過疎を加速させる様な記事ばかりで、洒落にもなってませんが(笑)。
どうも私には、普段から危機意識や問題意識のなさ過ぎる日本島民が気に食わんのでしょうね。
無能な日本政府にここまでナメられ、利権体質に塗れたIOCが独占所有する(元々意義なんてこれっぽちもない)オリンピックに、未だに執着し未練がましい日本国民。
しかし、平和ボンボンな農耕族が好むテーマは、趣味に料理にペットに旅行と、人畜無害の無難なものばかり。
もちろん私だって、料理は自分でつくるし、一人旅も大好きだし、猫も飼ってた事がある。そんなテーマをとも思わなくもないが、モチベが上がらない。
うどんを作っててタヌキが落ちてきたとか、猫が突然朝鮮語を喋ったとか、そういうドラマチックな事がない限り、書く気にはなれない。いや、書いたとしても嫌悪感で充満するだろう。
わかり易く言えば、”1+6=7”では日記やブログは書けるが、ドラマは出来にくい。しかし、”x²+y²=z²”(ピタゴラス数)ではブログにはなり難いが、コラムやドラマにはなり易い。
つまり、シンプルなテーマでも奇怪に絡み合う程に、末恐ろしい異次元の衝撃に繋がる。
因みに、ピタゴラス数の答えは、x=m²−n²,y=2mn,z=m²+n²である。今から4000年前のバビロニアの民たちはこうした知恵を競い合い、楽しんでたのだ。
私が”近代五輪には意義がない”と断定するのも理解してもらえるだろうか。
私にとってブログを書くモチベーションというのは、そういうものである。
故に、人畜無害系のネタを書けと言われても、”エロ爺のケツをナメてみろ”と脅されてる様で、デキんのは出来んのだ。
奇妙な現実
ブログを始めて3年を超えるが、奇妙な事に気がついた。
あるフォロワーの記事に、コメントを承認制にする訳を書かれてた。
私はそれに対し、”執拗な悪意(嫌がらせ)のコメンターは病原菌と同じで、相手の怒り心頭の反論(免疫暴走)を誘う。しかし無視されると(酸化して)簡単に死滅する。
それに持論すら持ち得ないウィルスの様な<半生命体>で、悪意を拡散(インフルエンス)するのが生命線です”と、偉そうに書いた。
何も考えずに書いたコメントだが、裏をついた妙案だと思った。
事実フォロワーからは、”嫌がらせをしたい人は嫌がらせが目的(生命線)だから、無視されたり、コメント欄が閉鎖されてたりすると離れ(自死し)ていく。それは真理だと思う。そういう意味でもコメント欄を閉じておくという効用はあるかもしれない”とあった。
私がコメント欄を開けとくのは、コメントが欲しいからだ。しかし、開けっ放しだと空き巣が忍び込む様に、悪意や嫌がらせのコメントも入り込む。特にGooブログは外部者でも誰でもコメントできる。
つまり、コメントし放題なのだ。
故に、悪意のコメンターにとって、コメント欄こそが生命の窓口で、そこを断たれると当然死滅する。閉じてなくとも無視すれば呆気なく自滅する。
結局、”悪意は自分に跳ね返り自死に至る”という一種の基本命題だろう。
しかし、ブログも含めSNSの大半は、そうした自死系コメンターかも知れない。”炎上”(自死)という言葉も彼らが発明したものだとしたら。
結局、大半のSNSはバブル景気と同じく、自死する為にあるのだろうか。
国民をナメるにもほどがある
IOCバッハ会長の歓迎会が18日夜、東京の迎賓館で開かれる。菅総理や小池都知事ら40人余りが参加する見込みだ。
新型コロナ感染予防の為、食事や酒の提供はないとされるが、スピーチやピアニストの演奏が予定されてる。
迎賓館赤坂離宮は1964年の東京大会で組織委が置かれ、バッハ歓迎会の為に組織委が事前に押さえていた(中スポ)。
