故に、この娘が冷酷な殺人鬼に変貌するのも時間の問題であり、先天性”発育不全”を患う娘の、二面性を持つ狂気に満ちた行動を阻止する事は、誰にも避けられなかった。
こうしたエスターの悪意に満ちた冷酷で凶暴なる行動に、自らの愚かさを露呈し、僅か9歳の小娘に翻弄されるケイトの”熱い”演技もまた、実に興味深いものがある。
言い換えれば、冷酷なる狂気と脆くも崩れ去る熱情の奇妙なコントラストとも言える。
つまり、先天的で奇怪な病気が娘を追い詰め、それから逃れる為に悪意を曝け出し、平気で人を殺してきたエスターと、その一方で、後天的な痛手が故に心を病み、自分とその家族を抹殺しようとする彼女に復讐の念を抱くケイト。
狡猾で冷酷な殺人計画と、その一方で抑えきれない凶暴性。この相異なる2つの葛藤が次第にエスター自身を追い込んでいく。
しかし、そんなエスターにも唯一の弱点があった。それは30を過ぎた女性でありながら、年相応の肉体関係を結べない事が、彼女の異常な精神を更に凶暴化していく。事実、ケイトの夫ジョンに肉体関係を迫るも拒否され、逆上した彼女は男を殺してしまう。
一方で、彼女が大切に持ち歩く聖書に挟まれた男性の写真の数々や、彼女の部屋の壁に描かれた性行為の絵は、女の欲望を物語っていた。
こうした恐ろしさと悲しさが同居する彼女の本性を見抜けた人はどれ位いただろうか?少なくとも私には見抜けなかった。
というのも、(夫婦の特に)ケイトの傲慢さと脆さに不思議と心を奪われてたのだ。
つまり、”失ってしまった子供を養子で代用する”という親としての傲慢さとエゴ。言い換えれば、ペットロスと同じ次元で死産した子供を眺めている。
最後は、夫をエスターに殺されたケイトが、何とか助けを乞う彼女に”あなたは私の子じゃない”と、池の底へ蹴り落とし、決着を付ける。が、彼女がケリを付けたのは(不合理にも)過去の身勝手な自分にであった。
実在するエスター物語
実は、この映画の公開直後に判った事だが、エスターは実在する。
これは「ナタリア事件」で知られるが、2010年に当時8歳のナタリアを養子として引き取ったバーネット夫妻だが、彼女の多くの不可思議な点に気付くも既に遅く、それからが悲劇の始まりであった。
事実、医師の診断では、実年齢が”8歳ではなく最低でも14歳は上”で、先天性脊椎骨端異形成症と呼ぶ”小人症の一種を患っている”事が判明。やがて(映画同様に)彼女は本性を表し、夫妻は度々命を狙われ、次第に凶暴になっていく。
2012年、裁判所の判決では彼女は”22歳の女性”と認定され、法的には成人扱いとなる。この判決で養育義務が外れたバーネット夫妻は、ナタリアを置いてカナダに移住。しかし夫妻は、その後もナタリアの社会保障やアパートの借入れなどの援助を継続し、大学入学も勧めていた。
これで一連の悲劇騒動は回避されたかに思えたが、2013年に突然ナタリアが失踪。その後は行方不明のまま、数年が経過する。
しかし、2014年に彼女から育児放棄で訴えられてた夫妻は育児放棄の疑いで逮捕される。捜査の結果、”エスターを子供だと思っていた”と証言した夫は(保釈金を払い)不起訴処分に、一方、”エスターから子供を守る為に”と主張した妻は、現在も法廷で闘争中である。
因みに、ナタリアは夫妻が証言してる事は”全てデタラメだ”と言っているとか・・・
そのナタリアは、2016年にマンズ夫妻に迎え入れられたが、夫妻は彼女を養子とする為に年齢に関する裁判を起こす。が、年齢は覆らず(養子とはならなかったものの)共に生活を送っている。一方、バーネット夫妻は2015年に離婚。後にTV番組に出演し、育児放棄だった事を認めた。
2009年に公開された「エスター」だが、殆どそれと時を同じくして起きた”ナタリア事件”。
更に偶然にも、2023年のナタリアは映画の中のエスターと同じ33歳になる。
これは単なる偶然か?それとも神様が仕組んだ必然か?いや悪魔が仕組んだイタズラか?