つまり、国民には自粛を押し付け、バッハには歓迎パーティーを催すという事。
菅総理は、”(五輪には)緊張感を持って対応する”と語り、9月末の自民党総裁選に立候補する意欲を見せた。
緊急事態宣言が完全な空砲に終わり、”安全・安心”を誓った五輪のコロナ対策は早くも崩れ去った。その上、ワクチン接種はここに来て頓挫し、混乱を引き起こしている。
日本政府の愚策が続く中での迎賓館での五輪開催パーティーだ。誰が見ても、”不要不急”の会食だろう。
”俺らも呑めや食えやの大宴会やるぞ!”と自粛破りを宣言する声も続々と上がり、今や国民の怒りは沸点を超えそうな勢いである。
老いぼれもここまで来ると救いようがないが、安倍を引き継いだ菅も所詮は、無能に過ぎなかった。
「無観客から打ち切りへ」に寄せられたコメントにある様に、日本がまともな民主国家だったら、迎賓館前に抗議デモが殺到するだろう。こうなったら、東京都民も一斉に自粛を破り、<打ち切り>を加速させようと。
しかし、今の東京都民にはそんな勇気や正義のカケラもない様に思える。あるのは密かに期待するオリンピックの幻影である。
表面上では反対しつつも、内心では地元での五輪開催を期待してるフシがある。
それは数字にもしっかりと表されている。
最新の世論調査(朝日新聞)では、五輪開催を支持する国民が34%も、中止は32%で延期は30%。
つまり、延期を隠れ支持者とみなせば、オリンピックを見たがってる国民が64%も存在する事になる。
信じがたい事だが、IOCの腐った利権体質が暴かれてもなお、6割以上の国民が五輪開催を心の中で願ってるのだ。信じ難い農耕族の哀れな島国根性と言えばそれまでだが、バカと政治家と日本国民は叩いても感染しても治らない。
勿論政府も悪いが、それ以上に多くの日本島民もお祭り気分に浮かれきってるという、哀れな現実が五輪開催を後押しする。
国民が揃って反対すれば、何とか中止に追い込める筈だが、戦争と同じ様に、五輪プロパガンダに微妙に丸めこまれ、国民の足並みが一向に揃わない。
それに、全く機能してない菅首相の支持率が29%あるのも不思議過ぎる。良識ある日本国民なら一桁だろう。
政治家も無能なら、それ以上に我ら日本農民も無能なのだ。
慢心は自死に至る
クーベルタン男爵が、近代オリンピックを復活させたのがそもそも失敗だった。
男爵は”100年後に生まれ変わる事が出来るとすれば、オリンピックを壊したい”とも語ったが、後の祭りである。
古代オリンピックはギリシャによるギリシャの為のローカルなお祭りに過ぎなかった筈だ。そして、近代オリンピックには最初から意義がない事を国民は認識すべきだ。
つまらぬ悪意が自分に跳ね返るのなら、余計な善意も自分に跳ね返る。
近代オリンピックの復活というクーベルタンの無用な善意が自らに跳ね返り、オリンピックの死滅に至るのなら、これ程出来のいいシナリオもない。
自覚症状のない無駄と無能は、見せつけられないと解らない。
それと同じで、腐敗した五輪は開催して初めて、無用で無謀だと国民は悟るだろうか。
それとも、オリンピックの虚像と幻影に浮かれ、悪夢と無謀を受け入れ、自死に至るのだろうか。
言うだけで怒らない国のニッポン。
怒らないだけでなく、NOとすら言えないニッポン。
NOどころか、心の中ではオリンピックを待ち望んでる、憐れな国のニッポン。
誰がこんな国にした?
それは腐敗しきった政治家ではなく、慢心しきった我ら国民なのである。
つまり、”慢心と悪意は自分に跳ね返り、そして自死に至る”という基本命題すら理解しえない多くの日本島民こそが、真の巨悪の根源なのかもしれない。
一番腹が立ってる部分ですね
誰がこんな国にした?
それは腐敗しきった政治家ではなく、慢心しきった我ら国民なのである。
つまり、”慢心と悪意は自分に跳ね返り、そして自死に至る”という基本命題すら理解しえない多くの日本島民こそが、真の巨悪の根源なのかもしれない。
私が伝えたい事の本意をご理解くださり、とても嬉しいです。
こういうテーマは見向きもされないし、平和ボンボンな日本農民にしては受け入れ難いですよね。
もう始まるんだから、負の側面ばかり考えないで一緒に応援しましょって事に帰着する。日本の為の平和の祭典じゃないって声が聞こえそうです。
五輪支持者は”不可能を可能に”とかキレイ事を叫ぶけど、だったらABC予想の1つでも解いてみろって言いたい訳ですよ。
そんな純朴で愚鈍な民ばかりが夢と感動を追いかける。これじゃ、国家も政治家も堕落する訳ですよね。
バカは自覚症状ないから
自分にはねかえらないから自死しないの
しぶといのよバカは👅
でも日本人ておとなしいね
なんでもお上様の言うとおりなんだから
オリンピック
無事なに事も起こりませんよう願ってます
書かれている通りです。日本人は劣等民族なのでしょう。
私のやっている短歌でも少し批判めいたことを言うと自分はどんな歌作ってるんだと怒る馬鹿がいる。批評というのは自分の歌は棚に上げておいて言うものなのに怒り狂う馬鹿がいる。批評の意味が全くわかっていない。
転象さんのこのBlogは、そんな劣等民族書くBlogに風穴を開ける貴重な存在ですから、頑張ってもっともっと辛口の記事を書くようにしてください。応援しています。
そうすれば今からでもオリンピックを中止に出来ます。
という筈もないんですがね・・・
確かに何も怒らない事を願うばかりですが
そんな中いきなり、バッハ歓迎パーティーですよ。何かが起こりすぎるんですよね。
バカと日本島民は叩いても治らない??
最近の記事は愚痴ばかりで、隣組から”何様のつもり”って言われそうです。
私が東京都民なら、迎賓館に火炎瓶の1つや2つ投げ入れるんですが(冗談)、でもそうでもしないと昨今の痴弱なSNSでは世論は動きませんし。
農耕族の日本は自己否定に敏感で、批判そのものに慣れてない。だから批判精神の文化が根付かないんですよ。
数学の世界では批判は当たり前で、その批判数学が現代数学の基盤となってるくらいですから。
しかしその日本で、数学だけは今でも世界のトップクラスにあるんですから、不思議なもんですね。
バカというピースだけで、全ての政治家が表現できる。
これを<バカの一意性>と言うんだけど(笑)
政治家の大失態って政治家にはまず跳ね返らないで、国民にそのまま跳ね返るんだよ。
バカと政治家が自死しないのは、バカという単細胞なピースが変異しやすいことに尽きる。
様々に変異したバカがいて組織をなせば、その組織は一意的には分解しえない。
バカは永久に不滅というのは、そうした命題からくる。
多分クンマーの理想数を使っても無理だろうね。人が思う以上にバカは複雑だ。
でもなぜ古代バニロニア人がこうした高度な整数論に興味をもってたのか?
というより、幾何学的手法を駆使することでピタゴラス数の公式を見出したとしたら?
古代オリンピックなんかよりもずっと脅威な歴史であり、古代数学史における20世紀最大の発見でもあります。
現代人の知能はひょっとしたら、4000年前よりも退化してるのかもしれません。
少なくとも、近代オリンピックを愚かにも復活させたクーベルタンよりもバビロニア人の方が知能水準はずっと高いですよね。
笑わせてくれるタイトルですね。
単細胞なバカもコロナウィルスみたいに変異を繰り返し、毒性を増し、社会の隅々にまで侵食する。
結局、人類はバカに埋め尽くされ、死滅する。
オリンピックに群がるIOCや日本政府、組織委、それに五輪アスリートたちを見てるとそんな感じもしますね。
でもこの発見って、数学史だけじゃなく人類の歴史においても20世紀最大の発見ですよ。
まるで「猿の惑星」。
ずっと昔に現代人よりも高度に発達した知能を持つ人類が存在したんですから・・・
それに比べたら、クーベルタンも古代オリンピックもカスみたいなもんですが。
嗚呼イカン!イカン!
また愚痴ってしもた。