実話を元にして作られた映画ではないが、結果として実話を呼び覚ました。
こういう事が起こり得るのもアメリカ的であり、こうした悲劇を裁判、つまりお金で解決しようとするのもアメリカ的である。
「エスター ファーストキル」(2022)では、
「エスター」のコールマン夫妻に引き取られる前の彼女を描くが、私的には「ナタリアの告白」を映画化してほしかった気もする。
追記〜続編は傑作を超えたか
続いて、エスターの続編とも言える「エスター ファーストキル」(2022)の紹介です。
エスターの恐怖を知った後で、エスターの過去を描いた続編がどれ程までに観客の心を打つのだろうか?と私には疑問符がついた。
色んな理由が考えられるが、致命的な問題がそこには隠されている。
それは、「エスター」(2009)を演じたイザベル・ファーマンの年齢である。ここに来て彼女の代役など考えられないが、彼女は今26歳で、この映画の撮影時は23歳であった。
つまり、映画上のエスター(9歳の少女)よりリーナ(30代の女性)に近い年齢になった。演技力だけでは9歳の少女を演じるには明らかに無理がある。
事実、序盤での彼女を見た時、あまりにも老けすぎてて、これまた見るのを止めようと思った程だ。まるで、9歳はおろか30歳としても疑問符がつく程に老いていた。
前編を知る我々観客は、エスターが30代の女である事を知っている。更に、彼女の不気味さと狂気の理由も理解している。
つまり、この続編でも彼女が暴れ出し、今度はオルブライト夫妻を追い詰めていくのは時間の問題でもある。
しかし今作は、そうした非常に困難な前提条件がありながらも、前作以上に私を追い詰めてくれた。そういう意味では、前作を超えた傑作とも言える。
続編の冒頭では、エスター(リーナ)はエストニアの精神病院にいて、すぐさま脱走する。更に、行方不明者リストにあるエスターになりすまし、何とかアメリカへ脱出する。
このシーンは実によく考えられてて、一気に観客を恐怖のどん底に陥れる。
事実、この時点で私には前作の恐怖の記憶が吹っ飛んでしまった。つまり、この作品は、パニック系ホラーと言うより、巧妙でシリアルな殺戮に傾斜した展開となる。
今回の主人公は(前回の様に)エスターではなく、リーナである。
成長したというより老いたイザベル・ファーマンがリーナを演じた事で、前作以上の大人と子供の間を行き来する奇怪な”違和感”がリアルに描かれていた。
ラストでは、リーナがオルブライト家の邸宅に火をつけ、家族全員を殺害し、結果としてオルブライト家は消滅したが、リーナ自身は無事に孤児院へと送られる。
最後に〜エスター ラストキル
実は、私もうっかりしてたが、オルブライト家の妻トリシアは娘のエスターを殺害した事を家族に隠していた。人のいい旦那のアレンは娘が行方不明と信じて疑わないから、リーナがエスターに化けて家族の前に姿を表した時は、愛情を倍増させた。が、妻は当然、エスターが偽物である事を見抜いている。
ただ、このフラグ(伏線)は必要だったろうか?
主役はリーナ自身であり、それ以上もそれ以下もない。つまり、トリシアが殺人犯であっては困るのだ。
ただ、展開上ではこのフラグは明確には描かれてはいない。多分、監督も迷ったのかもしれない。つまり、リーナ自身も被害者だとして、悪そのものとみなす訳にも行かなかったのだろう。それにしても、余計で曖昧なフラグでもあった。
一方で、前作では7人を今作では5人を殺したリーナだが、”ファーストキル”というタイトルには、それぞれの殺人が娘にとってはファーストキルだったのかもしれない。
つまり、1人殺してはサイコキラーの脳内がリセットされ、それを繰り返す。
ただ、イザベル・ファーマンの老け顔を見るにつけ、今回が最後のエスターにしてほしい。
いやそれとも、「エスター ラストキル」というタイトルで最終章を飾るのだろうか?
とにかく、あらゆる要素が詰まってる作品である事は確かである。
昔からませた子っていましたが、ませてるということは知能が年齢以上に働くということだから、子供だと思っていたら痛い目に遭いますね。
私は昔から、ませてるの反対の間抜けな子でした。
フィクションで作った筈なのに、実話が存在した事です。
アメリカってつくづく広大な国だなって思い知らされます。
展開自体はマセた少女の単純な殺戮物語ですが、実話が存在した事で続編が傑作になった。
そういう意味でも、印象に残った映画でした。
コメント有難うございます。